雨が降る ――アップセット・ハート――
「ペケェ! ポケェ!」
目の前で土埃が舞う。
ヴェールの右の拳からキラキラとした光の粒子が溢れ出ている。
今の彼女は大人の姿をしているとはいえ、エンデを殴り飛ばせるとは驚きだ。
遠くで馭者の男がすすり泣く声が聞こえる。
今、――どうして、こうなっているのかが分からない。
ヴェールが目の前のヤツを殴り飛ばしたことも。
私がヤツに向かって切りに行けたことも。
――切りに?
ヤツをしっかりと切った感触はなかった。
もちろん、手で受け止められているからかもしれないが。
しかし、もっと別のものを切ったような感触がする。
切った時に形容しがたいもっと別のものを感じた。
光と闇の魔術で発生した不思議な空間の中で、何故、2人は縦横無尽に動けたのかも気になる。
私もしばらくして動けたが……、どうして……?
「あぁ……? 何がどうなってんだよ……? 力が抜けて気持ち悪ぃし……」
アルムは混乱したかのような声色で呟く。
――いきなり時が飛んだかのような感覚。
どうやら、ヤツを切ってから確かに感じていた不快感をアルムも感じていたようだった。
後ろが気になる。アルム以外の声が聞こえないからだ。
だから、私はふと、後ろに振り向こうとすると、
「――安心しろ! 死んでいない! いざとなったら我が守り抜く!」
ゼネが私に向かって言った。ならば、信じるしかない。
「しっしっしっしっ……はっはっはっはっ……!」
エンデの笑い声が土煙の向こう側の壁で聞こえる。
私は今の状況を見て、旋風刃を構えなおす。
下段脚切りの構え――ヤツは倒れている。だから、動き出そうとしたら、すくいとるように切りかかって動きの牽制を謀る。
「面白い……! 『ひつじのごきげんですわ』でサイコロが3回被った伝説の回並に今日は面白い……ッ!」
土煙が消えるとエンデはニヤリと笑う。
今も尚、苦しめられている現状なのに、ヤツはキリエたちを挑発するようにして笑いながら話しかけてくる。
気がつけば、手に汗が走っていた。
私はこれでもかと立ち上がるヤツを見て緊張しているというのか……?
口には唾液が溜まり――ごくりと飲み干す。
「我は木畑九盛アワー見て昼寝してたから、ディケのその例えは分からないぞ」
ヴェールがそう言うと、エンデが笑うのを止めた。
不愉快な表情に曇った眼――ヤツはなんだかしらけていた。
「相変わらず君とは趣味が合うようで……合わないな……」
「ディケのくだらない趣味に付き合うつもりはない」
「はぁ……」
エンデは間をおくようにしてため息を吐く。
それはもう、魂が口から抜けてくぐらいに。
すると、――私たちをギロリと視界に突き刺さるように睨んだ。
「今日は君たちの勝ちだ……、しかし、僕は勝負に勝てたようだ!」
突如、エンデが両手を音が聞こえるぐらいに叩き合わせる。
瞬時にヴェールは、
「――極光魔術 無「光」粒壁!」
魔術が発動して、辺りが鮮やかな光の粒子に包まれて障壁となる。
刹那――魔力の斬撃の雨が私たちに降り注ぐ。
しかし、彼女が発動していた魔術によって斬撃は障壁にぶつかると、光の粒子となって消滅し、私たちを守った。
しばらくして、ヴェールが発動した魔術が消滅する。
辺りを見渡せば、斬撃で赤土のレンガブロックは切り刻まれて、歩道はまともに歩けないくらいに無茶苦茶にされていた。
気がつけば目の前に鉄のように黒光りに輝く鎧の騎士がエンデの隣に立っていた。
顔はバイザーで見えず、覗き穴から紫色の光がじんわりと溢れ出ている。
ホムラ姉の仮面のデザインとどこか似ていて――ただ、オーラから憎しみを感じた。
「俺はお前のワガママに付き合った。時間だ。急いでマナ・リアから離れる」
「だそうだ。クリスタ……」
鎧の騎士が剣を鞘に静かに納める。
「――我がお前を逃がすと思うか……っ!」
ヴェールがヤツ等に向かって叫ぶと、
「5分――クリスタが大人でいられる時間だね。もうあと少しで5分立つはずだ」
エンデがそう言う。
すると、ヴェールの身体が光に包まれて――少女の姿に戻ってしまった。
「何故、分かった……」
彼女は疲れた声でヤツに言う。
空からポツン、ポツンと大粒の雫が降り始める。
――雨。
最悪なタイミングだ。
「クリスタも愉快な仲間たちを引き連れて早く帰ったほうがいい。次第に土砂降りになるだろう」
ヤツの言う通りに徐々に徐々に雨は激しくなってくる。
「――我は絶対にディケの闇を晴らす!」
「――風邪をひくぞ! 早く帰れ!」
エンデはヴェールに向かってニヤリと笑うと、自分だけが濡れないように骸骨の頭に天使の輪っかがプリントされた傘をさす。
ヤツは指をパチンと鳴らすと、ペケ、ポケと呼ばれる馬が馬車に繋がれた綱を嚙みちぎる。
「――こらっ! 何処へ行くっ! ペケェエ! ポケェエ!」
2匹の馬はエンデの元へ走って行ってしまう。
馭者の男の声は届いていないようだった。
「明日は馬刺し! 明日は馬刺し!」
「我はどこまでもディケを追いかける……! どこまでも……! どこまでもッ!」
ヴェールはエンデに向かって力を振り絞り走り出す。
「――転移魔術! 黒穴転移!」
すると、エンデはおもいっきり両手の手の平を合わせて、魔術を発動した。
――2人と2匹は黒い瘴気に包まれていく。
あの魔術――〈ニヤの尻尾〉で見た黒い瘴気と一緒……!
後、1m――もう少しで彼女の力が込められた細い腕が届く瞬間、
「じゃあ、次会うときは――――全力でやり合おう!」
ヴェールとエンデ――その間に2人の仲を引き裂くように雷が落ちた。
「――ヴェール!」
私は衝撃で吹き飛ばされたヴェールを受け止めるために走り出して――なんとか受け止める。
尻餅をついたが、ヴェールが無事なら私は満足だ。
「キリエン……、ありがとう……!」
雨で涙か、空から降り注ぐ雫かどうか分からない。
でも、ヴェールの顔を見たら悲しそうに泣きじゃくった顔に見えた。




