第一話 少女と紫の煙のお話
1
春。出会いの季節であり始まりの季節。全国の小、中、高、大、様々な種類の学校で入学式が行われ、初々しい新入生たちが素敵な出会いと刺激を求めてスクールライフを始める。まあそうは言ってもそれは日本だけのイメージなのかもしれないが。
その日、日本のとある学校、醍逸高等学校の体育館では新入生歓迎会が行われていた。様々な部活動が我が部に入るべし、というアピールを新入生に懸命に放っている。
一年二組五番の尾山絵里はそのバカ騒ぎをぼやっと見ていた。
ステージでは弓道部のよく分からない的を使った踊りみたいなものが繰り広げられている。見ているだけで痛々しい。
「ねえねえ」
突然隣の女子が肘でつつきながら声をかけてきた。
「私、前島美紀、第八中学校出身、誕生日は6月5日よ、よろしくね」
突然の自己紹介に絵里は面食らった。これが高校の洗礼か。
「えーっと、私は尾山絵里、どうぞよろしく」
ゆっくりと礼をする。
「あなた何だか頭悪そうね、まあそんなことはどうでもいいんだけど、どの部活に入るかって決めた?」
唐突な自分に対する理不尽な暴言をサラッと流され、怒っていいのかよく分からなかった。高校というのは恐ろしいところだ。
「えーっと、まだ決めてないよ、でも運動は得意じゃないし、文化部かなあ」
「確かにあなたとろそうだものね、まあいいわ、あなた、私とバンド組まない?」
「ばんど?ムリムリ!私楽器なんて出来ないもの」
「練習すればいいじゃない」
「でも、私別に音楽とか興味ないし、ましてやバンドってことはいわゆる『ロック』っていうやつをやるわけでしょ?私全然わからないもの、そういうの」
ステージに吹奏楽部が出てきて演奏を始めた。大して上手くはない。
「大丈夫よ、きっとこの下手糞吹奏楽部のあとに出てくる軽音楽部の演奏を聞けば気にいるから」
「凄いの?この学校の軽音楽部って」
「凄いわよ!特に『最近この青春が恋をしているのは君のせいかもしれない。』っていう三年生のバンド、略して『さいきみ』がすごいのよ!」
ラノベみたいなバンド名だな、と絵里は思った。
「とにかく演奏力があって、ギターのタクヤさんなんてもう最高!かっこよすぎ!」
「どんな曲やっているの?」
「オリジナル曲もやってるし、あと、『ALASKAnoOWARI』…って知ってる?」
「スコシ」
「…とかそういう最近のグループのカバーもやっていて完成度がすごいのよ!見たら絶対に気にいるわ」
そして私に従順な奴隷のようなバンドメンバーとなるのよ、と言う声が絵里には聞こえたような気がした。どれ、少しこちらからも話を広げてやろうと思ったが、いかんせん、その方面に全く詳しくない絵里である。ロックバンドの名前など出てこなかった。何かないか、何かないか…。彼女はふと中学校の英語の時間で出てきたバンドの名前を思い出した。
「ビートルズ、とかは?」
決まった…そう思った絵里であったが、美紀の反応は、
「は?何それ」
という非常に冷たいものであった。
おやおや?どうもおかしい、英語の時間に「ビートルズは世界的なロックバンドで知らないものはいない。知らない奴は恥ずかしい。クソ野郎だ。」と年を取った教師が言うのを私はクソ野郎だったのか、と思いながら聞いたはずだ。あれはウソだったのであろうか。
絵里は腕を組み首をかしげた。
「ほら、始まるわよ」
ふとステージを見ると楽器を持った人たちが準備を始めていた。
「あれが『さいきみ』よ」
美紀が自分のことでもないのに得意げに言う。
ドスドス、ジャーン、ボゥンボゥン…
楽器の音が耳の中へと入りこんでくる。絵里もなんだかワクワクしてきた。これから自分の知らない世界の素敵な催し物が始まるんだ!そう思うと胸の高鳴りが収まらなかった。
そしてステージの準備が終わった。
少しの沈黙。
「1,2,123!」
それを掛け声として演奏が始まった。ステージ上のバンドメンバーは歌を歌い、楽器を弾く。なるほど、素人目にもその演奏が上手いであろうことが分かる。それを聞く新入生の中にはきゃーと叫んでいる人たちもいる。そうはしなくても多くの人々がその場を楽しそうに過ごしている。
これがバンドか!これがライブか!これがロックか!…
つまらないな。
いつの間にか演奏が終わっていた。会場内に拍手が鳴り響く。絵里も一応拍手をする。
「どうも…『最近この青春が恋をしているのは君のせいかもしれない。』です…」
バンドのギターボーカルが恍惚とした表情で喋った。何人かの女子がきゃーと叫ぶ。
「まあ…今日は…新入生歓迎会ということで…なんつーかな」
突然笑いだしてバンドメンバーと目を合わせた。バンドメンバーも笑い出す。何が可笑しいのだろう。そして女子はやっぱり叫んでいる。
「うまく言葉にできないけれど…本当に…『ロック』は最高で…バンドはマジ楽しいから…今日は時間の都合で一曲しか出来ないけど…もっと俺たちの曲聞けば…もっとそれが伝わるから…みんなぜひライブを見に来て…」
宣伝かよ、と絵里は思うがそれでも叫ぶ奴らがいる。
「とにかく…軽音楽部に来てくれよろしくぅ!」
そうして軽音楽部の発表が終わり、全部活動の発表が終わった。
どうしたものだろう、絵里には一つとして入りたい部活動が見つからなかった。もともと何かに熱くなったりすることが無い人間であることは自分で承知している。高校三年間を費やしてのめりこめるものなんてそうそうありはしないのだ。
「それでは一年生の方々は教室に戻って…」
ステージの司会が喋り出し、皆がもう終わったと思ったその時―
「あっ、ちょっ、何するんですか!勝手に困りますよ!」
突然一人の女がステージに現れ司会のマイクをかっぱらった。
とてつもなく奇抜な格好をしている。赤やら黄色やら緑やらいろいろな色が混じったぶかぶかのシャツにだぶだぶのデニム、髪にはパーマがかけてあり、頭に鉢巻きみたいなものをつけていた。そして何より、その手には一本のギターが握ってあった!
2
「あ、あー、テステス、本日は晴天なり、本日は晴天なり…」
その女は奪ったマイクのテストを始めた。会場内はざわつき始め、絵里もいったいこの女性は何者だろうと興味を抱き始めた。
「あー、よし、こんなもんか」
どうやら喋り始めるようだ。その雰囲気を感じ取ったのか少しざわつきが収まり静寂が訪れた。
この女、何か喋るぞ―、と会場内の全員がそう思ったが、その予想に反し女はマイクを一度司会者に返した。
「ちょっと持ってて」
「は?」
唖然とした司会者をしり目に女はギターのシールドをステージの後ろの方にあるアンプに突き刺した。彼女のギターは右利き用のようであったが、彼女はそれを左で弾くように右肩にかけていた。
ギャーン、ギャーン…
アンプやペグをいじりながら音を作りはじめる。が、それを瞬く間に済ませるとつかつかと司会者の方によっていき「ありがと」と言ってまたマイクを奪った。
そしてついに話を始めた。
「―新入生諸君!とりあえずは入学おめでとう。これから君たちにとってファッ○ンクソみたいなしみったれた高校生活が待っていることだろう!」
…こいつは突然何を言っているのだろう。きっと頭のおかしい可哀想な子なのだろう、会場内の多くがそう思った。
「断言する!君たちの多くはこの高校生活で大したものを得やしない!この学校に入ったところで自分が動かない限り何も変わりはしない。ただ人から言われるのを待ってのほほんと生きるんだっていうなら餓鬼にでもできる。だがこの学校の奴らのほとんどはそんな奴らばっかり、見ていてイライラしてくるよ、本当に」
女ははーっとため息をついた。
「まあ正直言ってそんなことはどうでもいいんだ。他の奴らがどうくたばろうとそりゃそいつらの勝手だし、私の口出しをすることじゃあないからな」
一人称は「私」なんだ、と絵里はふと思った。「吾輩」とか言っちゃうのかなと思っていたので少し残念だ。
「だが許せないことが一つある―。なあ、君たちは本当の『ロック』を知っているか?」
絵里の胸にその女が言った『ロック』という言葉が突き刺さった。なぜだろう、先ほど美紀やあのバンドが言っていた『ロック』という言葉とは、響きが同じでも、その重みとか深みとかいうものが全く違うもののように感じた。
「…さっきやってたあのバンド…名前なんて言ったっけ?なんか馬鹿みたいに長い…」
「『最近この青春が恋をしているのは君のせいかもしれない。』!」
どこかで誰かが叫んだ。
「ああ、それそれ、『催眠との税収が固辞を…』…まあ何でもいいや。君たちはあいつらの音楽を聞いてどう思った?」
「凄かったー」「上手かった―」「かっこよかった―」小学生並みの感想が会場内からボツボツと沸き立つ。その中には美紀もいた。
絵里はその言葉たちを聞き肩身が狭くなっていくのを感じた。皆はあの演奏を良かったと思っている、私にはその良さがよく分からなかった、私はちょっと変な感性を持っているのかもしれない―。少しずつ絵里の体が小さくなっていく。
ステージの上の女を見ると、彼女は会場から聞こえる言葉を聞きうんうん、と頷いていた。ああ、やっぱりあの人もあれを良いと思っているんだ。やっぱり私は変な子なんだ…。
そう絵里は諦めかけていたが、ステージの女はマイクを再び自分の口の前にかざすと、
「うんうん、『凄い』『かっこいい』『上手い』…そうだな、確かに君たちみたいな陳腐なものを好む輩はそう思っただろうな。―だが私からすればあんなバンドの演奏は豚小屋で見せるようなファッ○ンクソったれな腐りきった見世物にすらならない幼稚園児の学芸会だ!」
と叫んだ。
その言葉はある程度の衝撃を持って会場内に伝わった。
新入生たちの間にはどよめきが走り、収まる気配を見せなかった。そして絵里の瞳にはちょっとした輝きがともり始めた。
「あんな軟弱なものを『ロック』だって言うのは本当に頭にくるよ。寝言は寝ていいやがれクソ野郎!だいたいさっきのあいつらの言葉聞いたか?『時間の都合で一曲しかできない』…はんっ!何が『時間の都合』だ!本当にもっとやりたいってんなら運営が設定した時間なんて守んないで好き勝手に何曲でもやればいいだろ?自分たちが縛られているのを気にもせず、それを恥ずかしいとも思わず馬鹿みてえに醜態ぶちまいていやがるアホ野郎だよ、あいつらは」
女の言葉に聞き入っていた絵里は、ふと思い出し恐る恐る美紀の方を見た。すると、彼女の顔はただ暴れることが目的の学生活動家みたいに恐ろしい目をしていた。
「いいか、よく聞け。お前らに何が『ロック』で何が『ロック』でないかを教えてやろう。『ロック』っていうのは聞く奴が『ロック』だと思うものが『ロック』なんだよ。つまりは聞き手次第なのさ。だからお前らがあの『雷神殿聖獣…』…だかなんとかいうクソバンドですら『ロック』だって思うんだったらそれはお前らにとっては間違いなく『ロック』なんだよ。私は絶対に認めないけどな。そこでだ、つまり本当の『ロック』っていうのは何だと思う?」
絵里は女と目があった気がした。まるで自分一人に問いかけてくれているようである。
(本当の『ロック』…)
「それは…」
(それは…)
「地球人口七十三億人中七十三億人全員が『ロック』だと思うもの、それが本当の『ロック』だ。誰が聴いても文句を言わずに『ロック』だと認める、そう認めさせる、これが本当の『ロック』、いや、『ロックンロール』だ!今からお前らにその片鱗を見せてやる!」
女はマイクを観客席に投げ捨て、ギターの弦に挟んでいたピックを取り出した。
「ちょっ、あなた生徒会に演奏の許可取ってないでしょ!」
自分の仕事を思い出した司会者が女を止めようとし、さらに『さいきみ』のファンたちが突如としてブーイングをし始める。会場のざわめきが最高潮に達した。
が、
ギュア―――ンッ!
その歪んだギターの音が騒音の中を切り裂き、一瞬にして暴徒たちは子犬のように静かになった。
すかさず女は演奏を始めた。
ベースもいない。ドラムもいない。音響担当もいない。ただ、アンプから直接バカでかい音が流れてくる。マイクもないのに彼女は歌っている。叫んでいる。その歌を。その魂を。ひたすら長いギターソロ。心地よい音ではない。だが、なぜだろう。絵里の心が躍り始めた。どうしようもなく自分の心にピシャッ、ピシャッとその音が忘れないものとして刻み込まれているのを感じる。
その音は、その女は、その姿勢は!なんてかっこいいんだろう!今まで見たことの無い、聞いたことの無い、感じたことの無い、しかし、それでいて自分の心の奥底に潜んで支えてくれていた何かのような、そんな暖かく、それでいて決して俗なものと混じらない高潔な心をもったもの。
絵里は一瞬にして理解した。
これが『ロック』、いや、『ロックンロール』だ!
演奏が終わった。
沈黙。
女は最後のポーズのまま息を切らしうつむいて、汗をかきながらじっとしていた。
パチパチパチ―。
知らない間に絵里は拍手をしていた。それを皮切りにまばらではあったが拍手が飛び交った。
女は姿勢を元に戻すとふーっと息を吸いこみ、叫んだ。
「私の名前は烏丸麗子!私と『ロック』がやりたい奴!五階の用具室Bで待っている!」
麗子がそう言い終えたのと、生徒会メンバーが三人がかりで彼女を掴んだのは同時だった。そうして麗子は抵抗しながらも会場の外へと連れ出されていった。
3
「何なのよあの女!」
教室で美紀が愚痴っている。
「『さいきみ』をあんな風にけなすなんて…センスのかけらもないわね、全く!」
そう言う美紀を周りの女子たちも同調しているのだかしてないのだかよく分からない感じで頷く。
なぜだかいてもたってもいられなくなった絵里は、
「で、でもさ、演奏とかはすごくなかった?」
と言った。だが、女子たちの反応は、
「えー、そーお?」
「何か、イタかったよね」
「馬鹿みたいにあんなでかい音出してさ、耳が壊れそうだったぁ」
という否定的なものだけだった。それを聞いてとても残念でやるせない気持ちが絵里の中に沸き起こったが、結局その意見に適当にうなずいてしまった。
「あんな女よりもタクヤさんのギターの方が百倍上手いわ!」
美紀のその発言には特に、誰も、何も言及しない間に担任教師が教室に入ってきて、
「はい、皆席について」
と言い、全員がそれに従った。絵里はふと麗子の言葉を思い出したが、時と場合というものがあるだろう。
「今日から三日間は部活動見学期間、その後一週間が仮入部期間で、そのあと本登録ね。まあ、いろいろな部活動を見学すればいいと思うよ。それじゃあ今日はこれまで!解散!」
そう言うとやる気のなさそうな担任は一目散に教室を出ていった。
「ねー、見学一緒に行こう」「どの部がいいかなあ」「俺中学の頃MVP取ったんだぜ」教室内でそんな会話が繰り広げられている。皆が高校での部活動に対する理想を高め始めていた。きっとここには輝かしい未来が待っている、と。
そして絵里は―
(バンド…か…)