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#32 二名様ごあんなーい

 ニューヨーク、ブロンクス区。

 華やかなニューヨークにも汚点たる場所は幾つもある。


 その中の一つで、この場が最たるものかと言われれば、多くの者はそうであると、そう言うであろうが、とは言え此処が世紀末と表現できる程に酷い場所かと言われれば、そういうわけでもない。


「ヤンキースタジアムかぁ……オジさん、行ってみたいって言ってたな……」


 治安は決して良いとは言えないこの場所で、しかし栄光の場所があるというのは皮肉か。

 円形をした巨大な建物を前にしてしみじみとそう口にしたのは勇作であった。


「亡くなったのか?」


 そう勇作に問い掛けたのは、いよいよ余裕も無い様子のピースメーカーであった。余裕がないからこそ、他愛ない会話ですら必要になるのだろう。自らを認知し続けるために、誰かに認知していてもらわなければ持たないのだ。

 勇作はぎょっとしてまさかと彼の言葉を否定する。共に歩く、勇作の黄色いパーカーを羽織ったアイリーンがそんな彼に紛らわしい言い方であったと注意して、そうであったと勇作は反省をした。


「野球が好きなんだ、オジさんだから。ボクも小さい頃よくオジさんと遊んだけどさ、からきしで」

「……なら、また来れば良い。平和になったらな。その時は、そうだな、こんなマスク取って、そのオジさんと三人で観戦しよう。此処で。実は俺も野球好きでね。なんせ、オジさんなものだから」

「は、つか、ジジイでしょ」


 盛り上がる会話にいつも水を差すのはアイリーンであった。呆れ気味に頭を垂れるピースメーカーと、そんな彼女に今度は逆に注意する勇作。夜も深まり、こんな状況で人気もまるで無い町中では賑やかすぎる面々。

 この場所はお世辞にも治安が良いとは言い難く、勇作とピースメーカーだけであればまだしも、シルエットだけ見れば裸も変わらないバリアントスーツに身を包んだアイリーンはそうも行くまいと勇作が気を遣い、遠慮する彼女に無理矢理彼が普段自警活動を行う時に着るパーカーを着させたが、アイリーンの言う通り余計なお世話であったかと勇作が思った時であった。


「待ってて」

「あー……ダイナー……ってんだっけ?」


 あれやこれやと、世の騒乱など無いように会話を交わしている内にも、アイリーンがその足を止めたのは、白い外壁に三原色で彩られた派手な看板を掲げたプレハブのレストランであった。

 既に明かりは落とされ、“FAMILIAR”と記されたネオンサインも今は黒く沈んでいる。何処もそうである。この状況だ、店を開けようなどと思うのは相当に商魂逞しいか、正気を無くしている者だけであろう。


 アイリーンは戸締まりのされているはずのダイナーの出入り口に歩み寄ると、両開きのドアの前で、フードを頭から取りながら数秒ほど立ち尽くした。

 その間、彼女の背後では待つように言われた勇作とピースメーカーがそれぞれ不思議そうな、怪訝そうな表情を浮かべてその様子を窺った。

 勇作はひたすらアイリーンの背中を呆けたように見詰め、そしてピースメーカーは襲撃などを警戒すると共に、監視カメラなどを探して周囲を見渡す。そうしていると、かちんと施錠がされたか、もしくは解錠されたような音が戦いの音を遠くにする三人の元に届いた。


「二名様ごあんなーい……。ほら、入って」


 派手な赤い枠にはめ込まれた大きなガラスには、そこにも店名であろう“FAMILIAR”のステッカーが貼られている。アイリーンはそれをパーカーのポケットから出した片手で押し開く。からんという鐘の音が鳴り、暗闇の店内へと彼女は困惑する二人を手招いた。

 まず先に歩みを進めたのは勇作で、彼に続きピースメーカーも店へと入って行く。店内は片付いていたが、騒動が起こるまでは営業していたであろう事が空間にこびり付いた雰囲気や漂う匂いからも分かる。勇作はやはり派手な原色で塗られたチェック柄のテーブルやソファーが幾つも配置された店内を見渡した後、ガラス窓から外の様子を見る。


「エンチャンターって、あの“エンチャンター”だよな? ……マジ?」


 窓の外にはヤンキースタジアムがでかでかと見えていて、シーズン中にでもこのレストランでそれを眺めながら食事でも取れば盛り上がれることであろう。

 アイリーンは“エンチャンター”に会わせると言ってこの場に二人を案内した。勇作は世界のお尋ね者であるエンチャンターが居るのであれば、もっと暗くじめじめとした 、スラムも生温いと言ったようなおどろおどろしかったりバイオレンスであったりするような所を想像していたので、まさか賑わうであろうレストランであろうとは、それこそ面食らってしまう。


「……灯台下暗し、か」

「そそ、安直でしょー……」


 呼吸も乱れ、発汗も激しく、体力も消耗が始まっているらしいピースメーカーは酷くくたびれた様子で手近な赤と白のソファーに腰を落とした。

 勇作はそんな彼が心配で、座ることまではしないものの、テーブルに腰を掛け側に付いたまま、アイリーンの動向をはちまきで覆われた、瞳の無い目で追った。


「何聴く?」

「え……?」

「ふふ、ま、リクエストされても困るけどサ」


 アイリーンが向かう場所はカウンターの脇にあるジュークボックス。彼女はその前で立ち止まると、勇作の視線に気が付いていたらしく、それを正確に辿り振り向くと彼の目をその角度により虹色に輝く瞳で見詰めながら、手にした金貨を親指で真上に弾いた。


 勇作がアイリーンの問いに答えるまでも無く、それがただの冗談である事を明かしたアイリーンは、落ちてくるその金貨を受け止めると、その何処の通貨とも違うものをジュークボックスの中へと投入した。


 電源が落ちているのだから、そんなことをしても無駄なのではないかと二人が思った時である。そもそも通貨でもないその金貨をしかしジュークボックスは受け入れ、しかしやはり起動したような様子は見られない。

 何事なのかと、二人はしばらくアイリーンを含めて様子を窺った。


「マジか!?」


 そうしていると、突然何か重いものが抜けるような鈍い音が響くと共に、沈黙していたジュークボックスが沈黙したまま床の中へと沈み込み始めたのである。

 ジュークボックスの型はよくある曲線を描いたものとは違い直線的な箱形であり、床へと沈みきったそれは天板が代わりの足場へと変わり、その背に隠していた壁には四角い穴が開いていた。


 驚愕の事態に勇作が腰掛けていたテーブルから離れると共に、驚嘆を上げて壁の穴とアイリーンを交互に見遣る。

 そんな勇作と、座ったままで居るピースメーカーに付いてくるように再び促したアイリーンは、一足先にその穴の中へと足を踏み入れた。すると、徐々にその姿が沈んで行くので、急ぎそこまで駆け寄った勇作が見て見ると、穴の先は下へと続く階段が存在していた。

 遅れて辿り着いたピースメーカーと一緒になってアイリーンが下って行く階段を見下ろす二人に、足を止めた彼女が振り返り、早くと急かす。どうやら時間でまたジュークボックスがせり上がり始めるらしい。


 唖然とした気分のまま、しかし勇作に限っては如何にもな展開に、不謹慎とは思いながらも少しばかり胸をときめかせながら、二人はアイリーンを追い掛けてその暗闇に続く階段を下り始めた。

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