誰も私を見てくれない。
私ことユリアナ・クロワーゼは、今日初めて、婚約相手と顔を合わせることになっている。
婚約相手といっても、親がかってに決めたことだ。
顔も知らないし、名前もよく覚えてない。
楽しみな気持ちなんて全くない。
むしろ、不安や嫌悪感でいっぱいだった。
別に私は、どこのだれとも知らない人と結婚したいなんて思わないし……。
「ユリアナ、はやく準備をしなさい。お前はただでさえ太っていて醜いのだから、化粧や宝石で飾り立てないと……」
我が親ながら、酷い侮辱だと思うけれど、まあ事実なのだから仕方がない。
私は明らかに、誰がどう見ても太っているし……。
でもそれは仕方がないことでもある。
私が容姿に無頓着なのにはちゃんと理由がある。
我がクロワーゼ家は、貴族の中でもかなり裕福な方で……。
幼いころからお金目当てに近づいてくる人が多かった。
そのせいで、私は自分をあきらめた。
結局、みんなが欲しいのはお金なのだ。
私がいくら醜くなろうとも、言い寄ってくる人はいっこうに減らなかった。
「醜いお前をもらってくれるなんて、ネクロン家の坊ちゃんには感謝しかないよ。あれはそうとうなイケメンだぞ?」
父は私の気も知らないでそんなことを言う。
そのネクロン家の坊ちゃんとやらも、どうせうちのお金が欲しいだけなのだ。
誰も私を見てくれはしない。
【誰も本当の私を知らない。
欲しいのはみな、お金だけ】
日記帳の最後のページに、そう記した――。
◇
「やっと会えましたね、ユリアナさん。私が、ロランス・ネクロン。ネクロン家の長男です。そしてあなたの、婚約相手でもある……」
私に自己紹介をする彼の目は死んでいた。
その口ぶりとは裏腹に、心では私を拒絶している。
その顔には「醜い女め」とはっきり書かれている。
私の容姿を見て、さぞ驚いただろう。
まさか婚約相手がこんなに醜いなんて、と。
だが彼は作り笑いをすることを選んだ。
醜い容姿を我慢してまで、彼はお金が欲しいのだ。
そうまでしてお金が欲しいのか……と私は呆れる。
たしかに彼はイケメンだけど、心は醜いな――私の容姿と同じくらいには。
「無理をしないで結構ですよ。人に嫌われるのには慣れているので」
私は嫌みたっぷりに言う。
「なんのことでしょう? どうしてこんなに綺麗な女性を嫌いになる必要が?」
噓である。
ロランスの顔はあきらかに引きつっている。
こうも嫌がられると、それはそれで面白いな。
「では、ロランスさんは私と本当に結婚したいのですね?」
「ええ、それはもちろんです。ぜひ今後も親交を深めましょう」
「物好きな人ですね……」
「……」
嘘で塗り固められた会話ほど、不快なものはない。
私はそうそうに切り上げたくなった。
ネクロン家の屋敷はうちほどではないにしろ、そうとうに広い。
少し風に当たってくると言い残して、その場を去る。
中庭に出ると、とても開放感があった。
しばらくすると、一人の男性が声をかけてきた。
「ユリアナさん。先ほどは兄が失礼しました」
「あなたは?」
「ロランスの弟のラヴィキア・ネクロンです」
「そうですか、それで……失礼というのは?」
ロランスの対応は表向きは完ぺきだった。
うちの親なんかは彼を好青年だと受け止めているだろう。
弟のラヴィキアが謝りにくる理由は、どこにも見当たらない。
「兄の態度はとても褒められたものではありませんでした。女性の前だというのに、常に顔をしかめて……。誠実さのかけらもない。ご不快になられたでしょう」
「お兄さんのことを、よく見ていらっしゃるのですね……」
「当然です。あんなのでも兄ですからね。嘘をついていればすぐわかる」
ラヴィキアはくしゃっと笑う。
不覚にも私はそれに、少しキュンとしてしまった。
彼はなぜ私のことを見ても態度を変えないのだろう。
この醜い容姿が不快ではないのか?
「あなたは……お兄さんとは違うんですね」
「……? 兄がなぜあんな態度だったかはわかりませんが……。少なくとも私は今日、あなたにお会いできてよかった」
「?」
「兄と、結婚されるのですよね?」
「ええまあ、このままいけばそうなりますね」
「僕も、兄が嫌いなんですよ……」
「はぁ……」
「先ほどのユリアナさん、ストレートな物言いがとても気持ちよかった。芯のあるしっかりした女性なのだと確信できました。あなたになら、兄をコントロールできるかもしれない……」
たしかに、さっきは私も言いたい放題してしまった。
だがまさかそれを買われるとは。
「私は思ったことを言っただけですよ。この通り、おしとやかとは程遠い、可愛げのない女なんです」
「可愛げがないなんてとんでもない! 僕はユリアナさんを素敵だと思いますよ?」
「お世辞が上手ですね」
「本当です! あなたのような人が兄の婚約者でよかったです」
このラヴィキアという青年は、どこまで本気なのだろうか。
私のような見た目のどこに可愛げがあるというのか。
まあ少なくとも、兄のロランスのような露骨な態度を見せない点は、信用できる。
私たちがしばらくそうやって話していると……。
近くの部屋から話し声が聞こえてきた。
ロランスの声のようだ。
話の相手は、ロランスとラヴィキアの父親?
「父上! あんな不細工な女とは結婚できませんよ!」
「わがままを言うな! あんなんでも大金持ちの家なんだ……」
「いくら金のためとはいっても、これは耐えかねます! そうだ! 弟のラヴィキアに行かせては? アイツなら容姿などの細かいことは気にしないでしょう」
「それはできない。長男であるお前が結婚することに意味があるのだ」
だんだんと話し声が近づいてくる。
足音も大きくなる。
二人は部屋から庭に向かっているのだろう。
「出てくる……!」
私はとっさに花壇にでも身を隠そうとしたが。
ラヴィキアがそれを制止する。
「いいから……」
ラヴィキアはなにを血迷ったか、出てくる兄のもとへ向かって行く。
「あ、ちょっと!」
中庭にさしかかるところで、ラヴィキアとロランスが鉢合わせしてしまった。
私も慌てて後を追う。
「よう、ラヴィキア。それに、ユリアナ嬢?」
「どうも兄さん。まずは言うことがあるのでは?」
「は?」
「さっきの会話、聞いていたんですよ。僕もユリアナさんも」
「!?」
「ユリアナさんを侮辱していましたよね?」
「なにを言いがかりを……」
「あやまってください、ユリアナさんに」
ラヴィキアは兄ロランスに立ちふさがる。
だけど私はそんなこと望んでいない。
醜いと言われるのには慣れている。
面倒事はごめんだ。
「ちょっと……」
「いいんですユリアナさん。兄さんが悪いんだ」
だがロランスは、私が思っていた以上に感じの悪い男だった。
私たちが話を聞いていたと確信するやいなや、態度を豹変させた。
「聞かれていたのならしょうがない……。俺だってこんな婚約ごめんだ。いい機会だから婚約解消にしよう。お父様を説得する手間が省けた」
「何を馬鹿なことを言っているロランス!? クロワーゼさん、これは違うのです! 息子がかってに……」
「いいのですお父様! 俺はお金などいらん。こんな不細工と結婚するくらいならな!」
そのままロランスの口から罵倒が次々と繰り出されるかと思ったが、そうはならなかった。
ラヴィキアがロランスの頬を平手打ちする。
「撤回してください、兄さん!」
「なんだと……」
「謝れ!」
「うるさいだまれ!」
ロランスがラヴィキアを殴る。
ラヴィキアはバランスを崩し、花壇に腰をぶつけてしまった。
「ラヴィキアさん!?」
そんな……。
私のせいでラヴィキアさんがけがをしてしまった。
「大丈夫ですよユリアナさん。心配しないで……」
地面にしゃがみ込む私たちを、軽く一瞥すると、そのままロランスはどこかへいってしまった。
「ふん……」
それをロランスの父が追う。
「クロワーゼさん、息子が申し訳ない。詳しい話はあとで……」
二人がどこかへいってしまい、私とラヴィキアだけが残された。
「すみません、私のせいで……」
「ユリアナさんのせいではないですよ。全部、お金のせいだ……」
そうだ、私が今までこんな思いをしてきたのは全部お金のせいだった。
いっそお金のない世界に行きたい。
そこなら自由に暮らせるだろうか?
「誰も私を見てくれない……。欲しいのはお金だけだわ……」
私は誰にともなく、ただひとりごつ。
「だったら、逃げちゃいましょうか?」
「え?」
「僕と一緒に、こんな面倒な世界から……」
ラヴィキアの口から出たのは、意外な提案だった。
だがそれもいいのかもしれない。
もう家なんてどうでもいい。
お金なんてどうでもいい。
それは私もラヴィキアも、同じ思いだった。
「はい。私を連れ去ってください……」
「よろこんで」
こうして私とラヴィキアは、婚約のことなど投げ出して、そのまま屋敷を飛び出した。
◇
【ユリアナの両親視点】
「そんな……。ユリアナがどこかへ行ってしまった……」
「そんなに婚約が嫌だったのか……?」
ユリアナの両親は、後悔していた。
「醜いあの子を、なんとか結婚させてやろうと思ったのだがな……」
「無理強いをしてしまっていたのかもしれないな……」
そして二人はユリアナの部屋を探った。
そして日記を見つける。
そこにはこう書かれていた。
【誰も本当の私を知らない。
欲しいのはみな、お金だけ】
「ユリアナ……」
「私たちが悪かったんだ。一からやり直そう」
「そうね、これからはお金よりも、もっとあの子を見るべきだわ」
「許してもらえるかわからないが、いつまでもあの子の帰りを待とう」
◇
家を出たユリアナとラヴィキアは、貧しいながらも幸せな暮らしをしていた。
ユリアナはすっかり痩せてキレイになっていた。
「ユリアナ……きれいだよ」
「ありがとう、ラヴィキア……」
そんな二人のもとに、ある日ユリアナの両親がやってきた。
「お母さま、お父様……」
「ユリアナ! やっと見つけた。私たちを許してくれるか?」
「ええ、私こそ突然出ていってごめんなさい」
「いいんだ。これからはもっと話し合おう」
◇
【ロランス視点】
「ラヴィキアとユリアナが戻ってきたそうじゃないか」
俺は使用人から事の顛末をきいた。
彼らは今はユリアナの実家に身を寄せているらしい。
あれからユリアナの両親はほとんどの財産を手放したらしい。
ユリアナの捜索にもかなりの金を使ったそうだ。
「いまごろはみじめな暮らしをしているだろうな! 俺に逆らったから当然か。まったく、恥をかかせやがって」
金が手に入らなかったことで、なぜか俺が親父に怒られるし……。
なんなんだまったく……。
「そうだ、すこし様子を見に行ってやろう!」
俺は馬車を走らせる。
「ここが奴らの家か。ずいぶんとみすぼらしいな」
だがまあ奴らにふさわしい。
家の外からしばらくようすをうかがう。
そして俺は目を疑った。
「なんだアレは……!?」
そこには見たこともないような絶世の美女がいた。
町民の恰好をしているから派手さはないが、あきらかに一線を画す美人だ。
しっそな格好でもその気品は失われていない。
俺は思わず声をかけてしまう。
庭先に出てきていたから彼女もこっちに気づく。
「やあお嬢さん、ここの家の人かな? お手伝いさん?」
「いえ、ここの娘ですが……?」
「は?」
ということは……、こいつがあのユリアナなのか!?
「お、お前……、ユリアナなのか!?」
「なぜ私の名前を?」
こいつ、俺のことを覚えてもいないのか!?
俺はその場で意識を失った。
あまりのことに気を失ってしまったのだ。
寝不足が続いていたから、ちょうどいい。
◇
「ユリアナも意地が悪いなぁ。本当は兄さんのことを覚えているくせに」
「だって、ロランスさんがあんまりにも驚いて面白いんですもの……」
俺はまどろみの中でそんな声を聴いた。
なんだ、からかわれていたのか……。
「あ、兄さん、目が覚めた?」
ラヴィキア、弟の声。
俺はベッドに寝かされているのか?
「お、俺を、恨んではいないのか? もう怒ってはいないのか?」
「なんで恨む必要が? 兄さんが婚約を破棄したおかげで、僕はこうしてユリアナと一緒になれたんだ。今は幸せだよ」
「そうか……。俺はとんだピエロだな……」
ふと、ベッド横のテーブルに置かれた日記が目に入る。
そこにはこう書かれていた。
【私をみんなが見ている。
私が見るのはただ一人】
あてつけのように置かれたそのポエムが、俺の頭から離れない。
そしてそのまま俺は息を引き取った――。