2 見舞い
レオンハルトが到着したと聞いて、エミリアは客間に急ぎ足を向けた。
ハンナが張り切って身だしなみを整えてくれたのでいつもより時間がかかってしまったのだ。あまり待たせるわけにはいかない。
お茶会の日、殿下直々に送られてきたエミリアを見た両親は大層驚いていた。
娘がひどい顔色で申し訳なさそうにしているものだから、何か粗相をしてしまったのだろうかと思ったらしい。
話を聞いてからももちろん怒ることはなくエミリアの体調を気遣う両親に余計に申し訳なくなってしまった。
今日こそは失態を犯してはいけない。
二人とも先触れが来る前に出かけてしまったから助けてはもらえないのだ。
心細いが仕方ない。相手は王族だが同じ歳の王子殿下一人。きっと大丈夫と自分に言い聞かせる。
ドアの前に着いたエミリアはゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして背筋を伸ばしてからノックをし、一呼吸おいてからドアを開けた。
焦るな、ゆっくりだ。
「ご機嫌麗しゅうございますレオンハルト殿下」
目を一度合わせてからソファの横でゆっくり頭を下げた。
会話は苦手だ。
タイミングがわからなくなる前にと、先手必勝と言わんばかりにエミリアは続ける。
「この度は遠いところを殿下自らご足労いただきありがとうございます。先日のお茶会では多大なるご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
最上級の礼を崩さずに言い切れば、少し間を空けてレオンハルトが「構いません」と声を発した。
顔を上げると先日と変わらない無表情が腰掛けていた。
眉間の皺がないから機嫌が悪いわけではない、と思いたい。緊張で心臓がドキドキしている。
向かいのソファに座るとタイミングよく紅茶とお菓子が運ばれてくる。
マカロンにクッキー、クリームたっぷりのフルーツケーキ、いつもより多いのはお客様が王族だからだろう。
レオンハルトは紅茶を一口飲むとエミリアに視線を向けた。
よし今だ、と心の中でタイミングを計りエミリアは再度口を開く。
「改めまして、レオンハルト殿下、先日はご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございません。その上お見舞いにまでいらしていただくなんて…」
「ああ、堅苦しいことは結構です。その後体調はどうですか?」
「はい、もうすっかり良くなりました。本当にありがとうございます」
「それはよかった」
一瞬、首を傾げながら微笑んだように見えてエミリアはどきりとして目を逸らした。
もう一度目を向けても無表情である。見間違いだったのだろうか。
当の本人は見られているのに気づいていないのか慣れているのか、何食わぬ顔で紅茶を飲んでいる。
見舞にきてもらったが今の会話で用は済んでしまったように思えるのだが、さて、どうしよう。
そんな風に思っていたが今度はレオンハルトが言葉を発した。
「あの後、カトリーヌ嬢がとても心配していたようです」
「まぁ、カトリーヌ様がですか?ありがとうございます。ご迷惑のお詫びをしなければなりませんね」
「そうですね。体調が良くなったら是非また遊びに来て欲しいと言っていたそうです」
「え、」
またあの空間に行くのは、正直遠慮したい。
そんな気持ちが強かったのか思わず声が出てしまって慌てて口を開いた。
「わたくしの様なものがカトリーヌ様とお話しさせていただくなんて…」
カチャン、
少し強めにカップがソーサーに置かれた。
エミリアの言葉を遮るようなその音に俯きかけた視線をレオンハルトに向けると、お茶会の時のような強い目線と交わり少しだけ怖いと思ってしまう。
「昨日も言っていましたがその『私のようなものが』というのはやめたほうがいい。あの場にいたオースティン家より身分が下の者達も卑下していることになる」
レオンハルトの言葉にハッと息をのんだ。
そんな風には考えたことがなかった。
「申し訳、ございません。以後気をつけることにいたします」
やってしまった。
波風を立てないように気をつけていたつもりが、逆に神経を逆なでするようなことを口にしていたとは。
大体にして昔から後ろ向き思考のエミリアが、断片的な記憶が原因だったとわかったとしても考え方をすぐに180度変えられるわけがない。
口を開けば気に触るような言葉しか出てこないように思えてきてエミリアは俯いて何も言えなくなってしまった。
しん、と気まずい沈黙が訪れる。
どうしたらいいのだろう。
失態を犯さないようにと思っていたのに今度こそ両親に迷惑をかけてしまうかもしれない。
こんなことなら周りともっとコミュニケーションを取って慣らしておけばよかったと後悔するがどうにもならない。
もういっそのこと運悪く出掛けている両親が都合良く帰ってこないかなどと人まかせなことを考え始めたところで、またしても先に口を開いたのはレオンハルトだった。
「あの後、何かありましたか」
「…え?」
どういう意味だろうかと考える。
あの後とはお茶会の後だろう。
送ってもらった後に、何か?何かってなんだ?
「申し訳ありません、何かとは…?」
「そうですね…例えば、精神的に衝撃を受けたとか」
「精神的な、衝撃…」
ぎくりとエミリアの体が強張ったのは気づかれてしまっただろうか。
衝撃なんて何も、と思いかけたがふと思い当たることが一つだけあった。
朝方、前世の記憶があるということがわかったことだ。それ以外に覚えはない。
しかし、いくら王子殿下相手で嘘をつくのは良くないといっても言えるはずがない。言ったところで頭のおかしい人だと思われるのがオチだろう。
「そうですね、特には思い当たらないんですが…どうかなさいましたか?」
「魔力の質が…いや、勘違いかもしれない。忘れてください」
「そう、ですか…」
その後、レオンハルトは当たり障りのないことを少し話して帰って行った。
たいした時間でもなかったのにどっと疲れが押し寄せてきて、エミリアはソファに深く座り直し長い溜息を吐いた。
侍女のハンナが淹れてくれたとびきり甘い紅茶を口にするとホッと全身の力が抜けていくような安心感に、ようやく落ち着けると呟くとハンナが顔を顰める。
「結局ただのお見舞いですか?」
「当たり前でしょう」
むしろそれ以外に何があるというのか。
「玉の輿…」とか不穏な単語が聞こえた気がするが聞こえなかったふりをしてクッキーを口に入れる。安定の美味しさだ。
魔力の質、小声だったがそう聞こえたように思える。
エミリアの魔力の質が、何だというのだろうか。
あの後――お茶会の後で魔力の質に何かあったということだろうか。
「…ん?魔力の、質?」
ちょっと待った。
魔力の質とはわかるものなのだろうか?いやそもそも魔力自体目に見えるものではないはずだ。
しかしたしかに魔力の質と言っていた。
幼い頃からの癖でエミリアは小声で話す人の声を拾うのが得意なのだ。
「どうされましたかお嬢様?」
何やら妄想の世界に入っていたが現実に戻ってきたらしいハンナに訊ねられる。
ちなみにハンナの呟いていた声は聞き流していたので頭には入ってこなかった。
「ねぇハンナ、私お茶会の前後で何か変わったところはあるかしら?」
「変わったところ、ですか?うーん…」
手を顎にやりエミリアを頭のてっぺんからつま先までじっと見るハンナ。
なんとなくふざけているように見えるのは気のせいだろうか。
ややあって頷きながらにっこり微笑んだハンナは、「お嬢様、」と口を開いた。
「特に大人っぽくはなってないですね!」
「なんの話?」
思わず突っ込んでしまった。
「冗談です」
「まったく、まだ十歳なんだから大人っぽくなんてなくていいのよ!」
「それは大変失礼いたしましたー」
ハンナはへらりと笑いながらケーキを一切れ皿に盛ってエミリアの前に置いた。
ちょうど食べたいと思っていたのですぐフォークで口に運ぶとふんわりと広がる控えめな甘さのクリームがたまらない。
「美味しい」と呟いたエミリアにハンナが嬉しそうに笑った。