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ロックンロールで踊らせて  作者: ポール石橋
12/35

第十二話 いつまでも若く


 1


土曜日、つまりは休日。休みの日は家でゴロゴロ。朝は遅くまで寝ても何も文句を言われない。起きたらパジャマのままで朝飯を食べ、それを終えたら二度寝を決め込む。しばらくしたら居間のソファでやっぱりパジャマのままでテレビを見る。休日の昼間の番組などあまり面白くもないが、惰性で見ているうちにいつのまにやら夕飯の時間だ。その後も居間でダラダラ、自分の部屋でダラダラ。それで土日を有意義に過ごし、月曜の朝に出されていた課題の存在にようやく気付き絶望をする。これが尾山絵里と言う少女の今までの休日生活であった。これが定番、不必要に家から出ることなどしなかった。

しかし、今は違う。何と彼女は土曜日の朝だというのに学校へとギターケースを背負ってやって来ていた。家の近くの駅から電車で二〇分ほどかけてS駅に着く。そこからまた二〇分ほど歩くと醍逸高校が見えてくるのだった。

学校に来た理由はもちろんギターの練習のためである。アンプにつないだ方がいいということもあるが、自分で練習するよりも麗子に教えてもらいながらやる方が確実に上達すると考えているのだ。麗子は決して全てを教えてくれるわけではない。考えるべきところは考えさせる。それでいてその答えにたどり着けるよう的を射たアドバイスをしてくれるのだ。

校舎内に入り階段を昇り始める。少し途中にある教室内を覗いて時計を見ると8時半だった。麗子は9時に来ると言っていた。それまでに多少腕を慣らしておこう。

少し変わった校舎であるため、西門から入ると一階ではなく二階へと繋がっている。絵里もそこから入りはしたが、二階からであろうと五階までの道のりは遠い。いつものようにこの校舎の設計者を呪いながら歩みを進めた。

五階に着くとこれもお決まりのように一度息をつき、呼吸を整える。そうしてから部室へと向かうのだ。絵里は今後のバンド生活に思いを馳せた。ついにベーシストも見つかり、バンドというものが自分の中で現実味を帯び始めていた。自分も早くまともにギターを弾けるようにならなくてはならない。そのためにもまずはFコードだ。今日こそはやってやる!

決意を込めて部室のドアの取っ手に手をかけると勢いよく開いた。すると部屋の中に見知らぬ男性が立っていた。年は還暦行くか行かないかといった様子、縁のない丸眼鏡をかけ、頭は白髪ではげかかっており、鼻の下に生やした立派な髭も白く染まっていた。背は絵里よりも低い。麻美と同じくらいであろうか。ジャージ姿で腕を体の後ろで組みながら壁際にある棚のCDやレコードをじっと見つめていた。

絵里は小さな脳みそでこの男性の正体を考えた。不審者であろうか、いや、それにしては弱そうだ。麗子さんや菊さんはもちろん私でも倒せそうだ。仮に不審者だったとしてこの後どうしようか、やはり戦闘が始まるのかもしれない。もし相手が弱そうに見えて太極拳の使い手とかだったらどうしようか、考えるとそう見えなくもない。ああ、困ったものだ、こんなことならば通信空手でもやっておけばよかった…

絵里が阿保みたいなことを考えているうちに男性も彼女に気づいたようで、顔を向けると、


「おはよう」


とだけ言った。


「あ、お、おはようございます」


びくっとはねてからそう言ってお辞儀をした。やはり両手を目の前にぶら下げている。


「今日も練習かね?」


男性が絵里に聞いてきた。どうやら雰囲気からして不審者ではないらしい。ひょっとしたら用務員のおっちゃんかもしれない。


「あ、はい。そうです」


「休日も学校で練習か、君は学校が好きなのかね?」


「いやあ、別に学校がどうこうというわけじゃないんですけどね。麗子さんと一緒に練習したかったんで」


「そうかそうか、今日は麗子君も来るのかね?」


「はい、来ますよ」


「じゃあちょうど良かったんだな」


男性は微笑むとまたCD・レコードの方に顔を向けた。たまにそこから取り出すとジャケットや中のライナーノーツなどをニヤニヤしながら眺めている。


「あの…」


絵里が危ない人を見るような目で切り出した。


「うん?何だね」


「その…ご用件は何でございましょう?」


「ん、用件?ああ、麗子君から聞いてなかったのかい?あれだよ、あれ」


男性が顎で指した方に目を向けると、新しく木の机が二つと、その上にティーポッドが一つにお盆と茶碗が一つ乗っていた。


「麗子君にあれを持ってきてくれと言われていたからね。まあ僕としてもここでコーヒーとかお茶とか飲める方がいいと思ったからね。君も自分のカップを持ってくるといいよ」


「はあ…」


絵里はまだよく理解できていなかった。この人物は麗子さんの何者なのだ?流石に彼氏ではないだろう、というかそうであってほしくない。では熱狂的な追っかけか?これはありそうだ。だとすればかなり年季の入ったファンであろう。少なくとも自分よりはファン歴が長いに違いない。何ということだ、これは強敵出現か。

絵里が険しい顔見つめてくるのを不思議に思いながら彼は戸棚からCDプレーヤーを取り出した。そんなところにCDプレーヤーがあろうとは絵里は知らなかったため驚いた表情を見せた。

男性はそれを持って椅子に座ると、


「かけてもいいかね?もちろん練習の邪魔になるようだったら止めるが」


と言った。


「え、ああ、9時に麗子さん来てそれから始めることになってるんで別にいいですよ」


絵里の言葉に男性は「うむ」と頷くと、CDをセットして早速再生ボタンを押した。音楽が流れ始める。ドラムの音から始まり、それから他の楽器隊が加わり、そして何だか酔っぱらってでもいるような男性の嗄れ声が聞こえてきた。絵里は変わった曲だと思ったが、まんざらでもない感じである。


「君、名前は何と言ったかね?」


「あ、えーと、絵里です。尾山絵里」


「絵里君か。ふむ、絵里君はこの人を知っているかね?」


男性は今かかっているCDのジャケットを絵里に見せた。男の人の顔がアップで写っている。かなりぶれていて、髪の毛はもじゃもじゃだ。


「いやあ…すいません、私最近になって音楽聞き始めたんで知らないです」


「そうか、何、これからいろいろ聞いていろいろ経験すればいいんだよ。この人の名前はボブ・ディランって言うんだが、聞いたことないかね」


「恥ずかしながら全く。有名な人ですか?」


「有名だよ。ビートルズと同じくらい偉大な人でね。『ロック』の歴史の中で最も重要な人物の一人だよ。人によっては『ロック』よりも『フォーク』としてのイメージが強いのかもしれないがね」


「はえー、そんなに凄いんですか」


「しかし、日本人にとっては最も良さが分かりづらい偉大なミュージシャンでもあるね。なんせ彼が高く評価されるのは歌詞だからね。ネイティヴでも難しいと感じるものもあるらしいし、日本人は完全には彼の良さを理解できないだろうね。でも単純に曲もいいんだよ。特にこのアルバムは素晴らしい。バックバンドの演奏もノリにノッていてさ」


「いやー、英語歌詞とか理解できる気がしませんわー」


「そのためにも英語の勉強を頑張りなさい。僕は別にグローバルがどうとか言うつもりは全くないけどね、英語圏文化をより楽しむためには話せるようにはならないにしてもある程度英語ができるようになるといい」


「おじさんは話せるんですか?」


「昔、イギリスに住んでいたことがあったからね」


「ほえー!おじさん凄いですね」


男性は微笑むと目を閉じて流れる調べだけに耳を傾け始めた。絵里もそれに気づいてよく耳をすます。独特の声、独特の旋律、同じフレーズが何度も繰り返されたりするがそれも心地よい。絵里には歌詞など到底分からないが、確かに心に響く音楽であった。


「…絵里君はギターを始めてどれくらいかね?」


男性が瞼をゆっくりと開けながら尋ねた。


「あ、えーと一か月経ったくらいでしょうか」


「ライブはもうしたのかね?」


「いえ、まだです。多分夏休み明けの文化祭が初めてになると思います」


「頑張りなさい。ライブはとても楽しいものだよ」


「おじさん、バンドやってたことあるんですか?」


「あるよ。もう長いことバンドはやっていないが今でもギターは弾く。ギターヒーローになるのが夢だったからね」


「へー、そうは見えないなあ」


「よく言われるね。…もう三十年近く前のことだけれど、今でも初めてのライブの時のことを覚えている。今思えば拙い演奏だったけれど、バンドメンバーと一緒に懸命になってやった。あの時の情熱、そしてそれに観客が応えてくれた時の感動。本当に楽しかったね…君もこれから経験することになるだろう。まずは何よりも楽しむことを優先しなさい。それが一番だね」


「なるほど…」


「ライブはロックバンドにとって自分たちの全てをさらけ出せる大事な機会だよ。ボブ・ディランは70歳を過ぎてからでも年間百公演を続けている。それだけライブの大切さってものを知っているだろうし、それを出来る実力が彼にはあるからね。君たちもこれからバンバンライブをこなしていくといい。見る見るうちに実力がついてくるよ」


丁度そこで扉が開いて麗子が入ってきた。相変わらず端正な顔立ちである。


「麗子さん。おはようございます」


「おはよう。悪い悪い、少し遅れたな。…おやこれはまた珍しい組み合わせだ」


「やあやあ麗子君。お望み通りティーポッドを置いといたよ」


「いつもすみませんね」


「いやいやいいんだよ。それに彼女と話せて楽しかったしね。それではまた」


男性は絵里に行儀正しく礼をするとその部屋を出て行った。麗子と絵里は部屋の外に出て黙ってそれを見送る。彼が階段を降りて見えなくなると二人は部屋に入って扉を閉めた。


「さて、練習を始めるか」


「はい!と、その前に麗子さん、一つ質問が」


「何だ?」


「あの御仁は誰でしょう」


「お前、知らないで喋ってたのか⁉いや、てか知らないのか⁉」


「はあ、知りません。…もしかして有名なミュージシャンだったりしちゃうんですか?」


「馬鹿、あの人は栗原校長だよ」


「は?コウチョウ?」


「そうだよ、この学校の校長。栗原秀明校長だ」


「えー!校長先生だったんですか!」


「…入学式とかで見なかったのか?」


「いやあ、人の顔を覚えるのは得意じゃなくって。でも何で校長先生がこんなところに?」


「こんなところって言うな。この部屋は校長のご厚意で使わせてもらっているんだ。てかこのCDやレコードも、ギターやドラムも、アンプもCDプレーヤーも全部栗原校長のものだ」


「えー!てっきり麗子さんのものだと思ってましたよ!」


「まあCDは私のも多少は混ざっているが、ほとんどあの人のだ。若いころは結構有名な地方バンドをやっていたらしい。実際ギターは何度か聞いたがかなりの腕だ。私のことを気に留めてくれてこうやって部屋やら何やらを貸してくれている」


「…やっぱり麗子さんのファンではあるんですね」


「まあそうとも言えるな。今度ギターの練習に付き合ってもらうといい。見てくれは大分老けちまっているが、心は若いころのままだ。あの人のギターはいつまでもやんちゃなロックンローラーだぜ」


絵里はあのちっちゃな老人がギターを持ってステージで暴れまくっている姿を思い浮かべた。そこにいる彼は少し滑稽ではあるが、それでもとっても輝いて見えた。





因みにこの日のうちに絵里はFコードを弾けるようになったのだが、それはまた別のお話である。

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