#33 神を殺すは人の業なり
「バットケイブみたいだ。かっちょえーーっ」 そう思わず大声を上げてしまう勇作。彼は薄暗く少しじめじめした階段を降りきった先に待ち構えていたゲートを越えて、そして現れた光景に歓喜しているのであった。
そこは石造りだった階段と違い鉄、とただ言うよりは合金や他にも様々な材質を巧みに組み合わせて造り上げられた何か研究施設のような場所であった。そこの通路と思われるところに三人は居た。
「エンチャンターファミリーは随分と懐が暖かいんだな」 白銀に輝く壁面を勇作に支えられつつ歩みながら見渡したピースメーカーが言う。それを聞いたアイリーンは挑発的に鼻を鳴らす。
「もちろん高くついたわよ。でも私たちは家族。何とでもなるわ」
立場上仕方のないこととは言え、ピースメーカーとアイリーンの仲は良くないと言うよりも悪い。仕方ないこととは知りながらも、勇作はこの状況でもかと呆れるのであった。
口を開くと噛み付き合う二人を勇作が仲裁したりしながら進む。そうして幾つのゲートをくぐり抜けた頃か、迎えたもう一つのゲート。そこには閃光から伸びる六つの手のひらに乗って輝く六つの光のグラフィティが描かれていた。それはエンチャンターファミリーのグラフィティである。
「わぁ、これ知ってる。よくテレビで流れてるよ。その、あんまり良い話しじゃないけど」
そう、アイリーンを含めエンチャンターが率いる一団は世に言う反社会的な組織。そのシンボルたるグラフィティは当然負の象徴してメディアでは扱われている。
勇作の言葉にその一員であるアイリーンはしかしピースメーカーにするような刺々しい対応は返さない。彼に言われては彼女もその態度を改めなくてはならなかった。
アイリーンは勇作に救われ、ファミリーは恩人を決して無下にはしない。その一員であるアイリーンもまた然り。
それに彼女自身、ファミリーのしている事が正しいことばかりだとも思っていなかった。虐げられる立場を逆転させるのでは、結局何も変わらないと。
「でもさ、今は緊急事態だし。協力し合えるよな」
「――たぶん、ね」
家族全員の総意はおそらく違うだろう。
しかし状況は最悪だ。ニューヒューマンの立場もこのままでは悪くなって行く一方。皆、何とかしたいとそう思っていることに違いはないはず。
勇作に振り返り、苦笑して言うアイリーンはそうであるならば何とかなる。なるはずだと自らに言い聞かせながら、ゲートの認証端末に己の瞳を近付けた。
そして認証したことを知らせるピピピと言う軽快な電子音が響くと共にランプが赤色から青色に切り替わった。
圧力を解放するぷしゅっと言う音。重量感など全く無く、至ってスムーズにスライドして開いたゲートの何と呆気ないことか。
こう言うものはもっと重々しく緊張感たっぷりに開いたりするものではないのだろうかと思い、緊張して強ばった面持ちの勇作の前に、そして現れたのは横長のテーブルに揃った五人であった。
「うわぁ――ボクこれ知ってるぞ。――あれ」
「なに、“最後の晩餐”か」
「それだ、“最後の晩酌”」
知っていると言いながら首を傾げた勇作にピースメーカーが怪訝そうな目を向け、もしやと思うものを告げる。そうした直後、勇作がぱちんと指を鳴らす。
ピースメーカーとアイリーンの二人は同時に溜め息を落とす。緊張しているのは顔だけだったかと。
すると、この状況下にあってそんな和な雰囲気を醸し出す三人に向けた咳払いがテーブルから飛んでくる。それに対しアイリーンが「ごめん」 と謝罪する。そして座れとも。
だがアイリーンはそれを断ると共に、勇作とピースメーカーへと付いてくるように言って数歩ほど前に出た。
「今日は出席しに来たんじゃないの。頼みがあって――」
アイリーンがそこまで言うと、五人の中で唯一食事に手をつけていた人物が手にしていたフォークを皿に置いた。
かちんという音が響き、アイリーンが口を噤む。
「――エンチャンター」 ピースメーカーの苦々しいような調子の呟き。勇作がえっと声を挙げると、口を拭いていたその人物が改めて面を上げた。
「オレたちは家族だ。そうだろう、アイリーン」
「ええ、もちろん」
「ならどうしてそんなに改まる。畏まる。家族にも、言い出し難いことなのか」
“エンチャンター”
極めて短く切られた黒色の頭髪には鋭利な剃り込みが走り、厚ぼったい唇と茶黒い肌。しゅっとした輪郭には鋭い二つの眼があり、そこに浮かぶ瞳には深緑に輝く光が灯っていた。
黒人の青年風の彼こそがエンチャンターにして、エンチャンターファミリーの“家長”に当たる人物である。
そんな彼に凄まれたアイリーンは困ったように己の頭をがしがしと掻く。言い出し難いと言うことはないはずだ、しかし気難しいエンチャンターを納得させるだけの上手い言葉が見付からず、彼女はあーとか、そのとか、凡そ説明とも説得とも違う、なんならば言葉ですらないつまり唸り声しか出すことができないでいた。
それを見かねたのが今にも倒れそうと言った様相のピースメーカーであり、彼がエンチャンターと話しを付けるべく己を支えてくれている勇作に一歩出る合図をしようと彼は視線を落とした。
「ピースメーカー。彼を助けてほしい。――んです、ケド。あはは、は」
だがそこには既に勇作の姿は無く、気が付くと彼は既にピースメーカーとアイリーンよりも前に居てエンチャンターと対峙していた。そしてあまつさえ、彼に対し己の要求を言って退けたのである。
支えがあると思い込んでいたピースメーカーから勇作というその支えが失われたことで彼はその場に膝をついた。
言ったまでは良かったがエンチャンターの視線がアイリーンから勇作へと代わり、その超常の光を宿す瞳に睨まれた勇作は威圧感についと弱気になってしまい苦笑をして茶を濁すが、その時後ろでピースメーカーが膝を屈したことに気付いた勇作はすぐに振り返りピースメーカーを支えようとした。
「ぁぎ――」 しかし直後勇作の体が動きを止め、彼の両腕がぎゅっと脇に吸い付けられる。感じる圧迫感。まるで何かに締め上げられているようで勇作の口から苦しげな悲鳴が短く零れた。事実、勇作が身に纏う黄色いパーカーはまるで紐にでも巻かれているかのように所々が陥没してた。
アイリーン、ピースメーカー共に勇作の名を叫ぶ。二人はエンチャンターの力を知っている故、アイリーンは彼に制止を。ピースメーカーは次第に己のもので無くなっていく身体にそれでも鞭を打ち立ち上がると拳を構えた。
そしてエンチャンターを除く五人もまた立ち上がり、敵意を見せようかとしていた時であった。
「ま、待ってっ。話しの途中、だった、から。ちゃんと、最後まで聞かないとダメ、だよ、ね」
勇作が動かすことのできる前腕をちょんと持ち上げ、その手首に繋がっている手のひらを広げて全員へと途切れ途切れに止めを呼び掛けたのである。
それを渋るのはアイリーンとピースメーカーであるが、他の五人はエンチャンターの目配せ一つで再び食事の席へとついた。
そして件のエンチャンター、彼は不可視の何かを使い勇作を縛り上げるのと同じで、今度は彼のことをより近くまで引き寄せ始める。
それがあまりに強引なので、勇作は躓いてしまわないように一生懸命に両脚を前後させる。するとやがて彼の腰はテーブルの縁にぶつかり、そこを揺らし音を立てたところで動きを止めた。
倒れそうになったワイングラスを掴まえ、持ち上げて口に運びながら、エンチャンターは次に勇作にそれを勧める。彼の手から離れたグラスはひとりでに宙を浮揚し、そして勇作の眼前でぴたりと止まる。
「え、いや。ボク、未成年だし」
「ふん、流石だな。日本人て感じだ」
首を左右に振り飲酒を断った勇作にそう言ったエンチャンターはグラスを己の手元に再び引き寄せると、浮いたそれを手に取り厚ぼったい唇の隙間へと一気に煽った。
ふう、と一息吐き、天井を見上げる。勇作もそんなエンチャンターの仕草につられて同じところを見上げた。そしてそこで見付けたのは神とそれが創りたもうた最初の人とが触れ合おうとする瞬間を描いた“アダムの創造”。ドーム状の室内、弧を描き膨らんだ天井に描かれたそれは立体的な印象を絵心など微塵も持ち合わせていない彼にも持たせた。
「――最後の晩餐」
「アダムの創造」
「あ――そなの」
見上げながら勇作が放った一言を、すかさず訂正したのは彼の後ろに控えるアイリーンであった。
がっくりと項垂れた勇作の前で、しかしエンチャンターはその絵画を眺めたまま。
「アダムが神から生命を与えられる瞬間だ。だがそうであるならば、この絵に描かれているアダムはいまだ肉の塊に過ぎない。何故なら、神のその指はいまだアダムには触れていないからだ」
エンチャンターは語る。
抑揚無く淡々と、それはまるでうわ言のようでもあった。
「もしこの時に神が気紛れを起こしたら、人が愚かにしか進むことができない存在だと知っていたら、アダムは、彼は物言わぬ肉人形のままだったのかな」
「――ええっ、と」
「だが、人は現にこうして命を持って生きているよな。神はやはり気紛れなど起こさなかったのか、人の愚かさを見抜けない神こそが愚かだったのか。まあ、オレは神なんて存在していないからだと思っているけどね。神様が愚かなわけ無いからな。なら、やはり神などこの世にはいないんだよ」
困惑する勇作などお構い無しに喋り続けるエンチャンターであったが、一頻り言葉を吐き出した後にようやくのことその顔を勇作へと向け、口角を片側に一瞬だけ持ち上げて見せた。
笑ったのかと勇作が彼の表情を疑うと、エンチャンターは「そうだ、笑ったよ」 と鼻を鳴らしながら答える。そして今度は顔でなくその手を、右手を勇作へと差し向ける。その姿は絵画に描かれた神のようであった。
「神がいないから、お前が神だとでも言いたいのか」
動かすことのできない体に代わり、首を捻り後ろに横顔を向けた勇作が見たのはピースメーカーであった。
脂汗で顔面を塗らした彼の言葉は眼光と同じく鋭い。それがエンチャンターへと飛ぶ。
しかし、そんなピースメーカーの言葉にエンチャンターはくつくつと喉の奥で笑い声を燻らせた。
「まさか、オレはオレだ。他の何者でもない。神でも、無論、“インフェルノ”でもな」
「なら――」
「しかし、神ではないがオレの力は他者に力を授ける。今、現状では必要だろう、ピースメーカー。オレならオマエをその忌まわしい“呪縛”から解き放ってやれる。拳を下げろ。必要無い」
そうして、半ばエンチャンターの一方的な問答の末に彼が自らの席から立ち上がると、ふわりと彼の体が先のグラスのように宙へと浮かび上がった。
そしてコートの裾を揺らめかせながらテーブルをゆっくりと飛び越えたエンチャンターは勇作のすぐ隣へと降り立ち、そして右手で彼の頭を鷲掴みにする。
ピースメーカーも、そしてアイリーンもそのエンチャンターの行動に再び身構える。だが、件のエンチャンターの表情は明確な笑みを浮かべていて、勇作の顔を体を反らしては覗き込んだ。
「ニューヒューマンとは不憫だよな。つまりは呪われた人々だ。神を名乗るクソッタレ共に呪われた、哀れな人間。連中が来れば否応無く隷属させられてしまう。今の世界のように。――だが、オマエは何だ。ニューヒューマンのクセに、呪われていない」
「ぼ、ボクよりピースメーカー――」
「ふん、ま、良いだろう」
「何であれ家族を救ってくれた恩人だ」 エンチャンターはそう告げると勇作から手を退ける。すると、何かに縛られていた体も解放され、思わず勇作はその場に尻餅をついてしまう。
そしてエンチャンターはその場から右手をピースメーカーへと差し出す。直後、ピースメーカーが体を強張らせた。緊張したように全身を硬直させる。
そして全身のあらゆる血管を浮き立たせた彼は、汗を吹き出しながら野太い悲鳴を挙げ始めた。
驚いた勇作が彼へと駆け寄ろうとして立ち上がるものの、それを制するように手を差し出したのは近寄ってきていたアイリーンであった。不安そうな目を向ける勇作に、アイリーンは大丈夫だとでも言いたげな表情と目で見詰め返し頷いた。
「――Booom」
やがて、ピースメーカーへと差し出していた右手を拳へと変えたエンチャンターは、弾くように握り締めた五指を口に出した擬音と共に開いた。
すると強張り続け、痙攣すらし始めていたピースメーカーがまるで糸を切られた人形のようになってその場に崩れ落ちようとする。
勇作がアイリーンの腕を振り払って駆け寄り、彼を抱き止めた。そして泣き出しそうな顔をして、ピースメーカーの顔を勇作は覗く。
「ピースメーカー――」
「――ああ、悪くない。心配するな、“U-フェンス”」
「なにが心配するな、よ」
「違うでしょ」 そう勇作に笑みを浮かべて見せたピースメーカーへとやや刺のある調子で声を掛けたのはもちろんのことアイリーンである。彼女は勇作のすぐ後ろに立つと腕組みをし勇作に抱えられているピースメーカーを見下ろしていた。
「確かにな」 とピースメーカーは彼女の言葉に頷くと勇作の肩をぽんと叩き、それがもう必要無いことを知らせる。
勇作がゆっくりと彼を放してやると、ピースメーカーはしかし力強く立ち上がって、そして言った。
「心配掛けて悪かったな、U-フェンス。ピースメーカーは不滅だ。ああ、もう大丈夫」
ぎゅぅっと握り締められた拳には力強さが。はちまきから覗く二つの眼からは活力が。紡がれる言葉には説得力が。
再びのピースメーカーの姿を前にした勇作は跳び上がるようにして立ち上がる。そしてピースメーカーはにっと笑みを浮かべると共に、握った拳を勇作へと突き出した。
「当然」
「ふっ、だな」
ピースメーカーに応えるように勇作もまた拳を突き出す。ごつ、と両者のその拳がぶつかり合い軽い音が響いた。
それを見ていたアイリーンも自然と表情が緩み、ふと小さく笑いながら「私は除け者なワケ」 と茶化したような調子で言った。
「こいつは男同士の挨拶だからな」
「それ、今の時代にそんなこと言ったらアンタ、女を敵に回すよ」
「それは堪らんな」 そうアイリーンの発言に返答をしたのは、しかし勇作でもピースメーカーでも無かった。
三人が一斉に声の主の方を向く。そこに居たのは肩を竦め呆れた様子のエンチャンターであった。
ありがとう。勇作が彼へとピースメーカーを助けてくれたことに対するお礼を告げようかとした時、ずんっとこの場が僅かに震動した。
エンチャンターを除く全員が動揺を見せる。しかしエンチャンターはあくまで冷静に、彼が伸ばした人差し指はピースメーカーを差す。
「呪いからの解放はイレギュラーだ。当然、呪いを掛けたものも気付く。家を壊されるのは、困るな」
まるでそれを合図にするように、テーブルの五人は席を立ち、勇作たちを通り過ぎて出入り口へと向かう。
どういうことなのかといまだに事態を飲み込めていないらしい勇作があちこち視線を泳がせていると、そんな彼の目の前にアイリーンの拳が突き出された。
またも困惑する勇作。もしやと思い、先ほどピースメーカーとしたように彼女の拳にこつんと軽く己の拳を当てた。
「違うっ」 直後に声を荒げたアイリーンに肩を震わせた勇作が目を丸くしていると、彼の眼前でそっとアイリーンの拳が開かれた。
あ、と勇作の口から声が挙がる。彼女の手中にあったのは日本での別れ際、勇作が彼女との再開を誓って渡したはちまきがあったのだ。
「約束。守ってくれて、その、――ありがと」
「――当然さ」
アイリーンから返却されたはちまきを受け取った勇作はそれを己の顔へと巻き付けた。
ピースメーカーを真似たはちまき。それを締めたとき、勇作は“U-フェンス”へと変わる。
はちまきはピースメーカー。とげとげの髪型はアシュガル。憧れをこれでもかと身に纏った勇作に怖いものはなく、オリジナルであるパーカーのフードを被り、再び前を向いたその顔はU-フェンスのものであった。
残る四人。勇作を始め三人の前で、エンチャンターは緩慢な動作で以て両腕を広げ、神とその創造物たるアダムを仰いだ。
「神は我らが上に在り、しかし我らが想像を以てしてしか神は存在せず。つまり、神を殺すは人の業なり。――行くぞ、アイリーン。働けよ客人。恩義は果たした。次は、オマエたちがオレたちに恩を返す番だ」




