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第4話 イップス

中3の春休み、初めて行った野球観戦で俺は野球を始めようと思った。


1人、たった1人の男がその場でたった1回空振りをしただけで、何万人もの人間が大声をあげたのだ。


その男の1つ1つの行動に、何万人もの人間が左右されていた。


その世界が凄すぎた。


鳥肌が立つだけでは飽き足らず、俺はつい涙を流してしまった。


「ちょ、あんた、何泣いてんの!?」


姉が俺を見て何か言っていたが、俺の意識はとうにその男へ向かっていた。


マーロ・スカルノ。


俺より10歳ほど年上、つまりは1世代俺より先に生きる人間。


親の影響でなんとなく進学校に通っていた俺は、そこそこ英語ができた。


試合後のヒーローインタビューを聞いた時に、俺はもはや次の行動が決まっていた。


「おい、聞いているか、少年よ。俺は今最高の気分だぜ。」


こんな男になりたいと、初めて自らの意思を持って思った。


「母さん…。」


「どうしたの?」


「俺、高校は野球部に入るよ。」


「はぁ?中学はあんたテニスじゃん!無理よいきなりそんな…。」


それでも俺は、食い気味に答えた。


「絶対に辞めないから、始めさせてほしい。」


結局俺は野球部に入ったが、そこからはとにかく地獄だった。


永遠に続くランニング、野球ってこんなに体力要らねえだろと思うほど体力をつけた。


だがそれは必要だった。


練習が始まると、そのランニングを超えるキツさだったからだ。


永遠に続くノック、永遠に続くトレーニング。


そしてさらに地獄の冬練が始まった時に、俺はプロを志した。


(ここまでツライんだ、タダで終わってたまるかよ。)


現実問題、俺にそこまでの実力も経験も無かったから、俺はひたすら努力した。


今思えば、努力をしたのはあの時が初めてかもしれない。


短期間で上手くなる方法を調べ上げ、誰よりも練習した。


誰よりもストイックに生活し、生活の全てを野球に注いだ。


お陰で人よりパワーがついて、人より肩が強くなり、何より抜群にキャッチングが上手くなった。


そうなってからは野球が楽しくて仕方がないし、努力が楽しくて仕方がなかった。


そんな時だった。


そろそろ暖かくなって、いざ試合だという時に、張り切りすぎたのだろうか、肘が少し痺れた。


試合前のボール回しの時に、違和感には気がついたが、俺は気のせいだろうとそのまま投げ続け、結局その試合でも盗塁を阻止するためその腕を振り続けた。


問題は次の日に起きた。


ブチン!


何かが切れた音がした。


肘を抑えてうずくまる俺を見て、監督がすぐに救急車を呼んだ。


「肘、やっちゃったねぇ。」


は?


なんでお前、そんなに軽いの?


俺はプロになりたいんだ、こんな所でつまづいてる場合じゃないのに。


「まぁ小山、野球ってのは何も試合に出るやつだけが選手じゃない。」


そういう問題じゃない。


俺はすぐに帰って、両親に頭を下げた。


ゴンッというデカイ音を立てて、頭が地にぶつかる。


「なぁ尚樹、そこまでして野球にこだわらないとダメか?」


父に諭される。


母は号泣していた。


「野球じゃないとダメなんだ、あの男に会わないと…ダメなんだ。お願いします、必ず結果を出します、手術させてください!」


覚えていないけど、きっと俺は泣いていたのではなかろうか。


「父さん、母さん、手術させてあげなよ。尚樹、この1年間引くくらい野球やってたんだ。今こいつから野球を引き剥がす方が、多分悪い結果になるよ。」


姉が助けてくれる。


結局この一言が引き金になり、俺は手術を受けられることになった。


手術を受けたが、すぐに元通りという訳にもいかず、残りの高校生活はひたすらリハビリだった。


得意のキャッチングでピッチャーを鼓舞してきたものの、いまいち熱が入らなかった。


やっと投げられるようになった時には、引退だった。


たまたま開会式で出会った上中も、同じような進学校だった為、二回戦止まりだった。


意気投合し、たまに遊ぶようにはなったけど、お互い知らず知らずのうちに野球の話題を避けていた。


不完全燃焼。


きっとこの言葉では表せないとわかっているのに、頭の中の辞書を何度引いても、これしか当てはまらなかった。


「あんた、うちの大学の試合があるんだけど見に来てみない?」


姉にそう声をかけられ、俺は公大対駅前大の試合を見に行った。


その時に投げていたのが佐伯さんだった。


「うっわぁ…ボコボコじゃん…。」


6回時点で、8対1のスコアを記録していた。


相手は私立だから、なんていうのは勝負の世界では言い訳に過ぎない。


ただ俺には、なぜ公大が負けているのか分からなかった。


器用なピッチャー、力のあるスイング、丁寧な守備。


「…姉さん、俺ならこのチームを勝たせられるよ。」


気付けば俺はそう呟いていた。


姉が少し俺の顔を覗き込む。


「…ならやってみなさいよ、尚樹。口だけじゃなくてさ。」


そこから俺の公大受験が始まった。


浪人覚悟で勉強を始めたから、かなり時間はあった。


上中にこのことを話すと、


「お前が公大で野球をするなら、俺も公大に行くよ。」


と言った。


上中は俺と違って賢かったから、現役で公大に行けたのに、


「お前が一浪するなら俺も。」


と言っていた。


「なんで?」


「少しでも長くお前と野球をしたいからだ。」


こんなに嬉しい言葉はない。


俺たちは引退してからも2人で練習していた。


が、久しぶりに投げたボールは足元に落ちた。


イップス。


その単語が頭をよぎった。


結論から述べると、実際その通りで、俺はまともに投げられるまで半年かかった。


肘を守らなければ。


そう考えると、投げるのが怖くて、結局いつまでもボールが指にひっついてとれない。


イップスは治らないこともあるし、治療法もない。


だからこそ俺は得意なガムシャラで乗り越えることにした。


まともに投げられもしない奴に、上中はありがたいことについてきてくれた。


ノックを打つしかない俺は、上中の守備に感動し、嫉妬するしかなかった。


いつのまにか投げられるようになった頃にはかつての肩を取り戻しただけでなく、時間をかけて手に入れた身体でかつて出来なかった座ったままセカンド送球なんて小技ができるようになり、勉強もうまくいき始め、俺たちは見事一浪で公大に合格することができた。


「なぁ、上中。」


「なんだ。」


「いや……。」


言葉に詰まる。


今思えば、少し怖がっていたのだろうか。


「絶対全国優勝しような、上中。」


「ああ、もちろんだ。」


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