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第6話 報告書と矛盾と魔道具と

 僕の目の前に立ちはだかったエルフの女性、エリスと名乗った彼女の翠色の瞳が、僕を射抜くように見つめていた。

 【魔道具工房】の主。それが僕に何の用だろうか。


「あなたのスキル、とても興味深い。ぜひ一度私の工房で詳しく見せてはいただけませんか」

「……えっと、僕のスキルはただの【アイテムボックス】で、その……大したものではありませんから」


 僕はしどろもどろに答える。だが彼女は僕の言葉を遮るように一枚の羊皮紙をひらひらとさせた。

 ギルドの依頼報告書の写しだ。


「大したことないですって? あなたの報告書はどれもこれも魔法物理学の法則を完全に無視しているわ」


 彼女は矢継ぎ早に言葉を続けた。その口調は知的で一切の感情を挟んでいない。


「まず【囁き草(ウィスパーブルーム)】の納品。あの薬草がどれほど繊細かご存じで? 採取した瞬間から大気中のマナに触れて自己分解が始まる。その劣化を防ぐために我々魔道具職人は【保存箱】というものを開発したの」


 彼女はまるで講義でもするかのように説明を始めた。


「【保存箱】の原理は内部に刻んだ魔法陣で冷気を循環させ、対象物のエントロピー増大を極限まで抑制すること。分かりやすく言えば、劣化の『速度を遅らせる』だけの代物なのよ。どんなに高性能な【保存箱】を使っても効果は十倍速から、せいぜい百倍速が限界。なのにあなたが納品した薬草は魔力粒子の状態が採取直後と寸分違わなかった。これは『時間遅延』などという生易しい現象じゃない。『時間停止』が起きていないと到底説明がつかないわ」


 かなりの早口、そして怒濤のような言葉の嵐に、僕は目を白黒させながら答える。


「そ、それはたまたま僕の家に伝わる先祖代々の箱の性能が良くて……」


 僕の苦しい言い訳を彼女は鼻で笑った。


「時間停止を可能にするアーティファクトなんて神話の時代の遺物くらいよ。そんな国宝級の代物をEランク依頼で糊口をしのぐ新人が所有しているとでも?」


 ぐっと喉が詰まる。彼女は追撃の手を緩めなかった。


「ではゴブリン討伐の件はどう説明するのかしら。西の森の討伐現場、昨日貴方が帰ってから確認のためにギルドが調査したらしいわ。戦闘の痕跡がまるでないのにゴブリンの巣があった場所の近くの地面が、直径十メートルにわたって完璧な円形に不自然に乱れていたそうよ。まるで巨大な型でくり抜いて、そのまま嵌め直したかのようにね。おまけに……」


 彼女は人差し指を一本立てる。


「ギルドの観測クリスタルがあなたが森にいた時間と正確に一致して、極めて局所的で異常な地震動を記録しているわ。自然現象ではありえない指向性を持った衝撃。まるで上空から巨大な質量の塊が落下したかのような特異な波形よ。だからギルドが調査に向かったのね」

「偶然です。僕が巣に近づいたら偶然、地面が陥没して……」

「偶然で地面が円形に乱れたり、都合よくゴブリンだけが全滅したり、観測機器に異常な記録が残ったりするものかしら」


 彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめたまま、静かに、しかしはっきりと断言した。


「あなたの力は既存のスキルの枠組みに収まるものではない。そうでしょう?」


 彼女にはごまかしは利かない。

 僕の額から冷たい汗が流れた。ギルド内の冒険者たちが遠巻きにこちらを窺っている。ここで騒ぎが大きくなるのは絶対に避けたかった。

 どうする。どうすればいい。

 僕が言葉に詰まっているのを見て彼女はふっと表情を和らげ、僕の耳にだけ聞こえる様に声を小さくする。


「別にあなたをギルドに突き出したり、誰かに言いふらしたりするつもりはないわ」

「……え?」

「誤解しないで。私はただ純粋な知的好奇心からあなたの秘密を解き明かしたいだけ。あなたの力は私の知らない全く新しい法則で動いている。それを研究者として見過ごすことなんてできないの」


 彼女の瞳はまるで初めて見るおもちゃを前にした子供のように、キラキラと輝いていた。

 この人は本当にただ知りたいだけなのだ。

 僕を害するつもりはない。それが直感的に分かった。


「協力してくれればあなたの秘密は私が守ることを約束するわ。詮索好きなギルドマスターにもうまく言っておいてあげる。それに……」


 彼女はそこで一度言葉を切り、悪戯っぽく微笑んだ。


「あなたのその力を正しく解析できれば、それを補助したり、あるいはもっとうまく世間の目から隠せるような、あなただけの特別な【魔道具】を作ってあげることもできるわよ」


 特別な魔道具。

 その言葉は僕にとって抗いがたい魅力を持っていた。

 このまま一人で隠し通そうとしても、いつかまた今回のようにボロが出るだろう。

 このエルフの提案は危険な賭けかもしれない。だが唯一の活路であることも確かだった。


 僕は小さく、しかし深くため息をついた。

 もう選択肢はない。


「……分かりました。協力します」


 僕がそう言うと彼女は花が咲くように嬉しそうな笑みを浮かべた。


「話が早くて助かるわ。それじゃあ早速行きましょうか。私の工房へ」


 彼女はそう言うと僕の腕を掴んだ。その力は見た目に反して強く、僕に拒否する隙を与えなかった。

 僕の望んだ静かな生活はどうやらこの街でも手に入りそうにない。

 僕はそう悟りながら、天才と噂のエルフに引きずられるようにしてギルドを後にするのだった。

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