第21話:感謝と敬意
新体制、初の大仕事は稚内での野球応援!
勝負を超えた敬意が、最北の球場に清々しい風を呼び込みますが……。
先生方の熱量が、もはや常軌を逸していた。
今回の戦いは、高校野球の地区大会決勝。
誤解を恐れずに言えば、これはまだ「全道大会」ですらない。甲子園へ続く長い道のりの、ほんの入り口に過ぎないのだ。
それなのに、わが不動高校は全校生徒を動員。
十数台のバスをチャーターして稚内への「全校応援」を敢行するという。
道内屈指の広大な面積を誇る北海道。
日帰りとはいえ、その移動距離とコストは並大抵のものではなかった。
決戦前日。
午後の授業はすべて中止となり、体育館は巨大な応援練習場へと変貌を遂げた。
ステージに降ろされた巨大なスクリーンには、野球好きの先生たちがパワーポイントで自作した「選手名鑑」が映し出されている。
「いいか! 背番号5番、サードの田中! こいつの時はこの曲だ!」
「応援の基本は、吹奏楽の音圧に声を乗せること。腹から声を出せ!」
レクチャーに熱が入る中、俺たち吹奏楽局はステージ下で実演を繰り返す。
全校生徒の熱気が、体育館の温度を物理的に数度上げているかのようだった。
練習後、俺はふと気になったことを彦根先生に尋ねてみた。
「彦根先生。明日の対戦相手、赤胴高校は応援団来るんですか?」
「……いや、あちらは小規模校だからな。吹奏楽部も人数が足りなくて、応援には来られないらしい」
ふむふむ、なるほど。
俺の頭の中に、あるアイデアが浮かぶ。
それは局長としての直感か。
それとも、昨日みんなと語り合った「残していくもの」への想いからか。
「先生、せっかくならさ……こういうの、どうかな?」
俺の提案を聞いた瞬間、彦根先生の目が、少年のようにキラキラと輝き出した。
「なるほどな! それは面白い! よし、赤胴高校の顧問にすぐ連絡してみるわ!」
そして迎えた、本番当日。
稚内球場を包み込むのは、最北の地特有の、少し湿った、けれど突き抜けるような青空だった。
生徒たちは学年ごとにバスに分乗し、俺たち吹奏楽局は機材搬送の関係で別便のバスで現地入りする。
道中、車内では応援歌のおさらいが続き、稚内へ近づくにつれてボルテージは最高潮に達していった。
プレイボール。
昨日の徹底的なレクチャーのおかげで、不動高校スタンドの応援は一糸乱れぬ迫力を見せていた。
「ヒット、ヒット、ヒット!! せーの!」
彦根先生の指揮もアクセル全開だ。
俺たちの吹き鳴らす楽器の音圧と、数百人の生徒の声が一つになり、球場全体を震わせる。
そして、試合が終盤に差し掛かった七回。
赤胴高校の攻撃イニングでのことだった。
応援団のいない、静かな三塁側スタンド。
そこで突然、一塁側のわが校吹奏楽局が、力強くタクトを振り上げた。
流れてきたのは、不動高校の曲ではない。
対戦相手である、赤胴高校の「校歌」だった。
不動高校の生徒たちも、事前練習通りになんとなく、けれど一生懸命に歌声を重ねる。
実は昨日、急いで赤胴高校から楽譜を送ってもらい、俺たちは徹夜同然で譜面を書き上げた。合唱部と合わせて録音し、それを各クラスのバスの中で、練習しておいてもらったのだ。
勝負に何の意味があるかは分からない。
どちらが勝つかなんて関係ない。
ただ、同じ北の大地で白球を追う仲間に対して、敬意を払いたかった。
彦根先生も他の先生方も、「それは素晴らしい!」と二つ返事で実行に移してくれたプランだった。
赤胴高校のベンチを見ると、監督が帽子を取り、俺たちのスタンドに向かって深く、そして長く一礼をしたのが見えた。
自分たちの校歌が、敵陣の演奏で流れる。
それは勝負を超えた、敬意の示し方に他ならない。
球場全体を包む、なんとも言えない清々しい空気。
これこそが、高校スポーツ、そして吹奏楽が持つ本当の力なんだと肌で感じた瞬間だった。
試合はその後も白熱し、結果は四対二で不動高校の勝利!
見事、全道大会への切符を手にした。
歓喜に沸く不動高校スタンド。
選手たちが喜びを爆発させる中、敗れた赤胴高校の選手たちが、涙を拭いながら、あえて不動高校側のスタンド前へと整列し始めた。
そして、主将の合図とともに、泥だらけの彼らが深々と頭を下げる。
「応援、ありがとうございました!!」
その声は震えていたが、マイクを通さずともスタンドの最後列まで真っ直ぐに届いた。
本来、敗者が勝者のスタンドにお礼を言う義務なんてどこにもない。
それでも彼らは、俺たちのサプライズに対し、最高のスポーツマンシップで応えてくれたのだ。
全校生徒から、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
それは勝利を祝う拍手ではなく、戦い抜いた彼らへの、心からの敬意を込めた熱い喝采だった。
帰りのバス。
興奮冷めやらぬ車内で、彦根先生が「今日は特別だぞ!」と言って、山のようなお菓子とジュースを配り始めた。
一応「授業扱い」の遠征なので、他の生徒用バスでは飲食禁止らしいが、吹奏楽局だけは顧問の権限で特別に解禁されたらしい。
「頑張って良かったねー!」「全道でも吹くぞー!」
部員たちが大喜びで袋を開ける中、隣の席のミツルが妙な顔をして俺の袖を引いた。
「……竜胆先輩。これ、彦根先生から渡されたんですけど」
「ん? 何、お菓子の当たりくじか?」
ミツルの手には、小さく、そして几帳面に折りたたまれた一枚の紙。
俺がそれを広げて中身を確認した瞬間、血の気が引いた。
『領収書 不動高校吹奏楽局様:お菓子・ジュース代 合計12,250円』
前の席の隙間から、彦根先生が両手を合わせて「すまん、給料日前なんだ!」と必死に口パクで拝んでいるのが見える。
「……ミツルよ。その紙は、この世に存在してはいけない不浄な物です。今すぐ破り捨てて、忘れてしまいなさい」
「イヤァーーー!!」
彦根先生の悲鳴が最北の国道に虚しく響く。
青春の熱い感動は、非情な金銭トラブルという名の現実に飲み込まれて幕を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
敵校の校歌を吹くというエピソード、実は私の実体験に基づいています。
スポーツマンシップに触れた時の感動は、今でも忘れられません。
感動を台無しにする顧問、相変わらずいいキャラをしています。
次回は普段の生活に戻ってお送りします。




