母性について
「え……。」
私は今想定外の場面に遭遇した。
おじさんの慌ててあたふたする姿や抵抗する様子を見て楽しもうと思っていたのに突然叫び出したからだ。
ミルク……?ミルクって……おっぱいってこと!!?
「な、何言ってるの!!おじさん!さ、流石におっぱいはちょっと……は、恥ずかしいし。」
いくら赤ちゃんだからといっておっぱいは流石にダメ。
確かにエッチなことをしたら依存してくれるかなーって思ったりはしたけどいきなりはちょっと……。
「うええええええええん!!ミルク、おっぱいじゃなくてミルクがいいの!!」
おじさんは泣き出した。本当の赤ちゃんになったかのように駄々をこねて身体をジタバタ動かす。
「きゅ、急にどうしちゃったの!?」
私は慌てておじさんをあやそうと魔法を使う。風の力を借りておじさんの身体を持ち上げる魔法だ。
この魔法を使えばおじさんでも簡単に持ち上げることができる。ふわりとおじさんを宙に浮かす。
まるで指揮者のように杖を優雅に振る。おじさんの身体はふわりふわりと揺れ動いた。
おじさんはだんだんと落ち着きを取り戻して大人しくなる。
はぁ……。ようやく落ち着いたの。私は椅子にドンと座り込んだ。
「……何さぼってるんだ、メスガキ。お前のお望み通り素直に甘えた結果だから早く作れ。」
おじさんは私の様子を見て無愛想に呟く。
「えー、そんなにミルクが飲みたいんでちゅか?」
「そうだよ。赤ちゃんっていったらミルクだろ、おぎゃあ。」
私は目をパチクリと見開いた。なんていうことだろうか、さっきまであんなに甘えることを拒否していたおじさんが赤ちゃんになろうとしている。予想外の状況に困惑して思わず煽ることを忘れてしまう。
「え、あ、そうなの。なら作ってあげるね。」
私は空いている鍋のお湯を温める。確か人肌ほどのぬるさにしないといけないんだっけ。
育史は本当に手がかかるなぁ……。まぁ、でもこうやって甘えられるのは嫌いじゃない。
大人は身勝手だ。面倒見がないと離れていってしまう。ちょっとだけママの気持ちがわかるかもしれない。
あーあ、私も育史みたいだったら両親と仲良く暮らすことができたのかな。
私はテキパキとミルクを作る。
初めてなのに簡単に出来ちゃった。あとはこれを冷ますだけ。
私は大きくため息をついた。
「やっぱり……納得できないよね。手がかからないからさよなら、だなんて。」
私は母親に捨てられたのだ。
父親が家を出ていってしまった後、『一人でできるよね、リーベはしっかりしたいい子だからね』と言い残して。
だから私は必死でいい子でいることを止めた。悪いメスガキになったら戻ってくると思ったからだ。
だけど一月、二月と時間が過ぎていっても戻ってくることはなかった。
あぁ、やっぱり戻ってこないんだ。私が何でも出来ちゃうから。
幸い生活には困らなかった。
私には召喚術がある。父親に褒めてもらった自慢の術だ。
召喚術を使える魔法使いは珍しくて希少価値があったからだ。異世界から転移者を召喚するだけで一ヶ月遊んで暮らせる分の報奨金がもらえる程度には。
しかし私は耐えきれなかった。だからおじさんを呼び寄せた。
ずっと魔法の鏡から覗いていた。その不器用さがどことなく父親を連想させる。
もう二度と失いたくない。
私に依存させることができればずっとずっとずっと傍に居てくれる。
赤ちゃんにしてしまえば、何も出来なくて頼ってくれるかも。
私はちらりとおじさんを見た。
おじさんは机をバンバンと叩いてミルクを急かしている。
その様子に思わずキュンとお腹の底が疼く。心臓がドクンと鳴り響き、血が駆け巡っていく。
そっか、これが母性なのかな。
「まったくしょうがないでちゅねー。」
ついつい頬が緩んでしまう。その緩みをおじさんには見られたくないなと思って手で口元を隠した。
「ほーんと、リーベがいないと何も出来ないんでちゅねー。」
クスクスと笑う。召喚された際には大人として必死に生きてきたなんて叫んでいたのに、今ではミルクを求めて駄々をこねている。その情けない姿に思わず胸がときめく。
「みーるーくー!みーるーくー!」
おじさんは手を叩いてミルクを求めている。少しだけまだ気恥ずかしさが残っているのかほんのりとした赤みが頬に残っている。
かわいい。思わず心の中でそう呟いた。再び頬が緩んでしまう。私はその緩みをおじさんに見せないように背をむけた。
いけないいけない。こんな緩ませた顔を育史に見せられない。
私は頬を引っ張って緩みを隠す。意を持って振り返った。バレていないだろうか、この母性について。
ママ、気持ちわかったかも……。見捨てたことは絶対に許さないけどね。
私が何でも出来過ぎたからこうやって可愛いとか母性を感じることができなかったんだね。
「はぁ……。ほんと情けないでちゅね。」
私は小さくため息をついた。人肌程度のぬるさになったミルクを手に取る。
ミルクを持っておじさんの元へと近づく。ニヤニヤとした笑みが止まらない。
「う、うるさい。」
おじさんは弱々しく言葉を口にする。私はそんな姿をまた愛おしいと思ってしまう。
「はいはい、ミルクできまちたから。お口をあーんしてくだちゃいね。」
私は哺乳瓶をおじさんの口に突っ込む。おじさんは哺乳瓶をちゅぱちゅぱと吸いつく。
ちゅっちゅと汚い音が部屋の中に響き渡る。
「ママのミルク、おいちいでちゅかー?」
私はミルクを飲むおじさんを見つめた。顔を耳元に近づけてぼそぼそと囁く。
おじさんはその言葉を聞いて大きく首を縦に振った。
「うんっ!!」