#4 ゆうくん、これどういう状況なの!?
しばらく走り、そして狭い路地へと入り込む。ひどく汚れたダストボックスに溢れかえったゴミ箱、膨らんだゴミ袋をつい蹴飛ばすと何か得体の知れない液体が飛び出し、大小のネズミが慌てて逃げて行く。
しかしそんなこと気にも留めずに奥まで足を進めるのは勇作。
ようやく止まり、進んだ先で彼はフードを下ろし目元を覆ったはちまきを取るとビルの壁面へと背中を預けてふうと一息吐く。
しかしまだ勇作の胸では心臓が早鐘を打っていて、それを落ち着けようと何度も深い呼吸を繰り返しながら彼は右手の拳を解いて、その手に握られている己のはちまきを見下ろす。するとくしゃくしゃになり、視界を確保するために開けてある二つの覗き穴が心なしか恨めしげに勇作を見詰め返していた。対する勇作と言えば、しかしその表情は堪えきれないといったにやけ顔をしていた。
「やっちゃったよ……遂に本場も本場でっぽいことしちまった! 結果はともあれ、すげー興奮する……先生に怒られちゃうなあ! くぅーっ!」
その結果が大事なのだけれど。分かり易くのぼせ上がり、その場でガッツポーズをし堪らなさそうにばたばたと足踏みをする勇作に掛けられる声。
突然の事態にひっくり返った声を出しながら猫のように飛び上がった勇作が驚き過ぎて痛いと感じる程に鼓動する心臓を胸板越しに押さえつつ、左右を急いで確認する。しかしそのどちらにも誰も居らず、困惑する勇作に再び同じ声が降り掛かった。
「アジア人ってあなたのことね。日本人だったんだ。よくも邪魔してくれたじゃない」
そう、その声は勇作の頭上から掛けられたものであった。
ちゃんと話し掛けられてその事にやっと気付いた勇作が顔を上げると、そこには黒いレザースーツに同じく黒いジャケットを羽織った長い白髪の少女が彼を見下ろしていた。それもひどく不機嫌な顔で。
オーバーサイク。勇作の口からその名前が自然と溢れ出る。彼女の活躍はニューヨークから海を渡り日本にもよく知れていた。
非営利の慈善活動。何処にも帰属せず、見返りを求めずに相方たるウォーヘッドとたった二人で多くの犯罪を阻止し、犯罪者逮捕に貢献してきた。自己中心的な自警活動と呼ばれることもある。はっきりと国の機関に所属しているチーム”バリアント”や現在仮釈放中で監視下にありながら活動している獣人コンビ”E&L”とは違い、制御が出来ないからだ。
実際、ルールから外れた行動も二人は行っている。とはいえ、そういった面を批判するのが評論家というものであり、結果を重要視した場合彼らもオーバーサイクとウォーヘッドの上げる成果は認めている。評論家でも何でも無い一般市民からしてみれば、兎にも角にも犯罪を食い止め、事故や災害から守ってくれる彼女らの存在はまさに救世主。それは勇作にとっても同じことで、彼が”U-フェンス”を名乗るクライムファイターじみた行為に及ぶきっかけの一つにも二人はなっている。
そんなある意味スターのような存在と事件現場でとはいえ一緒になり、あまつさえオーバーサイクの方からこんな裏路地にやって来て声を掛けてきた。あり得ない展開に勇作は改めて驚き直すと、自身の前にゆっくり降下してきては爪先が地面に接地するかしないかと言うところで停止し、浮遊を続ける超常の権化を凝視した。
高校一年の勇作よりまだ幼い。しかしその幼い顔付きにはただならぬ威厳か、相応の場数を踏んできた貫禄のようなものがある。勇作よりも幼いが、勇作よりもずっとしっかり者の顔だ。
可愛らしい。しかしそんなオーバーサイク、”ミュール”を見た勇作と言えばこれだった。
彼女の顔はニュースや雑誌でも毎日のように目にするが、実際にこうして間近で目の当たりにすると一層のこと可愛い。勇作の知る人物の中には様々な"普通で無い"者が何人か居て、その中には当然女性も含まれておりその者らも勇作にとってみれば漫画のキャラクターの様な、浮世離れも甚だしい綺麗だったり愛らしい容姿をしていたが、目の前のミュールも大概だった。
幼いが、中学生の半ば辺りだろうか。高校一年の勇作はそんな自分がこの年下の少女に声を掛けても別に悪いことでは無いだろうかとあれやこれや考え、以前の失敗を鑑みて、身に纏ったパーカーのポケットに手を入れると携帯を取り出し、そして――。
「連絡先……」
「嫌よ。それよりあなた……」
「これ僕のメルアドと番号なんだけど、良かったら……」
「要らない。あなた本当に日本人?」
一度断られた直後、すぐさま予め用意していたメールアドレスと電話番号の記されたメモを取り出し、それを差し出す勇作であったが、それすらも一蹴された挙げ句に身元すらミュールに疑われてしまう。
少なくとも以前はアドレスを渡すことに成功したはずなのに今回はどうもそうはいかないようで、何故だろうと考えるとやはり前回のようなサプライズ感が足りないからだろうかと勇作が自らのメモを眺めていると、突然そのメモが目の前から消え失せる。
顔を上げると、そこではメモを手にしたミュールがそれを見ていることに気が付く。一瞬表情を明るくした勇作であったが、すぐに彼の額に飛行機になった件のメモが突撃を決めてその顔も再び撃沈。それを見たミュールはしかしくすりと笑って、何か言いたげな勇作に向けて指を振った。
何だろう。勇作が彼女のその仕草に首を傾げた直後、不意に腕に違和感を覚える。しかも両腕に。
そして視線をミュールから己の腕に下げた勇作の視界に飛び込んできたのは己の両手首を縛り付ける鉄パイプであった。
何故、何処から鉄パイプが現れたのか困惑する勇作は上下左右を見回しそれらしい原因が無いことを確認した後に、鉄パイプにぐるぐる巻きにされた手首を持ち上げ怪訝そうな目で見詰める。何これ。ようやくその言葉が出た。
「鉄パイプよ。知らない?」
「知ってるけど、僕の知ってる鉄パイプはもっとこう、真っ直ぐなんだけど」
「真っ直ぐじゃ手錠にならないじゃない。あなた、今から警察に行くのよ?」
「ケーサツはダメだ!!」
警察の言葉に明らかな動揺を見せる勇作ではあったが、大抵の場合警察に連れて行くなどと言われれば誰でも動揺することを知っているミュールは気にしないし、何故嫌がるのかもいちいち訊いたりしない。
さて警察署に直行する転移門を開こうと、嫌々と首を何度も左右に振り回す勇作を尻目にその手でミュールが円を描こうとした時、何か鉄を捻じ曲げる時の様な歪な音が彼女の耳に届いた。
そして振り返るとそこではどうにも信じ難いことに手首に巻き付いた鉄パイプをねじ切ろうと力尽くでそれを曲げている勇作の姿があった。確かに彼の手首に魔法で巻き付けた鉄パイプの強度は大したものではないかもしれないが、特別体を鍛えているようには見えない勇作がそれを歪ませられるとは到底思えず、ミュールはその表情を驚愕に歪ませる。
だが考えてみればブロック島での一件以来、これまで極一部の者にしか発現しなかった”超能力”の発現率は飛躍的に高まり、今もなお先天的、後天的構わずまるで超能力者は非超能力者と勢力を二分しようとする勢いで出鱈目に増え続けている。
世間はそれへの対応で滅茶苦茶の最中。つまり目の前の勇作も、力に目覚めた超能力者、”ニューヒューマン”ということ。あの無茶な救出劇にも、一応の理由があったのだ。
抵抗すればそれこそ逮捕。ニューヒューマンともなれば監獄島”ニューアルカトラズ”行きは免れないと、手錠をねじ切ろうとする勇作にコルナサインを結んだ右手を突き付け警告するミュール。すると勇作の動きはぴたりと止まり、その顔はみるみる青ざめ、表情は萎えて行く。
ひとまずは敵意も無く、戦意も抵抗も勇作から見られなくなるとミュールは一息吐きながら手を下ろす。だが勇作はやはり警察には行きたくないとうわ言のように繰り返すものだから、ミュールは警察に行っても事情聴取されるだけだろうからとそんな勇作の説得に乗り出した。
エンパイアステートビルにはただで登れるわけではなく、チケットも購入しているのならば勇作は被害者の一人にも数えられるだろうから、それらの無事を確認する為にも出頭は必要だと告げる。告げるのだが、やはり勇作はいまいち納得してくれない。
もしかして魔法による言語の翻訳が上手く機能していないのだろうか。そんな疑問すらミュールが抱こうとしていた所、突然なにやら艶かしい調子の”男性の声”が二人の元にやって来た。
それにいち早く反応したのは勇作で、自らのやって来た方角に顔を向けると、萎れていた表情が途端に明るくなり涙さえ浮かべ始めた。
今度はなんだろう。うんざりしながらミュールも彼と同じ方を見てみると、走って向かってくるのはビジネススーツをびしりと着こなした、長い黒髪をポニーテールにして揺らす一見女性のようにも見える人物であった。
その人物は真っ直ぐ勇作の元まで駆け寄るとそのままの勢いで彼に飛び掛かり強烈な抱擁を見舞った。どうやら彼の保護者の様で、無事な勇作を見て良かった良かったと、やはり女性の様な言葉遣いながらも間違いない男性の声で繰り返す。
呆然と二人の様子を眺めていたミュールだったが、そんな彼女の存在に気が付いたのかその”女性のような男性”は勇作から離れるとぎょっとした様子を絵に描いたような仕草を交えて表した。
「あらヤダ、オーバーサイクじゃない!? ゆうくん、これどういう状況なの!?」
そんな彼、もしくは彼女の当然の疑問に”ゆうくん”というニックネームらしい呼ばれ方をした勇作は己が連行されそうなのだと説明した。するとミュールを前にして記念にと携帯のカメラを連写していた彼、もしくは彼女はそうだったのと一言。そして携帯をしまうとこほんと咳払いして態度を改めつつ、勇作の肩を掴んで引き寄せた彼、もしくは彼女はオーバーサイクに謝罪しつつ一枚の名刺と、そして書類の纏まったファイルを彼女に差し出した。
「初めまして、ミス・オーバーサイク。私は矢上鳴海。こちらの浅間勇作少年の監視観察担当者になります。ちょっと用事で目を離した隙にとんでもないことしでかしちゃったみたいで、本当にごめんなさいね。私の監督不行き届きだわ……。それとはいこれ、この子の身分証明みたいなものなんだけど、これでどうか連行は勘弁してあげて?」
矢神鳴海。身長が200cm近くはあろうというどうやら生物学上”彼”と呼ぶのが正しいらしいその人物は、しかしその身長を除けばまるで女性と見紛う容姿をしており、華奢で可憐。とは些かほめ過ぎであろうが、事情を知らなければ一目では女性と見間違えてしまうのにも頷ける見た目をしている。良い匂いすら当然のようにしていて、それはミュールの嗅覚も捉えていた。
この手の人物に差別的な意識を持たないミュールはすんなりとそのファイルを手に取るとそれを宙に魔法で散らばらせ、見易いように一枚一枚を空中に並ばせ、それらを眺めて行く。一枚読み終えるとそれは退き、並んでいたもう一枚が次は自分だと彼女の前に躍り出る。
ミュールがそれらの書類を読み進めて行く間、勇作と鳴海と言えば再開を喜ぶわけでも無く、勇作が鳴海に向かい文句を言い放っていた。というのも、通訳兼保護者の筈の彼が突如消えた事もそうであるが、一番の問題にして勇作が懐く不満の原因はその書類だった。
「証明書ってなんだよ鳴海姐。もしかして僕は管理されながら行動しなくちゃならないの? そんな事したら困ってる人助けるにも……」
「納得しろとは言わないけどねゆうくん。仕方がないことなのよ。日本とこっちとじゃ”私たち”の影響力がまるで違う。これまでみたいにゆうくんの起こした問題を揉み消すなんてこっちじゃ出来ないんだから。今回みたいに逮捕されたくなかったら、この国のルールに従う必要があるの。分かってね。ゆうくんの堪え性の無さを鑑みて、それでも出来ることをやってるのよ」
鳴海の言い方は柔らかで耳によく入り理解もし易かった。
故に勇作の表情は晴れない。分かっていても、分かってしまうが故になおのこと納得できないのだ。
鳴海の言う通り、勇作は堪え性が無い。それこそが彼らしさでもあるのだが、勇作が”U-フェンス”として事件に首を突っ込むのは違法でもある。彼が日本でそうやって活動できていたのは鳴海が所属する組織のバックアップがあってこそであるのだが、こと此処アメリカに於いてはその組織というものの権力はまるで機能しないらしい。というのも、アメリカには多くの強大な力や権力を持った組織がそれこそ無数に存在している。
特に規模も大きく、基本的に治安維持に貢献している秘密結社”M.I.B.”はしかし他所からの干渉を嫌がる傾向にあり、故に鳴海の所属する組織はアメリカに手を伸ばすことが叶わない。
しかしそれでも鳴海は何とか勇作のために、彼が違法な活動の末に捕まることが無いようにそういった活動を行う者たちを管理している国営の組織へと手続きを行い、彼をそこに一時的に登録することで活動の許しを得てきたのだが、勇作はそれでは本来機動力が売りである所謂”もぐり”の特性が活かせないとぶーたれているわけだ。
事件が起き、それを解決するために動こうとしてもいちいち許可を得なければ活動できない。後手に回ってばかりでは、それでは困っている人を助けられないと。
そうした問答を二人が繰り広げている内にも、書類を読み終えたミュールは宙に広がったそれらを再びファイルの中へと収め、鳴海へと返却。そしてふうと一息吐き、そして言った。
「事情は分かったわ。私の早とちりみたいで、ごめんなさい」
そう言って、浮いていた所を完全に地面へと両足を接地し、二人の前に歩み寄る中で手袋を右手側だけ外したミュール。そして勇作の前で立ち止まると彼のことを見上げながらその右手を差し出した。どうやら謝罪と、和解の握手をしたいらしい。
勇作はなんのことやら彼女の仕草の意図を理解できずに首を傾げていたが、彼の隣の鳴海が耳打ちをすることでようやく理解を果たす。しかし勇作が差し出そうとする右手をまた鳴海が静止すると、もう一つ耳打ちしてグローブを取るよう告げ、それに従い勇作もミュール同様グローブを取った右手を彼女の右手としっかり握り締め合った。
一秒ほど握手を交わし、互いに目と目を合わせたことで勇作もミュールの謝罪を受け入れ和解となり、結んだ握手を解く。するとミュールは裸の右手に再び手袋を被せながら肩を竦めるとふわりと風も起こさず宙に浮かび上がり、そしていたずらっぽく舌先を覗かせた笑みを見せる。
「ま、非合法は私も一緒だから、正直証明書なんて見せられてもあんまり関係ないのだけれどね。というか、そういうことなら私の方が警察に顔向け出来ないわけになるけど、今のでチャラってことで良いよね? それじゃ、お迎えが来る前に私は退散するとします。応援してるよ、日本のスーパーヒーロー”U-フェンス”くん。目指せパワーレンジャー」
どこか小馬鹿にしたようなミュールの言葉にむっとして言い返そうとする勇作だったが、そんな彼を鳴海がなだめつかせようとしている合間にもミュールは転移門を開き、そこを潜ろうとした。
だがその直前に何やら円盤状の小型の物体が飛び込んで来たかと思うと、それは突如高い不協和音を発し、短い閃光を爆発させる。
一同が思わず顔を伏せたり腕で覆ったりする中、同じく目の前でそんなことをされたミュールも当然両腕で自らを庇っていたものの、ダメージが無いことに気付き腕を眼前から退けて見る。するとそこには相変わらず円盤は滞空しているのだが先に展開していた転移門が影も形も無く消失していた。ジャミングである。
あちゃあと再びミュールが顔を手で覆い、溜め息を落とす。そこに届いたのは勇作の驚きの声、歓声にも似ている。その声に釣られてミュールも顔を上げて見れば、ビルとビルの合間に切り取られた青空を覆い尽くす翼と、それを生やした人の形をした影がそこにはあった。
「――迎えに来たぞ。”オーバーサイク”」