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女神・ザ・クッキークリッカー! ―女神を殴るごとにレベル上がるんですがそれは―  作者: 八゜幡寺


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45:なにこれ

 女神が俺の前に佇んでいる。

 手を後ろに組んだ上目遣い。いつもの微笑み顔は鳴りを潜めて、変わりに熱を帯びた赤ら顔がそこにはあった。

 ふんわりと尖らせた唇が、妖艶に囀る。


「アギト様……。約束、お忘れではないですよね?」


 もじもじと可愛らしい仕草で詰め寄ってくる。

 潤んだ瞳が心へと訴えかける。ほのかな甘い匂いに脳が痺れる。


 ――ヤバい。

 この女神、むちゃくちゃエロい――!


 約束というのは、ミゼーアを倒す直前に俺が気の高ぶりを抑えることができずに口走った「キスしてやる」の一言で間違いない。ただの言葉遊び。戯言だ。


 だが、強敵との戦いに勝利した高揚感。

 真の意味で仲間と心から繋がることが出来た感動。

 死の寸前まで追い詰められた俺を救い出してくれた女神への……吊り橋効果。


 そう、この胸の高鳴りは、そういった心の錯覚が見せる幻想だ。

 頭では理解できている。

 だが愚かにも気持ちが、傾いてしまっている。

 身体なんかは本当にもう――正直だ!


 このまま何も考えず、感情の赴くままに気持ちをぶつけたとしても、誰に咎められることもない。

 むしろ相手は、それを望んですらいるのだ。

 そして俺だって、まんざらでもない。


 ――そこが気に食わない。


 こんなの、まるで犬みたいじゃないか、

 もし俺がこのまま女神に迫ったら、こいつの心境はこんなもんだ。


 強い敵倒せて偉いね。はい、ご褒美のちゅー! やん、ペロペロはだめー! がっつき過ぎだよー。うふふ、腰もカクカクさせちゃって、かわいーね。

 私もアギトのこと、だーい好きっ!


 ふっざけんな!


 一度そういう関係を築いてしまえば後はもうなし崩しだ。

 俺は女神の寵愛を求めて、しっぽを振りながら奴のご機嫌取りに必死な犬畜生に成り下がってしまう。

 自制なんてできるかよ。


 こんないつ死んだって不思議じゃないダンジョンでは、常に種の保存本能が警報を鳴らしまくってる。

 気を紛らわせるような娯楽なんてもちろんなく、遺伝子から女を求めているこの状況……!


 ただでさえ半裸の美女の誘惑にギリギリで対抗してんだ。【一度抱いた】なんてタガが外れりゃ、もう歯止めがきかねえよ!


「アギト様? その、焦らさないでください……」


 ぐっ! 色っぽい目で見つめてくるんじゃねえ!

 我慢だ、耐えろ。その場の空気に流されるな!

 もうずっと頭の中で『据え膳食わぬは男の恥』という悪魔の囁きが反芻している。うるせえこのお膳には毒が盛ってあるんだよ。依存率100%のスーパードラッグだ。


「アギト様ぁ……あの約束は、嘘だったのですか?」


 囁くのは悪魔ではなく女神だった。悪魔よりも凶悪な相手だった。

 ……だが確かに、約束を反故にするというのは人として最低な行為だ。そこを見落としていた。

 自慢ではないが、俺はあまり嘘をついたことがない。

 別に誠実さをモットーにしていたわけではない。そもそも余計な事は喋らないで黙っていたほうが無難だと、幼少から理解していただけだ。


 ……うん、俺って別に誠実な男じゃなかったわ。約束を破ったくらい、なんだっていうんだ。

 女神あくまの口車に乗せられるところだった。あぶねえ……。俺、かなり混乱しているぞ。


「ほら、目を閉じてますから……アギト様のタイミングで、大丈夫ですから……ね?」


 うぐぐっ、もういっそ、ぶん殴って全てをうやむやにしてしまおうか。

 ……いや、ダメだ! それはできない!


 流石に殴るに値する正当な理由がなければ――良心が痛む!


「はあ。……何をやっているでござるか、アギト殿」


 声。背後から……聞き覚えがありすぎる独特な喋り方。

 背筋が凍るような焦燥。


 バカな、死んだはず……いやそんなことはどうでもいい。確かにあいつの声だ。あんなバカみたいな口調で話すやつなんて、他にいるわけがない。

 即座に振り向く。

 ――目頭が、じんわりと熱をもった。


「あ……アルテミス!」

「アギト殿、拙者がいなくても相変わらず主神に弄ばれているようでござるな。少しばかりは拙者の死を慈しんでいただかなくては……些か寂しいでござるぞ?」


 間違いない。声だけじゃない。

 俺の目に映るのは、姿形すらアルテミス本人だった。

 おおお! 流石は神の端くれだけあって、不死性もしっかりと兼ね備えてあったか! 女神よりも能力としては劣るから、復活に時間がかかったってことか?


「んー、アギト様? まだですかー? んちゅー」

「うるせえバカ女神! 今そんな場合とちがう!」

「ほえっ!?」


 バカ面で唇を尖らせる女神に背を向けてアルテミスに駆け寄る。

 にひひと八重歯を覗かせる笑顔で高々と手を上げる戦友に、俺もハイタッチのていで手を掲げた。


「アギト様!? ダメですそいつは――アルテミスちゃんではありません!」

「え?」


 思わず振り向けば、もの凄い剣幕で叫ぶ女神が……。

 顎に当てがわれたアルテミスの指先が、ぐいっと俺の顔を強制的に正面に向き直らせた。

 少し釣り目で、猫っぽい顔立ちが、にこりと微笑む。


「あっ」


 女神が発した感嘆符が、とても大きく聞こえた。

 それ以外の音が、聞こえなくなったせいだと思う。


 ――アルテミスに唇を奪われたことが、余りにも衝撃過ぎて。

 俺は呆然と、温かいこんにゃくゼリーのような感触をいつまでも味わった。――または、それはほんの一瞬の出来事だったかもしれない。


 顔が離れると、……まだ名残惜しい俺はアルテミスを引き止めた。

 ――だがもう彼女は、俺を見てはいなかった。

 視線は俺の背後。


 違う、こいつはアルテミスじゃない。

 彼女はこんなにも、人を小バカにしたような意地悪な笑みを浮かべる奴じゃない。むしろ本人がそもそもバカだから他人をバカにできるはずがないんだ。

 そいつは、満足げに女神言ってのけた。


「くははは! 残念だったな主神よ! ――アギト君のファーストキスは、僕が頂いた!」

「いやああああああ! アギト様あああ! 私が、私がそんな薄汚い思い出ごと吸い取って消毒いたします! さあ、早くこちらへ! アギト様!」


 ……なにこれ?

お読みいただき感謝でございます。

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