第25話:農家の親父は規格外
吹奏楽局の忙しい日々を駆け抜けた局員たちに訪れた、束の間の休息。
今回の舞台は、北海道・道北ならではの「ジンギスカン」レクレーションです。
しかし、主人公・竜胆楓の家は一筋縄ではいかない農家。
父の「規格外」なこだわりが、爽やかなはずの親睦会を、まるで「祭り」のような熱気へと変えていきます。
準備段階から溢れ出す、道産子スピリッツ全開のエピソードをお楽しみください。
六月の澄み渡る空。北海道の短い夏が本格的に始まる少し前、吹奏楽局では恒例の親睦レクレーションが開催されることになった。
毎年、この時期になると局員たちの話題は「今年はどこで何をするか」で持ちきりになる。球技大会、登山、あるいはボウリング。しかし、今年は満場一致で「外でジンギスカン」に決まった。
ところで、北海道民には「バーベキュー」という言葉の使い分けに、独特のこだわりがある。
一般的に網で肉を焼く行為をバーベキューと呼ぶが、ここ道北において、その境界線は「肉の種類」に委ねられている。
俺たちが住んでいるこの地域は、あらかじめタレに漬け込まれた「味付きジンギスカン」の文化圏だ。そのため、屋外でやる場合はジンギスカン鍋をわざわざ用意するよりも、網で豪快に焼いてしまうことが多い。最近では家庭での鍋保有率も下がり、外なら網焼きスタイルというのが、この辺りのスタンダードだ。
だが、網で焼こうが、炭火であろうが、主役がジンギスカンであるならば、それは「バーベキュー」ではなく「ジンギスカン」と呼ぶのが正解なのだ。
牛肉や豚肉がメインなら「焼肉」だが、今日の主役は間違いなく、あの甘辛いタレがたっぷり染み込んだ羊肉。だから、これは「ジンギスカン」なのである。
いつもは何人かで家庭用のコンパクトなバーベキューコンロを持ち寄るのだが、今年はうちで全て用意することになった。
きっかけは、先週の家での会話だ。父がとんでもなく張り切ってしまったのである。
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一週間前の夕食後。俺は茶を飲みながらくつろいでいた父に声をかけた。
「父さん、次の土曜日に公園でジンギスカンするんだけど、うちの焼肉台持ってっていい?」
うちの物置の隅に転がっている、足のガタついた古いコンロを思い浮かべていた。ところが、父は新聞から顔を上げると、少しだけ眉を寄せて言った。
「ああ? あの台か。あれはもう底が抜けてボロボロだ。あんなもん持っていったら、途中で炭が落ちて火事になるぞ」
「え、じゃあ使えないのか……。どっかで安いの買ってくるかな」
父は不敵な笑みを浮かべた。農家として長年、機械の修理やDIYをこなしてきた男の目だ。
「買わんくてもいい。そんなチャチなもんじゃなくて、もっといいやつを新しく作ってやる」
「作ってやるって……今から?」
「そうだ。何人でやるんだ?」
「えっと、局員全員だから……だいたい30人くらいかな」
その数字を聞いた瞬間、父のスイッチが入ったのが分かった。
「30人か。結構な大所帯だな……。よし、楓。お前も手伝え。これは修行だ」
「修行? いや、ただの焼肉台を借りるだけの話なんだけど……」
俺の困惑を無視して、父はつなぎに着替えると、鼻歌混じりに納屋へと向かった。嫌な予感がした。この人の「作る」は、普通の人間が想像するレベルを遥かに超えていることが多いのだ。
納屋の奥から父が引きずり出してきたのは、巨大なドラム缶だった。かつてオイルか何かが入っていたであろう、無骨な鉄の塊だ。
「父さん、これどうするの?」
「決まってるだろ。半分に切るんだ」
父は慣れた手つきでサンダー(電動工具)を手に取ると、凄まじい火花を散らしながら、ドラム缶を縦に真っ二つに切り裂いた。
「ほら、楓。中と外をひたすら洗え。特に中は念入りにな。オイルの匂いが残ってたら、肉に全部つくぞ。そうなったら食えたもんじゃないべ?」
「オイルの匂い……」
渡された強力な洗剤と硬いタワシを手に、俺は半分になったドラム缶の内側を磨き始めた。
ドラム缶の底には、かつて入っていたオイルのねっとりとした残留物がこびりついている。これが厄介だ。少しでも油膜が残っていれば、熱した時に独特の機械臭が立ち上り、最高なはずの味付きジンギスカンの風味を台無しにしてしまう。
「ほれ楓、手が止まってるぞ! 鼻を近づけて嗅いでみぃ、まだオイルの匂いがするベ?」
「……っ、分かってるよ!」
バケツの水を何度もぶっかけ、泡だらけになりながらゴシゴシと力を込める。鉄の肌が見えてきても、父の検品は厳しい。
俺が必死に洗い終えると、父は手際よくドリルで側面に空気穴を開け、慣れた手つきで溶接機を起動した。バチバチッ! という激しい閃光とともに、L字型の鉄骨がドラム缶の四隅に固定され、しっかりとした「脚」になっていく。
「仕上げに中に金網の受けを作れば、一つ目の完成だ。これなら一度に5、6人は余裕で食えるベ」
出来上がったのは、キャンプ用品店で売っているものとは比較にならないほど巨大で頑丈な、まさに「漢の焼肉台」だった。網を乗せれば、大量の味付き肉を一気に焼ける頼もしい相棒だ。
「おお……これなら一台で十分間に合いそうだね。他のやつらにも連絡しなきゃ」
俺がそう言いながら腰を伸ばそうとした時、父の声が響いた。
「おい、楓。どこへ行く。ドラム缶はまだあるぞ、運んでこい」
「えっ……いや、もう一台あれば十分すぎるでしょ?」
「何言ってるんだ。30人だぞ? 密集して食ったら落ち着かないだべ。あと三つ分……つまり計六台は必要だな。いや、予備も含めてあと三つ持ってこい。全部で四つ、八台分作るぞ」
「んんん!? 八台!? 業者かよ!」
そこからは地獄の作業だった。
ドラム缶を運び、サンダーで切り、そして何より過酷な「オイル落とし」の洗浄作業。計八枚のドラム缶半身を磨き上げる頃には、俺の腕の感覚は消え、鼻の奥まで洗剤の匂いでいっぱいになっていた。
「そんなんじゃ火力が足りんわ! 穴の大きさを見てみぃ!」
「もっとしっかり洗え! 肉がオイル臭くなったら、食べれんだろ?」
父のこだわりは止まらない。気づけば俺は、過酷な鉄工所の見習いのような状態になっていた。
結局、全ての作業が終わる頃には日が暮れていた。
計八台のドラム缶コンロが納屋の前に並んでいる光景は、圧巻というより異様だった。俺の身体はあちこちが悲鳴を上げ、特に腕と肩は、明日の練習に支障が出るんじゃないかというくらいパンパンに張っていた。
疲労困憊で座り込む俺の横で、父はケロッとした顔をして言った。
「おっと、自分家用のを新しくするのを忘れたな。これじゃ母さんに怒られるわ」
そう言うと父は、余った厚めの鉄板を器用に溶接し、自宅用の四角い焼肉台を、ものの三十分ほどで組み上げてしまった。
農家の親父という生き物は、本当にたくましい。そして、規格外だ。
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そんなこんなで、当日。
俺は父の愛車『青い彗星』の助手席に揺られていた。
『青い彗星』……その爽やかな名前に反して、正体は真っ青なボディの毎度お馴染みの2トントラックだ。普段は収穫した作物や肥料を運ぶための力強い相棒だが、今日はその広い荷台が、異様な光景になっていた。
ドラム缶コンロ8台。そして農作業用の黄色いコンテナが、これでもかと大量に積まれている。
高校二年生の俺には当然免許がないので、運転は父が担当だ。
「父さん、これ……さすがに目立ちすぎじゃない?」
「何言ってるんだ、これくらい積まないと30人は座れんだろ。楓、お前も免許取ったらこれを乗りこなすんだぞ」
「いや、俺の『青い彗星』は原付のカブで十分だよ……」
そんなやり取りをしながら、2トントラックは唸りを上げて公園の駐車場に滑り込んだ。
すでに集まっていた局員たちが、こちらを見て一斉に固まるのが分かった。
「え、何……? 工事?」
「あ、楓だ! 楓がデカいトラックで来たぞ!」
父は慣れた手つきでバックして駐車すると、威勢よく運転席から飛び出した。
「よし、みんな! 手を貸せ!! 気をつけるんだぞ!」
父の号令に、男子や後輩たちが「うわ、すげー!」「これドラム缶ですか!?」と驚きながら集まってくる。
俺も助手席から降りて、男子たちには普段通りの口調で指示を出す。
「おい、そっち持って。重いから気をつけろよ。コンテナはあっちに並べて」
「はい、りん先輩! これマジで自作っすか? 渋すぎます!」
ドラム缶コンロを芝生の上に並べ、黄色いコンテナを椅子代わりに配置していく。
その様子を遠巻きに眺めていたハルちゃんたちが、おそるおそる近づいてきた。
「りん、これ……全部おうちから持ってきたの?」
ハルちゃんの問いかけに、俺は少し照れくささを隠しながら、優しい口調で答えた。
「うん。父さんが『30人ならこれくらい必要だ』って言って、昨日急ごしらえで作っちゃったんだ。ちょっと大げさだったかな」
「ううん、すごいよ! なんだかキャンプ場みたい。あ、この黄色い箱も椅子になるんだね」
「そうそう。汚れないようにシート敷くから、ハルちゃんたちはそこに座って。力仕事は俺たちがやるから大丈夫だよ」
俺がそう言うと、女子部員たちは「ありがとう!」と笑顔を見せてくれた。
さて、ここからが本番だ。
普通、バーベキューの火起こしといえば、着火剤を置いてうちわでパタパタと扇ぐのが定番だが、うちの父さんにそんな悠長な概念はない。
父はトラックの荷台から、長いホースのついた無骨な機械を取り出した。
「おい、危ないから下がってろよ」
父がバルブを回し、カチリとスイッチを入れた瞬間。
「ゴーッ!!!」という、耳を打つような凄まじい轟音が響き渡った。
バーナーという名前の、もはや「火炎放射器」と呼んだほうが正しい代物から、数メートル先まで届きそうな青白い炎が噴き出す。
「ひえっ!?」
「何あれ、すごい!!」
局員たちが悲鳴に近い歓声を上げる中、父はドラム缶の中に積み上げた炭に向かって、容赦なくその巨大な火柱を叩き込んだ。
パチパチどころではない。炭が悲鳴を上げ、ものの数分で真っ赤に熱せられていく。
父は慣れた手つきで次々とドラム缶を回ると、全てのコンロに圧倒的な火力を提供していった。
「よし、これでいつでも焼けるぞ! 火には気をつけるんだぞ、夕方また回収にくるからな」
満足そうに「火炎放射器」を片付けると、父は再び『青い彗星』のエンジンを吹かせて、颯爽と去っていった。
レクレーション会場を見渡す。
芝生の上に、武骨なドラム缶コンロがズラリと並び、その中ではすでに最強の火が熾っている。
うーん……。吹奏楽局のレクレーションというよりは、やはり地域の農業祭か、開拓者たちの夜営地だ。
「ねえ、りん」
ハルちゃんがトコトコと歩み寄ってきて、クスクスと笑った。
「なんか、かっこいいね。お父さんも、りんも。あ、今日はお肉たくさん持ってきたよ」
「楽しみだね。しっかり焼くから、いっぱい食べて」
俺はそう微笑みながら、網をセットし始めた。
網の上に並べられるのを待っているのは、道北はこっちのほうが馴染みがある、味付きジンギスカン。
父と二人、オイルの匂いと戦って磨き上げ、そして父の火炎放射器で魂を吹き込まれたこのコンロたちが、今日一番の立役者になるはずだ。
「よし! 肉を持ってこい! 宴の準備だ!」
俺の号令とともに、男たちの野太い返事が返ってくる。
父の愛車『青い彗星』が運んできたのは、単なる機材ではなく、今日の成功への確信だった。
お読みいただきありがとうございました。
ドラム缶コンロに火炎放射器……。これぞ「農家の親父」と言わんばかりの圧倒的な火力で、無事に(?)準備が整いました。
オイルの匂いと戦い、真っ赤に熾った炭を前に、いよいよ待ちに待ったジンギスカンが始まります。
しかし、お腹を満たすだけでは終わらないのが、青春のレクレーション。
次回の第26話では、立ち上る煙と美味しい肉の香りに包まれる中、楓の周囲で「新たな心の揺れ」が動き出します。
波乱の予感が漂うジンギスカン本番、どうぞご期待ください!




