#5 バルチャー!
あちゃあとミュールが顔を手で覆い、溜め息を落とす。ただでさえビルに挟まれ、狭い範囲でしか確認出来ない青空は、しかし上空に現れた何者かがその背中に生やした翼により覆い隠されてしまう。
迎えに来たとミュールに告げたその者の声は何かスピーカー越しのような、肉声のクリアーな調子とは違う。それは彼女たち三人の居る路地へ上空から侵入すべく広がっていた翼を畳んで、と言うよりは”格納”して頭と一組ずつの手足をした間違いない人と同じ姿形になって降下を始めた。
仕事ではなかったのかとその人物を見上げたミュールがうんざりした様子で尋ねると、両手両足、その他各所から青白い噴射炎を発して落下の速度を殺していたそれは首を左右に振り彼女の問い掛けを否定する。地上に近付き、日陰に差し込んだ光が遂にその者の姿を照らす。
「すげ……イーグルガイだよ。鳴海姐、鳴海姐! イーグルガイだって!」
居ても立ってもいられないといった様子の勇作は隣でそんな彼の様子に呆れた苦笑を浮かべている鳴海の背中を軽く叩きながら、ズボンのポケット四つとパーカーのポケット左右を慌ただしく探り。そして引っ張り出した携帯の画面に明かりを灯すと、ポップアップされた四角いアプリのサムネイルからカメラを選択し人差し指で触れる。起動したカメラを彼が”イーグルガイ”と呼称した存在に向けると、しかし件のその”イーグルガイ”は画面の中で人差し指を勇作に突き付け、そして言った。
「その呼び方止めろ。恥ずかしい……」
そんなことないと勇作が彼の言葉を否定しながら、一心不乱にシャッターを連写させる。撮影された画像にはガンメタリックのシルバーの、如何にもミリタリーチックな多面体でごつごつした装甲に全身を包み込んだ”イーグルガイ”の正体が写し出され、彼は体同様装甲に包み隠された頭をまた左右に振りつつ、ならば何と呼ぶべきなのか、当然の疑問を投げ掛ける鳴海に対し、彼に赤く輝く二つの鋭い眼を向けて答えた。
「スパイクで良い。別に俺はそこの利かん坊みたいにヒーローを気取ったりしてないし、ヒーローもしない。ちゃんとした仕事もある、しかも公務だし、こんな格好してるのバレたら一大事……ああ、くそ。おい坊主、その画像絶対にSNSに上げるなよ? いや、上げても良いけど絶対にスパイクなんて書き込みもタグも付けるな。でなきゃ、ひどいぞ?」
勇作に指差し、そして次はむすっとしたミュールに指差し。また勇作の方へと戻ってきたメタルの指先は己に向けられた携帯をぐいと押し戻してその大画面を勇作の額へと押し付ける。
”イーグルガイ”改めスパイクと名乗ったその存在は頭部の、人で言うこめかみの位置に人差し指と中指の二本を揃えた指先で触れる。するとそこを覆っていた装甲が気圧を制御した際の排気音と装甲同士を繋ぎ合わせていたロックを解除する音を立てて一段浮き上がり繫ぎ目から分離して行く。そして装甲が装甲の下にスライドして行きながら全体が後頭部へとに向けて後退し、やがて装甲の下に隠れていた、先ほどまでの状態で双眼の様に見えていたセンサーユニットが露出し、実はそれがバイザー状の物であることが明らかになる。そしてスパイクはこめかみに当てていた指を拳に折り込み、代わりに今度は親指を立てる。それを次に顎の位置にあてがうと、そこから上へ、まるでライダーがヘルメットのバイザーを押し上げる様な動作をして見せた。そうすると先ほどのように装甲が細かく分離ずることなく、バイザーを含めた前面が大きく持ち上がり頭頂部に沿ってスライド、密着し、ようやくのことその下の素顔が顕わになった。
「……おい、中途半端に開くな。格好つかねえだろ」
《バルチャー!》
「いいから、全部開けろよこのポンコツ」
《くたばれスパイク。オレの名はバルチャー!》
顔面を解放しているからかその会話は筒抜けで、片方はスパイクで間違いないものの、もう一人の妙に調子の良い声は通信相手であろうか。にしてもスピーカーであの調子で話されてはスパイクもさぞ気の毒であろう。通信を切ることはできないのだろうか、してはいけないのか、スパイクともう一人の毒の吐き合いを見守る勇作はそんなことを考えていた。彼の隣の鳴海も呆れ切ってまともに見てすらいない。そしてそれはミュールも同じ。かと思われたが、”ハァ?”としんじられないと言ったような声をあげた彼女はスパイクの元に歩み寄ると、彼が纏うアーマースーツの腰辺りを平手で叩いた。
ばんという威勢の良い音が鳴り響き、スパイクが会話を止めてミュールを見下ろす。勇作と鳴海の視線も彼女の方を向く。ミュールは己の華奢な両手を同じく華奢な腰に当てながら、見下ろすスパイクを見上げ返し、彼女の視線に曝されたスパイクがきょとんとした表情を浮かべた時、彼の頭部を覆った残りの装甲が全てうなじの方向へと後退、格納された。そしてミュールが口を開く。
「最近おかしな格好してると思ったら、それバルチャーだったの? 何が”イーグルガイ”よ。さてはレオンの仕業ね……」
頭部を覆う装甲が完全に無くなったことで押さえ付けられていたブロンドの頭髪を膨らませたスパイクはミュールの言葉を聞いて、鼻炎でも無く鼻水も出ていないながら鼻をすすった音を立てながら、しかしすんなりと首を縦に振って頷いた。
「うん、正解。言って無かったか? この前俺の車をレオンの野郎が勝手にボンドカーに改造した上に廃車も廃車、溶鉱炉に落としてダメにしてな。責任取れって言ったら代わりにコレが来たってさ」
《バルチャー!》
頭部のスピーカー機能が胴体部に移動したためかそちらから自己を主張する”バルチャー”とは、獣人コンビの片割れであるレオンが開発したロボットのことであり、本来は名前の通りハゲワシの獣人型ロボットなのだが、バルチャーは改良の末に量産が成されていてスパイクの元に贈られたバルチャーはその内の一体を専用に改造した物であるらしいことが彼の口から告げられる。何でもレオン曰く元の車より移動も駐車も楽ちんな上に、防護機能も段違いとのこと。確かにかさばらなければ空も飛べて、何なら着たままショッピングモールにも繰り出せるのは事実。
しかも武装もバルチャーから削られた物は一切無く、軍の特殊部隊に配備されているアーマースーツ、T.A.A.”ネメア・アーマー”に勝るとも劣らない耐久性とパワーを誇るこのスーパーアーマー、近頃増えている突発的な事件や事故に対処すべくやむなく繰り出せばたちまちに解決してしまう。お陰でスパイクは謎のスーツを纏った人物”イーグルガイ”とちまたで呼ばれるようになってしまう始末。
「あの野郎、俺の車くらい買い直しはおろか作り直すことだって出来ただろうに。イヨから聞いたがコレ、元々造ってあった物だって言うじゃねえか。あのものぐさ犬、よりにもよってバルチャーを寄越すとは」
《パピーじゃなくて良かったな、このバルチャーで!》
いい迷惑だと豪快に笑い声を上げるスーツに溜め息を落としたそれを纏うスパイクであったが、ならば早く脱いでしまおうと当初の目的通りミュールを連れ帰る、それを果たしてしまおうと取りあえず居直ることにして顔を上げる。そこには同じく溜め息を吐いているミュールの姿があり、エンパイアステートビルでの一件の解決直後であることをスパイクは思い出すと、ならばなおさらのこと休息が必要であることを彼女に伝える。それを伝えてようやくミュールもスパイクに頷いた。
そして再びその頭部をスーツの装甲に包み込んだスパイクと、ミュールは一度勇作と鳴海の方を向いた後に何かあればまた助けてあげると笑いかける。いざ帰還をとスパイクが虚空を見詰める中、しかしそのまま浮かび上がりゆっくり上昇して行くミュール。
いまいち何がしたいのか分からない二人の行動に首を傾げ、互いの顔を見合う勇作と鳴海。やがて転移門が開かないことを疑問に感じたスパイクが振り返るとそこにはもうミュールは居らず、見上げた先で彼女が何をしているのかとスパイクに呼び掛ける。どうやら転移門を使わず、帰宅は空路で行きたいと言うミュールに気分転換だろうかと彼女の気紛れを不思議に思いつつも追求はしないスパイクもまたスーツの各所に設けられたスラスターに点火し、軽く地面を蹴るとそのままミュールを追い掛け上昇を始めた。
「はぇー……って、ちょっとオーバーサイク! 連絡先ーー!!」
その様子をぼけっと口を開けて見上げていた勇作であったが、ふとまだ連絡先を交換していないことを思い出し、鳴海の静止も構わずに手を振って声を上げた。だがミュールと言えばそんな必死な勇作が面白いのかべっと舌を見せて笑うと上昇を続け、大空へ。次いで勇作の視界に割り込んできたスパイクはと言えば、彼を指差してこう言った。
「会いたきゃ探し出してみるんだな坊主。その時は俺が相手になってやる。言っとくが軍隊仕込みのパンチは芯に来るぞ」
《親父面はまだ早えだろお!?》
「黙ってろ」
《バルチャー!》
そうして両者共に飛び去った青空を、結局はぼけっとした顔で見詰め続ける勇作。そんな彼の襟首を掴まえて、一先ず両親の待つホテルへ戻ることを促す鳴海は路地を後にした。
*
「パトロールも良いがな、遅れるとパパがうるさいぞ」
《バルチャー!》
「うるさいのはそのおしゃれな服じゃなくって? 良いのよ、何か、ちょっと……」
ニューヨーク上空。ビルよりも高い位置をミュールは魔法で、スパイクはスーツの背面に格納されていたスラスター内蔵の翼を展開し飛行していた。目指している先はニュージャージー州にある住宅地であるのだが、スパイクに皮肉を返したミュールはしかしどうにも落ち着いた様子が無い。頻りに街中を見下ろしてはあちこちを凝視していて、時折飛行の速度さえ落としてもいた。流石にその様子を変に感じ取ってたスパイクがミュールへとそれを尋ねるものの、何でも無いと彼女は返すばかり。
スパイクがミュールと初めて出会ったのはデトロイトでの騒ぎ。彼女が彼女の父となるウォーヘッドと共に母のベアトリクスと大立ち回りを演じた際、それの制圧に”PRIME”として介入した時であった。その時は被害がニューヨークにすら及び、”PRIME”のフル装備を投入し、ミュールと争いを演じすらした。よもや休日にバーベキューをする仲になるとは、今考えても信じられないとスパイクは常々思っている程だ。
今もそんなことを考えながら、ふと気が付くと何故か一緒に飛んでいたはずのミュールの姿が隣から消えていて、寝そべるようだった姿勢を直立に戻し、一度大きく翼を羽ばたかせるとその場でスパイクは停止。スラスターに用いられているリパルサーリフトの効力でVTOLの様な機構を備えずとも、スパイクの纏うスーツは空中で制止滞空が可能であり。その機能で以て周囲を見渡し、自由に可動する翼をゆったりと羽ばたかせながらぐるりと一回転。すると、遥か真下のビルの屋上にミュールの姿を見付けた。
何をしているのだろうとスパイクは降下を行い、件の屋上へと降り立ち、ミュールへと声を掛けた。見た限り特に変な所など無い、よくある薄汚れた屋上の光景。一応警戒して辺りを見ながらスパイクが歩み寄ると、振り返ったミュールは首を傾げた。
「いったいどうしたんだ? 追っかけでも居たか?」
「追っかけかは分からないけれど……確かに何か居た気がしたのよ。人……みたいな」
みたいな。その曖昧な表現にスパイクこそ首を傾げてしまい、疲れが溜まっているのではないかと彼はそう楽観的な意見を述べると、やはり無理をせず転移門を使い家まで帰ることを再度提案。そもそも何故始めからそうしなかったのか、今更ながらに尋ねるも、やはりミュールの反応は煮え切らない感じであった。
超自然的能力である魔法を操るミュールの直感をくすぐった何か、それは今も彼女の胸に引っ掛かり続け、それが決して杞憂ではないことをしかしスパイクは理解しない。出来ない。そして確信を得られないままのミュールもまた、そんな彼の言葉に同意してしまい、疑問は胸の内に沈め、疲れているだけと言う理由で蓋をする。
開いた転移門を潜った二人。屋上には誰も残らない。――筈なのに、しかしそこには先程までは確かに居なかった、存在しなかったものが在った。
消えた二人の背中をいつまでも見詰めるように、そこに在るのは立ち上る黒い、まるでもやのような何か。風に吹かれようとも形を崩さないそれは、しかしその後しばらくして、ゆっくりと虚空に広がり、やがて消え失せた。