第2話 絶望と覚醒と反撃と
痛い。
焼けるように熱い右足の痛みが、僕の意識を暗い海の底から引きずり上げた。
薄目を開けると、そこに広がるのは変わらぬ絶望の光景。
湿った空気と、僕のちっぽけな体を完全に見下ろす巨大な影。
深淵を覗く者。
ああ、そうか。
僕は捨てられたのだ。
仲間だと、信じていた者たちに。
彼らの最後の言葉が、嘲笑うような顔が、頭にこびりついて離れない。
悔しいという感情すら、もはや湧いてこない。
ただ心が砕けてしまったかのような、どうしようもない虚無感が僕を支配していた。
もう、終わりだ。
巨獣は僕が意識を取り戻したことに気づいたらしかった。
だが、すぐにはとどめを刺そうとしない。その知性的な瞳は、まるで足元で転がる虫けらをどうやって嬲り殺そうかと愉しんでいるかのようだった。
やがて巨獣は飽いたように、そのかぎ爪に黒い魔力をまとわせ始める。僕の体を一撃で塵に変えるには、十分すぎるほどの力だ。
ゆっくりと、死が振り上げられる。
諦観が、僕の心を塗りつぶしていく。
だが。
心の奥底で何かが叫んでいた。
このままあいつらの筋書き通りに、ここで無様に死んで満足なのか、と。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
たとえ死ぬとしても、こんな場所で、あいつらの思い通りになんて死んでたまるか。
気づけば僕は無我夢中で右手を突き出していた。
砕かれた足の激痛も忘れ、ただ目の前の「死」を拒絶するために。
「やめろ」
声にならない叫びと共に、僕の目の前の空間が微かに揺らぐ。
【アイテムボックス】。
スキルが、僕の意志とは関係なく発動した。
次の瞬間、僕に振り下ろされた巨獣の爪が、その揺らぎに触れる。
しかし、爪は消えた。
轟音も衝撃もない。
まるで最初からそこには何もなかったかのように、巨大な爪が僕のスキルの中に「収納」されたのだと、僕には理解できた。
「……?」
僕も、そして爪を失った深淵を覗く者も、目の前で起きた現象が理解できず動きを止める。
入った……のか?
生き物の、それも魔力で強化された巨大な質量を持つ攻撃が。
あの時の落石と同じだ。いや、あれ以上の異常事態に違いない。僕のスキルは一体……。
グルォォォオオオオオ。
巨獣が怒りと戸惑いの入り混じった咆哮を上げた。
爪を失ったことで僕への侮りは消え、明確な殺意がその瞳に宿っている。
口が大きく開かれていく。
その奥に、世界の全てを飲み込むような闇の渦が生まれ始めた。
まずい。あれはエララさんの最大魔法さえも無効化した、滅びのブレスだ。
もう一度スキルは発動するだろうか。いや、試すしかない。
今度は偶然ではない。
僕自身の意志で、この理不尽な死を覆すのだ。
僕は残された全ての力を振り絞り、スキルゲートをブレスの射線上に展開した。
これが何なのかは分からない。だが、世界の理の外側にある力だということは確かだ。
闇の奔流が、僕の目の前の小さなゲートに殺到する。
しかしそれは先ほどと同様に、一滴の雫も残さず音もなく空間の向こう側へと吸い込まれていった。
空洞に、静寂が戻る。
成功した……のか。
だが、次の瞬間。
ズキン、と脳の奥で何かが爆ぜるような鋭い痛みが走った。
「ぐ……っ」
それは痛みであると同時に、全く質の異なる情報の奔流だった。
忘れていた感覚。
そうだ、これは十歳の「天啓の儀」でスキルを授かった時とまったく同じ……いや、あの時よりもずっと鮮明で膨大な「情報」が、僕の意識に直接流れ込んでくるのだ。
『スキル【アイテムボックス】Lv.10を確認』
『特性:万物収納――解放。収納対象に制限なし』
『特性:時間停止――解放。収納空間内における時間経過、完全停止を確認』
なんだ……これは。スキルの……仕様書、というわけか。
レベル10だと? 冗談だろう。この世界のどんなスキルもレベル9が限界のはずだ。それを超えたなどという話、歴史書のどこにも……。
だが、これで理解した。
僕は目の前で呆然としている深淵を覗く者を睨みつけた。
もう迷いはない。
僕のスキルは何でも喰らう。物質も、現象も、魔法さえも。そして喰らったものはその性質を保ったまま、時間が停止した空間に保管されるのだと。
「……返してやる」
僕は巨獣を睨みつけ、ゲートを逆方向に展開する。
保管したものを「取り出す」イメージを、強く念じた。
僕の目の前の空間から、先ほど収納したばかりの闇のブレスが、寸分の狂いもなく解放される。
グルォォォォァァァ。
至近距離から自身の最大攻撃を浴びた巨獣は、初めて苦悶の絶叫を上げた。
その体は大きく吹き飛ばされ、硬い皮膚のあちこちが焼け爛れている。
だが、まだ息はある。
どうする。足が動かせない僕に、次の手は……。
そこで僕は思い出した。
僕の【アイテムボックス】の中には、まだ入っているはずだ。
あの時、僕の頭上に降り注いできた忌々しい岩塊が。
「――喰らえ」
次の瞬間、ゲートから解放されたのは、ダンジョンの天井から崩落した、あのおびただしい数の岩石の豪雨だった。
一つ一つが凶器と呼ぶにふさわしい鋭く尖った岩の塊が、回避する術もなく深淵を覗く者の頭上へと降り注ぐ。
断末魔の叫びを上げる間もなく、巨獣の体は無数の岩石に何度も何度も貫かれ――
ズズゥゥン。
地響きと共に、巨獣は完全にその動きを止めた。
静寂。
僕は、生きている。
あの絶望的な状況から、生き延びたのだ。
僕は自らの右の手のひらを見つめた。これが僕の力。僕を虐げ見下してきた世界で、僕だけが持つ理外の力。
『深紅のグリフォン』……。マルス、エララ……。
必ず、生きてここから出る。そしてこの力で……。
僕は這うようにして巨獣の骸に近づくと、その心臓部から禍々しい光を放つ【魔石核】を抉り出し、僕だけの空間へと収納した。
道はまだ遠い。
だが僕の瞳にはもう、昨日までの諦めの色はなかった。
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