修羅になる
自分のことではありません(笑)
昔、将棋のプロを目指していた友人がおりました。
当時、彼は自分の可能性を模索していたのでしょう。中高生の頃のお話です。
彼は新井素子女史に傾倒し、小説を書いたり。
当時、鼻持ちならないやつだった自分は彼に殴られたり、同じ女の子に告白したり(笑)、あいつとはまあ、いろいろありました。
自分が文章やお話を書いているのは、たぶんその友人の影響もあります。
その後、彼は将棋のプロの道をあきらめますが、
某米国カードゲームに興味を持ち、研鑽しながら公式大会で成績を残し、海外大会の代表になったこともあったので、
元来、勝負事に向いた性格だったのだと思います。
その彼が、将棋を趣味の域に留めるという話を耳にした時のこと。
「俺は修羅にはなれない」
彼はそう彼の将棋仲間に、
彼が一目置いている、おそらく彼よりも才能のある同学年の人物相手にそう語っていました。
その言葉は妙に心に残っています。
その後「ヒカルの碁」を目にしたり、「三月のライオン」を見たりして、感じたこと。
あれに出てくるトッププロたちは、本当にあんな感じ。
悪くいう意味でなく、本当に鬼や化け物、かろうじて人の形をしている存在なんて書かれていますが、実際もそうなんでしょう。
彼の言葉から、ああいう世界を少し覗かせてもらった感じです。
もちろんどんな仕事、分野でもそのあたりのことは変わらず、
プロになる、プロを目指すということは、多かれ少なかれ修羅になる。
その仕事を糧として生きてゆく覚悟を持つということですから、
創作の分野でもそうだろうと思っています。
なろうでもやはりプロたち、プロになろうと志している人たちはそんな感じなんでしょうね。
ほんとにいろんなものをつぎ込んで、費やして。
才能があれば才能を磨き、研鑽に努め。
なければ技術を学び、模倣して。
模倣からそれを破り、独自性を手に入れるために、それこそ血を吐いてのたうち回るほど苦しんで。
自分だけの唯一のものを、人とは違う何かを手に入れるために足掻く。
そうやって、みんな表面には見えない努力を積み重ねている。
でも、その行為、苦しんだことや積み重ねたことが結果につながるとは限らない。
プロとは、プロになるということはそんな感じだと思います。
(目指していないやつが、何を言わんやですが)
自分が告白した女の子、その子もやはり創作活動をしている人物でしたが、
ある時、自分に語った話。
「あんたは良いよねっ、強いから!!」と女友達に言われたことに、
「当たり前だよっ。強くなろうとしてるんだから!!」と言い返したとか、返さなかったとか。
本当に何かを作り出すって、強くないと、強くならないとできないんですよね。
たとえほんとは弱くても(苦笑)
そうやって苦しんで苦しんで、のたうち回りながら生み出した作品。
生まれた作品は、はたから見てサルみたいな変な話だとしても、本人にしてみるとかわいく、かっこいい。
まあそんなもんです。
(あとで冷静に見返して、あまりの出来の悪さに憤りを感じたりするのもね(笑)、でもなんか憎めないんですよ)
だから自分は頑張って書いている作品、
頑張って書いている人は応援したいんですよね。
気持ちばかり先行して、あんまり作品読めていないし、応援できていないんですが(苦笑)
まあ、そうやって修羅になりたい。
真面目に目指して努力している人たちは、ちょっと応援できればなぁ。なんて思います。
ちなみに、
クリエーター以外にも頑張っている人はたくさんいます。
目にはいってないだけ(苦笑)
前に、自動車関連の仕事、外資系の部品メーカーに勤めていた頃です。
ライン管理職の課長。
冴えない風貌で、喫煙所でだらだらしているような印象でしたが、
ある時、外国人の契約相手が訪問して、
自分の部署の外国人課長と一緒になって、英語で技術的な説明や議論をしている姿、
かっこ良かった。
自分が女なら、ギャップでグッとくるくらい(笑)
ああ、あの人も高いレベルの仕事をするために自分を鍛えたんだな。
なんてね(笑)
このお話を書いてて思い出した、がんばっている、かっこいい冴えないおじさんのお話でした。
うん、みんな頑張っているんだよ。
あなたのとなりの若いやつも、となりのつまらなそうなおっさんもお年寄りもね。