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ジャック&ジル、あるいは割れ綴じ夫婦

君を愛することはない! と思いきや

作者: 村沢侑

若干の夜の描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

※誤字報告ありがとうございます。

※続編投稿しましたのでよろしければお付き合いください。

https://ncode.syosetu.com/n0188jv/

結婚式を終えたその日の夜。

いわゆる『初夜』を迎えた夫婦の寝室で。

ガウン姿なのに、さながら出陣式のような風情の男を夜着姿で迎えているのは、花嫁になったばかりの少女。

ユリシア・ハルフェスト侯爵令嬢改め、ユリシア・ワーグナー辺境伯夫人である。

彼女に相対する悪漢、ではなく『夫』であるヴァルハイト・ワーグナー辺境伯は、寝巻の上にきっちりとガウンを着こんだ姿で、岩のような圧迫感をまといつつ仁王立ちしている。



ユリシア・ハルフェスト侯爵令嬢は、白銀の髪、真っ白な肌、水色の透き通った瞳を持つ、大変な美少女だった。

その容姿から、『妖精姫』やら『月光の聖女』やら『雪の精霊』やら、御大層な二つ名をいくつも付けられながらも、誰もそこに疑義を挟まないほどの圧倒的な美貌を誇っていた。

当然、彼女のデビュタント以降、ありとあらゆる筋からの縁談が舞い込むことになる。

国内の貴族・王族はもちろんのこと、隣国にとどまらず遠く海の向こうの大陸からも、引きも切らずに押し寄せた。

が、これに危機感を抱いたのが、この国の国王陛下だった。


彼女の美貌は、災禍を招きかねない。


今ですら争奪戦が勃発しようかというところを、何とか外交交渉で押さえている現状なのに。

どこかの貴族に輿入れさせたとして、あきらめきれない者がもし彼女を奪おうとしたら?

ユリシアの身を守れないばかりか、それこそ内乱・戦争に発展する可能性がある。

王家に囲えればよかったのだが、残念ながら王子二人と近縁の男子はすべて結婚しているか、婚約できる年齢に達していないほど幼く、かなわなかった。

そこで、国王はユリシアの婚姻に制限をかけることにした。

武力・財力申し分なく、他国にもにらみを利かせられる未婚の男子。

それに当てはまらない縁談の申し入れは、すべて国王の裁可により却下されたのである。

そんな時に、ハルフェスト侯爵家からの縁談希望として挙がってきたのが、ワーグナー辺境伯家であった。



ユリシアは、たいそうな二つ名で呼ばれるほどの美貌の少女であったが、その性格もまた、ふわふわと柔らかい春の陽だまりのような女性だった。

いつも微笑みを絶やさず、おっとりとした口調で話しながら、頭の回転はよく話題に豊富。

誰もが彼女を慕い、だれもが彼女の心を射止める貴公子が誰かを噂し合った。


北の辺境伯であるヴァルハイト・ワーグナーは、国土の4分の1を占めるワーグナー辺境伯領の守護神と呼ばれる偉丈夫だった。

いわく、北の悪鬼(あっき)

いわく、辺境の魔王。

いわく、魔界の(ぬし)

ユリシアの言われようとは全く正反対の二つ名をいただく、精強な武人であった。


それは、彼の容姿と功績に由来する。

広大な辺境伯領ではあるが、その地の多くは『魔の森』と呼ばれる深い森林におおわれていて、人が生活できる地域は領地のうちの5分の1程度だ。

しかし、魔獣から採れる皮や骨、肉、内臓などは様々な素材として扱われ、森から採取される古木(こぼく)や薬草などの貴重な植物は薬や建材として流通している。また、膨大な範囲にわたる魔石鉱脈などを有し、素材の売却益や加工品の取引、魔石の輸出により、辺境伯領は一国に匹敵する経済力を持つに至った。

しかし魔の森はもともと魔素が多い地層の上に広がっており、そのせいで魔獣や竜などが多く生息する、国内で最も危険な地域であるという側面も持つ。

当然のことながら、魔獣討伐・採集採掘には危険が伴ううえ、時には魔獣が森からあふれてくることもある。これらに対抗するべく、辺境伯軍は実に3万人を配備し、常に魔の森との境界線で戦闘を繰り広げる、国内最強の軍であった。


それを率いるヴァルハイト・ワーグナー辺境伯はその中でも歴代最強の騎士であり、大型魔獣500頭の群れを一人で殲滅しただの、単騎で竜を討伐しただの、魔の森の最深部へ単独で到達しただの、武勇伝には枚挙にいとまがない。

そのうえ、2メートル近い長身に、日々の魔獣討伐で鍛えに鍛え抜かれた体躯は筋肉に覆われ、横にも縦にもでかい。

常に威圧するような鋭い眼光、整ってはいるがいささかワイルドすぎる顔立ちも相まって、女性どころか男性ですら引くほどのコワモテであった。

さらに、その顔は表情筋が死んでいるとうわさされるほど無表情だが、いざ話しかけようとすると途端に怒りの形相でにらみつけるという、いささか困った人物でもあった。

そのせいで、26歳になるこの年までなかなか縁談がまとまらず、独り身のままであったわけだが。

それを、何をトチ狂ったのか、かの精霊姫が見染めたのだという話になって、国内外に激震が走った。

当然のことながら、ハルフェスト侯爵家には連日連夜、『目を覚ませ』族、『あなたにふさわしいのはこの僕だ!』族、『君を魔王から解放してあげる』族だのが湧いて出て来た。ひっきりなしにやってくるそれらに対処しきれなくなった侯爵家は、王家の庇護を求め、結果、ユリシアは王家が所有する離宮に避難する事態にまで発展。

すると今度は、ユリシアに接触できなくなった輩が『姫を解放しろ』族、『君は姫にふさわしくない!or姫にふさわしいのはこの僕だ!』族、『姫を魔の手から解放する』族にジョブチェンジ、辺境伯領に殺到した。

だが、それらのことごとくを顔色一つ変えずに一蹴したヴァルハイトに対し、逆に国王が『この男ならイケる!』と認めてしまったのが運の尽き。

あっという間に婚約が整い、ユリシアが離宮に避難している間に結婚準備を済ませ、両者の顔合わせもろくにないまま、さっさとワーグナー辺境伯領へ嫁に出されてしまったのである。

求婚していた男たちは、崩れ落ちた。

中には、辺境伯領へ攻め入ろうとした頭の足りないのもいたようだが、もとより国内最強の名をほしいままにしている辺境軍により、領境を越えることすらかなわず。

また、辺境伯に対し、ユリシアを守るための軍事行動については相手が誰であろうと(外国の王族であろうと)おとがめなしのお墨付きを国王が与えたことにより、手を出せるものがいなくなってしまった。

だが、国王だって、たかが一侯爵令嬢を守るために、何の理由もなく辺境伯にお墨付きを与えるわけがない。

ワーグナー家は、過去には王家から王女が降嫁したこともあるうえ、先々代には同じく魔の森に接する隣国である帝国の第三皇女が降嫁してきており、現当主であるヴァルハイトは、かなーり下位のほう(20位台とか30位台)ではあるが、帝国の継承権も有している。

当然帝室とは今も交流があることに加え、両国は魔の森での共同の軍事行動も多く、それを担う辺境伯という立場でも、ヴァルハイトは帝国から厚い信を受けていた。

『他国にもにらみを利かせられる』だけの血筋と伝手としては、これ以上のものはない。辺境伯家に手を出して、万が一にも何かあれば、大陸最大の国家である帝国が牙を剝くのだ。これに国王が許可を与えれば、最強の抑止力になることは間違いようのない事実だった。

ちなみに余談だが、この帝国の第三王女であるが、『炎の戦姫(ほのおのせんき)』や『紅の舞姫(くれないのまいひめ)』などと呼ばれる炎の魔剣の使い手であり、魔の森のスタンピードに帝国軍と辺境伯軍共同で鎮圧にあたった折に、当時のワーグナー家嫡男であった先々代と恋に落ちて降嫁したという経緯がある。

まあそんなわけで、二人の婚姻がまとまったのである。




ユリシアは、期待に胸を膨らませて辺境領にやってきた。

ハルフェスト侯爵家がワーグナー家に縁談を申し込んだのは、何も政略の面を重視しただけではない。

もちろん、家格が釣り合っており、経済力も武力も申し分なく、多少年の差はあれど問題になるほどではないし、何よりもユリシアが強く希望したためだ。


ユリシアは、少しだけ、世の女性たちとは感性が違っている自覚がある。

彼女は本が好きで、高等学院に通っていたころには、図書館で本を読んで過ごすことも多かった。

彼女が好んで読んだ物語には、ある一つの傾向があった。それは、騎士と少女が恋に落ちるもの。それも、男性側は堅物でコワモテの大柄な騎士、というのが定番だった。

そう、ユリシアの好みは、まさしくヴァルハイトにドンピシャにハマったのである。


ユリシアがヴァルハイトを初めて見たのは、デビュタントから3か月ほどたって開催された、国王の生誕祭だった。

周囲の人々から頭一つ分大きい彼はとてもよく目立ち、濃紺の軍服に腰丈の黒のマントがよく映え、そして、周囲を睥睨(へいげい)する威圧感たっぷりの見た目に、一瞬で恋に落ちてしまったのだ。

(まあ、なんてこと! わたくしの理想の方に出会ってしまったわ……!!)

その時に、なけなしの勇気を振り絞り、父である侯爵にお願いして、ヴァルハイトへダンスを一曲ねだったのだ。

若干腰が引けている父から紹介され、精いっぱいのカーテシーをするユリシアを、ヴァルハイトは眉間に深いしわを刻んで見下ろしていた。

「あの、ダンスのお相手をお願いしたいのです」

言った瞬間、ぎゅっとにらみつけられて、ユリシアはひるんだ。

(ご迷惑だったかしら……)

「……私はダンスが得意ではない」

「あの、一曲だけでいいんです。わたくしもダンスはあまり得意ではありません。……だめですか?」

上目遣いでさらにお願いすると、まるで憤怒に顔を赤くそめ、敵を前にした騎士のような表情で、

「私でよろしければ」

と手を差し出してくれたのだ。

その時のユリシアは、天にも昇る気持ちでその手に自分のほっそりとした手を重ねたのだった。


ヴァルハイトとのダンスは、楽しくてドキドキして、ずっと忘れられなかった。

ダンスは苦手と言っていたけれど、時折ふらつくユリシアを軽々と支え、まるで羽でも持っているかのように難なくふわりとターンさせられ、背中に添えられた大きな手は、守られているような錯覚を起こさせるほどに頼もしい。

ユリシアは物語を再現させられているような気分で、ダンスの間中、うっとりとヴァルハイトを見つめていたのだ。

けれど、踊っている間、彼のしかめた顔は赤く染まり、一度も目を合わせることはなかった。


無理にお願いしたのだもの、きっと、迷惑がられているのだわ。


幸せな気持ちと裏腹に、ユリシアは落胆して、もうダンスは申し込まないようにしようと決めた。

辺境にいるせいで、あまり夜会に参加しない彼と会えたのは、あれからたったの2度だけ。

なるべく邪魔にならないようにと距離を取りつつ、峻厳(しゅんげん)な立ち姿の彼を視線で追うばかりで、近づく勇気は出なかった。

遠目から目が合うと途端ににらみつけられるけれど、会釈を返してくれるのは彼のやさしさなのだ、きっと。

そうやって覚えていてもらえるだけで、ユリシアの恋心は募っていく。

そうこうしているうちに、山のような釣り書が届くようになり、ユリシアは困った。

どれもこれも、みんな細身で優美で、自分の美しさをアピールする男性ばかり。頼りがいのあるたくましい男性を理想とするユリシアには、どうにも合わない。

体格のいい騎士からの縁談もあるにはあったが、調べてみると方々に女性がいたり、乱暴を働く傾向があったり、男尊女卑の考えを強く持っていたり、ちょっとばかり脳筋が過ぎるなど、こちらもユリシアの安全を担保できる相手ではなかった。

国王からは、ユリシアの身を守れる相手を一番に選ぶように言われて、ふと、ヴァルハイトのことを思い出したのは、果たして神の采配(さいはい)であったのか。

「お父様、ワーグナー辺境伯様は、ご婚約者がいらっしゃるのかしら?」

「はっ? ま、まさか、あの辺境のあっk……ゴホン、ヴァルハイト・ワーグナー辺境伯閣下のことか!?」

「はい、その辺境伯閣下です。ダメですか?」

ユリシアはほんわかおっとりしているが、頭は悪くない。自分の容姿が争いの種になりうるとわかっている。そのうえで、ヴァルハイトの立ち位置や周辺の国との関係、血筋のことも、きちんと調べていた。

推しのことを知りたいと思う欲求は、どの世界、どこの乙女も変わらないものである。

そのうえで、

(あら、これってもしかして、ワーグナー辺境伯様が適任なのでは?)

と思い至ったのだ。

「いや、確かにワーグナー卿に婚約者はいないはずだが、年が離れてやしないか!?」

「まだ20代ではないですか。40や50の方に嫁ぐならまだしも、離れすぎということはないのではありませんか? お父様とお母さまも7歳差ですわよね。11歳差でしたらそれほど変わりないと思いますが」

「しっ、しかし、辺境伯領は危険だ!」

「危険なのは魔の森であって、町は平和だと聞いてますわ。だって、風光明媚で観光地もあるではありませんの。魔の森にお嫁に行くのではないのですから」

「へ、辺境領なんて遠すぎる! 私は寂しい!」

「仕方ありませんわ。娘はいつか嫁ぐものです」

食い下がる父に対し、ドライな娘である。そんなことより、恋する乙女はヴァルハイトのもとに嫁ぎたいのだ。

(そんなこと、なんて言えば父が号泣して面倒なことになるので口に出すことはしなかったが)

とはいえ、ユリシアがごねる父を押し切り、婚約が整ったのは、当時ユリシア16歳、ヴァルハイト27歳のことであった。



そうして紆余曲折ありつつ、迎えた初夜である。

薄いナイトドレスにガウンを羽織った姿で、夫婦の寝室にしつらえられたソファに座るユリシアの前に立つヴァルハイトは、いかにも不機嫌な様子で、顔を背けている。

(やはりこちらから押しかけるように嫁いできたから、怒っていらっしゃるのかしら)

ちょっとだけ悲しくなって、ユリシアは眉を下げた。

思えば、夜会で見かけたときも、会釈はしてくれたけれど、不機嫌そうだった。

昨日の顔合わせでも、今と同じく顔を背けられて、目を合わせてくれなかった。

式の最中もずっと前を向いてばかりで、こちらをちらりとも見なかった。(それでも、ユリシアは腕を組んで歩けるだけで幸せだったけれども。)

誓いのキスの時は、それこそ顔を紅潮させ、今にも怒髪天を衝くかという勢いでにらまれたのだ。

(でも、キスはそっと触れるだけの優しいものだった)

(しかも瞬間じゃなく、しっかり『いーち』と数えられるくらいには長くて、鼻の奥がつんとした。※鼻血が出そうで)

その旦那様が、意を決したようにユリシアに顔を向ける。まるで親の仇でも見るかのように。

「……ユリシア、君に言いたいことがある。一度しか言わないからよく聞いてくれ」

「……はい」

ヴァルハイトの威圧感たっぷりの顔が見る間に紅潮し、今にも人を斬りそうな表情でにらみつけられた。

ああ、これは、きっと。

押し付けられた系の結婚物の小説でお決まりの、『あのセリフ』を言われてしまうに違いないわ。

ユリシアは悲しくなって、そっと目を伏せた。

「いいか。俺は、君を」

ユリシアは覚悟を決め、ぐっとその細い手を胸の前で組んだ。

「君を、その、き、君を」

(お早く、引導を渡してくださいませ)

組んだ手が、ふるりと頼りなく震えた。

「君を、その、……っっ、あ、あ、あ、……愛している!!」


「……はい?」


思わず顔を上げて、ぱちぱちっと瞬きした。

見上げたヴァルハイトは、今にも噴火しそうに真っ赤になって、射殺しそうな目でユリシアを見下ろしている。

「あの」

「待て!」

地を這ううなり声で一言、そして向かってくる敵に剣を抜き放つがごとき気迫に満ちた顔でわたわたとガウンのポケットを探り、出てきた小さな紙片。……を広げると、一枚の便箋になったようだ。

(すごく、小さく折りたたまれていたのね。あの大きさの上等な便箋を、あれだけきっちり小さく折りたたむなんて逆に大変でしょうに、旦那様は指の力も素晴らしいのね!)

などと、ユリシアは少々明後日の方向に感心していたのだが。

その便箋を前に、ヴァルハイトはカッと目をかっぴらいた。まるで獲物に襲い掛かる獅子のように。

「お、俺はっ! 戦うことしか、能がないッ! う、うまく、笑うこともできないっ! 気の利いたことも、いえっ、い、言えないっ」

ドラゴンに挑む騎士もかくやという気合に満ちた鋭い目で、ヴァルハイトはせわしなく便箋に視線を走らせる。

「君を、よっ、喜ばせる方法は、なにもっ、知らないっ! だ、だ、だが、これから、知りたいと、思っているッ!! こ、これからもっ、言葉にできずに、君を悲しませるかもしれないっ! だがっ、俺は君が好きだっ!!」

もはや、数人斬り捨てているかのように鬼気迫る表情で、ヴァルハイトは便箋を読み上げている。

「こ、こ、こんな俺だがっ、君を世界のあらゆる害悪から守ると誓うっ!! 君を、生涯大切にするっ!! だからっ、だからどうかっ」

ヴァルハイトはついに、ドラゴンの吐くブレスのような雄叫びを上げた。

「俺と、本当の夫婦になってくれっっ!!」

そして再び地を這うような唸り声をあげたかと思うと、便箋をぐしゃりと握りつぶし、ばしーんと床にたたきつけた。そのまま勢いよくしゃがみこんで、頭をかきむしる。

ユリシアはあっけにとられてぽつりとつぶやいた。

「……何かの罰ゲームですの?」

「違うっ!!」

即座に返ってきた返事に、彼女はまた、ぱちぱちと瞬きをして、大きな体を小さく丸めるヴァルハイトを見下ろして小首をかしげた。

ユリシアの兄が王立学園にいたころ、仲間内で賭けをし、負けた者は勝った者たちが指定した女子生徒に噓の告白をするという、大変失礼な罰ゲームを実行したと面白おかしく語っていたことがあり、もしやそれなのかと思ったのだが、違ったらしい。


ちなみに、何の落ち度もない令嬢を勝手に巻き込んだ品性下劣な行いを、笑い話として聞かせた兄に激怒したユリシアは、彼に平手打ちをくらわし、『しばらく話しかけないでくださいませ! お兄様がそんな愚物だとは思いませんでしたわ!! そんな女性の敵とは、同じ空気も吸うのも不愉快です!! 最低!!』と吐き捨てて、それから一か月徹底的に避けまくり、目も合わせず一言も口を利かなかった。ユリシアに似て非常に端正で美麗な兄は、愛する妹にお仕置きをされ、一か月でその美貌が見る影もなくしおれ切り、深く反省したという。

ユリシアはとても穏やかで優しい令嬢ではあるが、怒らせると怖いということを身を以て知った兄だった。


ユリシアはゆっくりと立ち上がって、床にたたきつけられた便箋を拾った。

そして丁寧に広げて一読すると、形のいい唇には、ゆるりと美しい笑みが浮かんだのだ。

「まあ、ふふふ」

小さく漏れた笑い声に、ヴァルハイトの肩がびくりとはねる。それにかまわず、ユリシアはベッドに向かい、ゆっくりと腰かけた。

「旦那様」

「……」

「旦那様?」

「……」

「ヴァル様?」

「ぐっ……!! だ、旦那様、で、頼む」

鈴を転がすような声で突然愛称で呼ばれ、ヴァルハイトの体が一瞬ぐらりと揺れたが、何とか踏みとどまった。

「では、旦那様。わたくし、寂しいですわ。こちらにいらして、お話ししましょう?」

おねだりすれば、ゆっくりと上げた顔は、今度は血の気が引いて、まるで幽鬼のような恐ろしさである。

けれど、それにも、ユリシアはくすりと笑った。


手の中の便箋は、書いては消し、書いては消して真っ黒になるほど書き込まれていた。

どれもこれも、ユリシアを気遣い、賛美し、思いのたけをつづった言葉ばかりだった。

つまり、罰ゲームで書いたものでないのなら、それは。

(本心なのだわ。きっと、照れていらしたのね)

そうと分かれば、ユリシアに遠慮する理由なんてなかった。


「ねえ、旦那様。わたくしとお話ししてくださらないの?」

甘えた声で再度ねだれば、ヴァルハイトは顔を背けて、ゆらりと立ち上がった。そして、遠慮がちに一人分の間をあけてゆっくりと腰かける。

(もう!)

淑女に対する気遣いはうれしいけれど、もどかしくもある。ユリシアはもう、彼の妻なのだ。

彼女は遠慮なく、距離を詰めてくっついた。

びくっと硬直した大きな体は、しかし、離れていくことはなく、ユリシアは内心安堵する。

「旦那様、素敵なお手紙、ありがとうございます。とっても嬉しいですわ」

そう言うと、ヴァルハイトは膝の上に組んだ手に視線を落としたまま、小さくうなずいた。

「でも、わたくしのほうをなかなか見てくださらなくて、少し寂しいのです。どうして?」

鍛え上げられた腕にそっと手をかけ、上目遣いで聞くと、ちらりとユリシアを見ただけで、ヴァルハイトの顔はぐわっと憤怒の表情に変わり、赤く染まる。

そうして、彼女の手からパッと便箋をひったくると、二重線で消してある箇所……。

『きれいすぎて』

『まぶしい』

その二か所を指さし、ばしんとユリシアの手にたたきつけて頭を抱える。

「ふふ、うふふふ。旦那様ったら。わたくし、うれしくてどうにかなってしまいそう! 旦那様は、わたくしのこと、好きになってくださったのですね」

ぐう、と喉の奥で唸り声をあげたが、ヴァルハイトはこくりとうなずく。

「わたくしも、旦那様が大好きです。一目ぼれなのです!」

「……は? 一目……?」

勢い込んで放った一言に、思わず上がったヴァルハイトの顔は唖然としていて、レアですわ! と彼女は身悶えた。

鋭い眼もとの印象が和らいで、ちょっと幼く見えるところも萌えるユリシアである。

「はい! 初めてお会いした夜会で、踊ってくださいましたね。その時から、ずっとお慕いしておりました。旦那様との縁談は、わたくしが父にどうしてもとお願いしたのですよ! こんな小娘が押し掛けるように嫁いできたものですから、旦那様にはご迷惑かと思っておりましたのですけれど」

「そんなわけがない!」

慌てて不機嫌な顔を背けて否定するヴァルハイトの腕に、ユリシアはそっと頭を寄せる。

「はい。このお手紙で、旦那様の気持ちを知ることができて、わたくしうれしいです! わたくしのほうこそ、旦那様の本当の妻にしてくださいませ」

「い、い、いいの、か?」

「もちろんですわ! というか、わたくし、旦那様以外の人とは絶対に嫌ですわよ? 旦那様がいいのです!」

すると、大きな手が、白く小さい指をぎゅうっと握った。

痛い、と感じる寸前、『すまんっ』と震える声で唸り、武骨な大きい手が、手のひらごと壊れ物のように包み込んだ。

ああ、なんてやさしい。それだけで、ユリシアの胸は高鳴る。

「ね、こっちを向いてくださいませ。お顔が見たいです」

ヴァルハイトがゆら、と不機嫌そうにしかめた顔を向けると、ぽうっと上気した顔で、ユリシアはふにゃりと幸せそうに笑った。

「旦那様のお顔、素敵。優しいところも、好き。照れ屋さんなところも、かわいい。旦那様の妻になれて、わたくし、すごくすごく幸せです」

「ユリ、シア」

憤怒の表情は、ユリシアにはもう照れているようにしか見えない。

広い胸にぎゅうっと抱き込まれて、少し苦しかったけれど、ヴァルハイトの激しく暴れる鼓動が直に伝わってきて、うれしくなる。

そっと体を離されて見上げた顔は、まだ怒っているような照れ顔だったけれど。

ユリシアが目を閉じれば、熱い唇が重なってきた。

探るような、ついばむようなキスが、深くなるのはすぐのことで。

舌を絡める淫らなキスに、ユリシアはもう何も考えられなくなって。

ゆっくりと体を横たえて、ヴァルハイトがのしかかってきて。

長い夜が、始まった。





ふと目を開ける。カーテンの向こうは白んでいるが、まだ早い時間だろう。

気だるい空気は未だまとわりついているが、それすらも心地良いと感じるのは、腕の中で眠る妻の存在があるからだ。


一目見て心を奪われた、雪の結晶のように美しい少女。ユリシア・ハルフェスト侯爵令嬢。

王国一の美少女との評判を欲しいままにしている彼女は、内務省の長官を務めるハルフェスト侯爵が、掌中の珠と溺愛する愛娘である。

しなやかに流れる癖のない銀髪。しみ一つない真っ白な肌。透き通る水面のような美しい水色の瞳。人形めいた美貌だが、微笑むとまるで咲き誇る花のように華やぐのだ。

こんなにも美しく、心を奪われる女性がいたのか、と。ヴァルハイトの心は高揚した。

だが、彼女は自分には手の届かない高嶺の花。

辺境伯という地位は、王国内においては侯爵位と同等ではあるが、何せ自分は国のはずれの辺境地で、魔獣や外敵相手に剣を振り回すような武骨な男。しかも11歳も年上だ。そんな男が懸想(けそう)したところで、振り向いてくれるはずもない。迷惑にしかならないだろう。

たった一度、夜会でダンスを一曲だけ。

自分の腕の中でくるくると踊る彼女は、まるで幻のように美しかった。

けれどそれ以降、目が合えば微笑んで目礼はしてくれるものの、こちらへ近づく素振りはなかった。やはり敬遠されたのだなと納得はしても、こんな自分に自嘲するしか無かった。


だから、その想いは、胸の奥にしまったはずだった。遠くから見守るだけで、満足したはずだった。

それが、王家の意向で、彼女の身の安全と引き換えの婚姻を打診され、もしやだまされているのかと、何度も国王陛下に確認したくらいだ。


ヴァルハイトは、父譲りの鋭い顔貌のうえ、あまり感情表現が得意ではなかった。

怖がられると分かっていて、何とか笑おうとすると顔がこわばり、まるで睨んでいるかのような表情にしかならない。

特に女性を前にすると、苦手意識もあって上がり症と赤面症まで出てしまう始末で、それがまるで悪鬼のような憤怒の表情を形成してしまう。

そうなると、緊張のあまり会話もままならず、これまで3度の見合いは、すべて女性側からの辞退によって不成立となった。

そして、どこからかヴァルハイトは悪魔のごとく恐ろしく、常に不機嫌で、気に入らない女性をにらみつける非道な男なのだという噂が流れ始め、ついに見合いの当てもなくなった。

おそらく見合いをしたどこかの家から流れたものだろう。

まさか見合いをしただけで、そのようなよろしくないうわさを流されるなどど思っておらず、さすがに繊細なたちではない彼でも少なからず傷ついた。

こちらで何かをしたわけでもないのに、そんな噂を流す女性も怖いと思ったし、そう取られてしまうふがいない自分も情けなくて。

おかげで、ヴァルハイトはますます女性が苦手になってしまった。

幼馴染の副官に、『強面、赤面症、上がり症に口下手。お前……詰んだな』と気の毒そうに言われるに至って、ヴァルハイトはついに結婚を諦めたのだ。

それから間もなくのこの降って湧いた幸運に、初めて自分に流れる帝国の血筋と神に感謝をしたぐらいだ。

とは言え、相手は深窓のご令嬢であり、日々切った張ったを生業(なりわい)とする野蛮な男に嫁ぐなど、誰から見ても可哀想な境遇に変わりはない。

女性への苦手意識と、また拒否されるのではと尻込みするヴァルハイトに、件の幼馴染は、

「もう顔はどうしようもないから、せめてきちんと自分の気持ちを伝えろ! 口下手なら手紙を書け! 余計なことはいらん、あなたが好きです、一生大事にしますってことだけを率直に書いて読み上げろ!!」

と身も蓋もない一言でぐっさりとヴァルハイトをえぐりつつ、そんなアドバイスをくれたのだ。

たしかに、自分の口で言うよりは、言いたいことを最初から用意するほうがマシと思えた。しかし、書けば書くほどユリシアを賛美する美辞麗句ばかりどんどん書き連ねてしまい、読み返すと自分で自分が気持ち悪いと思うほどのドン引きな内容になってしまい、ヴァルハイトは頭を抱えた。

これではいけないと書いては消し書いては消し、結局カンペは便箋1枚びっしり真っ黒になるほど書き込まれたのだった。

だが、そうして決死の思いで告げた言葉に返ってきたのは、

「わたくしも、旦那様が大好きです。一目ぼれなのです!」

というまさかの返事で。

まるで世界がひっくり返ったかのような衝撃だった。世界が輝いて見える、と思った。

いや、輝いているのはユリシアだ、と思った。

頭の中で、昼間に聞いた讃美歌がエンドレスで鳴り響いていた。

その時の彼は間違いなくポンコツだったが、そんなことすら気づいていなかった。


そのあとは、夢を見ているかのように幸せなひとときで。

何もかも初めての妻を、理性をかき集めて必死に気遣いながら、どうにも離し難く、夜半まで付き合わせてしまった結果、寝落ちか気絶かわからないほど疲れさせてしまった。

あとで土下座して許しを請おうと思う。


「ユリシア、愛している」


眠っている時になら、こんなに簡単に言えるのに。いつか、自分の口から、自分の言葉で伝えたい。

が、果たして生きているうちに、きちんとユリシアの目を見て言えるようになるだろうかと、一抹の不安を抱く。

情けないが、仕方がない。何とか努力していくしかないな。

そう思いながら眠る妻の額にキスを落とすと、ユリシアはんん、と小さく声を上げ、ヴァルハイトの胸にすり寄り、また安心したようにすうすうと寝息を立て始めた。

(可っ愛(かっわ)……!!!)

内心鼻血が出そうなほど身悶えしつつ、ヴァルハイトはユリシアの体をそっと抱え直した。

起きたら、またこれが夢ではないと確認しなければならないな、と思いながら目を閉じて。

愛しい妻の甘い香りをかぎながら、ヴァルハイトは再びとろとろとした眠りに身を委ねたのだった。


副官「よっしゃああ大逆転!イヤッフゥゥ~!!これって俺のファインプレーじゃね!?」

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― 新着の感想 ―
(可っ愛……!!!) は、君だよ、旦那さま! カンペ叩きつけたのは自分をキッショ。と思ったからなのね笑 末永くお幸せに〜〜〜!
 ユリシアとヴァルハイトの夫婦が素晴らしいのは勿論、幼馴染の副官まじファインプレーでした!  もうどこから見ても素晴らしいハッピーエンドで、とても良かったです!
ヴァルハイトがかっこよく、そして可愛らしかったです。 ユリシアとお幸せに、とお祝いをしたくなりました。
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