第十一話 グルーヴィー・ボーイPart.3
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四人はライブハウスと同じ通りにある喫茶店に入った。店の名前は『Sunday Afternoon』。白髪の初老男性がカウンターの中でコーヒーを淹れている。おそらく彼が店長だろう。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
眼鏡をかけて髪を三つ編みにしている女性店員が聞いた。四人が頷くのを見ると彼女はカウンターの方へと下がっていった。
テーブル席の一方に菊之進が座り、その向かい側におしくらまんじゅうをするかの如く女子三人が並んで座っている。真ん中に麗子、菊之進から向かって右側に絵里、左側に麻美がいた。
麗子と菊之進は目を合わせる。
「…さて、まずは私たちの紹介と行こうか。私は烏丸麗子、担当はギターだ。こっちのが尾山絵里、こいつもギターだ。初心者で猛練習中。で、こっちは和屋麻美。ちっこいがいいドラムを叩くぞ」
絵里と麻美は「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
「…俺の名前は須賀菊之進だ、よろしく」
それを聞いて絵里は変わった名前だな、と思いそこから話を広げてやろうとしたが、どうにも彼の目が怖かったのでやめておくことにした。
「私たちは全員お前と同じ醍逸高校の生徒だ。そして『Electric Lady Band』というバンドを組んでいる。私たちは本物の『ロックンロール』を目指しているんだ。この場合の『ロックンロール』ってのは精神的な意味のものだ。そのためには当たり前だがバンドを完成させなきゃならない、つまりは今は欠けているピース、ベーシストを見つけなきゃならないんだ。…そんな中で今日お前を見つけたわけだ。もう言いたいことは分かるだろ?今日の一年生ベーシストの中でお前だけがずば抜けていた。グルーヴってもんが全く違う。正直言ってあのグルーヴには惚れたぜ。ぜひ私と一緒に『ロックンロール』をやらないか?」
菊之進は特に表情を変えずに聞いている。彼はどうやら麗子が真剣であることは理解したが、それにしても話が急である。まだ高校で最初のライブをやったばかりだと言うのにいきなりスカウトされるとは流石に考えていなかったのだ。
「菊さんや」
突然絵里が声を出した。どうやら自分のことを呼んでいるらしいことには気づいたが、突然あだなをつけられるとは思わず多少たじろいだ。
「…何だ?」
「いや、そのね、菊さんは部活紹介の時の麗子さんの演奏を見て何か思わなかった?」
菊之進は怪訝そうな顔になったが、相手の言うことの意味が分かったらしく、納得した表情を見せた。
「ああ、部活紹介か。俺はあの時インフルエンザで出席停止くらってたから見ていない」
入学早々インフルエンザにかかるとは何だか思っていたよりも間抜けな人だとも絵里は思ったが、そのことは声には出さず、何度か頷くと黙りこくった。
「そうか、やっぱり事情があったんだな。あの時の私の演奏を見ていたらもうメンバーになってるもんな。で、どうだ、バンドに入ってくれるか?」
麗子がそう聞いた時、店員がちょうど注文の品を持ってきた。麗子にはアイスコーヒー、麻美にはホットココア、菊之進にはアイスティー、そして絵里には『Sunday Afternoon』特製パフェが運ばれた。絵里は目の前にパフェが置かれるとガツガツと口の中にかき込み始めた。それを菊之進は呆れた顔で見つめていたが、麗子の質問の方を思い出し、アイスティーを一口含んでからしゃべり始めた。
「…誘われたところ悪いが、俺はもうあのバンドでやるって決めちまったからな。今更止められんさ」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。お前はあんなバンドでやってて楽しいのか?あんなクソ下らないバンドで」
「そりゃあ楽しいわけない。だがベースはバンドをやらないとリズム感の練習にならないから我慢してやってるんだ」
「我慢しながらバンドする奴がどこにいるんだ?」
麗子のその言葉に菊之進は息が詰まるかのような感覚を受けた。彼女の言うことは正しい。やりたくもないバンドをする意味などあるだろうか?しかもあんなメンバーと一緒で。
「あの…」
ずっと黙っていた麻美が口を開いた。菊之進は彼女の顔をちらと見て、そのすぐにでも泣き出しそうな雰囲気にふとある子供のことを思い浮かべた。小さなころの輪郭の不確かな、それでいて存在感のある思い出が蘇ってくる。自分、公園、ギター、少女―。
「例えば、バンドの掛け持ちとかは、どうなんでしょうか」
菊之進はハッとして元の世界へと戻ってきた。三人の女が今自分を見つめている。
「掛け持ちか、まあそれなら考えても…」
「いや、ダメだ」
麗子は突然立ち上がると口をつけていなかったアイスコーヒーのグラスを持ち上げ、それを一気に飲み干した。それから手の甲で唇をぬぐうと、グラスをテーブルの上に置いた。
「いいか、掛け持ちはダメだ。お前があっちのバンドを楽しいと思っていない限り、そこに続ける理由はない。そんなものはとっとと捨て去らなきゃならない。そうでなければ私たちのバンドにも入ってもらいたくない。随分勝手な言い様だと思うだろう。だがこれは私にとっての真理だ。そこのところを分かってほしい。…一つだけ約束する。私たちと一緒にやるバンドは、絶対に楽しいぞ」
そう言うと麗子は後輩二人に「行くぞ」と言って、レジに行くと四人分の勘定を一人で済ませた。そしてそれをもとの席に座ったままぼうっと見ていた菊之進のところに寄って行くと、
「五階用具室Bで待っている。私たちの部室だ。それじゃ」
と言い残して二人を連れて去っていった。
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「来ますかね、菊之進君…」
麻美がドラムを叩くのを止めて呟いた。いつもの部室に相変わらずの三人が練習をしていた。絵里にチョーキングについて教えていた麗子は別段興味がある風でもなく、
「来るなら来る、来ないなら来ない。来なかったとしたらそれぐらいの奴だったってだけさ」
と冷たく言い放った。
「そういうものでしょうか…」
心配そうな顔を隠すことが出来ていない麻美を思いやってか、自然となのか、絵里が拍子抜けするほどの明るい声を出した。
「大丈夫だよアサミン。菊さんめちゃくちゃ怖そうだったし、多分血も涙もない人だから平気であのバンド辞めてくるよ」
「えりぴょん、人を見た目で決めつけちゃだめだよ!それに、菊之進君はああ見えて優しいタイプの人だって」
「ふーむ、そういうもんかねえ。麗子さんどう思います?」
「…それはこれから分かるんじゃないか」
麗子はドアの方を見つめてじっとしていた。瞬きすらする様子を見せない。それに気づいて絵里と麻美はその視線の行方を追った。
そこには一人の男がギターケースを背負って立っていた。
「菊さん!」
「菊之進君!」
男は笑いもせず当然のように部屋に入ってくると麗子の目の前に立った。
「よう、あっちのバンドは辞めてきたか?」
「ああ、しっかりと辞めてきたぜ。特に引き留められもしなかったさ」
「はっ!あいつらどうやってバンド続けるつもりなんだかな」
「いや、多分あいつらはもうバンド出来ないぜ」
「…というと?」
「どうせ最後だからと思ってあいつらの演奏や音楽の趣味に的確かつ明確な文句、というかアドバイスを言いまくってやったら案の定キレやがったんだが、そのうちにあいつらお互いの悪口言い始めやがって大喧嘩。ありゃもう再起不能だな」
それを聞いて一番早く大声で笑ったのは絵里であった。彼女はその光景が嫌と言うほど目の前に浮かんでくる。どうせ美紀の不用意な一言が発端であろう。口は禍の元とはよく言ったものだ。
それに釣られて三人も笑い出す。別に解散するであろうバンドを笑っているのではない。今、この瞬間を笑わずにはいられないのだ。
「…とりあえずだ」
麗子が笑いながら立ち上がると、菊之進に手を差し出した。
「よろしく、菊之進君」
菊之進は意地悪そうな笑いを浮かべてその手を握り返した。」