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第23話:封印されし禁忌の遺物

愛車の故障により、移動手段を失った楓。

背に腹は代えられない彼が納屋の奥から引きずり出したのは、兄・千島が遺した「禁忌のスクーター」でした。


楓は無事に、この悪魔のマシンで学校へ辿り着けるのでしょうか……。


 納屋の奥、農機具や古いスチールラックのさらに奥に、それは眠っていた。


 数年分のほこりを分厚く被り、もはや鉄の塊というよりは「遺跡から発掘された何か」のような風貌のスクーターだ。



 俺は覚悟を決め、そいつを外へ引きずり出した。


 ホースから勢いよく水を出し、ブラシで長年の泥と埃をこそぎ落としていく。

 水しぶきと共に、鈍い光を放つ漆黒のボディがじわじわと露わになった。



「……うわ、やっぱりか。これ、本当に乗るのか俺……」



 改めて見ると、状態は惨憺さんたんたるものだ。

 フロントカウルの一部はバキバキに割れ、ガムテープやパテで補修した跡すら投げやりで荒々しい。


 だが、ガソリンを補充し、祈るような気持ちでセルを回すと、意外にもエンジンは「ボボボッ!」と野太い産声を上げた。

 アイドリングの振動が、地面を通じて俺の足裏を不快に揺らす。


 少し試走してみたが、初速こそ心許ないものの、一度スピードに乗れば安定している。

 加速するたびにフロントから「カタカタ」と不穏な音が響くのを除けば、乗り物としての機能は生きていた。



 元々親も、俺が免許を取ったらこれに乗らせるつもりだったらしく、自賠責もしっかり更新されていた。


 足があるのはありがたい。

 交通の便が悪いこの辺りでは、文字通り翼を得たようなものだ。



 でも、こいつに乗るのだけは、正直、死ぬほど気が引ける。


 機能の問題じゃない。

 こいつがまとっている、救いようのない「おぞましさ」のせいだ。



 最大の問題は、フロントカウルの中央に鎮座する、直径30cmはあろうかという巨大な丸型のステッカー。



『PRETTY PINEAPPLEプリティーパイナップル



 そうポップなフォントで書かれているのだが、あろうことか中央に描かれているのは、満面の笑みを浮かべた「手榴弾しゅりゅうだん」のキャラクターだ。


 剥がそうにも、ステッカーの粘着剤がカウルの割れた部分を辛うじて繋ぎ止めているような有様で、下手に触ればフロントが空中分解しかねない。

 俺はそっと手を離し、天を仰いだ。



     



 前々から薄々、あるいは確信を持って気付いていた方もいるだろうが、うちの兄・千島は「ちょっとだけ」の範疇はんちゅうを超えてヤバめの人だ。



 身長178センチ。

 ジムで徹底的に追い込まれた体は、無駄な脂肪が一切ない、いわゆる「バキバキの細マッチョ」だ。

 Tシャツの袖から覗く二の腕は、俺の太ももくらいあるんじゃないかと思わせる威圧感がある。


 そこに天パの癖っ毛と、どこで焼いてきたのか分からない黒い肌が合わさると、もはやカタギのオーラではない。

 夜道で向こうから歩いてきたら、間違いなく俺は道を譲るだろう。



 家の中で暴れるようなことはない。

 父や母には案外、従順だったりもする。


 ただ、その有り余る筋力と暴力的なまでの情熱が、すべて「俺へのしつけ」という形に変換されて放出されていた。



「野球やるぞ」と言われ、キャッチボールの経験もない俺が向かわせられたのは、ホームベースの後ろ。

 ピッチャーをやりたい兄の全速力の球を、防具もなしに捕らされる日々。


 兄の投げた「豪速球」がミットを弾き飛ばし、俺の胸に直撃した時、兄は「根性が足りねえぞ!」と爽やかに笑っていた。地獄だ。



「これはサバイバルゲームの特訓だ」と告げられれば、俺はゴーグルをつけられ、タオルケットを被せられて庭に放り出される。


「今から十秒やる。逃げろ」


 背後から聞こえる、低い死神の宣告。

 直後、あのバキバキの腕に支えられたフルオートのエアガンから、無数のBB弾が背中に弾ける。

 タオルケット越しでも十分に痛い。俺は泣きながら庭を走り回るしかなかった。



 やりたいと言った覚えのないドラムもそうだ。

 兄の「理想のリズム」から少しでも狂えば、容赦なくスティックが飛んでくる。


 要するに、俺は兄専用の「多機能型おもちゃ」として、あの黒光りする肉体の前で徹底的に調教されていたのだ。



 おかげで、礼儀作法だけは無駄に身についた。


 兄の友人が遊びに来れば、条件反射で玄関へ飛び出し、最高の笑顔で挨拶をする。

「いらっしゃいませ! どうぞ、お上がりください!」

 すぐに人数分のコーヒーを淹れ、母さんが買っておいた茶菓子を完璧な配置で皿に並べる。


「お前の弟、できすぎだろ。うちの奴なんて挨拶もしねえぞ」


 友人のその言葉を聞くときだけ、兄は不敵な笑みを浮かべ、心底満足そうに鼻を高くしていた。

 あの瞬間だけが、俺が物理的な恐怖から解放される唯一の休息時間だった。



 今思えば、遊びに来ていた連中は、揃いも揃って目つきが鋭く、首周りが太い奴らばかりだった。

 彼らがリビングで交わす会話は、いつも不穏極まりない。


「あいつ、また停学だってよ」「派手にやりすぎたな」「次はどこで集まる?」


 そんな会話が飛び交う中心で、兄は悠然とコーヒーをすすっていた。

 なぜか兄だけは一度も停学にならなかったが、それは要領がいいというより、あの風貌で先生すら威圧していたのではないかと疑っている。



 コンクールをボイコットしたのも、今ならなんとなく理解できる。

 兄にとっての「正義」や「面白さ」は、世間のレールとは全く別の場所にあるのだ。


 兄の歩んできた道には、時折こうした理解不能な断崖絶壁があり、その犠牲になるのは決まって俺だった。



     



 さて、洗車を終え、少しは綺麗になった黒いボディを見つめる。

 だが、見れば見るほど「プリティーパイナップル」のステッカーが、邪悪な主張を強めてくる。



「……やっぱり、無理だ。これに乗って学校に行くなんて……」



 試しにヘルメットを被り、またがってみる。

 近所の奥さんがゴミ出しに出てきた。

 俺とスクーターを一瞥いちべつし、明らかに「関わってはいけないものを見た」という顔をして、足早に家の中へ戻っていく。


 まだ走り出してもいないのに、俺の精神メンタルは削り取られていく。

 だが、自転車にはもう乗りたくない。バスでは部活の朝練に間に合わない。

 俺には、この「悪魔の乗り物」に身を委ねる以外の選択肢は残されていなかった。



 俺は物憂げに鍵を手に取った。

 ふと、使い込まれたキーホルダーに刻まれた文字が目に留まる。



『チャベス号』



 ……チャベス。


 あの天パで色黒で、彫刻みたいな体をした兄が、この呪われたスクーターに名前をつけて可愛がっていたのか。


「ふっ、やっぱり兄弟だな。お前の意志、俺が継いでやるよ」


 なんて、一瞬でもシンパシーを感じた俺が馬鹿だった。



 笑顔の手榴弾に、「チャベス」という謎すぎる命名。

 兄のセンスは、やはり一般人の理解が及ばない、遥か彼方の異界にあるようだ。



 俺は明日、この「禁忌の遺物」に跨って、学校へ行かなければならない。

 もし吉川よしかわに見つかれば、どんな言葉で罵倒されるか想像もつかない。


 排気ガスの煙が、目にしみた。

 ……いや、これは排気ガスのせいじゃない。


 今にも目からこぼれそうな涙の理由が言えません。

最後までお読みいただきありがとうございます!


お兄さんのエピソード、実は「盛り」一切なしの実話です(笑)。

今思えばよく生きていたなと思いますが、あの頃の恐怖が今の私の礼儀正しさを形作ったのかもしれません。


謎のステッカー『プリティーパイナップル』、そして愛称『チャベス号』。

次回、この呪われたマシンがいよいよ不動高校に降臨します!


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