第四話 突き抜けろ!(向こう側へ)Part.3
「…い、以上です」
麻美が汗だくになって言った。その顔の疲れ具合は傍から見れば異様なほどである。椅子を立ち上がるとすぐにふらふらと床に倒れてしまった。
「ちょ、アサミン大丈夫⁈」
絵里が駆けつけて体を起こしてやる。
「…ああえりぴょん、大丈夫大丈夫、私、いっつもドラムがんばりすぎて疲れちゃうんだあ、えへへ」
「いや、でも、本当に凄かったよ!私なんかが言っていいのか分からないけど最高に『ロック』だった!」
そう言われると麻美は顔を赤くしながら笑顔を見せた。すると、パチパチパチと拍手の音が聞こえた。麗子だ。
「ブラボー!ブラボー!いや実にいい!麻美と言ったな?確かに『ロック』を感じるドラムだった。間違いなくメグ・ホワイトより上手いぜ。これから私と一緒にやってくれるかい?」
麗子が麻美に手を差し出した。麻美は一瞬戸惑ったが、すぐに麗子を見つめて、
「…お願いします…」
と言い、手を握りなおした。
「やったねアサミン!何かよく分からないけど合格したみたいだよ!おめでとー!」
絵里は麻美の肩をぶんぶん振り回した。麻美がどんどん具合悪そうになっていく。
「おい、そっちの、おい、おい、聞いてんのか、おい!」
麗子がどうやら自分を呼んでいるらしいことに絵里が気付いた。
「はい、何でしょう」
「何でしょうじゃないよ、お前も名前とここに来た理由をちゃんと言えよ」
「あ…えーっと…」
絵里は少し考えてから腰をかがめ、左手を腰に当て右手を表にして麗子の方に差し出した。
「お控えなすって、お控えなすって、わたくし生まれは宮城、徒符町から参りました、醍逸高等学校の一年四組に所属します、尾山絵里というものでございます、どうぞごひいきに!」
もちろん待っていたのは沈黙であった。また、やってしまったと絵里は思った。どうも自分は思い付きで行動しすぎるきらいがある。それで今まで何度となく失敗してきたというのに、相も変わらずまたやってしまったのだ。南無三、さらば私の青春よ、そう思っていたが麗子は特に怒る様子もなく、
「ま、とりあえず座れ」
と言った。言われた通り絵里は椅子に座る、と、その前に疲れ切った麻美を椅子に座らせてやった。どうやらそのまま寝てしまったようだ。
「アサミン、本当に疲れてるんだなあ」
「そっとしといてやれ、とりあえずお前のことを話してくれよ」
意外と優しい人だなと思い、絵里は何だかうれしくなった。
「ほら、早く」
「あ、はい、わかりました。…あのですね、私は今まで全く音楽なんて興味がなかったんです。家で音楽聞く習慣がなかったし、授業で合唱とかやってもそーんなにたいした感動も覚えなくて。ましてや『ロック』なんてジャンルはもうただうるさいもんだと思ってたんですよ。私には縁のない音楽だなあ、と思いましてね、それでもちまして…」
「じゃあ何でここに来たんだ?」
またしても絵里は言葉に詰まった。なぜここに来たのか、なぜだ?分かっている、その理由は明白だ。ただ一つ。ただ一つの理由。それを言ってしまおうか、やめておこうか、なぜだかもどかしい。甘酸っぱいような気分さえする。ああ、どうしよう。今目の前で麗子が絵里の答えを今か今かと待ち構えている。今目の前で見つめているのだ。あの人が、確かに今目の前で。
「何でなんだ?」
さあ言ってしまおう。何も恥ずかしがることは無い。本当のことを言うだけだ!
「…動したんです」
「え?」
「…感動したんです!あなたのあのギターに!演奏に!スタイルに!」
絵里は立ち上がった。
「本当に、自分で一番びっくりしているんです。だって今まで音楽に感動したことなんて一度たりともなかったから。でも、あなたのギターを聴いた瞬間分かったんです、理解したんです。ああこれが『ロック』だ、『ロックンロール』だ、って!そしてこれこそが私の求めていたものだっていうことを…体中がしびれちゃって、もうどう言葉で説明すればよいのかもわかんなくて…誰かに伝えたくてもそれも出来なくて、ただ、ただ心の底から何か得体のしれないものが沸き上がってくるんです!ああ、私もギターを弾いてみたい、麗子さんみたいになりたい、麗子さんと一緒に『ロックンロール』をやりたい!って…」
絵里は熱気を帯びていた。目が少しうるんでいる。荒れた呼吸を落ち着かせてもう一度椅子に座った。
「…すいません」
麗子は絵里から顔をそむけた。
「…ん、いや、大丈夫だ…お前の熱気はよく伝わったよ」
顔をそむけたまま煙草をふかす。
「…でも、ダメですよね、私、楽器も弾けないし、知識も全然ないし…お邪魔しました」
絵里は立ち上がろうとしたが、それを麗子が呼び止めた。
「おい待てよ、そんな簡単にあきらめていいのか?誰もお前をバンドに入れないなんて言ってないだろ」
絵里の目が輝きだした。
「じゃあ…」
「お前にやる気があるんなら入れてやるよ。楽器はこれから始めればいい、誰だって最初は初心者だ」
絵里は狂喜乱舞した。やんややんや、わーわーパチパチ。よく分からない踊りをしている。
「落ち着け落ち着け!ほら一旦座れ」
命令通り椅子に座った。それでも体はうずうずしている。
「まずどの楽器を決めなきゃなんねえな、何がやりたい?」
「うーん、それはやっぱりギターがやりたいです。でも、ギターはもう麗子さんがいますもんね…」
「大丈夫だよ、ギターは複数いても構いやしない。それに自分がやりたい楽器じゃないととてもじゃないが続かないぜ?お前がギターやりたいんならギターをやるべきだ。つってもお前は全然『ロック』を知らないみたいだから、まずいろいろ聴いてみてから決めたほうがいいかもな、もっとやりたい楽器が出てくるかもしれないし…ちょっと待ってろ」
そう言うと麗子はCD達が溢れる壁の方に近づいた。何度か腕組みをしたりして考えながら、何枚かCDを引き抜き、絵里の所に持ってきた。
「さすがにCDプレーヤーは家にあるだろ?」
「タブン」
「よし、じゃあこのCDを貸してやるから来週までにある程度聴きこんで来い」
絵里は五枚のCDを見つめた。全く見たことの無いジャケット、いや、そもそも彼女にとっては見たことのあるジャケットの方が少ないのだ。それでも絵里の胸はワクワクでいっぱいだった。
「お前から見て右からビートルズの『四人はアイドル』クラッシュの『白い暴動』ブルース・スプリングスティーンの『明日なき暴走』ヴァン・ヘイレンの『炎の導火線』ディープ・パープルの『マシン・ヘッド』だ。本当はもっと入りやすいアルバムもあるんだろうが、悪いけどあまり聴きすぎるとどれが入りやすいかとかも分からなくなるんだ、とりあえずこの五枚を聴いてこい」
「はい!分かりました!」
「それじゃあ、来週の今日またここに来い、きっといろいろ言いたいことも出来るだろう」
麗子が笑って言った。絵里はその笑顔を何て素敵なんだろうと思った。
5
「ただいまー!」
絵里の大きな声が家中に響きわたる。靴を脱ぎ散らかしたまま居間へと入っていった。
「あら、おかえりなさい」
絵里の母、真里がキッチンから顔を出す。絵里はもう一度ただいま、と言って空の弁当箱を差し出した。
「お弁当ごちそうさん。明日もよろしくです」
「はいはい、今日も綺麗に食べてきて非常によろしい」
真里は笑顔で弁当箱を受け取った。並べて見ると顔だけでなく雰囲気や仕草が絵里と真里はやはり似ている。流石は親子と言ったところか。
「…夜ご飯って今日いつくらいにできる?」
絵里が時計を見ながら聞いた。時計は午後5時を指している。
「そうね…あと一時間くらいはかかるかな、お母さんも今帰ってきたばっかだし」
「了解了解、じゃあ一時間後くらいに準備の手伝いしに来るよ」
そう言うと絵里は居間を出て二階の自分の部屋に向かおうとしたが、ふと思い出して足を止め、真里の方を振り返った。
「そういえばさ、うちってCDプレーヤーある?」
「しーでぃーぷれーやー?」
あまり聞きなれていない単語であったために真里は理解するのに多少の時間を要した。
「…あーCDプレーヤーね…お母さんとお父さんの部屋にあるわよ、ラジオ聞くために買ったやつ。結局全然使ってないけどさ」
「それ!借りてもいい?」
「良いわよ、別に。でも何でまた突然?」
「いやあ、ちょっとした、ね、うん、ま、そーいうことで」
絵里はその言葉を残してすぐに二階へと駆け上がっていった。真里はそれをきょとんとした目で見送っていた。フライパンの上の肉を焼きすぎていることにまだ気づいていない。
絵里は両親の部屋に入った。何としてもCDプレーヤーを見つけねばならない。どうもベッドの側やドレッサー付近には無い様だ。となると、と思い、おもむろにクローゼットを開ける。母の衣類がかけてある。その下には使っているのを見たことが無いダンベルや、一時期はかかさず使っていた体脂肪計などが置いてある。どうもここら辺にありそうだぞ。絵里は衣類をかき分けて奥の方を覗き込んだ。果たしてそこにCDプレーヤーが埃をかぶって佇んでいた。手を伸ばして丁重にクローゼットから取り出す。その姿は遺跡発掘をする考古学者さながらだ。何とか手に入れたCDプレーヤー、息を吹きかけると埃が舞う。
「こんなところにいたんだね」
CDプレーヤーを抱えて自分の部屋に入る。プレーヤーを机の上に置き、コンセントを差す。電源スイッチを押してみると、電子表示の画面が確かに点いた。うん、まだ生きている。リュックサックを床に置き、そこからゆっくりと五枚のCDを取り出した。麗子先輩から借りたCD。初めて自分で聴くCD。ひょっとしたら自分の人生を変えるかもしれないCD。さあ、どれから聴こうか、この五枚の中からどれを選ぼうか。腕を組んで悩むがなかなか答えは見つかりそうにない。こうなったら見た目で決めてやろう。確かジャケットと言うんだったっけか、それで一番気に入った奴から聴いてみようじゃないか。
改めて五枚を眺める。どれも違った味わいがある。共通する点としては人の写真が使われていることだろうか。そうは言っても一つは随分加工されているようだ。人の顔が歪んでいる。一つはちょっとダサい感じがする。それもまた良い気もする。一つは白黒でかっこいいおっさんが写っている。髭が渋いなあ。もう一つも白黒だ。写っている三人が凄い不良っぽいけどかっこいい。
そして一つは、四人の男がよく分からないポーズをとっている。何を表しているのだろう?分からない、が、なぜか魅かれる、このジャケットに。この四人に!よし、決めた。まずこれを聴いてやろう。
絵里はCDケースを開き、慣れない手つきでCDを持つと、CDプレーヤーにセットした。画面が全一四曲と表示をする。絵里は一旦ふーっと息をつくと、覚悟を決めたような目で再生ボタンを押した。その指示を受けてプレーヤーが作動しようとする一瞬間にCDケースのジャケットをもう一度見た。上の方に「THE BEATLES」、その少し下段、左の方に「HELP!」の文字。
そして、「ロックンロール」が流れ出す―。