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第29話:俺は闇の中へ

 学校祭という大きな節目を前に、日常の風景が加速していきます。

 忙しさに追われる中でふと訪れる、夜道の静寂。

 何気ない帰路のひとときを、楓の視点から描きます。


 不動高校の学校祭には、シビアな「順位」がつく。

 それは単なる思い出作りではなく、組ごとのプライドと意地をかけた、一種の代理戦争のようなものだ。


 A組は白翔隊ハクショウタイ、B組は黄翔隊オウショウタイ、C組は黒翔隊コクショウタイ、そして俺たちが所属するD組は赤翔隊セキショウタイ

 一年生から三年生まで、クラスの垣根を越えて同じ色同士が一体となり、総合優勝の栄冠を目指して激突する。この連隊制こそが、うちの学校祭を異常なまでに熱くさせる要因だった。


 体育祭の競技結果は言うに及ばず、文化祭の合唱コンクール、各クラスのステージ発表、さらには中庭に出店する模擬店の売上や接客評価まで。ありとあらゆる活動が細かくポイント化され、最終的な順位が決定される。

 だからこそ、どの学年も、どの係も、一瞬たりとも気が抜けないピリついた空気が漂っていた。


 朝は早くから、体育祭の目玉であるパネルパフォーマンスの練習。

 授業の合間のわずかな休み時間さえも、クラス発表で使う小道具の制作や打ち合わせに消えていく。

 午後からはさらに過酷だ。校舎の外壁を覆い尽くすほど巨大なクラス垂れ幕の彩色や、応援席に掲げる特大パネルのペンキ塗り。

 そこに模擬店の設営準備、応援団の演舞練習、各競技の予選会などが容赦なく割り込んでくる。


 俺の場合、ここに吹奏楽局としての全体合奏練習と、あの癖の強いメンバーとのバンド練習が、パズルの隙間を埋めるようにねじ込まれてくるのだ。


(正直……忙しすぎやしないか? 俺の体は一つしかないんだぞ)


 そんな愚痴をこぼす暇すらなく、時計の針は無情に放課後の終わりを告げる。



     



 学校からの帰り道。

 俺は兄ちゃんから受け継いだ呪いの愛機、チャベス号と共に深い闇の中を駆けていた。


 街灯の極端に少ない田舎の夜道。スクーターの弱々しいヘッドライトが照らし出す光の輪は心もとない。五百メートルおきに申し訳程度に立っている外灯を目印に、俺は闇に飲み込まれないよう必死にルートを導き出す。


 初夏の夜風は、一日中動き回って火照った体には心地いい。

 ヘルメット越しに感じる風の音に包まれていると、不思議と思考が脈絡もなくあちこちへと飛んでしまう。


 田植えが終わったばかりの田んぼからは、風の音さえもかき消さんばかりの猛烈なカエルの合唱が聞こえてきた。


 俺は、カエルが嫌いだ。

 まず第一に、うるさい。夜、家の中で耳栓をしても布団を被っても、その執拗な鳴き声が鼓膜を震わせてくる。

 そして何より最悪なのが、雨の日だ。奴らは何を勘違いしているのか、平気なツラをしてアスファルトの道路に這い出てくる。暗闇の中、それを避けるのは至難の業で、自転車やバイクに乗っていると、どうしても「グチャッ」という嫌な感触と共に轢いてしまう。


 翌朝、登校途中に干からびたカエルの死骸だらけになった道路を見るのは、精神的にくるものがある。

 カエルはいやだ。本当に、心底いやだ。


 ふと、ハンドルを握る手に力が入り、幼い頃の嫌な記憶が蘇った。

 道路と田んぼの間を走る、あの深い用水路を「勇気の証明」として飛び越えようとし、失敗して大怪我を負ったことがある。

 あそこはコンクリートで固められていて、深さもそれなりにある。下手に落ちれば骨折は免れないし、もし増水していれば、そのまま下流まで流されて溺死する危険だってある。

 田舎の用水路を舐めてはいけない。それは、死へと直結する深い溝なのだ。


 そういえば、田んぼの土というのは不思議なものだ。

 今は水分を含んでドロドロだが、粘土質だから一度乾いてしまうとコンクリートのようにカチカチに固まる。

 俺の人生も、今はぐにゃぐにゃに忙しいけれど、いつかはこの土みたいに確かな形になって固まってくれるんだろうか。


 ようやく家が近づいてきた。

 暗闇の先に、見慣れた竜胆家の明かりが小さく見え始める。


 あ、そうだ。

 明日には、俺の本命の愛車『コレダスポーツ』が修理から帰ってくるんだった。

 チャベス号の珍妙な視線から解放されると思うと、自然と口元が緩む。どうやって引き取りに行こうか。父さんか母さんに頼んで、車で送ってもらうのが無難だろう。


 吹奏楽局のメンバーの顔も思い浮かぶ。

 二年生の終わりで進路のために辞める、と言っている子も数人いたはずだ。

 その前に、何かみんなの心に一生残るような、最高のイベントを局長として企画してやりたい……。



 そんな、未来への希望に満ちた考えに耽っていた、その時だった。



 弱々しいライトの光が、前方に異質な「影」を捉えた。


 それは、おそらく日中に作業を終えたトラクターが、タイヤの溝からボトッと落としていった大きな土の塊だった。

 この時期の農道ではよくあることだが、今の俺に避ける余裕も、ブレーキをかける時間も残されてはいなかった。


(ぶつかる――ッ! 岩か!? いや、固まった土か!?)


 俺は全身の筋肉を鋼のように硬直させ、最悪の衝撃に備えて歯を食いしばった。

 チャベス号の小さなタイヤが、その影に真っ正面から突っ込む。



 ――ヌルン。



「……。」


「……え?」



 柔いのかーい!


 コンクリートのような硬い衝撃を覚悟していた俺の予想を、物理法則が無慈悲に裏切った。

 タイヤは、水分をたっぷり含んだ巨大な泥の塊に、ねっとりとした嫌な感触と共に深く吸い込まれたのだ。


 抵抗を失ったハンドルが一気に左へと奪われる。

 バイクは激しくスリップし、制御不能のまま進路を急激に変えた。


 そこにあるのは。

 つい数分前、俺が死を連想したばかりの、あのコンクリート製の用水路だ。


「わ、わわわっ――!」


 叫んだつもりだった。

 だが、自分の声がどこか遠い異界で響いているように聞こえる。

 チャベス号と共に、俺の体は重力という呪縛から解き放たれた。


 闇の中へ、放り出される。

 一瞬の、永遠にも感じられる浮遊感。

 視界の端で、夏の大三角形の一角、アルタイルが冷たく輝いた気がした。


 そして。

 それから、俺は深い闇へと沈んでいった。

 もう……、動かすことができなくなったんだ……。

 最後までお読みいただきありがとうございます!


 思わぬ形で幕を閉じた今回のエピソード。

 日常のすぐ隣には、常に予測不可能な出来事が潜んでいるのかもしれません。


 この先に待ち受けている運命とは。

 続きが気になると感じていただけましたら、評価やブックマークをいただけますと大変励みになります!


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