終わりの始まり
上沢真琴、20歳。彼女は、ごく普通の日本のキャンパスに咲く、少々目立つが静かな一輪の花のような存在だった。
日本人である父と白人の母の血を引く彼女は、色素の薄い容姿をしていた。肌は繊細な乳白色、陽光をたっぷり浴びたような明るい茶髪が、自然なウェーブを描く天然パーマのロングヘアだ。薄い茶色の瞳は、光の加減で琥珀色にも見え、控えめながらも整った顔立ちを一層愛らしく演出していた。
真琴は、その明るい髪を、邪魔にならないよう、上部を脇から細く三つ編みにし、後ろで小さく一つにまとめるのが習慣だった。下ろしている残りの髪は、腰のあたりで豊かに揺れる。その外見は目を引くものの、本人は至って大人しく、学内の人目を避けるように図書館の隅やカフェの窓際といった「目立たない立ち位置」を好む学生だった。
そんな真琴にとって、大学生活は平穏そのものだった。ただ一つ、心に静かに灯る思い出を除けば。
高校時代、一瞬だけ心を焦がした初恋の相手。同じクラスの、黒髪黒目の、ひどく思慮深かった少年。彼の面影は、真琴にとって、いつまでも手の届かない、淡い春の光のようだった。
しかし、その穏やかな日常は、たった一人の男によって、脆くも崩れ去った。
「君は、僕が、ようやく見つけ出した、僕だけの天使だ」
彼はストーカーだった。真琴に一方的に熱を上げ、執着し、歪んだ愛を囁き続けた。真琴は拒絶し、警察にも相談したが、その執念は彼女の想像を遥かに超えていた。
真琴がバイトを終え、夜道を歩いていたある日、男は背後から襲いかかった。驚く間もなく、真琴の腹部に、鋭い痛みが走る。
「これで、誰にも、君を渡さない」
そう言って笑う男の顔は、あまりにも狂気に満ちていた。意識が遠のくなか、真琴の脳裏に浮かんだのは、守りたかった平穏な日常と、あの黒髪の少年の、静かに微笑む顔だった。
ああ、私は、このまま、終わってしまうのか……。
痛みと絶望が、彼女の意識を深い闇へと引きずり込んだ、その時だった。
身体の奥底から、温かく、しかし尋常ではない力が湧き上がってくるのを感じた。それはまるで、長年固く閉ざされていた扉が、無理やりこじ開けられるような感覚。
――『起動』
次に真琴が目覚めたとき、彼女は石造りの床の上に寝かされていた。
腹部の傷は、刺されたはずの激しい痛みはなく、浅い擦り傷程度に変わっている。着ている服は、見覚えのない粗末な麻のローブだ。
(私は、生きてる……? ここはどこ?)
辺りは、煤けた松明の明かりが揺れる、カビ臭い土と、異様な薬草の匂いが満ちた神殿のような場所だった。真琴は混乱した。日本の病院どころか、馴染みのない石造りの空間。外の様子もわからない。
恐る恐る立ち上がり、手を壁に触れた瞬間、彼女の手のひらが、淡く緑色に光った。それはまるで、彼女の生命力そのものが形になったような、不思議な輝きだった。
「ひっ……!」
真琴は思わず声を殺し、その光を握りしめて消した。見慣れない世界、見知らぬ場所、そして、自身の身体に起きた異常。
真琴は、その場から逃げ出すように、神殿を抜け出した。
外界は、真琴の知る日本とは完全に異なっていた。石や木でできた家々、馬車が行き交う土の道、そして、聞いたこともない言語が飛び交っていた。
「ここは、異世界なんだ……」
真琴は、自分が殺されかけ、この未知の世界に「転移」してしまったことを、ようやく理解した。絶望よりも先に、生き延びなければという本能が勝った。
彼女が頼れるのは、目覚めたばかりの「魔法」の力だけだ。
真琴の持つ魔法は、周囲の魔力や素材を組み合わせて、効能のある液体を生成する力。ポーション作りだった。
ストーカーから逃れるために目立たない人生を選んできた真琴だが、今は、その力を頼りにするしかない。




