表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それは金剛童子と呼ばれた  作者: 和無田剛
5/10

三章

三章「火車と火消しと検非違使と」


「遼介、玉藻。それにエルザ、ミサキも大儀であった」

 奥座敷にて天狗が扇子を広げて四人の労をねぎらうように言った。

 未明の妖怪退治から戻り、二刻ほどの仮眠をとった後の事である。

「なあ天ちゃん。いくつか聞きたいことがあるんだけど」

 遼介は気になって仕方がなかった。どうにか妖怪を倒したものの、大きな不安が残っているのだ。

「許す。刺核の槍を見事使いこなしたそうじゃな。流石は適合者である」

 ああ、そう言えば。

「その、適合者ってのもわからないんだった。俺は、何に適合しているんだ?」

 ふむ、と扇子を閉じて十二単の金髪幼女は、

「お主は、どうも核心から離れたところより話を始めるの……。それでよくあの槍を使えたものじゃ」

 まあ良い、と少し姿勢を変えた。

「この国……いや、この世界を救う呪器の操り手によ。それはまだ完成しておらぬ。そこな玉藻も、そのために必要な能力者であるぞ」

 いつかの会話を思い出した。

「ああ、何だっけ。童子って言ってたか」

 ふふ、と含み笑いを漏らす天狗。

「そうじゃ。まあ、楽しみにしておくが良い。いずれその目で見ることになる。他に聞きたいことはあるか?」

 おお、と遼介はもともと聞こうと思っていたことを口にする。

「俺たちが戦ったのって、ミサキが予知したのとは別の妖怪だったんだろ? 確か理の破戒とかって言ってたけど、そんな事が起こるのか? だとしたらミサキには悪いけど、この先は何が出るかわからないと考えて妖怪退治に臨まなけりゃならないからな」

 並んで座っている彼女の顔色が明らかに変わったが、これは全員の命に関わることだから確認しておかなければならない。

「ふむ。それこそが核心であろうな。ミサキ、お主が視た妖怪は何であった?」

 ははっ、とミサキは姿勢を正し、

「撫で座頭、に御座います。ええ、ええ。それが何故、あのような聞いたこともない妖怪に変わってしまったのかは皆目……」

「恐らくは、この国のあやかしではあるまい。わらわも知らぬ」

 そのような妖怪が何故……とミサキは俯いた。それを冷ややかな目で見た天狗は再び遼介に向き直る。

「この世には、理というものがある。こうすればこうなる、ああすればああなる、といったものじゃ。こうして」

 と、傍らの湯呑を倒す。

「湯呑を倒せば中の茶は溢れ畳を濡らす。そしてそれは湯呑には戻らぬ。これは理じゃ。妖怪がどうやって現れるのか、というのにも理はある。そこに何かが起こったとしか考えられぬのじゃ。それが何らかの偶然によるものなのか、それとも」

 天狗は言葉を切った。

「何者かの仕業……っていう可能性もあるのか」

 うむ、と天狗はうなずいた。まるで苦いものを飲み込むかのように。

「考えたくはないが、少々の偶然程度で理は揺るがぬものじゃ。ミサキの視た妖怪が別のものになる、などというのは通常では考えられぬ」

 であるが……、と再び口を閉ざしてしまう。

「主」

 と、控えめにエルザが口を開く。

「妖怪が変質した、とは考えられぬでしょうか、と新たな見解を提案します」

「ふむ。わらわもそれは考えたが」

 思案げな顔になった天狗は、だがのと続けた。

「撫で座頭なる妖怪は変質せぬはず。そうじゃな?」

 声をかけられたミサキは、ええええと何度も頷く。

「そもそも、その蛇は刺核の槍で倒せた。つまり、核があったということじゃ」

 確かに、とエルザも頷く。

 ……ん? ちょっと待て。

「あの槍で倒せない妖怪も居るのか? 核がないとか、そういう事で?」

 無敵の必殺武器と思っていたのに、違うのか。

「無論じゃ。全てのあやかしが槍一本で倒せるわけがなかろう」

 まあ、そう言われるとそうか。

「とは申せ、核を持たぬあやかしは少ない。大抵は事足りるであろう」

 なんか微妙だな。まあいいか。

 どうあれ、とエルザが口を開く。

「何者かの手によるものであるならば、神の恩寵を受けた力でもないと難しいでしょう、と先ほどの懸念に戻ります」

 そういう事か。

「つまり、妖怪以外にも敵がいるってことだな。それも神に近いような奴らが」

 実にあっさりと遼介は言う。渋々といった表情で天狗は首を縦に振る。

「そう考えるのが妥当であろう」

 隣で聞いていた玉藻が呆れ顔になる。

「遼介あんた、そないに素っ気なく……怖くないんか? 妖怪だけやのうて黒幕みたいな恐ろしい敵も居んねんで? それも神さんみたいなのが」

「仕方ないだろ」

「はあ?」

「居るもんは居るんだ。仕方ない。むしろ居るかどうかはっきりしない方が気持ち悪い。俺はこれで、スッキリしたけどな」

 自分に折り合いをつけるように言う遼介を見つめる玉藻の頭の上に文字が浮かんだ。

『何やねんなホンマに……。蛇のバケモンの攻撃から庇ってくれた時はちょっとだけ格好ええと思とったのに。こいつただのアホちゃう?』

 ……アホちゃいまんねん、なんてな。

 心で呟いてフッと小さく笑う遼介を、ある者は頼もしく、ある者は呆れる想いで見つめた。

「でも玉藻、やっぱりお前は人間なんだな」

 だからこそ、遼介の異能が働いたのである。言われた彼女は目を丸くした。

「当たり前やないの。熱でもあるんちゃう?」

 そう言えば、ちょっと調子が悪いような。

「ホンマに? 大丈夫?」

 真剣に気遣うような口調になってキツネ耳娘が言う。

「まずは休むが良い。妖怪が現れた時にはまた出向いてもらわねばならぬ」

 話を切り上げるように天狗が言うところへ、

「……主」

 エルザがいつもの平板な口調に若干の緊張を滲ませて口を挟んだ。

「うむ。 ……影よ、出てくるが良い。この者たちに隠す事はない」

 何だ、と思う間もなく奥座敷の下座、遼介たちが並んで座るその後ろに何者かの気配が現れた。

 慌てて振り返ると、そこには見知らぬ男がいた。

「案ずるな。わらわの使うておる草の者じゃ」

 天狗が鷹揚に言う。

「くさのもの……? って、忍者か」

 やや乱れた頭髪と地味な色合いの着物、中肉中背の体格。これといって目立つところがどこにもない。顔つきも特徴のない、何だか見れば見るほど捉えどころのなくなっていくような風貌である。

「ニンジャ? お主の世界ではそう呼ぶのか……まあ良い。影、話せ」

 はっ、と片膝立ちの姿勢で頭を下げて口を開く、影と呼ばれた忍び。

「見越し入道が出現いたしました。未明の安賀多山の麓にて、地元の農民が遭遇したとの事」

 ちょうど遼介たちが蛇の妖怪と戦っていた頃である。

 ふん、と天狗は窓の外へと視線をやり、

「またしても、大きくなりおったか」

「はっ。山の如き大きさであったとの事」

 それは些か誇張が過ぎようが……と、遼介たちに向き直る。

「聞いてのとおりじゃ。まだ山に居るのは僥倖と見るべきであろう。山中ならば変質するのは精々、山わろが関の山であろうからな」

 変質? さっきも言ってたな。核があるとかないとか……疑問はあったが、遼介は急に異常な眠気を覚えた。何だか全身が熱を持っているようだった。

「……休め、遼介。まことに大義であったぞ」

 一方的に言うと、十二単を引きずってさっさと退室してしまう。

 ……ああ、疲れたな。

 座ったまま遼介が姿勢を崩した。隣の玉藻の肩に身を預ける形になる。

「ちょ、ど、どないしたん? ……遼介、ちょっと!」

 倒れた遼介はそのまま気を失った。


 ……遠くで何か、金属質な音が鳴り響いている。

 何度も、何度も。

 まるで、何かに追われるように。或いは逆に、何かを追い詰めるように。

「ん……」

 目を開くと、天井が見えた。見知らぬ天井ではない。見覚えがあるそれは天狗の屋敷の離れ、遼介が自室として貸し与えられた小屋の天井であった。

 そこに敷かれた布団で、遼介は眠っていた。ゆるゆると記憶をたどる。

「……そうだ。俺、気を失って」

「あれから、おおよそ一日眠っていた」

 枕元で急に声がして、身を起こす。寝覚めに誰かが声をかけるのはお決まりか?

「急に動くと、体に障る。まずは水を少量ゆっくりと飲み、精のつく食べ物を少しずつ食べて養生するべきだ」

 そこに居たのは、影と呼ばれていた忍者だ。相変わらず捉えどころのない風貌で、いつでも動ける片膝立ちの姿勢である。

「お早うございます。ずっと付いていてくれたんですか」

 布団の上に正座して忍者と向き合う。

「いや。管狐遣いの娘が夜を徹して看病していたが、先刻妖怪の出現を拙が報せたため、退治に出向いた。エルザとミサキも一緒だ」

「え……妖怪が? 今度はどんな」

 ああ、と小屋の小さな窓から外へ視線をやった影は、

「ここまで匂いが届いている。 ……わかるか?」

 言われて鼻をひくひくとさせてみるが、何も臭わない。

「いや、わからないけど。なんの匂いが?」

 影は遼介の顔を正面からまじまじと見た。その表情には少し失望が混じっているように感じられた。

「火だ。宇戸の町が妖怪によって焼かれている」

 抑揚のない声で、天気の話でもするように影は告げた。

「焼かれて……って、火事になってるって事ですか? そんな妖怪が」

「火車だ。こんな昼間に出るのは珍しい。倒せたとしても相当の被害は出るだろうが、放ておくよりは余程いい」

 なんだ、この男は……!

「そんな、呑気にしてる場合じゃないだろ! だったら俺を連れて行ってくれよ、その妖怪のところへ! なるべく早く退治した方がいいって事なんだろ?」

 ふう、と小さく息をついた忍者は、

「断る。拙が命じられたのはお主の警護だ。ここへ延焼が及んだ場合の避難、あるいは予期せぬ襲撃から守るために、拙はここに居た。わざわざ危険な場所へお主を導くなど」

 そうかよ、と遼介は立ち上がり、部屋の隅にあった槍を手に取る。

「何をする気だ。そのように弱った体で出向いたところで何ができるというのだ」

 枕元から動かずに影は言う。

「何ができるかなんて、わかるわけないだろ。俺はこの間初めて妖怪退治をしたばっかの超ビギナーなんだからな」

 着物のまま寝ていた遼介は着崩れを直すだけで身支度を終えた。

「ちょうびぎな……? 何を言っている。お主はまだ表を出歩くような体調ではない。やめておけ、民草がいくらか多く死ぬからといって気に病むことはない。お主はこの世界すべてを救うのだ。まだ聞いてはおるまいが、お主は真に選ばれし者なのだ。そのような者が有象無象のために命を賭けるべきではない」

 はあ?

「有象無象なんて人は居ないんだよ! お前、自分の家族が殺されるかもしれなくても同じことが言えるのか?」

 遼介は腹を立てていた。こんな、心も影になっちまったような奴の言う事なんて絶対に聞いてやるもんか。

「拙に家族などいない。影として生きる以上、この世にひとつの縁も結ばぬのは当然」

 どうやら言っても無駄なようだ、と遼介は小屋を出る。

「待て! お主を行かせるわけには」

 立ち上がった影の喉元に、ぴたりと遼介の槍の先端が当たった。

「な……。そ、そうか、刺核の槍……!」

 ただ相手を制止しようとして槍を前に出しただけだったのだが、達人の技みたいな事になってしまった。実は遼介自身も驚いていたが、表面上はクールに通すことにした。

「俺は、妖怪を退治しに行く。俺を守ってくれるんだろ? 忍者」

「お主……何故、そこまでする? 聞けば他の世界から呼ばれたそうではないか。それこそこの世に縁などあるまいに」

 喉元の刃に恐れを見せずに影が尋ねる。

「なぜ? ……そうだな」

 言われて遼介も疑問に思った。どうして自分はこんなにムキになっているのか?

「……多分、自分の一生を後悔しないためじゃないか」

 遼介は既に、和束遼としての人生を終えている。いくら異世界へ転生したとはいえ、自分の一生はあの時、電車に轢かれて終わっているのだ。

 ほとんど他人との交流を持たなかった人生だったが、少なくとも両親は悲しんだだろうし、ひょっとしたら他にも残念に思ってくれた者もいるかもしれない。

 遼介は見知らぬ女の子を自殺から救うために死んだ。もしこれから先、我が身可愛さに目の前の人を救わなかったら、和束遼の一生を否定することになると思う。

「あんな人生でも、俺の生きてきた時間だからな」

 と、相手にはわからないであろうと思いつつ、そのまま語った。

 すると、何事かを察したのか感情らしきものを覗かせて影は言う。

「よかろう、案内してやる。火車を退治しに行くが良い。お主がより多くの妖怪を退けるならそれは童子の強さに繋がるらしいからな。天狗様もお許しになるであろう」

 ただし、と鋭い視線で遼介を射抜くように続ける。

「絶対に、死ぬな。拙も命に代えて守るが、自分の命を一番に考えて動くのだ、良いか?」

 と、強く念押しするのに、

「俺だって、せっかく転生したんだから死にたくはないさ。頼むぜ、忍者さんよ」

 サムズアップで応じると、そんなゼスチャーなど見たことがない影は面食らった様子で、

「にんじゃ……か。お主は変わっているな。訳のわからぬ事ばかり言うが、何故か納得できるような気が少しだけする。不思議な男だ」

 何しろ異世界から来た男だからなと心中つぶやき、さあ行こうぜと遼介は小屋を出た。


「おい! あんなに燃えて、町が全焼するんじゃないのか? 妖怪より先に火を消した方が」

 激しく揺れる馬上で遼介は手綱を握る影に、叫ぶように言った。

 川沿いの道を疾走する二人の乗る馬の進む先に、天を焦がすように燃え盛る炎が見えた。

「あまり話すな、舌を噛むぞ」

 前を向いたまま影は言う。あまり大声を出しているわけでもないのに何故かその声ははっきりと遼介の耳に届いた。

「良いか、火消しは町火消の仕事だ。だが奴らに妖怪は倒せぬ」

 つまらない正論だと遼介は思ったが何も言わなかった。生まれて初めて馬に乗って、そろそろ胃袋の中身が逆流しそうだったからだ。

「一日寝てたから、吐くモンないけどな」

 ほとんど口を開かずに呟いた遼介に、何か言ったか? と影が聞くのを無視する。どんだけ地獄耳なんだよ忍者。

 やがて町の一歩手前までたどり着き、町を覆い尽くすような大火の熱と煙、炎の匂いや家が焼け落ちる音などがはっきりと伝わってきた。

「どこだ、火車は?」

 火の車という名前のとおり、町はすべてが火に包まれていた。すでに町人は避難したのか、人の姿は見当たらない。馬から降りて安堵する間もなく、遼介は敵の姿を求めた。

「来い。崩れてくる建物に気をつけろ」

 無人の大通りを走り出す影。道の左右に並んだ建物が全て、激しく燃え盛っている。まるで炎のアーチをくぐるように二人は走った。火事の熱が遼介の頬を炙った。

「くそ……。みんな、ちゃんと逃げれたんだろうな?」

 町で出会った人たちの顔が浮かぶ。天ぷら屋台の主人、傘貼りをしていた浪人風の男、茶屋の娘……。そういや町火消の男にも会ったな。あの人は今まさにこの火事を消そうと奮闘しているのだろうか。

 走るにつれて、炎の勢いが強まってきたような気がした。どこを向いても炎ばかりだが、この先には他とは違う炎が、熱が……何か、悪しきものがあるのがわかった。

 それは、先日槍を構えた時に妖怪の核がどこなのかがわかったような、直感的なものでありながら確信を伴う、不思議な感覚だった。

「あれだ」

 影の言葉に目を凝らすと、炎の中に更に色濃く燃える炎があった。それは宙に浮かぶ巨大な車輪だ。水車のような形の燃え盛る巨大な炎が空中でゆっくりと回転していた。

「あれが……!」

 ほう、と影は言った。

「それほど容易く視えるのか」

「なんの事だ?」

 妖怪などというものは、と足を緩めて影が言う。

「いくつも条件が揃わねば普通の人間には視えぬ。明るい場所で、しかもあのように実際の炎と共に現れているものなど」

 何だそりゃ、と遼介は思ったが後回しにすることにした。探していた相手を見つけたからだ。

「遼介! もうええの?」

 玉藻が遠くからこちらを見つけて叫ぶ。下手な矢もあそこまで大きい的だと流石に当たるらしい。しかし、当たった場所を抉り取る抉奪の弓は火車に穴を開けるが、しばらくするとそこにまた火がついて元に戻ってしまうようだ。

「遼介様! どうやら我らに加勢して頂けるご様子! ええ、ええ。ミサキは信じておりましたとも! お見通しではなく、信じて! おりましたのですとも」

 三本足の鴉の姿で飛んできたミサキが、やはり叫ぶように言う。

「影。どういう事ですか、と問い詰めます」

 いつの間にか忍者の背後に立っていたエルザが言う。無表情で平板な口調だが、どこか怒りを含んでいるようでもある。

「護衛する相手が行くと言って聞かなかったのでな。放っておく訳にもいくまい」

 負けじと無表情になった影は振り向かずに言った。

「それに、操り手が妖怪を多く倒せばそれだけ、童子が強くなると聞いた。ならばこの機を逃すのも惜しいのではないか? 見越し入道は次で『成る』のだ。残された時は少ないはず」

 それは確かです、とエルザは認めた。

「では、良いな? ……なに、案ずるな。あの槍ならば相手が火車だろうと核の有る妖怪なら倒すのは容易い。犠牲もなしに退治してしまうだろう」

 つい先刻まで! と八咫鴉が騒がしく影とエルザの会話に割り込む。

「ミサキもそのように思っておりました。ですが……ええ、ええ。これよりお知らせせねばなりますまい、ミサキの視てしまいましたものを!」

「何か悪いものが視えたのですね、と先を促します」

 エルザの言葉に、ええ、ええと何度もうなずいたミサキは不思議な言葉を口にした。

「昼が……喰われるのでございます」

「何? それはどういう」

 そこへ、けたたましい半鐘の音と、男たちの荒々しい声が近づいてきた。

「おうおう、テメエら何してやがる! さっさと避難しやがれってんだ。ここは火が強すぎらぁ! 焼け死にたくなけりゃあ、町から出て行けってんでぇ!」

 江戸っ子ならぬ宇戸っ子丸出しの口調で駆けつけた、法被に鉢巻姿の男たち。

 藍染の背中には漢字で一文字大きく白、と染め抜かれている。

「おお、異人の姐さんじゃねえか! ……おお、小僧も。何やってやがんだ、弓や槍なんざ持って巫山戯ンじゃねぇよ」

「ああ、あの時の……。無事だったんですね」

 てやんでぇ、と凄まれた。

「馬鹿言ってんじゃねえ! こちとら火事場が働き場だってんだ。さあ、素人衆はすっこんでやがれ!」

 あっちの方がまだしも炎が小せぇぞ、と町火消は誘導しようとするが、

「ちょっと待って下さい、あれが見えないんですか? これはただの火事じゃない。妖怪が町を襲ってるんです!」

 遼介の言葉に、火消したちは一瞬言葉を失ったが、

「……何言ってやがる。こんな真昼間から妖怪なんぞ出るもんか。そんな道理に外れた事ぁ、お天道様が許しゃしねぇよ」

 と、笑い飛ばされた。

「そうか、見えないのか?」

 遼介のすぐ後ろに、まさに影のように立っていた忍者に問うと、

「言ったであろう。普通の人間には妖怪はそう容易く視えぬと。妖怪を信じる気持ちがありながら、まさかと否定してしまうものだ。あれはただの火事だ、風の音だ、見間違いだ、獣かなにかの仕業だ、とな」

 そんな……。遼介は燃え盛る炎の中で回り続ける観覧車のように巨大な車輪を見上げた。

 何にしろ、このまま引き下がるわけにはいかない。どうするか?

「火消しの方々」

 こんな大火事の中でも、結い上げた髪や着物の着付けにまったく乱れのないエルザが一歩前に出た。

「妖怪は、これより現れるのでございます。天を」

 と、人差し指を上へ向けて指し示す。

「ご覧下さい、と申し上げます」

 すると、ほぼ真上に見える太陽が欠けていた。

「な、何だぁ! お天道様が」

 町火消の男たちが一斉に騒ぎ出す。

「お天道様が……喰われてる!」

 皆既日食である。太陽が端から少しずつ、欠けていく。それにつれて空は暗く、地上の炎は明るさを増していく。

 天と地の逆転。昼が夜に……闇に、侵食されていく。

 遼介は皆既日食を知識として知っていても体験するのは初めてであり、妖怪が引き起こした大火事の中、陽の光がなくなっていくのはどうしようもなく恐ろしい光景であった。

 日食を知らない町火消たちや玉藻は、まるでそれが魔物の所業であるかのように天を見つめて畏れを抱いている。

「ええ、ええ。暗闇には……魔物が潜むのでございますとも」

 闇夜の鴉がそう告げたのが合図であったかのように、それは始まった。

 人のいない、炎に覆い尽くされた大通り。遼介たちがやってきた方向は、既に建物が燃え尽きたのか、自然に鎮火し始めているようだった。

 火がなくなれば、その分暗闇は深まる。そこから、異形の行進がこちらへ向かってやって来た。

 先頭には群れをなしている、襤褸を身にまとった鬼。

 その後ろに続く、多種多様なあやかし達。獣か赤子のような鳴き声で喚く老人、得体の知れない巨大な白い鳥がピョンピョンと跳ねるように進む。異様に首の長い巨大な坊主頭はぎょぎょろとあたりを睥睨し、箪笥のような化物はがたがたと奇妙な歩みを続けている。その他にも何十……あるいは百を越えるかという大勢の妖怪が列をなして進んでくる。その周りにはいくつもの人魂が乱れ飛ぶ。

 時ならぬ闇に包まれた大通りの真ん中を練り歩く、悪夢のような行進。

「百鬼夜行……」

 玉藻が放心したように呟いた。

「な、なあ遼介。どないしたらええの? こないな数の妖怪相手にできるわけないやん」

 彼女は取り乱したように言う。

「あ、ああ……」

 行列は、先陣を務めるかのように歩く鬼を先頭に、ずらりと続いている。大きさも種類も様々なあやかしが、我が物顔で人間のための大通りを練り歩いてくる。

 その地獄のような光景に背を向けて振り返れば、燃え盛る炎と巨大な火車。

 火消したちは自分たちの見ているものが信じられないように呆然と立ち尽くしている。

「エルザさん! どうすれば」

 金髪の和装美女は袖口から何かを取り出した。見覚えのあるペンライト状のそれは、他の場所へワープできるアイテムだ。

「ちょ、ちょっと待って下さい。逃げる気ですか?」

 彼女は町火消たちから距離を取るように隅へと移動し始めていた。

「せめて、逃げるならこの場の全員でお願いしますよ? まさか火消しの人たちを置いて行く気じゃ……」

 抗議の言葉に耳も貸さず、玉藻と遼介の襟首を掴んで引き寄せる。

「……仕方ありません。無関係な人間に呪器を使わせるわけには参りませんので」

 と、妖怪の群れに気を取られている火消し達の視界から逃れようとする。意外な程に力が強い。

「ま、待ってくれ! 冗談じゃない。世界を救うって言ったじゃないか。それなのに目の前の人たちを見捨てるのか」

 どうしてこうなんだ、天狗の仲間は?

「そのために見捨てるのです。必要な犠牲です。さあ、お急ぎくださいと……」

「ちょ、姐さん。そりゃあアカンわ。そないな事したら、うち二度と戦われへんで。妖怪と戦うなんておっそろしい事、たとえ自分がやられても何かの役には立ったんやっちゅう気持ちがなかったら、ようせぇへんさかい」

 玉藻の加勢にふう、と棒読みのようなため息をついたエルザは、

「では、どうなさいますかと問い質します。これだけの人数であの数の妖怪を相手にするのは自滅行為です」

 そこへ、闇に紛れていたカラスと影が現れた。

「そんな時こそ、八咫鴉の先導が必要でしょうとも! ええ、ええ。こういう時に頼って頂かずしてどうするのです!」

 赤毛の少女姿に変化し、薄い胸を張る。

「……呪器を使わずとも、建物を壊して道を作ることはできる」

 影が感情を交えずに言う。なるほど、そうすれば全員脱出できるか。

「でも、それじゃあ妖怪はどうするんだ?」

 ふん、と影はくだらなそうに、

「どうせ昼が食われているうちだけだ。時が過ぎれば陽は戻り、闇が晴れれば妖怪どもは姿を消す」

 そういうものか。ミサキもうんうんと頷いている。それなら……。

「せやけど、火車はどないするん? あれは昼間でも消えへんやんか」

 そうだった。

「お選びください、遼介様、玉藻さん。火消したちと共に離脱して昼が戻ったら火車と戦う……但しこの場合、それまでに火車が宇戸の町を燃やし尽くして移動し、また何処かを燃やすかもしれませぬが」

 一つ目の選択肢がそれか。

「それ、ダメなやつじゃないですか。他に案はないんですか?」

 遼介の言葉に、ミサキが答える。

「それでは! 百鬼夜行は足止めだけしておいて、その間に火車を退治するという事でいかがです?」

 ん?

「そりゃいい考え……のような気はするけど、そんな事できるのか?」

「ええ。ミサキは視たのです。新たな加勢の到着を!」

 大通りを練り歩く妖怪の群れがいよいよ近づいてきたその時。

 突如、通りの左右に並ぶ屋根の上に人影が現れた。ひとり、ふたり……百鬼夜行を左右から挟み撃つように、十数名の何者かが炎の中に立っていたのだ。

 鎧姿の仁王立ちの姿勢で、燃え盛る炎の中で平然としている。

「おお! 検非違使が出張ってきてくれたぜぇ!」

 火消しの誰かが安堵したように叫ぶ。

 けびいし? どこかで聞いたような……。

 検非違使と呼ばれた彼らは口々に呪文のようなものを唱え始めた。

 すると、百鬼夜行の歩みが目に見えて遅くなった。先頭の鬼たちも苦しそうな表情になっている。やがて完全に行進が止まった。

「やった! これならあとは火車だけを……」

 遼介が喜びの声をあげた、その時。

 

 うふ、うふふふふ。


 おかしくて堪らない、という含み笑い。実に場違いな笑い声である。周囲は燃え盛る炎で囲まれ、大通りの一方には妖怪の大行列。そしてもう一方には巨大な火車。

 こんな状況で笑えるなんて、ちょっと頭の具合が……?

 その笑い声の主は、燃える建物の中から出てきた。鎧を着込んだその姿からすると、どうやら検非違使の一員であるらしいが、足取りがふらふらと覚束無い。

「うふふ、うふふふ……」

 目の焦点も合っていない。他の者が呆気にとられて見つめる中、その人物は遼介たちの前に立ち、妖怪の群れと向き合った。

 女……?

 真っ直ぐに下ろした黒髪は腰のあたりまであり、表情がまともではないが顔立ちは非常に美しい……女性だった。

「おーにさぁーん、こっちらぁ。鍔鳴る方へ……」

 彼女はふざけたことを言いながら先頭の鬼たちを誘うようにする。

 人の言葉ではない、何やら鳴き声のようなものを鬼たちがあげた。しかし検非違使の唱える呪文のせいで動けず、くやしそうに身悶えている。

「あぁらぁ、かわいそぅね。 ……あらあら」

 狂った笑顔を浮かべる女の腰の刀が小さく震えていた。


 かた、かたかた、かたかたかたかたかたかた……。


「ごめんねえ鬼さんたちぃ。でも、吾の前に出てきたのがいけないのよぉお? ねえぇ、人の言葉はわかるのかしらぁ?」

 狂った言葉を続ける女に、鬼たちは牽制するような唸り声をあげた。

『フザ、ケルナ……! ワレラノアユミヲジャマスルナド……』

 奇妙な抑揚ながら、人の言葉を操る鬼が声をあげた。その声に加勢するかのように周りの鬼も鳴き声をあげる。

「うふふ、そう。わかるのねぇ。それじゃあ……ちょっと何よお、吾の獲物を横取りする気?」

 そこで、検非違使の女の表情が変わった。急に正気に戻ったかのようだった。

「検非違使一番隊隊長、水無藻刀兼。あやかしを成敗する」

 口調も、声音も変わっていた。まるきりの別人に思える程の豹変ぶりである。

「……抜刀する。最期の祈りを済ませるが良い」

 それは一瞬の出来事だった。

 炎に照らされて、女の抜いた刀の刃が光を放ったのだけはわかった。

 しかし、どのようにして十匹以上居た鬼たちが全て斬り捨てられたのか、まったく見えなかった。遼介が気づいたときには刀は鞘に再び収まり、きん、という澄んだ音を立てていた。

「な……何だ、今のは」

 エルザが注意を促すように声をあげる。

「遼介様、下がってください。あの女は危険です。玉藻さんも……どうしました?」

 ケモ耳の少女は顔を真っ青にして小さく震えていた。

「そんな……まさか」

 水無藻刀兼と名乗ったあの女。どうやら検非違使という組織の一員らしいが明らかにおかしい。あの刀がこちらに向けられないという保証はないだろう。それにしても、

「おい玉藻。どうした?」

 その言葉で目が覚めたように遼介を正面から見て、安堵したような表情になる。いくら得体の知れない女を目の前にしたからといって反応が大きすぎる。

「あ、ああ……ごめん。堪忍や」

 その時、屋根の上で呪文を唱えている検非違使の一人が叫んだ。

「隊長! 違います。こちらは我々が抑えますので、隊長は火車を退治してくださいと申し上げたではないですか!」

 一人が呪文を止めたせいで再び行列が動き出す気配を見せた。慌てて再び唱え出す。

「そう言うな、刀尋。目の前に鬼が居たら斬りたくもなろう」

 若干心残りの表情で、それでも行列に背を向けて火車と向き合う。

「……しかし。このように大きな獲物を如何にすべきか」

 はてと首を傾げる検非違使の隊長。何だか妙な具合だ。

「もし! あなた様は検非違使の隊長さんでいらっしゃる? つまりは他の方々よりも遥かに呪術に秀でた方でいらっしゃるのでしょう! しかもその腰の刀! それは相当に力のある妖刀と見ましたが?」

 ええ、ええお見通しですとも、とミサキが得体の知れない女に近寄る。

「ん? 何だ、八咫鴉か。珍しいな、誰を導いているのだ?」

 人の姿のミサキを一目見ただけであっさりと見抜いたようだ。

 よくぞ、とミサキはカラスの姿に戻り、

「聞いて下さいました! ミサキの導くこのお方こそ、世界を救うために遥か遠方よりお越しいただいた遼介様に御座います!」

 ばさりと羽を広げて紹介されてしまったが、なんと答えたものか。

「ほう。世界を救ってくれるのか。それは有難い」

 言葉通りに受け止めた水無藻刀兼は、

「では、頼む」

 と言って火車を見上げる。

 いやいや。

「そう言われても俺もまだ二回目なんで。できれば隊長さんにも協力してもらえるとありがたいんですけど」

 そう言うと、

「そうか。ならば私も共に戦うとしよう。だが、あのような妖怪を如何にして討伐する?」

 こうして話していると気が抜けるような対応をしてくる。まるで二重人格だ。

「なあ、玉藻。どうだ、お前の弓で」

 なぜか遼介の背中に隠れるようにしているケモ耳少女に声をかけると、

「ああ、うん。せやな、うちも頑張るさかい、そっちはそっちで気張りや」

 早口で言い、更に顔を隠すようにする。

「おいおい、なんで急にコミュ症になってんだ」

 こら手前ぇら! と火消し連中が我を取り戻して言う。

「邪魔ぁすんじゃねえよ! 妖怪のことは検非違使に任しときゃいいんだ! それよりどきやがれ、火を消さねえと……」

 と、腕まくりで遼介たちを排除しようとした男が、急に白目を剥いてその場に倒れた。

「おい、どうし……」

 異変に驚いた他の火消したちも次々と倒れていく。まさかと思って振り向くと、エルザが着物の袖に何かを隠すように仕舞うところだった。

「エルザさん、何したんです」

 遼介様は、と相変わらずの無表情で彼女は言う。

「火消したちも救うことを選びました。ここで我々が排除されてしまえば、彼らは火車に焼き殺されるでしょう。それを避けるため、傷つけずに無力化させただけです」

 また怪しげな呪器とかいうものを使ったらしい。

「まあ、そういう事なら……」

 結果的にこれでいいのは確かだ。あとは検非違使と協力して火車を……

「あらあぁ? 何やら不思議な力を持ってるのねぇぇ。金色の髪の方……うぅん、美しいわぁ。そんなに美しいと、吾は……」

 かたかたかた、と恐ろしい音が始まった。腰の刀が勝手に震えているのだ。

「……壊したくなっちゃうじゃなぁい?」

 まずい。この刀兼という女も危険だが、こんな事していたら確実に火車が町を燃やし尽くしてしまう。

 その時、遼介の背中から玉藻が飛び出した。

「おやめ下さい、姉上!」

 狂い始めた女隊長の鎧の胸に体ごとぶつかって行く。

「あ、ね……? あ、あな、たは……」

 刀兼の目に正気が戻る。

「ま、まさか刀梨……? 嘘だ、なぜ……」

 鍔鳴りが止み、水無藻刀兼の体から力が抜けていく。

「お、お前本当に、刀梨なのか? 山寺に里子に出されて、それから」

「話はあとにして下さい! うちはそれから、この」

 袖口から竹筒を取り出した。

「可愛い狐たちと出会うたんです!」

 先端から顔を出す、管狐。

「まわれまわれ、まわりてめぐれ。めぐれめぐれ、めぐりてかえれ。還るはあれなるお前の棲み家!」

 抉奪の弓に管狐が取り憑いた。

「遼介! 核はどこか、わかる?」

 言われて巨大な火の車を見上げる。手にした槍に気持ちを集中させる。

 轟々と燃え盛る炎、その中心、大元、源……。

「……見えた。けど……」

「何や! はっきり言い!」

 言いにくいが……

「裏側だ」

「はあ?」

「今、こっちを向いているのと反対側だ。裏側に奴の核はある。背中に隠してんだよ」

 何ちゅうえげつない……と、肩を落とす玉藻。町全体が燃えているような大火の中で、あんな巨大な妖怪の背後に回り込むことなど、とても出来そうにない。

「どうやったら、背中なんて狙えるんだ」

 実は遼介がこう考えてしまった時点で、刺核の槍は火車の背後が見えている状態でなければ刺さらなくなった。全く見えていない場所でも必ず刺さる、と信じていればどこから槍を投げたとしても必ず核を貫いたのであるが。

「……刀梨。その弓で援護しなさい。私が、あの妖怪を倒す。どこかに足のようなものがあるならばそこを斬る。完全に宙に浮いているのだとしても、何箇所か斬ってやれば落ちるだろう」

 冷静な口調だが、言っていることは無根拠で無茶苦茶だ。

「分かりました。うちが道を作りますさかい、ご武運を!」

 玉藻は迷いなく矢を放つ。火車のあちこちに当たり、その周りの炎を抉り取って行く。

「検非違使一番隊隊長、水無藻刀兼、参る!」

 刀を鞘に収めたまま、刀兼は巨大な妖怪目指して走り出した。

 玉藻は赤く光る矢を次々に放つ。それは火車だけでなく、その炎によって焼かれている建物も抉り取っていく。どうやらあやかしによって燃やされたものにも弓は効果を発揮するようだ。その穴のひとつに今、水無藻刀兼が飛び込んだ。一気に火車の足元に到達する。周りの炎などには目もくれずに驚異的な跳躍力で飛び上がり、妖刀を一閃する。火車の輪の下部に少し傷をつけた。

 しかし、ゆっくりとした回転は止まらず、炎の勢いも緩まない。

「……再び、抜刀する」

 抜き放った妖刀が更に火車を切り裂く。やがて玉藻の開けた穴が周囲の炎で塞がれた。巨大な妖怪の足元に閉じ込められた刀兼はしかし、まるで怯む素振りも見せず刀を振るい続けた。しかしそれは呪われた妖刀の望むものではなく、刀兼自身の意思で振るう剣である。火車を多少斬ることはできても、それで巨大な輪を地面に落とすことはできそうになかった。

「さてどうするか。これでは埒があかぬな」

 炎の中で刀を構えた刀兼はつぶやくようにそう言った。

「姉上!」

 姿の見えなくなった刀兼に向けて玉藻が叫ぶ。

「くそ……どうすれば」

 焦る遼介の目に、光が差し込んできた。最初は錯覚かと思ったが違った。空を見上げると、ゆっくりと太陽が暗闇から顔を出し始めていた。日食が終わろうとしているのだ。

 振り返ると、百鬼夜行の行列がゆらゆらと陽炎のように揺れ始めていた。それは次第に靄がかかったように朧ろになり、そして消えた。

 太陽が再び地上を照らし始めた。町は大半が燃え尽きてしまったようで、検非違使の隊員たちが立っていた建物もほとんどが真っ黒な炭になり、音を立てて崩れ始めていた。

 火車は相変わらず炎をあげて回り続けているが、その下で燃えていた炎はだいぶ少なくなっていた。木で出来た建物が燃え尽き、鎮火に向かっているのだ。町を燃やし尽くしたら火車は他へ移動してしまうかも知れない。ひょっとしたらこの町の人達が避難した先へ行く可能性もある。 

「ふざけんじゃねえ。逃がすかよ」

 思わず熱くなった遼介の言葉を、背後から来た誰かが引き取った。

「当たり前だ。我々検非違使が出動して祓われぬあやかしなど、あってたまるか」

 百鬼夜行が消えて、呪文の詠唱が必要なくなった隊員たちだった。先頭に立って他の隊員を仕切っているのは、刀尋と呼ばれていた男だ。

「先の言葉を信じるならば、お主は妖怪の核とやらが視えるそうだな。それはつまり、急所のようなものがわかるという事か?」

 刀尋が言うのに玉藻が横から口を出す。

「そうや! 遼介はその槍でえげつないモンを退治してんねんで。信用しい!」

「……お主は、真に隊長の妹なのか」

 あからさまに不快そうな顔になって言う。

「その話は今せんでええやろ! とにかくそういうこっちゃ! 遼介にあの妖怪の背中を見せてさえやれたら万事解決って訳や」

「そのような下品な口調に、ふざけた耳や尾を付けた者が水無藻を名乗るなど……いや、確かに話はあとだな。ではどうする? 何か策はないのか。なければ我らはまず隊長を助けることを第一に考えるが」

 御座います、と口を開いたのはエルザだった。金髪碧眼の和装美女に、検非違使隊員の何人かが好奇の目を向ける。彼女の肩に三本足の鴉が止まった。

 そちらへ小首を傾げるようにして小さく頷いた彼女は、

「あの妖怪、火車は宙に浮き、回転することで身を安定させているようです。つまり」

「成る程、その動きを止めてやれば良いのだな」

 即座に考えを読み取った刀尋が言う。

「ご明察にございます。先ほどの見事な呪術を再び振るって頂けませんでしょうか、と要望致します」

 心得た、と検非違使たちは刀尋の指揮に従って即座に呪文を唱え始める。その動きは実に統制がとれたものであり、訓練が行き届いた隊であるのがわかる。

「では、影は町火消を安全な場所へ、と命じます」

 エルザは呪器で空間に割れ目をつくった。

「お主に命じられる筋合いはないのだが……まあいい。あとは任せて良いのだな?」

 渋々という口調で言い、気を失っている町火消たちを肩に担いでは次々と割れ目に放り込んでいく。

「ん……な、なんだ。どうなってやがる……グゥッ!」

 火消しの一人が目を覚ましてしまったので、影が当て身を食らわせて再び眠らせてから割れ目に放り込んだ。やがて全員を放り込むと自分も中に入る。

「では、頼んだぞ」

 割れ目が閉じて消えた。これで町火消たちを巻き込むのを避けられる。火車に向き直ると、検非違使の呪文が効果を発揮しつつあるようで、回転が遅くなっていた。

「なあ、エルザさん。あの回転が止まって倒れるのはいいけど」

「はい」

「あっちに向かって倒れる可能性も、あるんだよな?」

 そうなったら、完全に核が隠れてしまう。文字通りお手上げだ。

「ええ。半分半分ですと、認めます」

「半々ならまあ、分の悪い賭けではないけどな」

 あえてニヒルな笑みを浮かべる遼介。

「分の悪い賭けではないけどな、やないわ! 何で今になってそないな事言い出すねん!」

 弓を引く手を休めて突っ込みを入れる玉藻。すでに数え切れないほど矢を放ち、体力は限界だ。

「おい、少し休んだらどうだ? 顔色悪いぞ」

 遼介が労いの言葉をかけると、玉藻は肩を落として大きなため息をついた。

「ああ……今ので、どっと疲れたわ……」

 その時、火車の回転が完全に止まった。巨大な車輪は炎を上げたまま、地面に落ちた。

 町の燃えかすを押しつぶす音と振動、地響き、続いて突風。生半可な地震など比較にならないほどの衝撃が宇戸の町を襲った。燃え尽きかけていた建物が次々に崩れ落ちる。

 そして、地に堕ちた巨大な炎の輪は……倒れなかった。回転が止み、地面に沈み込む形になったせいでそのまま立ってしまったのだ。

 検非違使たちはそれでも呪文をやめない。既にあたりはほとんどが焼き尽くされ、火車は目的を達してこの場を去るかもしれない。今拘束を解くわけにはいかないのだ。

「検非違使の皆様、あとどれほど呪力が保ちそうですかと問いかけます」

 詠唱を止めずに振り向いた刀尋が小さく首を振った。あまり長くはない、という事であろう。

 詰んだか、と遼介が内心思ったその時。

 何かを叩くような、重く大きな音が響いた。それは地面に刺さった火車の下部から聞こえてきていた。気のせいか、うふふと笑う声も聞こえたようだ。

「姉上……姉上はまだ、諦めてへん! そうや、うちも!」

 再び気力を奮い起こして矢を放つ。

「くっ……副長、申し訳ありません!」

 検非違使の一人が倒れた。それを皮切りに、次々と隊員たちが崩れていく。

 それでも一人で呪文を唱え続けているのは刀尋だ。副長ということは刀兼の次に、この中では一番の実力者なのだろう。

 決死の表情で詠唱を続ける検非違使、同じく必死に矢を撃ち続ける飯綱遣い。そして姿は見えないが火車を斬りつけている検非違使の女隊長。

 一人だけの呪文では抑えられなくなった火車が再び宙に浮き始めた。ゆっくりと回転を再開する。

 ところが、その輪は一部が欠けていた。地面に付いていた部分を刀兼が叩き切ったらしい。角度で言うなら二〇度ほど、観覧車ほどの大きさのそれを切り取ったわけだ。人間業じゃないなと遼介は思う。

 そのせいで、火車の回転はいびつなものになった。重心がずれた回転は次第に斜めになり、奇妙な方向へと回り始めた。焼け野原となった宇戸の町の空に浮かんだ巨大な炎の輪が不格好に回転する。しかし空へ浮かんでいく動きは止まらず、このままでは逃げられてしまうのは確実だ。

「遼介様。この動きなら、もう少しで火車の反対側が見えます、と指摘します」

 エルザの言うように、空に浮かんだ巨大な炎の車輪はゆっくりといびつな回転をして、後ろにしていた面をこちらに……というより下へと向けつつあった。

「そうだけど……さすがにあの高さまでは届かないですよ」

 しかも上に向けて投げなければならないのだ。オリンピック選手だって無理だろ、こんな距離。

 そうですか、とエルザは無表情の中に無念さをにじませながら言った。少々変わっているといってもやはり人間だ、どうしても奇跡を信じられないらしい。

「では、仕方がありません、と……」

 エルザは遼介の視線を追って、言葉を切った。

「玉藻。それ貸してくれ」

 と、抉奪の弓を指差す。

「はあ? 何言うてんのや。あんたの獲物はそれやろ」

 ああ、と遼介は強引に弓を奪うように手にした。

「もう矢をつくるのは無理だろ。お前の狐の力を借りるぞ」

「あんたまさか……そう。そういう事かいな」

 呆れ顔でうなずく玉藻。

「そういう事や」

「真似せんといて」

 遼介は玉藻の弓に、矢の代わりに刺核の槍をつがえた。

「さすがに、無理があるな」

 矢に比べて遥かに長く、それなりに重量もあるので安定しない。火車はもうすぐ裏側をこちらに向ける。遼介の目には、その中央の辺りに青白く光っている核がはっきりと視えていた。

「あそこか。 ……くそ、きついな」

 槍をつがえた弓を上に向けようとするが、ふらついてしまう。

「ホンマに、世話が焼ける男や」

 弓から大きくはみ出た先端部分を玉藻が支える。

「微力ながら、ミサキもお手伝しますとも。ええ、ええ!」

 娘の姿になった八咫鴉は横から手を出して弓を支える。

「もう一人、槍を支えた方が良いでしょう、と助力します」

 エルザも槍の先端を支える。

「手を貸すぞ、少年よ」

 刀尋が遼介の背後に回り、手に札のようなものを持って再び呪文を唱え始める。すると、槍をつがえた弦をひく右腕に力が漲ってきた。これなら行ける、と遼介は確信を抱いた。と同時に、子供向け特撮ヒーローの必殺技みたいだな、と思ってしまった。

「……ふっ」

「何を笑てんねん! しんどいんやから早よしい!」

 玉藻の声に悪い、と応えた遼介はしかし、こう呟くのは忘れなかった。

「さあ、クールに決めるぜ」

 背後で呪文を唱える刀尋がほんの少し眉を動かした瞬間、空に浮かぶ火車に向かって刺核の槍が放たれた。炎にあぶられている青空を切り裂くように槍は飛び、そして車輪の中央を貫いた。

 一瞬、火車の炎が大きく燃え上がり、そして全ての火が消えた。遅れて大量の煙が空に放出される。巨大な消し炭になった車輪が端からボロボロと崩れ、落ちてくる。

「やった……あ! あのあたり、まだ姉上が」

 慌てて駆け出そうとする玉藻の肩を後ろから叩く、鎧姿の女性。

「案ずるな、既に脱出している」

 全身煤にまみれて、いくつか火傷も負っているようだが、大きな怪我はなさそうだ。

「刀梨。久しいな」

 優しい目で水無藻刀兼は言う。とうり、というのが玉藻の本名なのか。

「ひ……」

 俯いて、肩を震わせるケモ耳娘。

「ひ?」

 その顔を覗き込もうとする刀兼。

「人違いですうぅ!」

 脱兎のごとく逃げ出してしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ