スローライフの理由
商隊護衛の依頼を終え、一行は隣町の宿屋に泊まることになった。夜、一同は宿の食堂で夕食を囲んだ。
エールやワインなど、この世界で一般的な酒が入ると、場は一気に和んだ。特にダリーは顔を真っ赤にして、ミリヤムが止めるのも聞かず豪快に飲み干していく。
「真琴のポーションは本当に最高だ! これさえあれば、俺はどんな魔物にも突っ込めるぜ!」
ダリーが片手にビールジョッキを持ち、もう片方の手でミリヤムに絡む。
「ちょっとダリー、ベタベタしないで! 真琴さんも見てるでしょう。お酒が入ると本当に手がつけられないんだから、このドワーフは」
ミリヤムは口では文句を言いながらも、ダリーがこぼしたエールをそっとハンカチで拭いてやる。
「うるせぇな、お前も飲めよ。お前と飲む酒が一番うめぇんだよ!」
「もう! 本当に脳筋なんだから!」
賑やかな喧騒の中、真琴は皆の楽しそうな様子に、心が温かくなるのを感じた。
食事を終え、少し酔いが回ってきた真琴は、夜風に当たりたくなり、そっと食堂を出た。宿屋の前に備え付けられた木製のベンチに腰を下ろし、夜空を見上げる。慣れない星の配置も、今はもう見慣れた景色になっていた。
しばらくすると、静かな足音と共にレイルズが隣に腰を下ろした。彼も、少し酒が入っているのか、顔がわずかに紅潮している。
「賑やかさに疲れたか?」
レイルズが静かに尋ねた。
「いえ、賑やかなのは好きです。ただ、少し、酔いを冷まそうかと。レイルズさんは?」
「俺もだ。あいつらを見ていると、時々、気が抜ける。それも、このパーティーのいいところだが」
レイルズは笑った。
真琴は、レイルズに尋ねてみたかったことを口にした。
「レイルズさんは、どうして冒険者になったんですか? そして、どうして『スローライフ』を目標に?」
レイルズは、遠い目をして夜空を見上げた。
「俺は、幼い頃、英雄に憧れていたんだ。俺の故郷に、S級冒険者が魔物の討伐に来たことがあった。その人の剣技を見て、俺は生涯を剣に捧げると決めた」
彼の声は、静かだが力強かった。
「幼馴染みの親友がいたんだ。お互い、いつか名を残すような冒険者になろうと誓って、二人で剣を習った。最初は、俺も親友も、危険を恐れない、勇猛果敢な冒険者になりたいと思っていた」
レイルズは、そこで言葉を切った。真琴は静かに先を促す。
「駆け出し冒険者になった頃、俺たちは二人でパーティーを組んでいた。大きな依頼を達成して、順調だと思っていた矢先、親友は、俺の目の前で、合同パーティーの魔物の討伐中に命を落とした」
真琴の胸が、ズキンと痛んだ。レイルズの瞳の奥に、深い悲しみが宿っているのを感じた。
「それからだ。俺は、慎重になった。名前や名声なんて、どうでもよくなった。それよりも、パーティーメンバー全員が無事に帰還すること。誰も命を落とさないこと。それが、俺の最大の目標になった」
「少しの間、一人で彷徨った後、ダリーとミリヤムに出会った。彼らも、命を削るような戦いを避けたがっていた。だから、俺たちは『セイブライフ』を組んだ。そして、スローライフを目標にした」
レイルズは、真琴の方を向いた。
「真琴。君は、すごい力を持っている。正直、Aランクどころか、もっと上を目指せる魔力量だ。だが、君は、俺たちの目標じゃ、物足りないんじゃないかと、時々思うんだ」
真琴は、静かに首を横に振った。
「いいえ、レイルズさん。そんなことはありません」
「あのさ、真琴」
レイルズは、真琴の言葉を遮った。
「悪いけど、『さん付け』はやめてくれよ。『レイ』でいい。その方が、俺は、気が楽だ」
真琴は、少し驚いて、そして照れた。しかし、彼が、仲間として対等に接したいという意図を感じ、努めて冷静に言葉を発した。
「……レイ、さん」
真琴が、咄嗟に「さん」を外せないまま呼ぶと、レイルズは柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ、それでいい」
レイルズは、真琴の控えめな性格を理解して妥協した。
真琴は、改めて彼の瞳を見つめた。
「レイさんの『命を大事にする志』は、尊いものだと心から思います。名声よりも、命を優先する。それは、本当に、素晴らしいことです」
真琴は、自身の過去を隠しつつ、正直な気持ちを伝えた。
「私は、一度……いえ、過去に、自分の命が、誰かの悪意によって、あっけなく終わってしまう恐怖を知りました。だから、命を最優先するレイさんのパーティーに、私は救われています。あの時、ゴーレム戦で動けなくなった私を、レイさんが守ってくれたこと……私は、あの時のことを、絶対に忘れません」
レイは、真琴の言葉に目を見開いた。真琴が抱えている過去の危険な体験の重さを、改めて感じ取ったのだろう。
「真琴……」
レイは真琴の手を取り、そっと重ねた。彼の温かい手が、真琴の不安な過去を包み込むようだ。二人の間には、言葉以上の信頼と、特別な感情が流れ始めた。
その時だった。
「おい、お前たち! そんなところに並んで座って、何をコソコソやってやがる! 真琴、夜風で風邪ひくぞ!」
ドワーフ特有の大きな声で、ダリーが宿の戸口から顔を出した。その隣には、すでに状況を察して頭を抱えるミリヤムがいる。
「まったく、ダリー! あなたは少しは空気を読みなさい! レイルズと真琴さんが話しているのに!」
ミリヤムがダリーの肘を突く。
「なんだと!俺は真琴の先輩として心配してるんだ!お前だって心配してるくせに!」
「私だって心配してるわよ! でも、もう少し優雅に声をかけなさい!」
「うるせぇ! もう寝るぞ、チビエルフ!」
「誰がチビよ! ちょっと待ちなさい!」
二人は、いつものように罵り合いながら、食堂の奥へと消えていった。
真琴とレイルズは、顔を見合わせ、静かに微笑んだ。
「賑やかで、いいパーティーですね」
真琴が言った。
「ああ。本当に、そうだ」
レイルズは頷いた。
二人の間には、ダリーたちが去った後も、温かい空気と、夜の静寂だけが残った。真琴は、初恋の彼に似たレイルズに、特別な感情を抱き始めていることを、もう否定できなかった。




