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4 町歩き

 雲ひとつない青空の下、ガタゴトと音を立てながら馬車が街道を走る。

 中に乗っているのはエミリアと侍女のハンナ、二人のみである。


「お嬢様ぁ、本当に行くんですか?」


「やめましょうよぅ」と半ベソ気味に言うハンナはいつものお仕着せではなく普段着のワンピースだ。ハンナの雰囲気に合ったアプリコット色が可愛らしい。

 対してエミリアの格好はというと、こちらもいつもきているものとは違い、水色のワンピース、それも田舎とはいえ伯爵令嬢が着るようなものではなく町娘が着ているようなシンプルなものだ。

 そう、エミリアはオースティン伯爵令嬢という素性を隠して町に行く途中なのである。

 今乗っている馬車もオースティン家のものではなく辻馬車だ。できるだけ知り合いに会わないよう少し離れた隣町に向かっている。


「ハンナ、お嬢様って呼ばないのよ。私のことはそうね…エミリーとでも呼んでちょうだい」

「流石にひねりがなさすぎます」


 真顔でダメ出しをされてしまった。


「じゃあいっそ全く違う名前にしましょう。そうね、コニーとか!」

「どちらにせよお嬢様を呼び捨てにするなんてできませんよ!」

「なら命令よハンナ。私は今から町娘のコニー。庶民のコニー。あなたの友人コニーよ」

「そんな無茶な…!」


 頭を抱えるハンナを尻目にエミリアは馬車の外に目を向け雲一つない青空に目を細めた。


 前世の記憶が戻ってから一週間。エミリアは以前より少し明るくなったと思う。

 記憶が戻る前は頭の中が色々な感情や情報でごちゃっとしていたが記憶が戻った今、とても過ごしやすくなったのだ。前世の記憶があるだけ、と自分の状況がわかったことも大きい。


 エミリアの前世は割と普通の女性だった。

 サラリーマンである父、専業主婦である母、三つ年下の妹は大学生だった。普通の家庭に普通の自分、会社の教育係だった先輩は優しくて真っ直ぐで憧れていた。

 妹とは趣味が合わないのにそこそこ仲が良くて、お喋りな妹の話をよく聞いていた。ゲームの話だったり漫画の話しだったり、可愛い顔して自称ゲームオタクの妹はモテるのに理想が二次元でそれ以外は興味なし!という少しばかり独特な子だった。


 死んでしまった理由はなんだったろうか。

 会社員として働いていたのは思い出したのにそこは思い出せない。でも病気になった覚えはないし多分事故だろうと思った。まだ若い方だったのに、親より先になんて申し訳ない。

 

「…まぁどうしようもないし、元気で暮らしてくれるといいけれど」

「なにがどうしようもないんですか?」

「もうこれ以上どうしようもないから庶民に見られなかったら諦めて帰ろうと思って」

「じゃあもう帰りましょう」

「貴女に聞いてないわ」


 記憶が戻ったのがレオンハルト殿下がお見舞いに来た日なのでハンナには恋をして明るくなったと思われたようだが誤解はしっかり解いておいた。つまらないと言われたが仕方ない。


 しばらく話をしているとガタン、と馬車が揺れて止まった。町についたようだ。

 結局エミリアの呼び方はお嬢様とさえ呼ばなければ名前で呼ばなくてもいいことにした。要は名前を呼ぶ状況にならなければいいんだとハンナが意気込んでいる傍でエミリアはキョロキョロと周りを見渡す。

 二人が降り立ったすぐ側には広場があり、子供たちが遊んでいたり子守をしていたりする姿がある。

 その奥は市場になっているようだ。賑やかな声と美味しそうな匂いが漂ってきて、朝食をとってからさほど時間は経っていないというのにお腹が空いてきたような気がする。

 エミリアはハンナの手を取ってうきうきと早足で歩き出した。


「ハンナ!早く行きましょう!」

「わっ!わかりましたから落ち着いてください!市場は逃げませんから!」


 バランスを崩しそうになったハンナは転ばずに持ち直し、仕方のない人だとでも言いたげに困ったような表情で笑った。


 今回、町へ行くことはまずハンナに言った。当然断られるが「外を歩く練習だ」と言えば目を潤ませ、渋々ながらも了承してくれた。

 なんだかんだ引きこもっていたから変化が嬉しかったのだと思う。

 しかしまさか町娘として、とは思わなかっただろうが。おかげで屋敷を出て馬車に乗るまで嫌がるハンナを連れ出すのが大変だった。


「おじょ、じゃない、えーと、どこに行かれるんですか?」

「特に決めてないわ。何か珍しいものがあればと思って。貴女何か欲しいものはないの?」

「欲しいものですか?うーん今は特にないんですが…」

「じゃあ小腹が空いたから何か食べてみましょ!何がいいかしら?」


 野菜や果物に肉や魚、食材を売っているあたりを超えると片側には雑貨や洋服など、その反対にはすぐ食べられるような物ばかりが売っていた。

 串焼きやお菓子にパンなどの他に見たことのない食べ物も並んでいて美味しそうな匂いで溢れている。


 エミリアはハンナにどういうものか聞きながら見て回り、悩んだ挙句牛肉の串焼きにした。果実水も買い広場のベンチに座っていただくことにする。

 そこそこ歯応えがありそうな見た目だが、噛み切れるだろうか。恐る恐る齧ってみると思いの外柔らかく、じゅわっと口の中に旨味たっぷりの肉汁が広がる。


「思ったより美味しいのね!」


 飲み込んでからハンナに顔を向けると、少し驚いた顔でエミリアを見ていた。


「…お嬢様、串焼き召し上がったことあるんですか?」

「え?…あっ」


 なるほど、仮にも伯爵令嬢、ましてや町に繰り出すのなんか初めてなのに何の躊躇もなく串焼きにかぶりついたらそれは驚くだろう。控え目に小さく口に入れたがそれ以前の問題だった。


「あの、さっきこうやって食べてる人を見かけたから真似して食べてみたつもりだったのだけど…どこか間違っていたかしら」

「ああ、そうなんですね。いえ間違ってないですよ!むしろどうやって食べるものか聞かれると思ってたのに、上手に召し上がるので驚きました!」


 どうやら誤魔化せたようだ。自分の串焼きを美味しそうに頬張るハンナにホッと胸をなでおろした。

 串焼きの食べ方を前世の記憶で知っているからとはいえ、伯爵令嬢としての振る舞いには気をつけなければ。

 過去と混濁しない、とは思ったが"前世で過ごした知識"がある状態だ。もしかしたら日常生活に支障をきたすだろうか。エミリアは少しだけ不安になった。


 その後も市場を見て回りそろそろ帰ろうと道を戻り始める。

 帰り際に丸い形の砂糖菓子を買いハンナに紅茶と一緒に食べたいとお願いをしていると、後ろで「あっ!」と声がした。

 振り返るとどうやら少女が転んでしまったようで買い物したらしい野菜も散らばっていた。

 同じ歳のぐらいだろうか、うう、と目に涙を浮かべている。


「まぁ、大丈夫?」


 慌ててハンナと野菜を拾いながら少女に手を差し出すとハッとして恥ずかしそうに立ち上がった。そしてボサボサになったピンクがかったブロンドの髪を直そうとして「痛っ…」と小さく声が漏れる。


「だ、大丈夫です…」

「怪我をしたの?――あぁ、手を擦りむいてしまったのね。ちょっと見せてくれるかしら?」


 少女の手を取り自分の手を重ねたエミリアは「水よ」と小さく呟く。

 すると瞬く間に水が出てきて少女の手を濡らし土埃を払い清める。

「うわぁ…!」と少女の目がまん丸になるのを横目にハンカチで拭うとほとんど血は出ていなかった。


「洗うだけで大丈夫そうね」

「すごい!あなた魔法が得意なのね!」

「これぐらい、大した事じゃないわ。気をつけてね」

「ありがとう!」


 痛みも恥ずかしさも飛んでいったらしい少女が自分の手を見て顔を輝かせている。

 その姿を微笑ましいなぁと見ていると、ハッと少女が何かに気づいたように周りを見回し、内緒話をするように口元に手を当てる。


「あなた、貴族でしょう?」

「えっ…」


 あっさりバレた。

 何故だとエミリアは首を傾げた。


「…そう見えるかしら」

「うん、じゃなくてはい。話し方も、所作?も貴族っぽさが出てる…ます。お忍びならもう少し気をつけた方がいいと思うわ」


 じゃあね、とお礼を言ってぶんぶんと大きく手を振って去っていくのを見送り、エミリアは次の課題にしようと決めた。

 そしてさあ帰ろうと振り返ったところで、ハンナが呆けた顔で立っていた。


「ハンナ?どうしたの?」

「お、お嬢様…」

「いま私の名前はコニーだってば。どうしたの?」

「…ば、馬車、そう、帰りましょう、急いで帰りましょう。さあ早く、とにかく早く」

「えぇ?わかったわ…ハンナ、そんなに押さないでってば!」


 ぐいぐいと背中を押すように急かすハンナは「いつから…」とか「旦那様と奥様は…」とか呟いていて少し怖い。だが逆らうのももっと怖いので大人しくできる限りの早足で馬車に戻るのだった。


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