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それは金剛童子と呼ばれた  作者: 和無田剛
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余話・序章

余話「虚ろ舟の蛮女うつろぶねのばんじょ


 東の果ての海に『日出ヒーズル』という名の島国があった。遥かな昔、海を隔てた隣国に送った書簡で自らそう名乗ったのがその名の由来であるという。

 その中心都市『宇戸ウド』から東に離れた海沿いに『比伊多智ヒイタチ』いう地域がある。

そこにある日、奇妙な舟が漂着した。奇妙な、とは控えめな表現であり、その当時の人間にとってそれは舟とは思えないような代物であった。

 まず素材が木ではなく鉄で出来ている。そして形が椀のようで蓋が被さり密閉されている。しかもその蓋には六つの窓があり透明なガラスが嵌っていた。硝子はこの当時、ごく一部の人間のみが知る珍しい素材である。

 全てにおいて舟という概念から外れながらもヒイタチの漁民から『舟』と看做されたのは、それが海に浮かんでいたからである。

 夜明け前、いつも通り小舟を沖に出して漁に出ようとしていた三人の漁民は暗い海にたゆたう、妙な舟を見つけた。

「おい、何だぁありゃ」

 一人が舟を指差して言う。

「ん? ……何か、浮かんでるなぁ。舟ぇ、なんかぁ?」

 もう一人は目を凝らして、そう言った。

「近づいてみんべぇ」

 百聞は一見にしかず、とばかりに行動に移す。まだ暗い凪いだ海を進み、三人の男たちを乗せた小舟は異様な外観のそれに近づいた。

 間近に見る舟は、奇妙というよりむしろ不気味にすら思えた。

「こりゃあ……虚ろ舟でねえか?」

 漁民の一人が知っていた。今までに何度か古都や宇戸の空に現れたことのあるという、不思議な舟の噂を。

「うつろぶね? なんだぁそりゃ」

「噂じゃあ、空に浮かぶ不思議な舟なんだと」

 空に? まさかと思いつつ男たちはそれを見つめた。

 虚ろ舟は三人の男たちが横並びに両手を広げても余るほどの幅がある。こんなに大きなものを一体何に使うというのか。何が中に積んであるのか。

 好奇心にかられた男たちは揺れる小舟の上で立ち上がり、窓から内部を覗き込む。

「な……何だぁこりゃあ!」

 舟の内部は不思議な空間であった。ぼんやりとした光を放っている床と壁は、継ぎ目のないツルリとした不思議な素材で出来ている。

 内部のそこかしこに文字のような記号が書かれていたが、漁民たちの見たことがないもので、まったく意味がわからない。床や壁に奇妙な光を放つ得体の知れない物体や、形容の仕様がない突起などもある。

 床に一人の女がうつ伏せに倒れていた。艶のある鮮やかな色の服に身を包んでおり、波打つように豊かに流れる髪は黄金色に輝いている。

 驚きで無言になってしまった男たちが見守る中、舟の中の女性が身じろぎした。

「おっ、生きとるぞ」

 ゆるゆると身を起こした女は非常に美しく、きめの細かい白い肌をしていた。大きな形の良い瞳は明るい青色をしており、人間とは似て異なるもの……まるで天女のようだと男達は思った。

 女は床に置いてあった箱を慌てて胸に抱えた。その箱には不思議な文字や華美な装飾が施されており、女が守るように抱えていることもあって貴重なものであるかのように思われた。

「この舟ぇ、入口はどこじゃ?」

 舟の不思議さよりも、女の美しさに興味を惹かれた男が言う。

「おう、探すべぇ。こんなけったいな舟じゃからなぁ、存外に底の方にあったりしてな」

 男たちの声に応えるかのように、空気が吹き出すような音が間近で聞こえた。

 フシュウゥゥゥ……

 虚ろ舟の上部、椀の蓋の部分が滑らかに上部へ向けて開いていく。男たちは慌てて舟から手を離し、その動きを見守った。やがて蓋は静かに止まった。

「お、おい。お前さん、どこから来たんじゃ?」

 椀の縁に手をかけて、身を乗り出すようにした男が声を掛けると、女は何事かを口にした。言葉のようだが、まるで意味がわからない。

「なんじゃあ? 異国の言葉か」

「そうじゃ。あの髪、あの目。きっと海の向こうから流れ着いた蛮女に違いねえ」

 蛮女とは異国の女性を表す呼び名である。良い意味の字を用いていないのはつまり、未知なるものへの恐れと忌避がこもっている。この国は現在、他国との交流を絶った『鎖国』という状態にある。

 蛮女は青い瞳を潤わせて、何事かを男達に訴えていた。

 力になってやろうと三人は舟に乗り込んだ。

 すると、女は途端に警戒の様子を浮かべ、両腕で箱を抱えて後ずさる。

「おいおい、別にお前をどうこうしようってぇ訳じゃないわい。困っとるんなら、わしらの村に来んか?」

 すると女はふるふると首をふり、右手を箱から離すと男達を追い払うような仕草をした。出て行け、構うなという意思表示に思われた。

「なんじゃ、わしらの厚意は受けられんちゅうんか!」

「蛮人が。偉そうに」

 男たちは不平を口にした。

「おい、悪いようにはせん。こっちに来んかぁ」

 手を差し出す男の眼前で、蛮女の腕の中の箱が眩い光を発した。

「な……なんじゃ!」

 魂消る心地で男たちが見守る中、蛮女は不思議な言葉を呪文のように唱える。すると箱は更に輝きを増していった。虚ろ舟の内部で、その光はもはや暴力的な程に強くなっていた。

「逃げろ! こりゃあ、魔物か物の怪じゃぁ!」

 三人のうちの誰かが叫ぶと、全員が恐慌をきたして我先に舟の外へと逃げだした。

 小舟に戻り、命あっての物種とばかりに陸へと漕ぎ戻る。

 浜につき、振り返ると海に浮かんでいた虚ろ舟は姿を消していた。

「な、何じゃったんじゃ……」

 その言葉は、三人の心の内を的確に表したものだった。

 しかしその問いに答える者はいない。

 男たちは釈然としない思いのまま朝日に照らされ始めた水平線を見つめる。見慣れたいつもの穏やかな海。

 その出来事はのちに読本作家が書き記したものが書物になり後世に伝わっているが、結局それが何だったのかは不明のままである。


序章「和束遼の最期の日」


 とある都立高校二年D組の教室は、担任教師がホームルームを終えて出て行くと生徒たちのざわめきで満たされた。

 和束遼はその喧騒とは無縁に、無言でカバンを手に取って立ち上がる。今日は日直や委員の仕事もないし、部活には所属していないので放課後の学校に用はない。 

 教室を出ていく彼に声をかける者は居ない。クラスメイトはおしゃべりをしたり部活動へ向かう準備をしていたりするが、そのいずれも遼とは無縁のものだ。彼には友人がいない。

 彼は可能な限り他人との接触を避けてきた。それは人間嫌いだとか人見知りだとか、そういった性格的なものではなく他に理由がある。

 ちょうど今、それが『起きている』。クラスメイトの一人、中村という男子生徒の頭の上あたりに、

『そうだ、あの雑誌買って帰らなきゃ。今月号の特典はマジ見逃せねー』

 という文字が浮かんでいる。まるでゲームのキャラクターのセリフのように。それは遼にしか見えていない。

 彼には、他人の思考を読んでしまう能力がある。

 本人にとっては望まない、迷惑極まりない能力である。アニメや小説の超能力者や魔法使いのように、念じると相手の考えていることがわかるという便利なものではなく、彼は他人の思考を『読んでしまう』のである。読まされる、と言っても良いかもしれない。自分の意志とは無関係に、他人の考えていることが文字として浮かぶのだ。

 最初は遼が幼稚園のとき、一緒に遊んでいた子の頭上に『すなばであそびたいな』と浮かんできた。そのまま読んでみたら、なんでわかったの、りょうくんすごい、と喜ばれた。

 どうやらこれは相手を喜ばせるらしいと思った彼は帰宅後、母親の頭上に浮かんだ言葉を読み上げてみた。

『こんげつあとみっか、ゆうはんどうしようかしら。ないしょでくつかっちゃったからぴんちなのよね』

 顔色を変えた母親に問い詰められた遼は、それが見えた、と幼稚園児にとって精一杯の説明をし、母親は『他の人には絶対に言ってはいけない』と厳しく言いつけた。

 やがて成長するにつれて浮かぶ文字にカタカナや漢字が使われるようになったが、相変わらずその現象は起こった。それはまったくのランダムで起こり、場所も時間も相手もバラバラであった。

 何の予告もなく相手の考えを目の前に突きつけられる、となればまともに他人と付き合ってなどいられない。目の前で仲良くおしゃべりをしている相手の頭上に自分の悪口が浮かんだこともあるし、小学生の時好きだった女の子が誰を好きなのかも知ってしまった。大小様々な嫌な事や興味ない事、知りたくもない事を押し付けられるように読まされるうちに、いつしか彼は人を避け、必要最小限の人間関係だけを持つようになった。

 それでも文字は浮かぶ。家族の、クラスメイトの、道ですれ違っただけの見知らぬ人の、心の声が勝手に伝わってくるのだ。

 やがて遼は自分に言い聞かせるようになった。

「常にクールに、冷静に。慌てず騒がず、心乱さず」

 それは小学生の時に見ていたTVアニメの主人公のセリフなのだが、そのフレーズが妙にしっくりときて、語調も良いことからいつしか座右の銘のようになっていた。

 急に浮かぶ文字に対して、まずはクールに無表情を崩さない。そしてそれがどれだけ重大な内容であろうが、どれだけ恥ずかしい秘密だろうが、冷静に受け流す。いちいち気にしていたらキリがないからだ。そうして彼は自分を守ってきた。

 その結果、今やクラスメイトは視界に遼が入っても存在を認識しなくなった。わかりやすく言うと空気扱いである。

 革靴に履き替えて校舎の外へ出る。梅雨入りが近いと思わせる暗く厚い雨雲が浮かんだ空を見上げ、何の感想も持たずに視線を再び地上に戻した。空ばかり見て歩いていたら危ない。転んだり何かにぶつかったり、そんなくだらない事で人目をひくなどまっぴらだ。

 校門を出て、いつもの通学路を歩いて駅へ向かう。遼の通う高校は偏差値で言うと中の上、といったところ。良くも悪くも平凡な学校だ。五分ほど歩き最寄り駅に着いた。改札を抜けてホームに立つ。いつもなるべく早く駅へ着くように心がけているので人の姿は少ない。

カバンからワイヤレスヘッドフォンを取り出し、耳に入れる。ノイズキャンセルもオンにして、スマホのゲームアプリ『フルメタルハンター』を起動する。

「お。今日のログボは弾薬か。助かるな」

 画面に表示されたログインボーナスの内容に独り言をもらす。『フルメタルハンター(フルハン)』は、異世界を舞台に巨大ロボット『鋼鉄狩人フルメタルハンター』を操ってドラゴンや巨人族などの魔物を狩るゲームである。遼は気に入って、ほぼ毎日プレイしている。

 シンプルで直感的な操作感が良い。他の人のレビューを見ても同意見が多いので的を得た意見だと思っている。

 フルハンには、ストーリーの進展とともに起こる狩りをこなしながら進めていくシナリオモードとは別に、期間限定のイベントモードがある。オンラインで他のプレイヤーと協力して強力な敵を倒したり、プレイヤー同士で戦ったりする、本筋とは別の特別編のようなモードだ。

現在はゲーム内の世界に突如現れた謎の地下空間で繰り広げられるプレイヤー同士の戦闘イベント『初夏のバトルクラブ in アンダーワールド』が開催中である。 

 このイベントは他のプレイヤーとバトルし、勝つと賞品(ゲーム内の通貨や装備を強化できるアイテム、武器など)がもらえるというものだ。

 ログインしているプレイヤーに自分と釣り合うレベルの相手がいなかったり、自分で戦う気がない場合は他のプレイヤーの応援もできる。その時行われているバトルの、どちらが勝つかを予想して投票し、その結果によりアイテムに交換できるポイントをもらえるというものだ。

 遼はざっと状況を見て、ホームの時計を確認する。電車が来るまであと二分ほど。自分がバトルするのにちょうど良さそうな相手もいたが、途中で電車に乗ったりしていたら確実に負けるだろう。ゲームとは言え真剣勝負なのだ。

 通学時間の暇つぶしと割り切って適当なバトルの応援をする事にした。既に第一ラウンドが終わろうとしており、確実に勝つであろうプレイヤーに一票応援ポイントを入れる。三ラウンド勝負の一ラウンドが終わったら投票終了なのでギリギリだった。応援プレイヤー達の書き込みが画面に流れる。特に興味もないので画面から目をあげる。

 そろそろ電車が来るな、と思っていた時にそれが起きた。見知らぬ女生徒の後ろ姿、その頭上に文字が浮かんだのだ。


『お母さん、ごめんなさい。もう耐えられない』


「ちょ……おい、まさか」

 見慣れない紺色のセーラー服。肩より上で切り揃えられた黒髪。後ろ姿だけでも明らかに深刻な雰囲気が感じられた。それに何より、今自分は読んでしまったのだ。これまでに両親の協力により何度も確かめたこの能力は本物である。さっきの言葉は間違いなく彼女の考えていることなのだ。

 踏切の音が聞こえてきた。もうすぐホームに電車が来る。時間がない。

「おい、早まるな!」

 考えるより先に、遼は彼女の腕をつかんで言った。極力他人と関わらないようにしているとはいえ、目の前で人が死ぬのを見逃せるわけがない。

 振り向いた彼女は平凡な容姿の、どうやら中学生くらいの年頃であった。

「な、何ですか。何するんですか離してください」

 急に見知らぬ男子高校生に腕をつかまれた彼女は抵抗する。

「飛び込むつもりだったんだろ? やめとけって。とりあえず頭冷やせよ。何事もクールに行こうぜ。そうすればなんとかなる!」

 何とか自殺を止めなければという一心で必死に言うが、セーラー服の彼女の目には、ちょっとおかしい人と映った。

「何、言ってるんですか……? 本当に離してください……」

 弱々しく抵抗する彼女に、横目で電車がすぐ近くまで来ているのを確認すると、

「ああ。電車が着いたら離してやる。君が飛び込めなくなったらな」

 更に腕に力を込める。ホームに居る人たちの注目が集まってきた。止めに入ろうとする者も居る。

「か、関係ないじゃないですか。何なんですかあなた」

「ああ関係ねえよ。だから次は俺の見えないところでやってくれ。そうすれば読まなくて済むからな!」

 電車がホームの端に入った。彼女は既に飛び込む気をなくしていたが、まだ遼は強く腕をつかんでいた。

「もう。痛いです、いい加減にしてください!」

 本当に腕が痛かったのと、周りの視線を集めてしまった羞恥心とで、女生徒は遼の腕を思い切り振り払った。予想以上に強い力での抵抗に思わず手を離した遼はバランスをくずし、よろけた。

 そのまま線路へ転落する彼の体を、ホームに滑り込んできた電車が弾き飛ばした。



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