表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それは金剛童子と呼ばれた  作者: 和無田剛
3/10

二章

二章「月夜の妖怪退治、想定外の遭遇」


 神は龍に乗り、この地に降り立った。

 龍はそれまでの戦いで傷つき疲弊していたので、他の神がまだ居ないこの地を養生の地と定めたのだ。

 龍は大地に降り立つと、安堵の息を漏らしてその身を長々と横たえた。するとそれは大きな山となった。それは後に『守護山』と呼ばれるようになる。

 この地こそ安住の地であれ、と神は願った。他の神との争いはもう起きて欲しくないと。この地に降り立ったのは心優しい神だった。

 神は人に、様々なものを与えた。それはひとことで言うと文明である。

 意思を伝えるための言葉、その言葉を書き記すための文字、作物を育てるための技術、獣を狩るための技術……様々なものが与えられ、それは人々の暮らしを爆発的な速度で発展させた。それまで動物と大差ない暮らしをしていたヒトという種は、神と出会う事によって人類となったのである。

 神の力は絶対であり、その姿が人目に晒される事はなかった。神の意向により築かれた『神宮』の本殿に篭もり、そこには世話役として選ばれた巫女と、神の言葉を伝える預言者のみが入ることを許された。

 やがて神宮の周りに人の住む町が出来上がった。背後に龍の眠る守護山がそびえるその地に、多くの人が暮らし、田畑を耕し子を産み育てて死んでいく町が。

 その町は『みやこ』と呼ばれた。都とも京とも書き記された文献が残っている。

 神は『天帝』として自らみやこを治め、長く繁栄と平和の時代が過ぎた。

 しかしある日、『荒ぶる神』が天下り、『国譲り』を求める。

 それは武力を背景にした無条件降伏勧告であり、従わなければ滅ぼすという宣戦布告でもあった。

 天帝は争いを望まなかったが、荒ぶる神は他の選択肢を与えなかった。

 すなわち、降伏か、交戦かである。

 天帝は仕方なく戦う道を選んだ。

 今までにいくつもの文明を奪い、我がものとしては気ままに弄んだ挙句に気に入らなくなると破壊してきた荒ぶる神に、この国を渡したくなかったのである。

 神同士の戦いは、四つの季節がひと巡りする長きに渡って続いた。それによってみやこや他の集落に住む人々にも多くの被害が出たが、天帝は荒ぶる神に勝利した。

 完全に倒すには至らなかったが、その力を弱め、荒ぶる神がいずこかへ逃げるまでに疲弊させたのである。

 そうして平和を取り戻した後、同じく疲弊した天帝は龍の眠る守護山へお隠れになった。

 それからは天帝の子孫である『帝』が国の頂点に立ち、政の最高決定権を持った。神から人へと統治権が移り、神話の時代が終わったのである。

 神の血をひく子孫は全て女性が生まれる。

 それは神話の時代が終わり、人の世となり月日が流れ、神という存在が概念に近づいた近代になっても依然として変わらず、帝は常に女性であり、現在宇戸城に招かれて……実質的に幽閉されているのもまた、神である天帝の血をひく女帝であった。


「ふうん。じゃあ、エルザさん達はその帝に仕えてるんですか?」

 じき町に出ますという彼女の言葉通り、人の活気が伝わってきていた。既に妖怪を目にして、エルザの不思議な術や騒がしい八咫鴉とも出会った後では神の実在を信じるのもやぶさかではなかったが、こうして明るい道を歩いていると流石に神話に出てくるような神様が今もどこかに居る、というのは現実感に欠けた。

 ならばその血をひく囚われの女帝の命を受けて動いている、という方がしっくりくる気がしたのだ。

「いえ。遼様……いいえ、遼介様は理解が不足していると指摘します。帝は神の血を引いてはおりますが、既に人間との交配が長年に渡って続いた結果その血は薄まり、普通のヒトと変わりがありません。生まれるお児が皆おなごであるという事以外は」

 じゃあ。

「ええ。この国に神は天帝と、いずこかへ落ち延びた荒ぶる神の二柱しかおりません。他の……やおよろずなどと申すものは人の作ったもの、と明かします。当方どもは天帝にお仕えしているのです」

 そろそろ人通りも増えます故、この話は終わりにしたいと存じますとエルザは口をつぐんだ。

 それからは、本当にただ町を見物して歩いた。宇戸の町は今日も賑やかで、屋台で白身魚の天ぷらを食べたり、天秤棒をかついだ行商人から薄い砂糖水を買って飲んだり、店先に並んだ番傘や籠などの竹細工をを眺めたり、などとするうちにあっという間に時間が過ぎた。

 すっかり観光気分の遼介は、茶屋の軒先の長椅子に腰掛けて団子と茶を味わっていた。団子はみたらしで、茶はやや薄いが普通の緑茶のようだった。

「おう、異人の姐さん。今日は小僧連れかい?」

 通りがかった法被姿の男がエルザに気軽な調子で声をかけた。

 法被は藍染めのもので、背中に大きく『白』と染め抜かれていた。

「小僧、どうでえ宇戸の茶は? 見たところどこか他所から来たみてえだが、なに、安心しな。ここにゃ生粋の宇戸っ子以外にもよそからの流れモンがごまんと居らぁ。最初は皆、吃驚するモンなんだよ、宇戸の茶は苦い、ってな。他じゃあ、こんなにまともな茶なんぞ飲めねえだろ?」

 いやどちらかというと薄いんですけど、とは言えないので言葉を濁しておくと、

「おうおう、男がそんなこっちゃいけねえやな。もっとしゃんとしやがれってんだ。折角こんな別嬪さんのお供になったんだ、背筋を伸ばして男らしくしな!」

 はあそりゃどうも、と遼介が適当に返事をしていると、

「おおっと、こうしちゃいられねえ! これから白組の集まりなんで、ご無礼するぜ!」

 勝手に慌てて行ってしまった。

「何なんですか、今の人?」

 口直しに宇戸の茶をすすり、聞いてみる。

「町火消しの方です。お名前は……そう言えば聞いておりません」

 あの男もエルザの名前知らないようだったな、そのくせやけに馴れ馴れしかった……見ず知らずの俺にも。宇戸っ子は皆そんな気質なのかと遼介は思う。

「いや、偏見だよな。これだけの町なんだ。いろんな人間が居て当たり前……」

 団子を頬張りながら通りを行く人々を眺める。大通りは左側通行が徹底されているようで、皆きちんと左右に分かれて歩いている。道はやはり未舗装だが荒れていないので歩きやすい。

 扱う商品によって様々な趣向を凝らした格好の行商人、お付きの娘を従えて優雅に歩く高価そうな着物のご婦人、箱のついた棒を肩に担いだねじり鉢巻きの男は飛脚だろう。老人の姿はあまり見られない。せいぜい四〇代くらいまでの男女がほとんどだ。平均寿命が短いのだろうと遼介は思う。

 そろそろ戻ろうか、と立ち上がる。意外に快適で楽しいところだがいつまでも観光している訳にもいかない。

「では、こちらへ」

 とエルザは来た時と反対方向へ足を向けた。

「あれ、こっちでしたっけ? 俺わりと方向感覚には自信あるんだけど」

「申しませんでしたか? と確認しつつ話を続けます。今日は見物だけが目的ではありません。適合者と童子を橋渡しする者を迎えに来たのです」

 聞いてねーし。仲間が増えるってことか?

「てか、何ですか童子って。こども?」

 色々とまた初耳だと思いつつ問う。

「また後程お話します。……この辺りの筈なのですが」

 どこからか鐘の音が響く。これがこの時代の時報なのだそうだ。

「昼七つ……もしや既に起きてしまったのかもしれません、と悪い方へ考えを巡らせます」

 その時だった。

「待たんかぁい!」

 それは少女のものらしき叫び声だった。その声に追われるように大通りの真ん中を駆けてくる男。深緑色の着物を着たその男は腕に風呂敷包みを抱えている。

 男の後を追って小柄な少女が走ってくる。状況からみて荷物を盗んだ男を持ち主が追いかけているというところだろう。

 周囲の男どもが、おお何でえ捕物か? などと声をあげているが単なる野次馬根性らしく、盗人らしき男を捕まえようという素振りは見せない。

「どけどけ!」

 目の前を走り抜ける男。立ち上がりかけた遼介をエルザは止めた。

「暫しお待ちください、と制止します」

 なんで、と問う間もなく目の前をを少女が通り過ぎる。なかなかの瞬足だ。

「……え?」

 見間違いではないかとその後ろ姿を見るが、間違いない。盗人を追いかけている少女の頭にはピンと立った動物の耳が、そして腰にはフサフサの尻尾が生えていたのだ。

「獣人とか! そういうのもアリなのかこの世界!」

 今度こそ立ち上がった遼介よりも早く、少女の後を追って駆け出したのはエルザだった。

 大通りのど真ん中、人の往来も多い中で白昼堂々の捕物。追う側のケモ耳少女はいきなり立ち止まり、懐から何かを取り出した。たて笛のような棒状のもの、それは竹筒だった。

「もう承知せえへん……。いでよ、うちの愛しき狐たち!」

 そう叫ぶと前方へ竹筒を構える。

「およしなさい。飯綱遣いですね? この様な人目につくところで術を行使しては検非違使の耳に入ります、と忠告します」

 少女の背後から竹筒を持つ腕をつかんで制止したのはエルザだった。

 派手に捕物をやらかしたケモ耳しっぽ付きの少女。しかも着物は派手な桃色に染められた花吹雪柄の華美なもの。そしてそれを止めたのは金髪碧眼の美女である。当然その付近の人の目を完全に引きつけた。なんだなんだと見物客が更に増えていく。

「けびいし? 嘘つけ、検非違使は古都におるんや! 宇戸に検非違使はおらへん!」

 少女は振り返り、彼女の邪魔をしたエルザに食ってかかる。

「情報に疎いのですね。怪異の増加と治安の悪化に伴い、検非違使庁はこちらにも支部を置きました。怪異の発生はもちろん怪しげな術を遣う者があればすぐに駆けつけます、と重ねて忠告します」

「うう……」

 少女は腕を下ろして項垂れた。

「荷物全部持って行かれてもうた……路銀もあの中に入っとったのに」

 耳もしっぽも力なく垂れているように見える。

「そうですか、それはお気の毒に。どこか他所から見えたのですね、と質します」

 言葉通りに同情しているようには全く見えない彼女は言う。既に少女の荷物を盗んだ男の姿は見えなくなっていた。もう終わりか、とばかりに見物人たちは散っていく。

「ええ……。こっちのよろず屋で下働きさせてもらうはずやってんけど、事情が変わったとかで断られてもうて……。そしたら荷物まで盗まれてもうて。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂ですわ」

 はは、と乾いた笑いを漏らす。すっかり途方にくれているという顔だ。

 それなら、とエルザは少女に手を差し出す。

「当方どものもとで働いて頂けませんでしょうか、と提案します。丁度飯綱遣いを求めていたのです」

「ほ、ホンマですか!」

 少女は信じられない、とばかりに目を輝かせたがエルザの隣の遼介はため息をついた。

 今の、仕込みだろ絶対。


「いやー、しっかしホンマに助かりましたわぁ。 ……あ、それもう食べへんのですか? それやったら、うちがもらいますわ」

 すっかり落ち着いた様子で茶屋の店先に腰を下ろして次々と団子を頬張るケモ耳娘。

 喉に詰まりかけた団子を茶で流し込むと顔をしかめ、

「うへえ、やっぱりホンマなんやなぁ。宇戸の茶は苦いって」

 あの言葉、意外に有名なのか。

「ああ、落ち着きましたぁ! やっとこさ人心地がつきましたわ」

 皿に串の山を築き上げ、大きく息をついて言う。

「改めまして、うちは飯綱遣いの玉藻、いいます。どうぞよろしゅう」

 ぺこりと下げた頭は、やや茶色がかった髪を結い上げずにそのまま下ろした、この世界では特異なスタイル。そしてその上にピンと立った耳。

 なあ、と遼介が言う。

「なんでそんなの付けてるんだ。流行ってるのか?」

 近くで見ると作り物であることが分かる。それは狐の耳と尻尾を模しているようで、そうなると当然、玉藻などという名前も嘘臭く感じられる。

「はやて? 何云うてはるんです遼介はん? これはイヅナ……管狐いう方がうちは好っきゃねんけど、可愛い狐たちと仲良うなるために自分が狐に近づくためのモンや」

 それはつまりコスプレか。遼介は思ったがどうせ伝わらないので黙って頷いておいた。

「当方はエルザと申します。さるお方のもとでこの国を救うために働いております。こちらの遼介様も、この世の秩序を乱す妖怪変化や魑魅魍魎を退治する為に遥か遠くよりお越しいただいた客人です」

 エルザがハードルをあげて紹介するが、そもそも自分が何をするために転生したのかも聞いていない遼介は、曖昧にうなずいてお茶を濁す。

 へえ、と興味を持った様子の玉藻。自分と同年代くらいの遼介を値踏みするように見る。

「遼介はんは、どのような?」

 派手な桃色の着物の袖で口元を隠すようにして聞く。

「どのような、って?」

 質問の意図がわからないので聞き返すと、

「そない惚けんでもよろしいやないですかぁ。どないな能力をお持ちなんか、お聞きしておりますんや」

 ああ、そういう事か。

「まあ、人の心を読む、みたいな感じかな」

 まさかこんなに普通のトーンで自分の秘密を初対面の相手に告げる日が来るとは思っていなかった。

「ほう、それはまた」

 何が、それはまたなんだ?

「なかなか結構なお力やないですか? そらまた羨ましいですわ」

 あからさまな社交辞令で誤魔化すケモ耳。調子のいい奴だ、と遼介は思った。


「いやー、ええとこですねえ。こちらにエルザ姐さんの親分はんがお住まいなんで?」

 三人連れになって戻ってきた天狗の屋敷の門をくぐってすぐ、大して周りも見ずに言う新入り。

 職なし家なし一文なしから、住み込み食事付きの働き先を手に入れたとあって、玉藻はご機嫌である。

「現在我が主は遼介様の寄り代となるものを準備しているため、お会いするのは後ほどとなります、と前もってお断りします」

 ええええ、お忙しいんでしょうねぇ構いまへんわぁと調子を合わせる。

「夕餉の支度が整うまで、お休みください。玉藻さんはこちらへ」

 と、ケモ耳は屋敷内へ招き入れられる。遼介は庭にある小さな離れへ移動となった。元々荷物もないのでそのまま鄙びた小屋に向かう。中の広さは四畳半くらい、普段使っていないようなのに掃除が行き届いていた。

 さて、と床に腰を下ろす。

 結局いまだに自分が何をするべきなのかもわからない。まあ、新しい仲間も加わった事だし、まとめて説明してくれるのかもな。

 わからない事だらけではあるのだが、不思議と不安はなかった。

「邪魔しますでぇ」

 扉が勢いよく開けられて、玉藻が小屋に入ってきた。

「何か用か?」

 突然の来訪にも驚きを見せずに遼介は冷静に応じる。

「あんさん、ホンマに動じひんなあ……。普通もっとこう」

 不満そうに口を尖らせるキツネ娘。

「邪魔するなら帰ってー、とでも言えばいいのか?」

 遼介の言葉に彼女は目を丸くした。

「ええなぁ! その返し最高やんか。あんさん笑いの才能あるんと違う?」

 そんな事どうでもいい。そもそもパクリだし。

「ほな、用件に入りますわ」

 相変わらずのケモ耳姿で話し始める。

「遼介はん、遠くて言うてはりましたけど、どこから来はったんです?」

 なかなか答えにくい質問をされてしまった。果たして自分が異世界からの転生者であることを明かしてしまって良いものなのかどうか。

 判断がつかない事は明言を避けるに限る。

「どうしてそんな事を聞くんだ?」

 ええそれは、とまた竹筒を取り出す。

「この子達がね、騒ぐんですわ。明らかにあんさん、普通の人間やおまへんやろ?」

 まあその通りだが、遼介は無言のまま、否定も肯定もせずにいた。

「……まあ、よろしいわ。遼介はんが来たんが海の向こうからだろうが、空の上からだろうが関係あらへん。それよりもや」

 問題なんは、と続ける。

「あんさんには、うちの狐たちがよう憑かん、言うんや」

「ようつかん、って……俺にとり憑こうとしたのか?」

 何考えてんだこいつは。

「まあ、お近づきの印みたいなもんで」

 やめろ、そんな近づき方。

「ほんで、あんさんの能力が、何とのぅ分かりましてん」

 と、興味深いことを言う。

「俺の? 心を読む、ってさっき言ったよな」

 それよりもっと詳しいことが分かるのか?

「ええ。つまりあんさんは他人の心を覗き込む事ができるんですわ。それも、うちの狐みたいにするっと入って行くんやなく、自分は自分のままで涼しい顔して、外から心を覗き見するんちゃいます?」

 まるで覗き魔みたいに言うな。だがまあ、

「多分、そうなんだろうな。でも断っとくが、俺は自由に覗けるわけじゃないからな。勝手に読めてしまうだけだ」

「へえ?」

 小首をかしげる玉藻の背後から、

「これ以上、間違った見解を深められても後の説明が面倒になりますので、訂正をします」

 いきなり声をかけられて彼女は飛び上がった。

「ひあぁぁぁぁっ! ……姐さん、驚かさんといて下さいよ!」

 寿命が縮みましたわほんまに、と薄い胸に手を当てる。

 遼介はエルザが来たことに気づいていたのだが、あえて黙っていた。

「……それで? 間違うてるて、言うてはりましたけど」

 狭い小屋の中で三人が車座になって座る。

「まず、遼介様の能力は覗きではなく、相手の考えていることや感情を自分の事のように感じ取るというものです。それを目に見える形に表現しているのが、相手の頭の上に浮かぶ文章なのです」

「それってつまり、他人の心に共鳴とか、同調するような感じですか? でも俺はあくまでも他人事にしか感じられないけど」

 ええそれが、とエルザは姿勢よく正座をしたまま応える。

「遼介様の奇妙な所です。性根が捻れているのでしょうか」

 ……言い方が。

「そうした能力を持ちながらそれを無意識に否定しているのです。自分は他人の気持ちなどわからないと。相手の心に寄り添うなどできないと決めつけているので、単なる情報として客観視するために文章という、いわば記号のようなものに変換して現出させているのです、と少々長めの説明をします」

 まあ相手の身になって考える、とか確かに苦手ではあるなと遼介は思う。

「そしたら、うちの狐と近い能力いう事なんですか? この子達は人の心に入り込んで相手を操る……いう程強い影響力はありまへんけど」

 するとエルザは、いいえと首を振る。

「似ているようでいて、まったく違います。遼介様は誰かの心と同化する能力で、玉藻さんの飯綱は誰かの心の隙間に入り込むのです。例えばもう死んでしまいたいと思うほどに絶望している人が相手なら、飯綱はほぼ完全に支配できるでしょう。まるでその人に成り代わるほどに……ですが、もし仮にそうなったらどうなりますかとお聞きします」

 え、急にお聞きされてもと玉藻は少し姿勢を正す。

「そうですねえ……狐に、なってしまうんやないやろか」

 なんじゃそりゃ、と遼介は思ったがエルザは納得したように頷いた。

「やはり、そうなのですね。我が主の申していたとおりです。玉藻さんは飯綱に対してあまり強い影響力を持っていないという事ですね、と確認します」

 ええ、とまるで負けを認めるように大きく息をつく。

「止まれとか、あっち行けとか。単純な命令を聞くくらいですわ。とてもやないけど人の振りして何かさせるなんて無理です」

 それが世にいうところの狐憑きなのでしょう、とエルザは当然のように言った。

「我が主がお呼びです。奥座敷まで御足労を願います」


「そなたが飯綱遣いか。これで当座の面子は揃ったの。苦しゅうないぞ、面を上げい」

 質素な畳敷きの奥座敷にて、天狗は相変わらずの十二単姿で三人と対面した。

 ははっ、と畏まっていた玉藻は顔を上げ、平安貴族のような格好の金髪幼女に目を剥いた。助けを求めるようにエルザの方を見るが、彼女は無表情で頷きを寄越す。

「遼介、飯綱遣い。お主らに命ずる。宇戸を襲う妖怪を退治せよ」

 開いた扇子を掲げて言う天狗。

「……いや、戦力不足だろ明らかに。なあ天ちゃん、俺たち二人で何ができると思う? それともエルザさんが実はすげえ戦闘力とか?」

 ふふ、と扇子で口元を隠して受け流す。

「え、親分さんはそないにくだけてよろしい感じ? それやったら……」

 誰が、と扇子が音を立てて閉じられる。

「お主に気安くせよと言った? 身の程をわきまえよ!」

 見た目にそぐわぬ迫力に、ははっと再び平伏する玉藻。

「遼介、お主もじゃ。わらわが言うからには怪異を退治できるのじゃ。無茶な事をやらせて折角揃えた駒を失くすなど愚の骨頂。この天狗がさほどに愚かと思うか?」

 上座から威圧的に言う金髪碧眼幼女。

「じゃあ、本当に俺たち二人で妖怪退治ができるってのか、天ちゃん?」

「無論じゃ。 ……エルザ、あれを持て」

「御意」

 家臣キャラ全開でエルザが大きな桐の箱を遼介と玉藻の前にひとつずつ置く。

「これは?」

 ひとつ頷いて十二単の幼女は立ち上がる。

「これをもって宇戸を脅かす怪異を討つが良い」

 しずしすといかにも重そうな着物を引きずって天狗は隣の間へと消える。

 二人は自分の前の箱を開けて中を確認する。

「槍か」

 遼介の箱には朱塗りの柄に輝く刃のついた槍が納められていた。手に取ってみると意外に軽く、取り回しは軽快だった。

「おお、格好よろしいやんか」

 玉藻の武器は弓であった。こちらも朱塗りで、あまり大きくないので小柄な彼女でも扱えそうだ。手に取った彼女の表情が変わる。

「これ……普通の武器や、おまへんな」

 艶やかな紅い弓のカーブに立てた指を這わせて、何かを探るようにする。

「ええ、呪器の一種です。玉藻さんの弓は……」

 言いかけるエルザを、よろしいわと遮る。

「ああ、分かるのですね。では、遼介様もよろしいですか、と確認します」

「いや全然良くないです。説明してください」

 挨拶がわりに狐をとり憑かせるような娘と一緒にしないでもらいたい。

「そうですか、では説明致します。遼介様の槍は、刺核の槍です」

「はい」

「以上です」

 いやいやいや。

「それだけですか? 名前だけじゃなくて、もっとこう……全体攻撃で防御力無視のすごい技が使えるとか」

「いえ。そういった呪力は宿しておりません、と否定します」

 相変わらずの無表情にして無遠慮な言葉に、

「まあ、天ちゃんの言葉を信じるならこれで倒せるって事だよな……」

 とにかく腹をくくることにした。不安は決断を鈍らせる。本物の化物と戦おうというのだ、一瞬の迷いが生死を分ける事もあるだろう。

「ええ。我が主のお言葉は絶対です。あのお方がああまで明瞭に仰るからには必ず倒せるという事です、と太鼓判を押します」

「さいでっか。まあ、あの親分はんは大物だっせ。それは確かや」

 玉藻は妙に信用したようだ。

「どうせこの世界で他に行き場所なんてないんだしな。やるしかないか」 

 夕餉の支度ができておりますというエルザに導かれて腹を満たしてから寝床についた。全ては明日からだ……という考えは甘かった。


「遼介様、ご起床下さい」

 耳元で声がして飛び起きた。

 自分にあてがわれた離れという名の小屋。窓から月明かりが差し込む青白い小さな空間。

 床に敷かれた清潔な布団で眠りこけていた遼介の枕元にエルザは正座していた。クールに、と心の中で一度呟いて、

「……どうしたんです? 早速妖怪でも出ましたか」

 ほう、というように無表情な顔の中で微妙に目が見開かれた。

「その通りです。玉藻さんは先ほど起きて、今準備をしているところです」

 きっとあのケモ耳も寝込みを襲われて肝を冷やしたのだろうと推測。

「それじゃあ、どこへ行けばいいんですか」

 寝床を抜け出した遼介は早速そう質した。

「ええ、いつも冷静なのは助かるのですが、まずは着替えていただいた方が良いと提言します」

 遼介は前がはだけた寝間着姿だった。

 着物に着替え袴を履き、天狗から渡された槍を手にして用意を整えた遼介は小屋を出た。

 夜露に濡れた武家屋敷の庭を月明かりが照らす。昼間とは違う、冷え冷えとした夜気に遼介は身を震わせた。

「ほな遼介はん、行きまひょか」

 赤い帯でたすき掛けにした白装束に身を包み、朱塗りの弓を背中に背負った玉藻が言う。赤い袴を履いているので巫女のような服装だが、ケモ耳と尻尾のせいでコスプレにしか見えない。

「エルザさん、妖怪はどこに?」

 ついて来て下さい、と彼女は先に立って歩き出す。月明かりが金色の髪を妖しい色に染めていた。

 屋敷を出て夜道を歩く三人。

 武家屋敷の並ぶ町並みを抜け、川べりの道に出た。水面から吹き上げてくる風が冷たい。頬をなぶる強風に、遼介は玉藻の頭の耳が飛ばされないか気がかりになった。

 時刻は真夜中、二時か三時くらいだろうか。満月から少し欠けた月の光だけでもこれだけ明るいのだなと遼介は思った。

 静かな夜空に大きな羽音がして、目の前に鴉が現れた。

「闇夜ならぬ、月夜の鴉で御座います。しかとミサキについて来て下さいませ! ええ、ええ。もちろんお見通しですとも! 今宵いずこへあやかしが現れるのか、如何様な怪異が起こるのかも全て!」

 別れてから丸一日ほどしか経っていないが、随分久しぶりに感じられた。しかし相変わらずうるさい。

「カラスて……もしかして八咫鴉でっか? うひゃあホンマに足三本あるやんか! 天狗はんはやっぱり大物やな! こないなモンまで使い魔にしてはるなんて……」

 興奮して声が高くなる玉藻の言葉にミサキがこれ、と抗議の声をあげる。

「妙な格好の娘! 無知ゆえの言葉とはいえ、看過するにはあまりに大きな過ちです! ミサキは神の遣い。その御心に沿って天狗様に仕えてはおりますが、使い魔などという低級なものでは御座いませぬゆえ、お間違えなきよう!」

 大きく広げた羽を騒がしく羽ばたかせながら不本意そうに。

「せやかてカラスやろ? 天狗はんの使い魔っちゅう事でええやんか」

「な!」

 ひときわ大きな声と共に、ミサキは赤毛の少女へと変化した。

「何と無礼な! 使い魔というのは貴方の狐のような存在を言うのです! ええ、ええ! そのようにけったいな格好をしているがゆえに頭の中までそうなってしまったのは同情致しますが、どうぞ八咫鴉を貶めるような発言は控えて頂きたいのです!」

 黒い甚平のような着物の腰に両手を当てて抗議する。

「何や、人に化けられるんかいな。まあ、化けるだけなら狸にも出来るこっちゃ。そないな芸でうちの可愛い狐たちよりも上や、言われてもなあ?」

「な、な、何と愚かな……神をも恐れぬとは貴女のようなたわけ者の為にある言葉です! ええ、ええ! そうですとも!」

 ぶるぶると体を震わせているのは怒りの為であろう。

「そんなん知らんし。八咫鴉なんぞ、言うたら道案内やろ? そないしょうもないモン」

 ミサキの額の青筋がキレそうになるのを見て、遼介が声をあげた。

「待てよ玉藻。お前、これから戦う妖怪がどんな奴だか知ってるのか?」

 は? と呆れ顔で振り返る。

「知るわけないやん。何も聞いとらんのやから」

 だよな、と遼介は受け、

「ミサキ。お前はお見通しなんだよな? そのへんをさ」

 八咫鴉はええ、ええと何度も頷き、

「もちろんですとも。申しましたでしょう? そちらのキツネ娘はその可哀想な頭から抜けてしまっているやも知れませぬが」

「何やて!」

 このままだとまた喧嘩になるな、と遼介は両者の間に割って入る。

「そうか流石は八咫鴉だ。その情報があれば有利だよな。でも、実際に戦うのは俺たちだ。自慢じゃないが、俺は化物と戦った事なんざ一度もない」

 堂々と胸を張って言う。ここは自分が道化を演じてでも全員で協力しないと、本当にヤバイと思ったのだ。顔で笑って心はクールに。遼介はこういう計算、打算ができる。

「そうでしょうとも! 遼介様はこれから戦いを経て成長されればよろしいのです! その為の助力をこのミサキは惜しみません。ええ、ええ。惜しみませんとも!」

 八咫鴉の誇りにかけましても、などと声高に言う。周囲が静かなだけに騒がしさが際立つ。

「実は……まあ、その……うちも、その……そうなんやけど」

 小声で目を逸らしながら言う。

「は? キツネ娘。今何と申しました?」

 ミサキが耳ざとく聞きつけて言う。うう……と呻いた玉藻は、

「うちも! 初めてや! しゃあないやんか。修行を終えてすぐに宇戸へ来たんや、うちもこれから成長する! 文句あるんか!」

 顔を真っ赤にしているのが月光だけの明るさでもわかる。

「ええ、ええ。そうですとも、誰しも初めての時というのはあるものです。しかし人は成長する。その手助けのために、八咫鴉は先導をするのです」

 穏やかな表情になったミサキは再び鴉に戻ると、では参りましょうと羽ばたく。

 再び川沿いの道を進み、やがて一行は昼間来た宇戸の町へと足を踏み入れた。

「うへえ……。昼間あないに賑やかやっただけに余計に不気味っちゅうか、なんちゅうか……」

 玉藻の言葉通り、真夜中の宇戸の町は草木も寝静まったような静けさで、人はおろか犬猫の一匹も姿がなかった。

 固く戸を閉ざし、青白い月光に照らされた町は、まるで人間が皆死に絶えてしまったかのようだ。

「ミサキ。こんな町の中に出るのか? ……その、妖怪が」

 周囲の静けさに耐えかねて遼介は問う。

「ええ。そこの角を曲がったところで御座いますよ」

 八咫鴉が嘴で示す曲がり角に、覚悟を決めて足を踏み入れる。

 店と店の間の路地、狭いそこには月明かりが射し込まないため薄暗い。

 その暗い道に、坊主のような袈裟を着て頭を丸めた男がひとり、佇んでいた。

 あれが……?

 薄暗い路地で黙って顔を伏せた姿が不気味なのは確かだが、かと言ってさほど人間離れした風貌でもない。

「エルザさん」

 ずっと静かだった彼女に話しかけようと振り向いたが、いつの間にか無表情な金髪美女は姿を消していた。

「あれ、どこ行った……?」

「は? エルザ殿ならミサキと入れ替わりで去られたではないですか」

 嘘、いつの間に?

「ご多忙な方であります故、仕方ありますまい。ですが御安心を! このミサキが全てお見通しに御座います! 何の心配もありませぬ!」

 ほんとかよ。

「せやけど……あのオッサン、ただ道で立っとるだけやし。人を襲っとるんならまだしも、いきなり退治してええもんなんかなぁ?」

 玉藻の言葉に遼介も頷かざるを得なかった。何しろ、袈裟姿の坊主はただ暗い道に佇んでいるだけで誰かに危害を加えているわけではないのだ。

「ええ、ええ! そうでしょうとも。人は未知なるもの、得体の知れないものに対して不安を抱くもので御座います! そういう時こそ八咫鴉が道を照らして差し上げましょう!」

 人の姿のミサキは坊主に指を突きつけて声を張り上げた。

「あれなるは、妖怪『撫で座頭』! 一見、人畜無害で善良な振りをしておりますが実は小狡い性根の妖怪に御座います。どうぞ気を引き締めて下さいまし! しかれども、注意しておれば恐るるに足らず。遼介様の持つのは、あやかしの『中心』を貫く槍に御座います。手傷を負わせるだの動きを止めるだのというまだるっこしい小競り合い無しに、初手の一撃で相手の一番奥の奥、核心を突くので御座います!」

 それゆえ、とミサキは興奮気味の口調で続ける。

「遼介様はただ、自らの心を凪いだ水面のように保ったまま槍を突き出すだけで良いのです。さすれば自ずと怪異は祓われる事でしょう!」

 そりゃ楽でいいな。

「あのぅ、ミサキはん? うちの弓は、どない? 多分これ、狐を憑かせて呪力で編んだ矢を放つものなんやないかと思うとるんやけど」

 いざ敵を前にして不安になったのか、急に下手に出て玉藻が問う。

「ええ、ご明察ですとも。その弓はまるで、何かをとり憑かせるための様に中身が空になっております。ミサキにはその弓の空虚さ、寂しさが分かるので御座います……」

 顔を伏せ、何故か悲しそうに言う。やっぱしなあ、と玉藻は表情を明るくし、

「ほな、いてこましたろか」

 懐から取り出した竹筒を構える。遼介も朱塗りの槍を構えた。

「おう、そこのあやかしぃ! ええ加減にせんかい。そうやってこちらを油断させよういう腹やっちゅう事はもう、お見通しなんや!」

 玉藻の啖呵にも、坊主は反応しない。どうしたんだ、と遼介はその姿に目を凝らす。暗い色合いの袈裟を着た坊主。ずっと俯いているので分かりにくいが、首のあたりに大きな汚れがあるのに気がついた。黒ずんだ、泥のようなものがへばりついている。

 何とか言うたらどないやと玉藻は坊主に近づく。遼介もその後ろから妖怪との距離を詰める。

「おい、弓はいいのか?」

 管狐をとり憑かせる弓を背負ったままの玉藻に声をかける。

「初手やさかい、まずは小手調べっちゅうやつや。まあ見とってみ。うちの可愛い狐たちがあの坊主の正体暴いたるさかいに」

 あと十歩ほどで手が届く程の距離。遼介はその時急に生臭い匂いを嗅いだ。それまでどうして気付かなかったのかと不思議になる程に濃厚な、それは血の匂いだった。

 噎せるような匂いは、坊主の身体から強く放たれていた。

「気を付けろ、この匂い……」

 彼の呼びかけにほんの少しキツネ耳の少女が気を取られた途端、

 しゅるるる、と何かが玉藻の持つ竹筒に巻き付き、取り上げてしまった。

「あっ! 何しよんねん」

 それは坊主の口から伸びた舌だった。奪った竹筒を乱暴に放り投げる。

「うちのけつねぇ!」

 路地に転がった竹筒に向かって駆ける玉藻。

 しまった。ミサキの忠告があったのに気を抜いた結果がこれだ。遼介は槍を構える。ただ突けばいい、と言われた通りにしようと槍の届く距離まで足を踏み出そうとした。

 その時、坊主の腰の後ろ辺りで何かが蠢いた。

 ……ん? 尻尾、か?

 それはうねうねと動く、トカゲやワニなど爬虫類のもののように見えた。坊主の腰から生えた太い尻尾が地面を叩く。湿った、重い音が路地に響いた。

 坊主の尻尾がしなり、巨大な鞭のように玉藻を襲った。重い打撃音とともに短い悲鳴とともに彼女は倒れる。

「玉藻! 大丈夫か」

 管狐を失った飯綱遣いは動かない。駆け寄る遼介を、空を切る鋭い音と共に再び尻尾が襲う。

「くっ!」

 縦に構えた槍でその攻撃をなんとか凌ぐ。

「うう……うちの可愛い狐たちが」

 身を起こす玉藻。大きな怪我はなさそうだ。

「おかしゅう御座います! 撫で座頭にあのような舌や尻尾など……もしかしてこれは」

 ミサキの顔色が青ざめているのが薄闇の中でもわかった。

「あんた、お見通しや言うたやないか!」

 玉藻の咎めるような声に、

「ええ、ええ。そうです。ミサキは視ました。それは確実に起こる事……起きなければならない事なのです! それが起こらない、となると」

 まるで独り言のように言う。

「……かなり、マズイ状況か?」

 槍を構えたままジリジリと後退しつつ遼介は問いかける。坊主はゆっくりと顔を上げた。

「……ええ、ミサキは先を視るのです。それはこの世の理に従って進みゆく先を見通す力。それは当然そうなるべき事です。それが狂う、という事は……」

 坊主は顔を上げ、遼介たち三人を見据えた。その目は白目がなく真っ黒な、まるで爬虫類のようだった。首がずるり、ずるりと音を立てて伸び始めた。

「ひっ、何やこいつ! ろくろ首か?」

 先刻玉藻の竹筒を奪った長い舌がちょろちょろと口の周りを蠢く。

「……世の理の破戒が、行われたという事です」

 短い付き合いではあるが、こんなに深刻な顔をしたミサキを見るのは初めてだった。理の破戒……? とにかくピンチだというのは分かった。

「なあミサキ。どうしたらいいんだ? 俺一人で戦うべきか? それとも竹筒を」

 ずるり、と更に坊主の首が伸びた。見上げるほどの高さの頭に長い舌が覗く。

「ええ、ええ。正直に申し上げると……」

 坊主の首から下は大きな蛇になっていた。それが人間の体からずるずると出てくる。手足は力なく垂れ、単なるモノとして蛇の胴体に引っかかっているだけ。

「あ、あれって……人の死体……?」

 理解した途端、玉藻は顔色を失った。

「そんな……なんちゅう事を」

 今や完全に正体を晒した妖怪は、人面蛇身の姿をしていた。それが人間の首なし死体を腰の後ろから首へと貫いて頭を出していたのだ。

「……正直、どうすべきかミサキにもわかりませぬ!」

 ぎろり、と妖怪は黒目だけの目で三人を睨みつける。

「きゃあああ!」

 耐え切れなくなった玉藻が叫ぶ。

「お二方、大通りへ! まずは距離を取り、態勢を立て直すのが良策かと存じます!」

 路地を抜けて大通りに出た。暗順応していた目には周囲が明るく見渡せた。広い道の両端に並んだ様々な店、昼間はひっきりなしに人が歩き、行商の声があちこちから聞こえていた人々の活気と喧騒に満ちた繁華街だ。それが今はまるで嘘のように静まり返っている。

 無人の大通りには恐怖に駆られた遼介たち三人と、それを追って巣穴から出てきた人面蛇身の妖怪。

 その異形も暗い路地で見るよりは若干恐ろしさが薄れたように思えた。

 しかし、状況はまるで好転していない。玉藻は管狐を失っているし、ミサキはそもそも戦闘要員ではない。つまり、

「俺が、やるしかないって事だな」

 朱塗りの槍を構える。ただ突けば倒せると言っていたが、世の理がどうとか言っていたから簡単にはいかないのだろう。

「さて、どうするか」

 槍で相手を攻撃するにはその間合いまで近づかなければならない。間合いの広い武器ではあるが、敵の尻尾や舌による攻撃を考えると、迂闊に踏み込んだら何もできずに殺される可能性が高い。

「ミサキ! 今は何も見えないのか? この先の状況とか」

 後ろに控えた、赤毛の娘の姿の八咫鴉に問う。

「ええ……、何も。従うべき世の理が破戒されている以上、ミサキは視先たる寄る辺を失ったようなものです。かくなる上は!」

 と、鴉の姿に戻り、空高く飛び上がった。

「……って、逃げんのかい!」

 空に向けて突っ込みを入れる玉藻に聞く。

「なあ、お前は狐が居ないと何もできないのか?」

 すると、きょとんとした目で遼介を見て、

「当たり前やんか。うちは飯綱遣いやで?」

 はあ……。

「そうか。さてどうする? 俺一人でどうにかなると思うか、あんなの」

 月明かりに照らされた大通りをするすると近寄ってくる巨大な蛇。今にもこちらへ飛びかからんとして鎌首をもたげている。体長は五~六メートルというところか。

 すっ、と首がわずかに下がると大きく口を開いて二人を襲う。

 何とか逃れる。大通りの地面が大きく抉れた。すかさず妖怪の尾が鞭のように遼介を襲う。飛び退いて逃げる。何とか槍も落とさずに済んだ。

「逃げてばかりでは」

 急に背後から声がして振り返る。

「状況は悪くなるばかりです、と忠告します」

 いつの間にかすぐ後ろにエルザが立っていた。

「エルザさん! どこ行ってたん……」

「他所見は」

 ぐい、と遼介の着物の襟をつかんで妖怪の尾の攻撃を避けさせる。

「危険です、と重ねて忠告します」

 大蛇は新手が現れたからか、再び鎌首をもたげた体勢のまま、こちらを警戒して様子見をするように動きを止めた。

「ええ、ええ! そうですとも。それは戦いの基本です。相手の動きから目を離さず、周囲の状況にも目を配る。先が視えないのなら、今を見るのです!」

 鴉の姿のミサキが竹筒を三本の足で掴んで飛んで来た。玉藻は手を伸ばして受け取る。

「おおきに! ……さあ出ておいで、うちの可愛い狐たち!」

 竹筒を受け取ると即座に玉藻は管狐を呼び出す。筒の先から青白い仄かな光をまとった小さな動物が出てきた。一匹、二匹、三匹、四匹。

 それは両手に収まるほどの大きさの、狐というよりはイタチやフェレットのような姿をした真っ白な動物だった。尻尾は太くてふさふさとしている。

「……まわれまわれ、まわりてめぐれ。めぐれめぐれ、めぐりてかえれ。還るはあれなるお前の棲みか!」

 玉藻の呪文のような言葉に従って管狐たちが朱塗りの弓に吸い込まれていく。弓が青白い光を纏った。

「喰らえ! うちは、蛇と蜘蛛が大っきらいなんや!」

 赤く光る矢を人面蛇身の妖怪に向けて放つ。

 しかし矢は大きく外れた。

「まだまだぁ!」

 更に矢を放つ。二本、三本。しかしそれも的外れの方向へと飛ぶ。

「なんやこの弓! 全然当たらへんやないか」

 大蛇は更に距離をおいてこちらの様子を窺うようにする。

「その弓は、ひとたび当たればその周辺の怪異を抉りとる『抉奪の弓』です。ですが……と、口を濁します」

 ああ……と肩を落とす玉藻。

「当たらんかったらどうもならん、ちゅう事ですか……」

 どうやら彼女は、致命的に弓が下手すぎるらしい。

「遼介様。その槍は使いこなせておりますか、と問いかけます」

 いや実は、と遼介は自分の手にある朱塗りの槍に目を落とす。

「まだ使ってなくて」

 何やってるんだと呆れられるかと思ったが、

「……流石です。既に失敗していたら手間取るところでしたが、と胸をなで下ろします」

 相変わらずの無表情だが、実際に安堵しているようだ。

「どういう事ですか」

 ええ、と妖怪に目をやったエルザは、

「その槍は、あやかしの中心を刺し貫く『刺核の槍』です。それは妖怪、怪異、魑魅魍魎や魔物の核だけを貫き、完全に消し去ります。ですが、遣い手の心が恐怖や不安に囚われてしまうとその槍は刺さりません」

 と、断定しますとエルザは結んだ。

「あんたら何しゃべくってんねん! こっちも手伝ってもらわんと」

 玉藻はひたすら当たらない矢を放ち続けていた。ここまで下手だと逆に感心するが、敵も矢の危険性がわかっているのか近づこうとしないので牽制になっている。

「キツネ、もう少しお気張りなさい! 遼介様の槍ならば一撃で仕留められるはずです」

 ミサキは鴉の姿になって妖怪の周りを飛び回って気を逸らそうとしている。

「状況が逼迫しているんで、簡潔に教えてもらえますか。俺はどうやったらあの化物を倒せるんです?」

「遼介様が、一片の疑いもなくあの化物を倒せると、そう信じることです」

「信じる……?」

 ええ、とエルザは頷き、

「不安や疑念は槍を鈍らせます。真っ直ぐに信じるからこそ、槍は真っ直ぐに敵の核を貫きます。先ほど当方が展開した結界で覆われているため、今この町は無人です。そうした理が働き、人が居ないという解釈がされているのです」

 と、不自然に寝静まった深夜の町を見回す。確かに、これだけ派手に戦っているというのに誰ひとり目を覚まさないのはおかしい。

「今なら、どれだけあの化物が暴れようと関係のない人間が巻き込まれることはありません。ですが我々が敗北した場合、次にあれはこの町の人を襲い始めます。例え検非違使が出てきたとしても被害は大きなものになるでしょう。それを防ぐにはその槍が」

 と、遼介が持つ『刺核の槍』に手を添える。

「真っ直ぐに化物の核を貫くと信じるしかないのです、と締めくくります」

 よく分からないが、とにかく自信を持ってやれ、という事か。

「……じゃあ、やるか」

 槍を右手だけで持って化物に向かって足を踏み出す。

「ちょっと遼介はん! そない無防備に近づいたらあかん!」

 玉藻の制止も聞かずにぶらりとした足取りで歩を進める。じゃり、じゃり、と乾いた地面が音を立てた。

「世話の焼ける男やな!」

 必死に下手な矢を放ち、化物の尻尾や舌の攻撃が遼介に及ばないようにする。その矢は自らの呪力で作り出したものであるため、消耗はかなり激しい。額に玉の汗を浮かべ、決死の形相で弓を引き続けている。ミサキも空を飛び回り、時々自分に向かってくる尻尾を避けてはまた近づきを繰り返している。

「……ありがとな。あとは任せろ。慌てず騒がず、心乱さず」

 遼介の接近に気付いた大蛇が坊主頭の鎌首をもたげて威嚇するような鳴き声をあげた。

「さあ、クールに決めるぜ」

 片手持ちしたまま、槍投げのような体勢に構える。今までに槍投げの経験など一度もないが、信じればまっすぐ貫く、ってんならどうやっても一緒だろう。技術など無関係にこの槍はあの妖怪を倒してくれるはずだ。

 化物の背後、遠くに大きな橋が見えた。初めてこの町に来た時、あの下に出てきたんだったな、と思い出す。東の空が少し、明るみ始めてきた。

 夜が明けると、きっと町の人たちは起きてくるんだろう。直感で遼介はそう思った。

「……そこか」

 蛇身の中間辺り、地面に付けてこちらへ晒していない部分。そこが、化物の核だった。その時、ひときわ大きく鎌首をもたげたせいで核の部分が地から離れた。

 何も考えずに槍を放り投げる。どこを狙ったというわけでもなく、力強くもなければ勢いがあるわけでもないそれは、うっすらと明るくなってきた大通りを滑るように翔び、


 かつっ。


 と、乾いた音を立てて人面蛇身の妖怪の胴体に突き刺さった。

 断末魔も、流血もなく。恐ろしげな姿の化物は朧に霧がかかったようになり、そしてその霧が晴れていくと共に姿を消した。

 後には何も残されていなかった。日が昇り、大通り沿いの店が次々と店開きの準備を始める。人々の活気が溢れてきた。

「皆様、お疲れ様でした。正体不明の妖怪は無事、退治されました」

 労いの言葉を口にするエルザの金色の髪が朝日に照らされて輝いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ