#31 私のボスに会いなさい
シェルターは今や異星文明からの襲撃を直接受けたニューヨークだけで無く、あらゆる州、あらゆる国で建設が進んでいる。
意図せぬファーストコンタクト。そしてそれが友好的とは言えない形で実現したのだから当然だが、殆どの国でシェルターの建設が一挙に進んだのは人々の知らない結社の目論見ではないのかと、陰謀論者や物好きたちの間ではまことしやかに囁かれていた。
タイムズスクエアから始まった勇作たちの逃走劇はセントラルパークへと差し掛かり、広大な緑化地帯を突き進みそこの中央にある池の手前、そこに建設されたシェルターで終わりを告げた。
シェルター周辺はネメア・アーマーと呼ばれる特殊な強化装備を装着した部隊により警護されており、彼らによってニューヒューマンは近寄れないが、彼らも動くことが出来ない状態でいる事が保護した民間人二人を引き渡した勇作とピースメーカーは知る。
初めはニューヒューマンである二人も当然警戒されることとなったが、不調を来しながら平然と振る舞い、滔々と状況の説明を頭部を顔面も含めヘルメットですっぽりと覆い隠したその兵士に伝えたピースメーカーにより一応の理解を得ると、治安維持を継続するとピースメーカーは兵士に伝え勇作と共にその場を後にする。
ただ他のニューヒューマンとは違い正気だからと、兵士から二人は見逃されたわけでは無い。
それにはピースメーカーがこれまで挙げてきた実績が関係している。
まるで“ミュータント”の様に、常人に偏見の目で見られ、差別され、虐げられていたニューヒューマンは、力に目覚めてもそれを必死に隠し生きてきた。それはまだ今のようにニューヒューマンが増える前のことだ。そんな時にピースメーカーは自らがニューヒューマンであることを明かし、そしてその力を世のため人のために奮った。例えそれが彼らを差別してきた常人であっても、誰隔てなくだ。
バリアンツの様に公認された、治安維持のために力を振るうことを許可するライセンスを持っているわけでは無い。
行き過ぎた自警活動と幾度となく糾弾され、追われたことも幾度となくある。
それでも危険に立ち向かい、傷付いて、死にかけて。独りになっても、それでも再び立ち上がり、そして悪を挫き続けた。
彼が黒人と言うことも大いに関係しているだろう。
人気者になって当然の白人たちとは違い、支持の層は厚く、熱狂的。ただし、偏見も根強い。
あらゆる面に於いて彼にはドラマがあった。
故に人々は彼を特別視し、その引退にはその人々が悲しんだ。
バリアンツも居れば、今はシェルターを警護している特殊部隊“PRIME”も居て、彼一人が引退した所で犯罪が蔓延するようなことは無いだろう。加えて新星たるオーバーサイクという者も現れた。
それでもやはり、防ぎきれない犯罪があるのはピースメーカーが居ないからであると言う者は必ず存在する。
伝記や映画、様々なメディアで彼を知り、増えたファン。
活躍当時を知るこれまでのファン。
本当の意味でヒーローたり得たのは間違いない、ピースメーカーだけだ。
そして件の兵士も、そんな彼に憧れた一人であった。
憧れに近付く為に、ニューヒューマンでも無ければ力の無い自分でも世のため人のためになることがしたいと。
彼が居ないからこそ努力をしなければ、頑張らなければならないと。
世のため人のため。そして命を懸けて平和に尽力したピースメーカーのために、兵士はあの場にいたのだ。
「……握手だけで良い、か。俺はそんな、彼が思っている程、高尚なもんじゃあない」
「今は頭が痛いとか、気分悪いとか、その、へろへろだからそんな風に思うんだよ。ピースメーカー、ピースメーカーはすごい人だよ。ピースメーカーに握手なんてしてもらえたら、それだけでヒーローになれる。ボクだったら死ぬまで握手した手を洗わないし、なんらな手袋して汚れないようにしてるね。あの兵隊さんは、そう考えると少しかわいそうかも」
お尋ね者であるヴァナルガンドことアイリーンはPRIMEの兵士が居る場所になど出て行けるわけもなく、別の場所で待機している。
二人はそこに向かいながら、先程のやり取りについて語り合う中、勇作のオタク気質にピースメーカーは少々困り気味。
しかし、そんな勇作が最後に告げた言葉をピースメーカーが疑問に思うと、その視線に気付いたらしい勇作は己の手を持ち上げて手袋をするような仕草をして見せながら続けた。
「手袋。手袋したまま握手したらさ、なんかちょっと損した気分になる」
「……ふっ、はは……確かに。確かにそうだ。俺もアリやタイソンと握手できるならグローブなんて脱ぎ捨てるよ。彼には悪いことをしたな」
「全部終わらせたら――あの時は助かった。ありがとう。勝てたのは君のおかげだ。ってさ」
「それ、俺のマネか? 似てないぞ」
談笑は勇作の気遣いのおかげ。
いつまでも汗を流し、呼吸も乱れていれば視線も振れている。
勇作が気付く程のこと、ピースメーカーは相当に弱っている。
「――けど、ちゃんとした礼はしないとな」
その言葉は勇作に向けたものではなかった。
平静を装いこそしたものの、PRIMEの兵士は最先端テクノロジーで作られたアーマースーツを着用している。
ピースメーカーの異常を見抜くなど、それこそ勇作すら気付く程なのだから造作もなかったはずである。
それでもあの兵士はピースメーカーを行かせた。
危険を排除するのが仕事であるのならば、あの場でピースメーカーも勇作も拘束するのが正しい。
だがそれをしなかったのは、できなかったのは、偏にピースメーカーに対する憧れが強過ぎたからであろう。
この責任は取らなければならない。
ピースメーカーはそう決意しながら、やがて二人は退避が住んだ空っぽのオフィスビルの一室へと到着した。
「ホントに帰って来た。よくとっ捕まらなかったね」
そこの奥、オフィスデスクの上に座り、飾られたニュートンのゆりかごを止めたり、また揺らしたりして如何にも暇を持て余していると言った様子でいるのは少女。
瑠璃色に染められた、肩に届くか届かないかと言うような長さの後ろ髪に、前髪は真っ直ぐに切り揃えられ、左右の位置には白く染められた髪が唯一前髪からまるで二本の犬歯の様に切り揃えられているそこから飛び出していた。
彼女こそが氷の狼の正体。
ナオト、ロメリア、ガジュマルに続くハッピーチャイルドにしてバリアント。
彼女、アイリーンが纏うのはロメリアが着用していたのと同じ。
バリアントスーツと呼ばれるそれは、現在米軍の特殊部隊に配備されている戦闘服に用いられるナノマシンテクノロジーが応用されており、純戦闘用であるナノマシンマッスルスーツ程ではないにせよ装着者を怪我や気温、天候などから保護し、そして最たる機能はバリアントの特徴である“変身”に対応し、その際には格納され、変身を解いた後に再装着されバリアントが無防備ならないように防ぐこと。
それを着ていれば、そのタイトな設計さえ我慢できれば、変身せずとも護身用の拳銃やナイフ如きでは傷付かないし、変身する度に裸になる必要もなくなるのだから、アイリーンも気乗りこそしていないもののそれを着ていた。
「ヴァ……っと、もうアイリーンで良いんだっけ」
「そこのスーパーヒーローが嘘つきじゃないならね」
勇作はこれまで散々彼女の本名を口走ろうとしながら、ここぞという所ばかりレジストコードたるヴァナルガンドとアイリーンのことを呼びそうになり、照れ笑いを浮かべながら改めて彼女の名を呼ぶ。
アイリーンは勇作の間抜けた調子に溜め息を吐きながら、デスクの上からひょいと飛び降りると、ちょうど差し込んだ月明かりにより生じた影の中から明かりの下へと歩み出る。
その時紡ぐ言葉といえば、己が名を明かすと告げた時、他言しないと誓ったピースメーカーへの疑いの言葉。
勇作はその言葉に失礼だとアイリーンに注意をするが、それをただの憎まれ口、軽口だと当のピースメーカーは鼻を鳴らすばかりで相手にはしなかった。
そして月明かりに照らされ、露わになった少女の顔は、きめ細かな白い肌をきらめかせたあどけなくも美しさのある、子供から大人へと変わろうとするそれであった。
「……それで? 話っていうのは何なんだ」
「ん……別に大した事じゃない」
「何……?」
ピースメーカーの問い掛けに、立ち止まったアイリーンが肩を竦めながら返した答えに、ピースメーカーは怪訝な表情をはちまき越しにも分かるほど深くして見せる。
引き寄せてきた椅子に腰掛けた勇作の傍らに立ったアイリーンは、己の体を両腕を巻き付けるようにして隠すと、何の気なしに彼女やピースメーカーのことを眺めていた勇作に見ないようにと告げる。
何故かとはちまきに開いた覗き穴から露出する両目を丸くして首を傾げる勇作であったが、そんな彼の両頬を小さな手で鷲掴みにしたアイリーンは無理矢理にその顔を横へ向けさせる。
意図が読めないそのアイリーンの行動に当然納得も出来なければ再び彼女の方へと顔を向けようとした勇作であったが、その際にアイリーンが平手にした己の片手を掲げると、取り敢えずぶたれたくないと勇作はぶー垂れつつも再び横を向きアイリーンから視線を外し、逆にアイリーンは視線をピースメーカーへと戻す。
「アナタを助けたげる。このままじゃアンタ、他の連中と同じみたいになるよ」
「助ける? どうやって――」
そこでアイリーンは気まずそうにその細い体をくねらせた後、諦めたような溜め息を吐いてその口を再び開く。
「――私のボスに会いなさい。“エンチャンター”なら、アンタを治せる」




