3 カトリーヌ
数日後、エミリアは再びキャロライン侯爵邸を訪れていた。
レオンハルトが見舞いに来た日、エミリアはすぐにカトリーヌへ手紙を書いた。
体調不良とはいえお祝いを途中退席してしまったこと、心配していたと聞いたことなどを認め、何度も読み返し両親にも読んで確認してもらった。
そしてお詫びにと自領の特産品である紅茶の一番良い茶葉と一緒に贈ったところ、紅茶のお礼と共に二度目の侯爵邸への招待が届いた。
白目を剥きそうになったのは秘密である。
たしかに、レオンハルトから招待したいと言っていたことは聞いてはいた。
けれどもたかだか初対面の令嬢に、と思うのは自分だけだろうか。家同士の付き合いだってほとんどないはずだ。
要するに、社交辞令だと思っていたのだ。
自分の奇行が前世の記憶と分かったものの、おかしなことを口走ってしまうかもしれないことには変わりない。
しかも普段は家族や使用人以外と話すことがない引きこもりだ。行きたくないと思ってしまうのは仕方がないだろう。
「まぁ、どうにもならないんだけど」
「何かおっしゃいましたかお嬢様?」
酔ったのか、暑いのかなどと世話を焼こうとするハンナに何でもないと返すとまた窓の外を眺め始めた。
ハンナは引きこもりのエミリアが出かける用事ができて嬉しいらしい。張り切って支度をしてくれた。
今日はレモンイエローのサマードレスに髪は編み込んで緩く上げてと、ハンナがとても楽しそうだった。
本日の名目はお茶会、といってもカトリーヌとエミリアの二人だけのものだ。
エミリアが送った紅茶に合うお菓子を食べに来ないかというお誘いだったので、同じ茶葉とそれを使ったクッキーを用意してきた。
前世の紅茶クッキーを思い出して料理長に作ってもらったが、作る前と後での料理長の反応がやけに面白かった。
どうやら今世、お茶は飲むものであり紅茶クッキーはまだ出回っていなかったようである。
「ようこそエミリア様、お体はもう大丈夫ですの?」
ふんわりと花が綻ぶような笑顔で出迎えてくれたカトリーヌはラベンダー色の、シンプルながらも上品なドレスがよく似合っている。
眩しくて余計に帰りたくなった。
「お招きいただきありがとうございます。先日のお茶会ではご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「迷惑だなんておっしゃらないで。すぐに良くなったようで安心しましたわ。どうぞこちらにおかけになって」
「ありがとうございます」
先日のお茶会があったのと同じ庭園に案内され座った席には、すでにいくつかのお菓子が用意されていた。
ほどなくして目の前に置かれたティーカップからは、エミリアがお詫びに贈った紅茶の良い香りが漂っている。
「頂いた紅茶、とっても良い香りで美味しかったですわ。ありがとうございます」
「お口に合ったようで何よりです。今日もお待ちしましたので、それからーー」
言いながら、ハンナにカトリーヌの侍女に紅茶と一緒に両手に収まるくらいの箱を手渡すよう指示を出す。
「その茶葉を練り込んだクッキーを用意させました。よろしければそちらもお召し上がりください」
「まぁ、お茶を生地に?初めてですわ!」
カトリーヌは初めての食べ物に抵抗はないようだ。すぐさまテーブルに並べるよう指示を出していた。
美味しい美味しいとベタ褒めしてくれたのでクッキー生地に茶葉を混ぜるだけだと教えておいた。
その後は好きな紅茶やどこのお菓子が美味しいなど当たり障りのない会話が続く。
カトリーヌも読書はよくするらしい。エミリアも本を読むと知って嬉しそうに今流行りの恋愛集や御伽噺などの話をしたがった。
「エミリア様は沢山の本を読まれているんですのね」
「いえ、そんな…カトリーヌ様も沢山読まれているかと…」
「ありがとうございます。こんなに本のお話ができるなんて、嬉しいですわ」
ニコリ、嬉しそうな微笑みを向けられる。
会話が苦手で慣れてもいないエミリアは吃るし視線があちこち動くしと挙動不審だっただろうが、カトリーヌは何も言わずにエミリアのペースに合わせてくれていた。本当に優しい人だ。
「エミリア様、できれば目線は上げていた方がよろしくてよ」
サラリと零された言葉に思わず肩が跳ねた。
落ち着いていた心臓がドクドクと音を立て始める。カップを握る手が震える。
返事をしなくては。何て返そう。目を合わせないなんて失礼なこと、どうしよう。折角少し会話ができていたのにーー
「大丈夫ですわ」
ふわりと手が暖かくなった。
反射的に顔をあげると、いつの間にか隣に立っていたカトリーヌがエミリアの震える手を包み込んでいた。
「わたくしも以前は会話があまり得意ではない方でしたの。相手の目を見るのって、思ったより勇気がいりますのよね」
「…もう、しわけ、ありません」
何とか絞り出した声にカトリーヌが「かまいませんわ」と微笑む。
「目線を合わせるのが苦手なうちは、相手のおでこやお鼻を見るといいですわよ」
目が合っているように錯覚するらしいから、とアドバイスをくれるカトリーヌは、エミリアが引きこもっていたことを知っていた。
お茶会を途中退席した日、他の令嬢に聞いたらしい。
ほとんど外に出ないらしい、前髪で目を隠しているのは醜い傷でもあるんじゃないか、とか噂があるらしい。
もっとオブラートに包んで話してはくれたが、多分悪口のように聞いただろう様子に、エミリアは少し恥ずかしくなった。
「お話ししてみてとても楽しかったわ。ぜひまた遊びにいらしてね」
帰り際、笑顔で言われた言葉にどうにかお礼を返した。
作った笑顔には見えないがそもそも会うのが二回目では判断が難しい。貴族はお世辞も社交辞令も常套なのだ。
だから会話は苦手なんだ、とエミリアは馬車の中で溜め息をつきながら背もたれに寄りかかった。
「カトリーヌ様ってとても感じの良いお方でしたね!お嬢様ってば圧倒されっぱなしみたいでしたけど」
「だって、こんなに沢山お話ししたの、いつぶりかしら?」
「ふふ、楽しそうでよかったです」
楽しくないと言えば嘘にはなるが、それを上回る疲弊感にエミリアはヘトヘトだ。明日は口の筋肉が筋肉痛になるかも知れない。
でももう体調も良くなったからレオンハルトが訪ねてくることはないし、キャロライン家の招待にも応じた。
「とりあえず、ひと段落したからゆっくり休みたいわ」
だがエミリアの思惑とは裏腹に、その後何度かカトリーヌからお茶の招待を受けることになってしまった。
どうやらカトリーヌは社交辞令を言ったわけではなかったらしい。
その度にハンナは張り切って支度を整えエミリアは朝の支度から帰ってくるまで疲労困憊だったが、何度目かの訪問で、自分があまり緊張しなくなっていたことに気づいた。
慣れって恐ろしい。
カトリーヌは最初の印象通りの人だった。
ある時は庭を歩きながら、ある時は本をたくさん用意しながら、エミリアに話しかけ会話をリードし、とても同じ年頃とは思えない、と何度思ったか。
面倒見の良い、姉のような立場といえばいいか。会話の訓練をしてくれているようにも思える。
曲がったことが好きではなく、お人好しにも取れる人の良さに、誰かと姿が重なってみえた。
ーー前にも、こんなふうに。
『大丈夫よ、貴方ならできるわ』
『ほら、ーー』
ああそうだ、と思い出す。これは前世の記憶だ。
カトリーヌは、お世話になっていたらしい人に似ているのだ。あの人もたしか、こんな風にエミリアを導いてくれた。
もちろん違う人物なのはわかっている。
それでも、無性に言いたかった。
また会えて、嬉しい。
今度は、きっとーー
「ーーエミリア様?」
ひょこりと視界に現れた美少女に、ハッと意識を取り戻す。
「…申し訳、ありません。陽射しに少々目が眩んだようです」
屋外に出たところだったので、あながち嘘ではない。
キャロライン家から帰ろうとドアを潜ったところで思考が飛んでしまったらしい。時と場所を考えようと思った。
また体調が悪くなってしまったのではないかと心配そうな表情のカトリーヌに、にこりとぎこちなく微笑んでみせる。
笑顔はまだ練習中である。
「そろそろ暑くなってきますし、カトリーヌ様も体調を崩されないようにお気をつけくださいませ」
「ええ、エミリア様もお気をつけて」
ホッとしたような笑顔に何故だか胸がチクリと痛んだ気がした。
それが前世の記憶なのかそうでないのか、エミリアにはわからなかった。