#34 エンチャントアーム
屋根の抜けたダイナーの内部はまるで爆弾でも爆発したかのような有様で、椅子やテーブル、カウンターは千切れ吹き飛んで四方を囲むガラス窓は枠を残し全て消失。床すらもタイルは捲れ上がり剥き出しとなった地面は抉れ、放射状に衝撃の跡を残したそこの中心に居たのは一人のニューヒューマンの男性であった。
衝撃を発する力に目覚めた彼もまた他のニューヒューマンら同様、正気を失っていた。その目的はただ一つ、異常の排除。
変異が始まり、体毛の一切を失い剥き出しになった肌も灰褐色に変色をし両目も白濁している。そんな彼がその両目を向けるのは己の足元。その先の地下深くであった。
振りかざした右手に握り締めた拳。それを足元の地面へと打ち付ける。すると拳へと集約されていた衝撃のエネルギーが爆発を起こし、再び四方へと散った。
爆発地点では特に強いエネルギーが発生し、地面は陥没。男は再び拳を振り上げる。これを繰り返し、突破する気でいるのだ。
そんな時に奇跡的にも無事であったジュークボックス。その背後の壁が白熱を始める。じゅうじゅうと音を立てるそこは次第に限界を訴えるように甲高く鳴き声を発し始め、刹那、膨張し炸裂した。
そこまでしてようやく異変に気付いたニューヒューマンの男がそちらに目を向けた時にはもう遅く、炸裂し弾け飛んだジュークボックス、正確にはその背後より噴出する赤熱した衝撃の奔流に彼は飲み込まれる。
衝撃が男を飲み込み共に過ぎ去った後、訪れた静寂の中をいまだ熱されたままぽっかりと口を開けた隠し通路の先から姿を現したのは筋骨隆々とした大男。彼の体からは煙が上がり、本人咳き込みながら顔に掛かる煙を手のひらで扇ぎ払う仕草を見せる。
「こう言う力の使い方は、ごほっ、ぁあ――嫌だ」
男は庇のような眉を橋渡ししている眉間にしわを寄せながら誰かにそう告げ、振り返ろうとする。
そんな彼の後ろ、脇をすり抜けるようにして前に出たのは細身にして長身の女性であった。
様相こそ粗暴そうな男はその口調や表情、目付きなどは穏やかであるが、その女性と来れば表情はきつく目付きも鋭い。
「私は嫌じゃ無い」
実に素っ気なく告げた女性はちらと振り返り目配せと、軽く手を振るだけ。男はそれを見て溜め息を吐き首を振る。ついでに溜め息も。
そんな二人が狭い秘密の出入り口から出てきた後も、ぞろぞろと三人がそこから姿を現した。
「二十五人。まだまだ増えるよ。取り囲まれてる」
その内の一人、長い紫色に染めた髪を頭部を覆う様に編み込み、余った後ろ髪を頭頂部で巻いて帽子のようにした少女は光り輝く瞳を忙しなく動かしながら、その目が捉えた存在を皆に伝える。
都合の悪いその報に鼻を鳴らしたのは大柄の初老の男性であった。両目に横一線の切り傷を持つその男は腰に提げた二丁の拳銃を引き抜き、先の二人ともう一人を呼びつける。
「キティは此処に居ろ。二人は俺と。おい、ジャズ」
コーンロウの少女のことらしいキティに安全にしているよう指示しつつ、すると頻りに頷きながら盲目の男の脇を通り向けて行く背は高いが痩せこけた黒い肌の青年。まるで見えているかのようにその青年に合わせて顔を動かす盲目の男は溜め息を吐きながらその後を実際に追った。
彼の頭髪の無い頭部にはヘッドホンが掛けられており、カフが連なった耳もそれで塞がれていた。いつもそれで、頷くように見えるのもあくまでヘッドホンから流れる音楽に合わせているだけである。名前の由来も、その音楽からだ。
四人はそれぞれダイナーの外へと出て行く。そして僅かに遅れて地下から出てきた勇作を始めとするアイリーンとピースメーカーの三人。
勇作は酷い有様のダイナーを見渡し、起こした椅子に一人腰掛けているキティを見つけると駆け寄った。
「えと、みんなは――」
問い掛けると、キティは勇作を見上こそすれども返事をしない。少なくとも英語は通じるのであろうが、問い掛け方を間違えたのであろうかと勇作は眉を潜める。しかしであれば他に何と言えば良いのか彼が考えていると、そこへアイリーンがやって来て悩む勇作が頭に被っているフードの前の方を掴むとぐいと引っ張った。
目深以上に下がったフードに引っ張られて頭を垂れた勇作が悲鳴を挙げるのが面白いようで笑うキティの前に屈み込んだアイリーンは彼女の顔を覗き込んだ。
「もうみんな外よね。敵の数は」
「すごい沢山よ」
「けど有象無象。すぐエンチャンターも来るから、私たちに任せて」
そう言ってアイリーンの指がキティの頬を撫でる。それに頷いた彼女を見てよしと一言零したアイリーンは再び立ち上がると、どこか不服そうに唇を尖らせている勇作を見てふふと笑う。
「あの子、家族以外とは話さないの。アンタの英語が分からないわけじゃないから安心して。とはいえ下手すぎだけどね」
「ちぇっ」
やはり下手なのではないかとフードの中に手を突っ込んで頭を掻く勇作の舌打ちが空しく響く。
そんな彼の肩をぽんと叩いた手はピースメーカーのものであり、彼は勇作に諦めろと一言だけ告げて笑うのであった。
溜め息を落とし、そして改めて深呼吸する。勇作の肺の中に埃っぽい空気が充ちる。
よし。その一言には活気が充ち、握り締めた両拳で脇を締めた。
そんな勇作の更に両脇を固めるのはそれぞれ“ヴァナルガンド”、アイリーン。そして“ピースメーカー”。
三人が並び立ち、そして戦いの音が遂に周辺から轟き始めた。
「――行こう」
勇作が駆ける。アイリーンとピースメーカーもそれに続いた。
窓枠を飛び越え、外へと躍り出た三人の頭上を過ぎ去って言ったのは飛行能力を発現させたニューヒューマンと、それにしがみついた筋骨隆々の男。先ほど女性と共に衝撃を放った人物だ。
数が多過ぎる。そう叫んだのはその女性であって、勇作が周辺を見渡して見ても何処かしらには必ずニューヒューマンを見付けることが出来た。
バリアンツや軍が対処しているのであろうが、爆発的にその数を増やしたニューヒューマンを相手にしては分散しても意味を為さないのであろう。
寧ろ、戦力を分散させられているのはニューヒューマン以外の人間たちの方。このままではいずれはすり潰される。
そんな良くない予感を振り払うように、勇作は背中に背負った特殊警棒“ライオットSP”を手に取り構えを取った。
自分やピースメーカーは多人数をあいてにするには向いていない。であれば、この場合を勇作は考えるとアイリーンへその視線を向けるのだが、彼女は彼女で既に役目を理解しているのであろう。勇作が何を言うまでもなくニューヒューマンたちの中へと突っ込み、氷塊に複数人を閉じ込めると同時に氷の毛皮に覆われた巨大な狼へと変貌を遂げる。
「クリス、来い」
“ヴァナルガンド”と世に認知されている姿へと変わったアイリーンがクリスと言って呼んだのは、二丁拳銃を放つ盲目の男であった。
クリスはアイリーンの声だけを頼りに、しかし迷うこと無く一直線に彼女の元へと駆けて行く。その間にも彼は拳銃でニューヒューマンを撃ち抜く。それこそ目で見て狙いを付けているような正確さで。
迫るブラストを跳躍し回避したクリスはブラストが着弾した際に生じる圧力を利用して跳躍距離を伸ばし、宙で錐揉みして姿勢を立て直すとそのまま四肢を畳み身を屈めていたアイリーンの背へと着地する。
クリスが背へと降り立ったのを確認したアイリーンはすくと立ち上がり、押し寄せてくるニューヒューマンたちを発生させた氷塊で蹴散らしながら駆け出す。
その背でクリスは銃弾をばら撒き、アイリーンと共に次々と数居るニューヒューマンを薙ぎ倒した。
そんなアイリーンたちの活躍を前に微少な身体強化しか発現していない勇作は手持ち無沙汰。ピースメーカーも先に行くと言って強力な個人を狙い各個撃破へと乗り出していた。
彼に倣おうと勇作も手頃そうな相手を捜すが、少々もたつき過ぎたか、気が付いた頃には彼の四方をそれぞれ男女のニューヒューマンが取り囲んでいた。
緊張に強張る体を深い呼吸で解そうとすると、くらりと意識が揺れる感覚。グローブに包まれた手に浮かぶ汗ごと勇作は警棒のグリップを握り締める。同時に人差し指に掛けていたトリガーを押し込むと、通電が始まったそこからぱちんと言う乾いた音が爆ぜた。
そして同時にそれは緊張の糸をも断ち切って、先んじて動いたのは勇作を取り囲んだニューヒューマンの内二人。どちらもが男性であり、同じくして黒ずんで硬質化した両腕を鋭利な形状へと変形させていた。
勇作はしかしそれを予期しておらず、出鼻を挫かれる事となってしまい慌てて迎撃に移った。振り抜いた警棒は先んじた男性のニューヒューマン、それが振りかざした腕を受け止めると共に接触部分からスパークを起こし火花を散らす。
ニューヒューマンの力は強く、同じくニューヒューマンである勇作の膂力を上回っており彼はニューヒューマンの腕を抑え込むのもやっと。徐々に押し返されてすらいた。
そしてもう一人、動き出したのは二人。勇作の背後からは残るニューヒューマンが間合いへと彼を捉えようとしていた。
「まっ、じぃ――」
命の危険。それを感じた瞬間、勇作の全身を熱が駆け巡った。しかしそれは怖気から来るものとは違い、
その熱は勇作へと力を与えた。
ぐんとそれまで抑え込むはずがニューヒューマンに抑え込まれていた勇作の両腕、両手が握った警棒が遂にそれを押し返した。あまつさえフルスイングした勇作の膂力に負けてニューヒューマンは押し飛ばされ、その勢いで振り返った彼は掲げた警棒を真下へと全力で振り下ろす。
勇作を間合いへと捉えていたもう一人のニューヒューマンはつまり勇作の間合いにも捉えられていて、よりスイングの速かった勇作の警棒を脳天へと受け、そのまま顔面を地面へと叩き付けられるとそれは沈黙した。
動かなくなったニューヒューマンを見下ろす勇作の顔は茫然自失としていて、白黒する両目をぎゅっと一度瞑った後見開くと大きくその場から飛び退くのであった。
「はっ、な、なに――なんだよ、なん――ぇえっ」
「――次だ。また来るぞ、“客人”」
その声が聞こえた時、勇作の頭には本来見えるはずの無い場所の映像が映り込んでくる。それは目の付いていないはずの真後ろの光景。完全なる死角が今、勇作には全て見えていた。
輝きを灯した眼のまま、勇作は振り返り両手に握った警棒をフルスイングする。するとどんぴしゃり、先ほど勇作が押し返したニューヒューマン。再度襲来したそれの胴を警棒は見事打ち据え、電撃の閃光を伴いながら再び勇作は彼を弾き飛ばす。
ばちんという炸裂音を最後にニューヒューマンは地面を跳ねながら転がり、ビルの壁面へと叩き付けられたことでその動きを止めた。
これにもやはり驚愕を隠せない勇作の顔に表情はやはり無く、圧倒的なまでに増大した膂力やあらゆるものを見通す目など理解がまるで及ばない。
そんな彼が見上げたのは堂々存在する球場、ヤンキースタジアム。
「野球の神様――」
「――それは違うな、バンビーノ」
「あっ、え、エンチャンター」
再びの声。
勇作は残る二人の女性ニューヒューマンを突然芽生えた超感覚とでも呼べば良いか、それで以て隙を見せようものならば容赦無くやっつけると言うように片方を睨みつつ、もう片方には左腕のガントレットを突き付けていた。
攻めあぐねる二人から視線を移すまでもなく声の主を“視た”勇作は、そこにキティと立ち並ぶエンチャンターの姿を見つけた。
彼の浮かべた不敵な笑みに勇作は眉を潜める。それを知ってか、エンチャンターはくすりと笑う。
「エンチャントアーム。力を授け、必要なら共有する。我が権能。――客人、今のオマエには“門”からの力と彼女、キティの力が備わっている」
エンチャンターがエンチャンターたる由縁。その能力は“門”から溢れ出る力を他者に授け、そして応用としてエンチャンターを仲介しアームを繋げた者同士の力を互いに共有させる。
地下で勇作を拘束したのもそれであれば、ピースメーカーを解放したのもそうである。
ついて行けない勇作ではあったが、突然の力の発現については一応の納得を得たようで、これならばやれると意気込み戦闘体勢を改めた。
「しかし、オマエの力は微少で微弱だな。控えめに言ってもカスだ」
がくんと勇作の膝が折れる。それを隙と見て飛び掛かった女性ニューヒューマン二人を警棒と蹴りの連携で撃退した勇作ではあったが、ファインプレーを魅せながらもその表情は自棄を起こしているように歪であった。
そんな状態で雄叫びを挙げながらニューヒューマンたちに突っ込む勇作。ピースメーカーに何事かと心配されながらも、エンチャンターとキティの力を得た勇作は彼と共に敵を薙ぎ倒して行く。
「――イジワル」
キティの目がエンチャンターを見上げる。彼はくつくつと笑い声を喉で燻らせたまま、次にヤンキースタジアムの方を見上げた。
その仕草にキティが気付いた時にはもうエンチャンターは笑っておらず、その目はスタジアムを通り越したその上空を捉えていた。
忌々しげに歪む口元。エンチャンターは舌打ちを一つし、キティへと場所を変えようと言った。
当然のこと、何故とキティが彼に訊ねるとエンチャンターは言う。
「厭な連中が来る。此処は、マズい――」
それを言うが早いか、ヤンキースタジアムの上空にぽっかりと“穴”が空く。そこから舞い降りるのは冷気に乗った、雪。
その冷気と雪は瞬く間に周辺を凍てつかせ、異変に気付いた勇作やピースメーカー、エンチャンターファミリーの面々の視線をも奪って行く。
そして始めに気付くのは、キティと彼女の力を共有している勇作。
戦闘を中断し、空の穴に見入る勇作は完全にそれに気を取られ背後をニューヒューマンに許すが、ピースメーカーが彼を庇いそれを殴り倒した。
どうした。ピースメーカーが勇作に訊ねる。彼は表情を引きつらせながら、空へと指先を向けた。
「なんか、ヤバいのがメチャクチャ出てく――」
中々言葉を紡がない勇作をピースメーカーがせっつくことでようやく彼が言葉を発した直後、それを言い切る前に“それ”は現れた。
不協和音。金属を引っ掻いたような不快な音。それが全て生き物の鳴き声であると気付くのは、卵鞘から孵化した蟷螂の幼蟲が如く、空に開いた穴から無数の異形が溢れ出してからであった。
灰褐色をしてぶよぶよとした皮膚。全身を包んだ粘液は互いに絡まり地上へと滴り落ちながら、やがて重力に引かれ始めた異形たちは落下と共に翼膜を広げた。
飛翔し、瞬く間に空を埋め尽くしたそれに、ついには全員が真っ黒になった空を見上げるのであった。




