グリーンサムの幸福
昔から目立つのが嫌いだった。
貴族なんて存在は見栄や面目を気にするものだ。その上で彼らは他人の一挙一動を監視しては欠点を論うのを至上の楽しみにしている節がある。
衆目監視の下で何か、ほんの些細な失敗でもやらかそうものなら、次の日の朝には社交界に知れ渡り、夜会で茶会で、わざと聞こえるような声で、ヒソヒソクスクスと嘲笑うのだから始末に負えない。
もともと注目を集めることを好まないわたくしが貴族という存在そのものに見切りをつけるのはそれなりに早かった覚えがある。
そんなわたくしがなぜ王子妃候補なんて面倒なことをしていたかといえば、単純に魔力が人よりも多かった為だ。
周囲諸国から魔術大国として恐れられる我が国の貴族、さらに言えば貴族の頂点にして国の守護者たる王族に求められるのは、国を守れるような強い魔力とそれを操る技量である。
わたくしは王国でも1,2を争う強大な魔力量を有し、そしてそれを暴走させることなく幼い頃からコントロールすることが出来ていた。その才は、物心ついた時から魔術師長に師事し、国境の防衛戦などに微力ながら参加できる程のものだった。
それを認めた王により、齢12にして、わたくしは王子妃の、その最有力候補として名を連ねることになる。
先述の理由から、貴族としての交友をできる限り避けてきたわたくしとしては、王子妃候補なんて七面倒なことはどうにかして回避できないものかと、子どもながらに交渉に臨んでみたが、残念ながら最終的な決定権を持つ国王陛下がわたくしを候補に加えていたのだから簡単に覆るはずもなく、候補者一覧から名前を取り下げることは叶わなかった。
さて、そんなわたくしが今降り立ったのは、絢爛豪華の王宮ではなく、王国の最北端に位置するノーザ領、その領主ブルーム辺境伯の所有する城である。
良く言えば歴史と趣ある、言葉を選ばなければ黴臭い古城の前で、つい先日よりわたくしの夫であるアルバート・ブルーム・ノーザンレスト辺境伯が、エスコートの為に手を差し伸べてくれていた。
「はじめまして、シルヴィア嬢」
わたくしよりひとまわり以上年上の旦那様の声は、落ち着いているけれどどこか温かみを感じるもので、そこに落ちぶれた元王子妃候補を嘲る色も憐れむ色も伺えない。無骨な顔にほんの少し浮かべる笑みは、ただただ花嫁を純粋に歓迎しているように見えた。
「北の果てノーザ領へようこそ。王に認められた緑の手を持つ貴女を我々は歓迎しよう。どうかこの不毛の地のために、力を貸して欲しい」
そっと握ったわたくしの手に唇を落とす。
微かに触れるだけの口付けと優しい歓待の言葉は、見知らぬ土地と人に緊張していたわたくしの心をそっと溶かしていく。
わたくしの力が、それも王子に散々否定され不要とされたわたくしの最も得意とする魔術がなによりも求められていることが嬉しく思い、強張っていた体の力を抜いてわたくしもまた微笑んだ。
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魔力そのものには能力の違いはないが、それを操る個々には得手不得手がある。
魔力が少ない代わりに繊細な魔力操作を得意とする者もいれば、膨大な魔力を大胆に操り魅せる者もいる。
鮮やかに炎を繰り出す得意とする者もいれば、水で美しい術を披露する者もいた。
どれが優れているわけでもないが、やはり人の話題に上がり易いのは華やかな魔術を扱う者たちであるのは仕方がないのかもしれない。
そしてそれは、わたくしには当てはまらなかった。
わたくしが得意とするのは強化魔法。さらに厳密に言うならば物質や性質の改変である。
この魔法にかかればただの木片でも鋼鉄に負けない強度を保つことが可能となるし、本来なら特定の季節にしか咲かない花の性質を書き換え通年咲かすこともできる。
特にわたくしは植物を変化するのがもっとも得意で、王都にある実家の庭園は貴婦人の中では抜群の知名度を誇る名園として絶賛されている。
確かに人を魅せる華やかさはないけれど、わたくしはこの魔法を誇りに思っているし、決して他者に比べ恥ずべきところはないと自負している。
国境の前線で、襲いかかる敵兵や魔獣たちを傷付けるために力を行使するより、素晴らしい使い道だとすら思っている。
王都でのわたくしは、国境で支援する軍属魔術師としての側面よりも、造園者としての名前の方が知られていた。
いかにも普通の貴族らしい両親も、泥臭い軍人よりも、より女性らしく、[庭いじりする]貴族令嬢としての姿を披露したいようで、定期的に庭園でパーティーを開いては参加者にわたくしの能力を自慢していた。
まぁそんな両親ですら、わたくしの魔法を大して見所のないハズレの魔法だと思っていた様子ではあったけれど、他の兄妹と分け隔てなく愛し、そして少しでも周囲に認められるように心を砕いてくれていたのだから感謝している。
けれど地味なわたくしの魔法は、婚約者になるかもしれなかった王子にはなかなか受け入れ難いものであったようだ。
正妃から産まれた唯一の男子として大層期待されて育った王子は、国一番の魔力を持ちながら地味な魔法を好んで使うわたくしのことがそれはそれはお気に召さなかったらしい。
わたくしが前線に参加できる程度の能力を保持していることも知っていたはずだが、そもそもその能力から後方支援が主であり目立つような功績もないためか、ただ箔付けのためその場にいるだけのお飾り兵であると思っているようであった。
かく言うわたくしも兵士として人の注目を集めることを好まなかったので、王子の思い込みを訂正しようとはしなかったのだけど。
そもそも目立つのが嫌いで碌に社交もこなさなかったわたくしを、王子は無能どころか貴族の義務も果たさぬ根暗な惰弱者として蔑み、それを周囲にも隠そうとしない。
「お前のような能無しが候補だなどと、父上は一体何をお考えなのか!」
事あるごとにわたくしへの不満を、例え人前だろうと構わず口にした。
彼の周りもそれに賛同し、嘲笑う。
こちらが候補者の義務として交流を図ろうとしても、一事が万事そんな様子なのだから、真っ当な関係が築けるはずもなく。
お互いに苦痛なだけの無言のお茶会が、大人たちの事情により時折開かれるだけで、わたくしたちの中は何の進展もないまま時だけが過ぎていくのだった。
そんなわたくしたちも成人を間近に控え、本格的に婚約や結婚を考える年頃になった頃。
殿下は、彼曰く運命の出会いを果たした。
お相手は、建国時から続く歴史ある侯爵家のご令嬢である。
わたくしほどではなくても、それなりに強大な魔力を持ち、それを使いこなすだけの技量も持ち合わせていた。
彼女は雷を操る魔術が得意で、それを武器に学園の魔術大会では常に上位に名を連ねていた。
雷という魔術の性質から彼女の試合は派手で、王子とその周囲が口を揃えていうには、彼女の努力と才能と人柄の垣間見える見応えのある素晴らしい試合、であるらしい。
ちなみにわたくしは大会に出場したことはない。
従軍経験のある者は参加できないからであったが、もし参加資格があったとしても絶対に参加などしなかったと断言できる。
そもそも、武力行使を厭うわたくしが言うのも何ではあるが、あんなのは戦場を知らない者たちが、いかに見栄えするかを競い派手な魔術を披露しあっているだけの児戯であり、実戦では大した役にも立たないそれを見せびらかして然も得意げにしている姿は滑稽にしか思えなかった。
わたくしが彼らを呆れ距離をとり、彼らもまたわたくしを馬鹿にする。その頃にはわたくしも王子との関係の改善を諦め、婚約者候補でありながら会話のひとつも無くなっていた。
最早修復不可能なほど、わたくしたちの関係は拗れていた。
そんな日々に変化をもたらしたのは、魔王の存在である。
婚約者の正式な選定があと一年に迫ったころ、隣国に魔王が誕生したと発表があったのだ。
魔王というのは、魔族にごく稀に誕生する世界の真理に介入する力を持つもののことである。
魔族はもともと人間よりも魔力が多くあらゆる魔術式をと親和性が高い。身に宿す魔力に比例して寿命も長く身体も丈夫であったが、魔王と呼ばれる者たちはただ魔術が得意というわけでなく、時間や空間、果ては生命と言った、本来魔術では介入不可能な事象を操る能力を有する、代えのない特別な存在である。
あまりに強大な力ゆえに精神を侵され狂ってしまう魔王もかつてはいたらしいが、隣国に現れた魔王は物語のような暴虐な存在ではなく、理知的で、そこらの頭の固い貴族より余程話の通じる存在であったそうだ。
彼は異世界から召喚された聖女を妻とし、流浪の民として各地に散っていた魔族を束ねて、不毛ゆえにどの国も手を入れてなかった最北の平野に国を建てた。そして国内が安定するや否や、各国に国交を持ちかけ、同意のもと魔族で構成された軍を派遣し、世界中で脅威を振りまく魔獣の殲滅のために協力体制を整えていった。
加えて、魔獣を生む瘴気を祓い、その発生を抑える魔術の研究を進め、その成果を秘匿せず広く公表している。
非力な人間に代わり魔獣と戦い、被害に苦しむ人々を助け生活を支援し、魔術や魔導具などの技術提供を率先して行う魔王の治める国を受け入れない国は少なく、やがて世間での魔王とその配下たる魔族への認識は、我々の良き隣人、それどころか対魔獣における救世主となっていった。
それでも魔族という人族や獣人族とは異なる生態の馴染みのない種族、まして常識を覆す魔術を行使する魔王の存在に畏怖と侮蔑を持つものも少なくない。
国交が深まるにつれて、魔王こそ魔獣を操り世界を侵略せんとする諸悪の根源であり魔族の派遣はその一端である、という思想が一部の若者を中心に流布していた。
血気盛んな我が国の王子も例に漏れず、学友たちと同盟を組み、魔王の国と友好に接する王宮の方針を批判し魔王を排斥せよと声高に主張しては学園を闊歩していた。
あの年頃の若者というのは特定の権力に反することに美学を見出しやすいものだが、多くの物語の中では恐怖の代名詞でありながら、各国を次々と懐柔する魔王の存在は敵意を向けるのにちょうど良かったようだ。
そんな彼らにとって、美しくも強く、強大な魔力を有する侯爵令嬢の存在は、反魔王派の旗頭の伴侶として相応しく見えたのだろう。
「シルヴィア・フォン・アルデントス。お前との婚約を破棄する!王妃にはお前のような役立たずでなく、アリーナのような才ある女性こそが相応しい!」
ある日突然。
学園の、生徒の多く集う中庭で、唐突に宣言された。
「我が国は魔王という恐るべき脅威に対するため力を合わせていかねばならぬ!お前のような力なきものに、国の守護者たる王配など務まらない。お前など、田舎にでも引っ込んで土弄りをするのがお似合いだ」
響く大声に、みんなが何事かと視線を向けてくる。
婚約の話をするのならもっと相応しい時と場所があっただろうに、こういう相手を思いやれないところも、王子を好きになれない要因の一つだった。
王子の後ろに控える、侯爵令嬢をはじめとした反魔王派の面々がニヤニヤとした顔を向けてくるのがなお腹立たしい。貴族らしくないわたくしにだって、人並みのプライドがあるのだ。
苛立ちを隠すように顔を伏せ、王妃殿下よりお褒めいただいた自慢のカテーシーをとる。
「わたくしはただの候補であり、まだ成されていない婚約に意見する権利は何一つございません。殿下がわたくしを不服とお思いならば、そのように」
好きにすればいいと投げやりに返答すれば、王子はつまらなさそうに鼻を鳴らし、更に一言二言罵ってから去っていった。
彼らの去る足音が聞こえなくなるのを待って顔を上げ、浴びるほどの好奇の視線を振り切ってわたくしも両親に報告するために学園を後にする。
王はまだ未練があったようだが、衆目監視の中王子主導で行われたしてもいない婚約の破棄という茶番劇を揉み消すことは難しく、無事に皇太子妃候補から外された。
両親は残念そうな顔はしたが、王子との不仲は知っていたから、特に何も責められることはなかった。
とは言え王族から無能な烙印を押されて捨てられた傷物の娘に新たな話などなく、さりとて魔術師としてまだ従軍扱いとなっているため修道院に入ることすら叶わず、これはいよいよ正式に軍人として自立するしかないかと腹を括り始めた頃、わたくしの元にひとつの縁談が舞い込んできた。
それこそ、北の辺境伯、ブルーム家当主アルバート様だった。
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「ここまで大変だっただろう。今日は軽めの夕食を用意するから、食べたら早く休むといい。城の案内は明日ゆっくりとしましょう。歓待の宴も近いうちに」
「お気遣い嬉しく思います」
そういって用意された夕餉は、華やかで品数もあるがどれも体調に配慮し胃に優しく消化の良いものばかり。
王宮ほど華やかではないけれど、趣味よく丁寧に飾り付けられた広間で席につくのも当主であるアルバート様とわたくしの2人だけで、あとは使用人がほんの少し。
長旅を終えたばかりのわたくしが疲れないよう心配りがされた有難いものであった。
互いの拠点が遠方であるが故に婚姻の話が上がってから交流も数回の手紙のやりとり程度。
結婚ですら代理人を介してだったわたくしたちの食事中の話題は、まずは自己紹介からだった。
来歴や家族、親交のある家や友人。趣味や特技。好きなこと、好まないもの。お互いが話してもいいと思える限りのことをわたくしたちは話し合う。
王子からは面白みのないと言われるばかりだった園芸や農業についての話題も、アルバート様はとても興味深そうに聞き、時に共感してくださった。
家族以外で、いいえ、家族であってもこれほどにわたくしの話を真面目に聞いてくださる方はいらっしゃらなくて、アルバート様の人柄の良さに、縁を結ぶことのできた幸運を噛み締めた。
でも、これほど良い方の妻が、なぜわたくしなどを妻に選んだのだろう?
「…何か、気になることが?」
「え?」
「先ほどから、何か悩まれているようだ」
会話中に他ごとを考えるなんて。
王子の前でしようものなら、眉を釣り上げて怒鳴り散らされていただろう。
けれどアルバート様の表情に、無礼なわたくしを咎める様子はない。
「気になることがあるなら教えて欲しい」
「…では、一つ。アルバート様は、なぜわたくしを妻に望まれたのです?」
多くの人も目の前で無能を理由に婚約を破棄されるなど、体面を気にする貴族であれば致命的だ。
いくら王都から離れているといっても、伝達魔法もある。あれほど派手な醜聞、しかも相手が王子となれば、話が伝わってなければおかしいだろう。
普通であれば、わたくしのような不良債権、遊びでも手を出そうとは思わないはずだ。
「噂はお聞きになってると思いますが、わたくしは王太子殿下より婚約を拒まれた女でございます。王家との関係を考えれば、婚姻を結ぶ価値などわたくしにありません。実家のアルデントス家も、ノーザ領にとって得となるような財も人脈もございません」
カラトリーを置き、俯いたまま話すわたくしに、アルバート様の顔は伺えない。
同じくカラトリーを離してしばらくの間口を閉ざしたあと、アルバート様は、覚えていないだろうが、と話し始めた。
「わたしは貴女と会ったことがある。まだ父が存命だった頃、エストの防衛戦で。結界魔法を巧みに操る幼い貴女に助けられたんだ」
6年ほど前、国の最東端にあるクロイツの森で魔物のスタンピードが起こった。
クロイツの森の瘴気は元々はそれほど濃くなく、また人里から離れていたため魔物が増えていることに気付くのが遅くなった。
気付いた時には魔獣の数は森を管理するエスト領の軍勢だけでは対処しきれないほどの数に膨れ上がっており、突如暴走を来たしたそれは東領エストをあっという間に飲み込み、王都や南北の領にも被害が拡大したのだ。
王都は軍を派遣し鎮圧を指示。自領の魔物を制圧し終えた周辺の領主たちも、余力あるものから東の最前線へと物資や人員の支援を送った。
当時魔術師長に師事していたわたくしも駆り出された。
年齢を理由に流石に最前線に出向くことはなかったが、エストの首都に設立された司令部と前線とを繋ぐ中間地点に配備した補給所に配属され、都市を守る結界魔法の補強と、前線から下がってきた兵の治療、武器の強化を任された。
その頃にはすでに軍属であったけれど、正しく戦場と呼べるような血と汗と怒号に塗れた環境に身を置くのは初めてであり、それまで貴族令嬢として守られ綺麗なもの、配慮されたものしか見せられてこなかったわたくしは、自分の知る日常と現実との落差に愕然としながら、ただただ1人でも死なせぬようにと魔法を振るうしかなかった。
あの混乱の中に、アルバート様もいらっしゃったのね。
「戦地を離れ治療に向かう負傷兵の一団の中にわたしもいたのだけれどね。補給所を目の前にして、前線の取りこぼした魔獣が襲ってきたんだ。歩くこともやっとだったわたしたちはまともに立ち向かうこともできず、もう食い殺されるだけだと思ったその時、目の前で魔獣が結界に取り囲まれそのまま業火に焼かれたんだ。ほんの数センチのところにいる兵を巻き込まず魔獣だけを捕捉し、頑丈な魔獣を灰になるまで焼き尽くすほどの炎の、少しの熱さえ漏らさず結界を維持していたのが、わたしよりも10は下の、まだ少女だった貴女だった」
「そんなこともあった、ような。…申し訳ありません、思い出せません」
そんな出来事、当時はよくあることで。
正直なところ、いつどれほどの兵が助かったのか、助けれなかったのか、もう覚えてもいない。
けれど王都に戻った時、現場の凄惨さも知らない王子に任された仕事もできない役立たずと罵られた記憶があるから、補給所周囲をはじめとした非戦闘地区における被害も相当なものだったんだろう。
「いや、構わないよ。あの頃ザラにあることだった。けれど、わたしにとって、幼くも毅然と立ち傷付いた者たちを守る貴女はまさしく救国の女神に思えたんだ」
「そんな…大袈裟です」
「大袈裟なものか!貴女という存在のおかげで、どれほどの人間が命を救われたか。未だに、防衛戦に参加した人達の間で話題になるんだ。エストでは、貴女の名前を子につけることが今でも多いと聞く。後方支援をしていた貴女には、確かに勲章を授かるような戦歴はないけれど、それ以上に大切な功績を持っているんだよ」
貴女を妻にもらうと決まった時は、東部に領地を持つ者たちからそれはもう妬まれたものだ、とアルバート様は笑う。
やはり大袈裟だとは思うけれど、確かに助けれた命があって、そのおかげで傷物になった後も妻に望んでくださる方がいるのだから、戦場に立ったことも無意味ではなかったのだろう。
「けれど、貴女を妻にと望んだのは、それが理由ではない」
「え?」
「貴女を知ったのは、確かに戦場だった。幼くも強い意志と素晴らしい魔術操作に、もっと貴女のことを知りたいと思ったのは間違いではない。しかしそれはきっかけの話だ」
「では、何を理由に求婚されたのです?」
魔術に関しては、恐れ多くも国王陛下にも認めてもらった才である。
わたくしは、特に強化魔法と植物に関連した魔術が得意ではあるが、それしかできないわけではない。他の魔術も、どれも突出してはいないが平均的に高位の魔術まで操れる能力を保持している。
知る人は少ないが、隠しているわけではないわたくしの才能だった。
けれどアルバート様は、それが理由ではないという。
魔術以外に、わたくしに価値あるものが何か残っていただろうか。
「言っただろう?緑の手を持つ貴女に、と」
アルバート様は言った。
『北の果てノーザ領へようこそ。王に認められた緑の手を持つ貴女を我々は歓迎しよう。どうかこの不毛の地のために、力を貸して欲しい』、と。
「確かに魔獣についての問題はどこの国、どこの領でも優先される議題だ。だが、つい先立って即位された魔王陛下の協力のおかげでその被害は日に日に減ってきている。今までにない有効な対策が確立されているからね。我が領土は辺境ゆえまだ気の抜けない状況ではあるが、それも時間の問題だろう。そして我がノーザ領は国境のほとんどを険しい山々に囲まれているため、周辺諸国からの侵略の心配も少ない」
ノーザ領は国の最北端に位置し、その北には魔王陛下の建国したクラン王国とを隔てる前人未到の霊峰キャスホーンが、西の国との境にも海と見間違うほど巨大なキーネイ湖とそこから流れる川が行手を阻む険しいケイリー山が鎮座しているため侵攻は難しい。
南と東は他国と国境を面していないため、内戦でも起こらない限り紛争の恐れは少ない。
「だから、我が領においてこれから一番問題となってくるのは食糧や資源の確保、冬の厳しい我が領が発展するための術だ。いや、我が領だけではないね。民を守り導くために必要なのは、華々しい戦果ではなく、堅実で生活に根差した技術とそれを扱う知恵だ」
だからこそ、わたしは貴女を妻に望んだんだよ、と言う。
「王都で、貴女の手掛けた庭園を見たが、非常に素晴らしいものだった。あのレクーンの花を、王都の気候でも咲くよう魔法で品種改良したと聞いた時には、あの気難しい花を美しいまま生まれ変わらせた手腕に驚いたよ」
レクーンの花は、本来洞窟など湿度が高く涼しい場所でしか咲かない花だ。
透き通るような純白の花は美しく、香りも良いとあって、その品種改良はわたくしが手をつける以前から行われてはいたものの、繊細な性質で取り扱いが難しく、誰も成功させたことがなかった。
実際わたくしも手間と時間をかけたものだ。
湿度のない環境で育つように乾燥に耐性を付ければ花粉が生成されず、また気温の高い土地で育つように魔法をかけても今度は悪臭が問題となった。
一度に複数の魔法をかけるとその負荷に耐え切れず枯れてしまうし、一つずつ魔法を付与してもかけ合わせ方によっては花の特徴である純白がくすんでしまう。
魔法も万全ではない。
花の元々の美しさを維持したまま複数の魔法を並行処理して定着させ、また魔法をかけた一輪だけではなく、受粉によって新たに生まれ育っていく花にもその影響が続くよう品種自体を改良するのはとても難しいものだった。
王子が馬鹿にした造園だって、とてつもなく高度な技術が必要なのだ。
「他にも、今やエストの特産となったジャガイモや、貴女のアルデントス領のブドウやワイン。クルムト領の絹の染色に使うミーシャの葉も。どれも試行錯誤を重ねてきたのだろうね。簡単なことではない。けれど、貴女は途中で投げ出さず、全てを成してきた」
そうだった。
簡単に終わることの方が少なくて、時間をかけて積み上げてきたものばかり。
「貴女が関わったものはどれも人を救い、笑顔をもたらすものばかりだった。貴女の能力の真価は、戦場ではなく平時にこそ発揮される。未来に希望を持たせる、得難い奇跡だ。それを驕らず隠さず、当たり前のように人に施すことのできる貴女だからこそ。多くに認められなくても成し得るための努力を怠らなかった貴女だからこそ、わたしは妻にと望んだんだよ」
だからそんなに、自分を卑下しないでほしいと。
止めどなく涙を流し続けるわたくしに困ったように笑いながら、そばまで来てハンカチーフを差し出すアルバート様に、止めるどころかさらに涙が溢れてきた。
嗚咽すら、もう抑えることも出来なかった。
別に、わたくしは自分の能力を王子たちの言うように役に立たないものだと思ったことはない。
魔法だって、蔑む王子たちよりずっと上手に操れると知っていたし、馬鹿にされる強化魔法だって、誰かを傷つけるためでなく多くを守ることの出来る誇るべき魔術だとも思ってはいた。1番得意な植物魔法は、この国でわたくしに勝る存在はないと自負してすらいた。
知っていたし思っていたし、自負もあったけれど、それでも身近な人たちに認めてもらえないのは、とても辛かったし悲しかった。
散々否定され、無視され、蔑ろにされ続けてきたわたくしの心は、きっと自分でも気付かないほど疲れ、傷付いていたのだろう。
魔術師長からの厳しい指導の合間に伸ばし戦場で戦いながら磨き続けてきた魔法が。国の至る所に伝えてきた技術が。
何よりそれを成すための幼い頃から人知れず続けてきた努力の数々が。
今やっと、報われた気がした。
「殿下には感謝せねばなるまい。貴女のような素晴らしい女性を手放してくれたからこそ、わたしにもチャンスが訪れた」
王子妃候補のままでは求婚すらままならないからね、とウインク。
それがとても下手で、片目のみならず両目ともつぶってしまうものだからまだ涙が止まらないというのに笑いが溢れる。
「来たばかりの貴女はまだ、わたしのことをなんとも思えないだろう。ノーザのことも、…王都に比べれば何もない田舎だから、好きでないかもしれない。今はそれで構わない。少しずつわたしとこの領を知って欲しい。知って、どうか好きになってはくれないだろうか。そのための努力を、わたしは決して怠らないと誓おう」
初めてお会いした時のように、手を取って、優しい口づけをひとつ。
「いつか貴女と、良きパートナーとなりたい」
「はい。わたくしも、貴方とこの領をもっと知りたいです。貴方と、ノーザを愛し、故郷と呼べるようになりたいのです」
今日に至るノーザの発展は、ブルーム家8代目当主であるアルバート・ブルーム・デル=ノーザンレストの時代から始まったと言われている。
緑の手を持つ伯爵令嬢を妻に娶ったアルバートは、次々に新たな、寒冷に強い作物を作り出し領内に広めた。
また繁殖しやすく栄養価も高く、なにより味の良い家畜類の普及に努め、畜産業を拡大。領内の食糧事情を一気に改善へと導いた。
そのまま交易範囲を拡大。
やがて国内全土にノーザ領発の食物が流通し、ノーザ領はセイル国の食料庫として栄えることとなる。
また、染料として有名となる鉱物や野草の加工技術を次々と編み出し、冬の厳しいノーザ領の内職を助けた。
とりわけ、アルバートの妻が考案したとされている特殊な釜で作られる陶器はノーザ焼と言われ、聖女が愛したことから爆発的な人気を集め、ノーザ領の新たな特産品として領の発展に寄与した。
夫婦は魔法に長じた妻がおらずともの技術が途絶えてしまわぬよう、技術者の保護と育成に努め、やがて設立された研究所はやがてすべての学徒が憧れる最高学府として成長していった。
折しも、アルバートと同時代のセイル王が魔王の不興を買ったことで他国からの孤立したこと、ノーザ領と魔王の治めるクラン王国との国境にある霊峰キャスホーンの裾野の一部が拓かれ道が整備されたことで、商機あるクラン王国を目指す商人が王都を離れノーザ領に集うようになったため、次第にセイル国は衰退への道を辿ることとなる。
やがて王都に代わり国の中心となったノーザ領が、セイル王族の末の姫を娶り新セイル王国の王都として最盛期を迎えるのは、アルバートより数えて4代目のちの話。
ブルーム家中興の祖であるアルバートの傍には常に最愛の妻が寄り添い、彼らの姿は理想の夫婦像として、新セイル国となった今でも多くの人々から親しまれている。