追想
はじめまして、葉風です。
自分のペースで私の憂いを書きます。
読んでくださると嬉しいです。
1年間くらいの予定で今回掲載させていただく小説を連載します。
遠くにばかり行きたがっていたあの頃の自分に、久しぶりに会いに行くことにした。聞き飽きていたはずの駅メロももうほとんど思い出せず、その電車を乗り降りするだけの短い時をノスタルジックに彩るメロディに感じられた。あの頃重要で、大事だったものは全て断片的かつ淡い何かへと変わり、新しい何かを大切にしているうちに、この地に置き去りにしてしまったようだ。しかし決して忘れ物というわけではなくて、あれにも自我があるに違いないと思う。毎年季節や日付を巡る度に連絡もなしに訪ねて来たかと思えば、言葉にできない、第六感的なものを研ぎ澄まさないと分からないようなことをこそりと呟き去っていくのだから。そんな事があると私は決まって思わず足を止めてしまう。もちろんまたすぐに歩き出すのだけれど、歳を重ねるごとに回数が増えている。そのうちこんな一瞬が断続的に訪れて、歩けなくなってしまうのではないかと思うと、この世のあらゆる恐怖が恐れ近づかないのでは無いかと思うほどの酷い虚無感に襲われる。だからたまには、こちらからもそんな悪魔を訪問してやらねばいけない。プラットホームに降りて十年ぶりに下る階段は記憶よりも短く緩やかであった。驚いた。久しいあまりに降りる駅を間違えてしまったのかと思った。改札の正面にあったはずの一つ八十円のコロッケ屋はおしゃれで白基調の量産的なケーキ屋に変わり、黒く汚れていた床も汚れの付きづらいタイルになっていた。私たちの三年間の足跡は一体どこへ行ってしまったのだろう。そんなことを思った途端に北風のような寂寥が全身をくぐり抜けた。まだ少し冷える。何故だかこの場から離れたくなり、逃げるように足を進めた。行先は、河城高校の近くにある個人経営店。お好み焼きの美味しいおでん屋だ。十年前、私が河城高校の生徒だった頃には、そこで長い時間くだらない話をしていた。パン屋を背に小さなスクランブル交差点を渡り、老舗のだんご屋を通り過ぎて、かつてはインドカリーレストランがあった低いビルの角を曲がる。その先には桜並木が続く一本道があり、当時と変わらぬ様子で花びらがちらちらと舞っていた。見上げると、一生に一度の晴れ舞台に期待を募らせた小さな花たちが、大きく横に張った枝々に咲きほころんでいる。いささか不安げでありながら、それでも高貴さを失わない姿が何世紀にも渡り人々の心を魅了してきた理由なのだろう。現に今、私の視界からの景色に置いてではあるものの、その愛らしさは夜空に浮かぶ星々から主役の座を奪っているのだから。こんなことは星からしてみると、まるで急にやってきた転校生に密かに想いを寄せていた幼馴染を取られたような気分だ。いや、それでは星が私に恋をしていなければ成り立たないので少し違うかもしれない。でももし仮に星の、天の神様が私に恋をしていたのだとしたら、そんな風に思うに違いない。なんて自己中心的な思考なのだろうと、自身に笑いが込み上げてきた。この面白さは、過去の自分の未熟さに時が経った今だからこそ気づいたり、日常の中にあるなんてこともない失敗をしてしまったりした時に感じたりする、謂わば自己愛に近い嘲笑とも言えるものであった。こんなに奇妙な感情が人間にはあるということに、知性というものの神秘を感じる。この桜は、私たちの3年間を知っているのだろうか。きっとここに今舞っているものは、あの頃とは全く違う、私たちを知らないし、まだ自分を知らないものだ。だから眩しい太陽にも、美しい月にも負けずに主役でいられるのだと思う。私はもう、この道を主役のようには歩けない。変わらないのは幹の太さと街灯の青い光、それから年々遠ざかっていく記憶であった。並木道を抜けるときにふわりと薄紅色が買ったばかりの白いトレンチコートに降りてきた。私はその小さな存在が、すごく重く大きな何かである気がして、指先でそっとつまんで手のひらにのせ見つめたけれど、柔らかな花風と共に私のもとを離れていってしまった。その瞬間に少しだけこの街にいる私がすぐ横を駆け抜けていったような気がして、思わずはっと息を呑んだ。制服がヒカリに反射して青々しく輝いている。履き慣れないローファーによる、かかとの靴擦れの痛みなど気にならないほど「今」に夢中になっていた。まあ私はもう大人で、青さなどとうに抜け落ちてしまったのだが。あの頃が恋しい。こうやって追憶すると途端に、涙が出そうなほどの喪失感に包まれる。考えてみれば、今この状況はヒールのある靴を履くことが当たり前となった足で、ローファーの足跡を追っているではないか。過去の自分に会いに行くというのは靴を変えて同じ道を歩むことなのかもしれない。だとしたら今から食べるものはおでんではなくお好み焼きにしなくてはならない。新しい季節のやってくるこの時期だからこそ、昔にどっぷりと浸かりたくなる。店の前にたどり着いた頃にはすっかりとお好み焼きの口になっていた。
「いらっしゃい。」
「こんばんは、お好み焼きありますか?」
読んで頂けて何よりも幸せです。
少しずつ成長していきます。
皆さんのおすすめの本があれば教えて欲しいです。