1 お茶会
遡ること一月前。
その日もいつものようにエミリアは庭にあるベンチで読書をしているところだった。
「お茶会、ですか?」
「えぇ、キャロライン侯爵家でね。カトリーヌ様が十一歳を迎えたからでしょうね、同じ年頃の子供たちを招待されてるみたいなのよ。お友達ができるわねぇ」
母であるエリアーデはにこにこと楽しそうな笑みを浮かべながら説明した。
娘に友達ができるかもしれないことがよほど嬉しいらしい。
しかし正直なところ、人と話すのを避けているエミリアにはこれっぽっちも嬉しくない申し出である。
「…あまり気が進まないのですが」
「まぁ!そんなこと言わないで、せっかくだから色んな方とお話ししてらっしゃいな」
「学校に入ってからでも十分でしょう」
「いきなり環境が変わるんだから同じ気持ちを共有できるお友達は必要よ」
エリアーデはどうしても娘に友達を作ってほしいらしく必死になって説得してくる。
エミリアも一応反論はしてみるが、結果は変わらなかった。
「それに、もう参加しますって返事をしてしまいましたもの」
「…お母様、」
前髪で目元は見えづらくなっているがじっとりと自分を見つめるのがわかったのだろう。
娘の視線から逃れるように「午後はドレスを選びましょうね〜」と笑いながら去って行った。
オースティン家より格上であるキャロライン家からの招待となれば、余程のことがない限り断ることはできない。
わかってはいるが、重いため息が零れ落ちた。
そして迎えたお茶会当日、空は憎らしいほど晴れていた。
爽やかなミントグリーンのサマードレスを身に纏ったエミリアは馬車の窓からじっとりとした目で景色を眺めている。
向かいに座っていたハンナは呆れたように笑って「お嬢様、顔がひどいです」と注意した。
この侍女はかしこまり過ぎないところがエミリアは気に入っている。
けれども今そんなこと言われたって直す気がないのだ。
無視されたハンナはやれやれといった様に息を吐いた。
「お茶会ってそこまで嫌がるものなんですか?」
「嫌というか…憂鬱だわ」
「でも同じ年頃の方達ばかりだと奥様がおっしゃってましたし、そんなに身構えなくてもよろしいのでは?」
「そういう問題じゃないのよ、みんな学園に入るまでにお友達を作ろうとか考えてるだろうし、でも家柄とか損得とか、きっと笑顔の下で腹の探り合いよ」
「お嬢様、そういうの苦手ですものね…。頑張ってください」
「もちろんオースティン家の者として恥を晒さないようにはするけど…ああ、どうか目立ちませんように」
祈るように手を組むエミリアは今日何度目かになる溜息を吐いた。
祈りが届いたのか、会場で案内された席は主役のカトリーヌから遠すぎず近すぎずの場所で、少し気分が落ち着いたたエミリアは会場を見回す余裕が出てきた。
今日のお茶会はキャロライン家の中庭で行われる。
広々とした中庭には等間隔に植えられた色取り取りの花々が綺麗に咲き、中でも薔薇のアーチが参加者の目を惹きつけている。
テーブルの上には沢山のケーキやお菓子が用意されていて、興味のない男の子たちにはつまらないかもしれないがお菓子が好きなエミリアはにっこりと小さく微笑んだ。
しばらくして招待客が全員集まったのか、カトリーヌがやってきてお茶会の始まりを告げた。
まずは初めての方もいるだろうから、と自己紹介がされていく。
エミリアの番も問題なく終えて、ちらりと周りを見回した。
カトリーヌ・キャロライン侯爵令嬢は長く伸びた金色の巻き髪にパッチリとした青い目、鼻筋は高く誰もが美人だと思える少女だった。
侯爵令嬢という立場から高圧的な性格かと思いきや、話しかける様は穏やかで王道の悪役令嬢とは違うようだ。
――悪役令嬢?
なんだそれは。
エミリアは頭の中で突っ込んだ。
自分は今何を考えた?こんなに美しく優しそうな美少女に向かって、悪役だと?考えていて混乱してきた。
エミリアには時々自分の意思とは思えない言葉が出てくることがあった。
まるで自分の中にもう一人誰かがいるような奇妙な感覚が、エミリアは怖くて仕方なかった。
何も今こんな所で出なくてもいいのに。
和やかなお茶会の雰囲気とは裏腹に、ずん、とお腹が重くなった気がした。
「エミリア様?どうかなさって?」
カトリーヌの声にハッと気づくと、心配そうな表情が目に入る。
それだけでなく周りの視線がエミリアに集中していた。
どうかしたのかと不思議そうな目、こんなところで呆けているのかという非難する目、興味はないけど場の雰囲気に沿って目を向ける無関心の目、どれもがエミリアを問い詰めているような気がして心拍数が上がってきた。
ダメだ、しっかりしろ。
エミリアは自分を落ち着かせるように一度深呼吸をすると扇子で口元を隠しながらにこりと精一杯の笑みを作った。
「申し訳ありません、カトリーヌ様。お恥ずかしながら王子殿下がいらっしゃると思わなくて…わたくしのようなものが同席させていただいて良いのかと緊張してしまいましたの」
嘘は言ってない。
クローバー王国第一王子のミハイル・ルディアースと第二王子のレオンハルト・ルディアース。
カトリーヌの隣に座り、もったいぶるように最後に挨拶した二人の存在には本当に驚いた。
本音を言ってしまうと、できることなら同席したくなかった。
エミリアの答えを聞いてカトリーヌ含め何人かは納得したような表情を浮かべ、残りはチラチラと王子殿下に目をやり頬を染めたりそわそわしたり。
まぁ、それが普通の反応だろう。ともかく視線が逸れてくれて助かった。
「まぁ、そうでしたのね」
緊張からと知ってカトリーヌの表情がホッとしたもの変わった。実に優しい方である。
「レオンハルト殿下はわたくしと同じ十一歳ですし、ミハイル殿下も一つしか違いませんから父がお茶会の話をしたら陛下が是非にと仰ってくださったのよ。アリアナ殿下は体調を崩されてしまったようで今日はいらっしゃらないのだけど…」
「アリアナもすまなそうにしていた。カトリーヌが残念がっていたから早く治すようにと伝えておこう」
「ふふ、あまり無理はおっしゃらないでくださいね」
にこにことミハイルに顔を向けるカトリーヌにミハイルも笑顔を返す。
二人は確か、婚約を結んだのだと少し前に聞いた気がする。
――ズキン、
お似合いだなぁと見ていたところでエミリアは突然頭痛に襲われこめかみに手をやる。
また変に注目を浴びてしまうといけないのですぐ手を下ろしたが、ズキンズキンと刺すような痛みは続いている。
周りが思い思いに談笑するのをぎこちない笑顔で時々相槌を打ちながら耐えていると、いつのまにか話題は庭園がいかに見事かという賛辞に移っており、皆が立ち上がり始めた。
どうやら薔薇のアーチや他の花を見に行くようだ。
中には興味のなさそうな男子もいて途中で足を止めて違う話題を口にし始めている。
いつ終わるんだろうか、こんなことを考えてはいけないのだろうがいかんせんエミリアは頭痛が煩わしくて会話に入るのも、もっと言えば動くのも正直遠慮したかったがそうもいかない。
最後尾をついて行くが足元が覚束ない。
なんだか冷や汗も出てきた気がする。
「大丈夫ですか」
「レオン、ハルト殿下…?」
「手を」
いつのまにか俯いて立ち止まっていたらしい。
目の前に差し出された手を辿って顔を見上げると、目の前に第二王子の姿があった。
感情が薄く冷たそうだと噂される、それでも整った顔立ちは笑顔でもなく怒っているでもなく無表情に近い。
その彼が、手を差し出している。
色白の線の細い綺麗な手だ。
「…お綺麗な手ですねぇ」
「は?」
思わず本音が漏れてしまった。
綺麗な顔が顰められる。どうしよう。
「あ、申し訳、ございません。その…」
「…ふらついていたようですが、やはり体調が優れないのではありませんか?」
「いえ、大丈夫です。あの、わたくしにはお構いなく、どうぞ皆様の方へ」
おかしいな、眉間の皺が深くなった気がする。
不敬にならない言葉を選んだつもりだったが何かまずかっただろうか。
出していた手を引っ込めてふいと顔を逸らしたレオンハルトはエミリアの言う通りに早足で輪の中へ加わる。
それを見届けてからホッと息を吐いた。
しかしすぐに輪の中から戻ってくる姿を見てエミリアはギョッとした。
レオンハルトはもう一度手を差し出し「手を」と先程と同じ台詞を口にした。
手を取れということだろうか。
王族の手を?とんでもないことである。
でも取らなければ不敬になるだろうか。
「あの、」
困惑するエミリアの心を知ってか知らずか、痺れを切らしたらしいレオンハルトは「失礼」と一言発してエミリアの手を取り肩を抱くようにして歩き始めた。
必然的にエミリアも引っ張られるように歩き出す。
近くにいた使用人に声を掛け案内させたのはどうやら客間のようだった。
言われるがままベッドに横になると、何やら使用人と話していたレオンハルトは用意された椅子を近づけて腰掛ける。
「カトリーヌ嬢の許可は取りました。迎えを呼んでいますので医師に診てもらって今日は帰られた方がいいでしょう」
「医師だなんて、そんな」
「その顔色で反論は聞けません。大人しく寝ていてください」
じろりと睨むような目線を向けられ、エミリアは恐怖で何も言えなかった。
目力が強すぎる。
「申し訳ありません」と謝るも無言。怖すぎる。
どうやら不興を買ってしまったようだ。後で両親に謝ろうと思った。
医師が来るまでの時間、およそ十数分だったろうがとてつもなく長く感じた。
お茶会に戻ってはどうかと提案するどころか声を発することすら憚られて、息苦しさを感じながら医師を待つなんてこの先二度とないだろう。
そう思ったのに。貧血だろうと診断され、迎えが到着したと玄関ホールまで見送りに来たレオンハルトにお礼を言おうと開いた口は、声こそ発しなかったものの間抜けな顔のまま固まってしまった。
そこにあったのは見慣れたオースティン家の馬車ではなく、クローバー王国の紋章が刻まれた王族ルディアース家の馬車一台だった。
視線だけで周りを見ても他に馬車はいない。
「殿下…あの」
「途中でまた悪化してもいけません。お送りします」
嫌だ目立ちすぎる。
反射的にそう思ったが、そもそもただの伯爵令嬢が王子殿下に送ってもらうなんて畏れ多い。
理由として前者の割合が大きいが、とにかく心の底から遠慮したい。
「そ、そんな、畏れ多いことでございます!わたくしは大丈夫ですので、どうぞお構いな、」
「お送りします」
「こ、これ以上のご迷惑は、」
「そう思うなら無駄な問答は省きたい」
「…よろしく、お願いいたします」
有無を言わさない無表情に呆気なく心が折れた。
三度差し出された手を前に、今度こそエミリアは自分からレオンハルトの手を取ったのだった。