第8話 初打席
3回の裏。
公大の攻撃は9番、ライトの河本からはじまる。
が、相手エースは肩が温まってきたのか、初回は135キロくらいしか出ていなかったのが、140キロを記録するようになってきた。
(尻上がりのピッチャーにこの打順は間違いかな…。)
既に肩を作り終えた佐伯はそんな事を考えながら、河本にゲキを飛ばす。
が、河本はあえなく三振、続く山岡も少しだけ曲がるスライダーをひっかけてファーストゴロに。
と、ここまでは相手エースにしてやられたわけだが、ベンチが打てないことを心配しているのとは違い、上中の心中はまだ前崎の状態を案じていた。
(小山が出ていない以上、公大が取れる点数は知れている。)
140キロ程度の球なら大学野球では平均的であり、これを打ちあぐねている打線を見る限りではこの心配は妥当である。
この場合、前崎が打ち込まれると公大は敗北しか無い。
とにかく仕事をせねば、と上中は極力相手エースが体力や精神力を切らすように、ひたすら粘り続けた。
(クッソ…!)
相手エースは抑えられそうなのに抑えられない不満に苛立ち始める。
苛立ちはボールに表れ始め、球速もコントロールも荒れる。
上中はそんな相手エースの心中を見透かし、もはやヒッティングからフォアボール狙いへ作戦をシフトしていた。
「フォアボール!」
審判がコールした時には、相手ピッチャーの球数は既に76球だった。
(キツイな…。)
肩で息をするエースを見るキャッチャーはそう感じるが、まだ3回、控えピッチャーの準備は万端とは言えない可能性がある。
だが状態が荒れたエースに完投は難しくなった。
(完璧にあの2番バッターにしてやられたな。)
それは相手チームの監督も感じていた。
そしてさらに4番の真中にシングルヒットが生まれ、ツーアウト二、三塁のチャンスという場面になり、迎えるバッターはドラフト候補の5番、太田。
「こりゃ厳しいなぁ。」
小山の口からそう漏れる。
相手エースは既に1失点、そしてこの状況。
いくらエースの精神力とは言え、負担は半端では無い。
(俺ならここで変える、けど…。)
県立和歌山の監督は動かない。
小山の予想通り、相手エースの太田に対して投げた初球は抜けた変化球となってど真ん中に行き、太田のバットの真芯に当たり、スタンドへ入った。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
公大は一気に3点を取り、3回にして0-4と大きなスコアを記録していた。
続く6番滝下はセンターフライでアウト。
相手エースはガックリした様子でベンチへ帰っていった。
この時点では、誰もが勝利を確信していただろう。
が、そう上手くはいかないのが野球だった。
パッキィィィンンン…。
綺麗な音を残し、県立和歌山の1番バッターはホームを一周した。
(やっぱりか。)
上中はセカンドでそう思っていた。
クソッ…。
前崎は悔しそうに帽子を脱ぎ、またかぶる。
これは前崎の癖である。
焦るとこの癖が出るのは公大ベンチでは常識だった為、監督は佐伯の投入を考える。
が、小山が出られなくなった場合を考えると、ここで前崎に一皮剥けてもらわなくては、と色心が出てしまう。
野球においては、色心というのは負の結果しか招かない。
その理論通り、前崎はここまでホームランを除くとホームラン1本のみだったにも関わらず、続く2番、3番、4番と連続でヒット、フォアボールで出塁され、ノーアウト満塁というピンチを招いてしまった。
フゥー…。
前崎は大きく深呼吸をする。
冷静になり、考え直す。
(ホームゲッツーで三振でオッケーだ…。焦るな…。)
強気な前崎には似合わない思考だが、それさえ気付かない。
普段なら全員三振、と考える前崎を甘やかすこの思考は、エースのボールを緩くする。
カァアアアァァンンン…。
ガコンッ!
「ま、満塁ホームラン……。」
打たれた前崎は勿論とも言うべきか、ガックリきていた。
普通ならここで変えるところだろうか、先程は色心を出してしまった監督だったが、今度は正しい判断をしていた。
4回表、5-4と一気に逆転されたゲーム状況だが、このまま前崎を変えては後の試合に響く。
ここで踏ん張れれば、エースとして一皮剥ける。
今度はそう確信していた。
そしてその確信は正しく、続投させた前崎は後続を三者連続奪三振と見事なピッチングをしてみせた。
「すいません…。」
「構わない、小山、交代だ。」
「え?」
疑問に答えることなく、監督は正審の元へ歩み寄る。
「大阪公立大学の選手の交代を申し上げます。ライトの守備に入っている太田くんが、そのまま入ってレフト、レフト、太田くん。そしてライトの仲野くんに変わりまして、小山くん、ライト、小山くん。天聖高校。」
交代のアナウンスが終わり、小山は焦って防具を外し手袋をつけ、ネクストバッターボックスに立つ。
7番の坂本はファーストフライでアウト、上中が作った流れは完全に県立和歌山に向いていた。
「8番、ライト、小山くん。」
小山は2回ほど大きくジャンプし、ゆっくりとバッターボックスへ入る。
「いったれやぁ!小山ぁ!」
「おいいけよーいけよー!!いけるでぇいけるでぇぇぇ!!」
応援なのか怒号なのか、とにかくベンチやスタンドからのこの声で、小山がどれだけ期待されているか分かる。
が、普段の小山からは考えられないくらい、小山は何も反応しなかった。
「ふぅー…。」
本当にキャラ違いの小山は静かに相手エースを見つめ、ストンと重心を落とす。
その集中は、周りの空気をも止めてしまうようだった。