#28 ――スイッチ・オン
「U-フェンス!?」
氷柱の上を滑る老兵ピースメーカーはその両脇に消火器を三本ずつ、合計で六本も抱えながら隣のビルの窓を突き破り飛び出してきたU-フェンス、つまり勇作の姿に驚嘆を上げた。咄嗟に彼を助けようとするピースメーカーであったが今両腕は消火器で埋まっていることを思い出し、ならばと勇作に腕のガントレット、その機能を使うようにと叫び呼び掛けた。
「出来るか!? 坊主――”U-フェンス”!!」
その声を聞き、たった一つの消火器を両腕で抱き抱えていた勇作はそれを右の脇に抱え直すと、ピースメーカーに対してサムズアップを見せていたガントレットのある左腕、それを通り過ぎようとしている氷柱へと差し向ける。
疑う必要などありはしない。何故ならばオレはピースメーカーの”相棒”、”ウルトラ”スーパーヒーロー”U-フェンス”なのだから。そう自らに言い聞かせ、そして勇作は握り締めたグリップの、そこにあるスイッチを押す。ガス圧により射出されたのは銛とそれに繋がった強化ワイヤー。それは見事氷柱の表面へと突き刺さり、”かえし”によって固定。勇作はこれから左腕と左肩を襲うであろう衝撃に備え力を込める。ニューヒューマンとしては最低レベルの身体強化ではあるが、それでも常人と比べれば勇作の肉体は頑強だ。ぴんとワイヤーが張り詰めるのと同時に左肩に生じる痛みに表情を歪めながらも、歯を食いしばりそれに堪えた勇作は宙ぶらりんの状態に。
よしと一人意気込みながら、そこから更に体を振り子のように揺さ振って勢いを強めて行けばやがて十分な勢いを得てその体は氷柱の上空へと飛び出る。そのタイミングでガントレットからカートリッジを排出しワイヤーとの接続を断つと、今度は落下を勇作は始めた。その浮遊感に空いた左腕をばたつかせながらも、目的通り氷柱の上へと着地を成功させた彼はやったと喜びを露わにする。
「痛ッ!?」
だがすぐにソールを滑らせて転倒。ごつんと後頭部を打ち付け悲鳴が漏れる。勇作のお気に入りのシューズ。しかしもうその靴底もずいぶんと磨り減っていた。急がなくてはとぶつけた後頭部をさすりながら慎重にその場で立ち上がった勇作は氷柱を下り始める。勢いが付いてきた所で敢えてその靴底を滑らせることで形的にはボードに乗るように、しかし実際にはスケートをするように勇作は氷の上を滑り降りて行く。
集中していないとすぐに転倒してしまうそうになるが、ちらほらと視界に人影が映り込むのでそうも行かない。戦闘のせいでニューヒューマンたちがまた集まりだしてきているのだ。早く”メイルズ無力化作戦”を完遂しなくてはと、勇作が慌てた時であった。
「痛ッ!? またァ!!」
また滑った靴底。今度は腰を打ちながら、しかし勢いが乗ってしまっているので止まることもなく、勇作の体は仰向けのまま氷柱を滑り落ちて行った。
――二回往復し、集めた消火器の数は合計12本。果たしてこれで足りるか否か、不安は残るがそれでも溶解し消火栓が使い物にならない以上はこれで何とかする他に無し。氷柱を滑り降り、地へと飛び降りたピースメーカーは両脇の消火栓を置きながら、散らばった氷粒が溶けて行く様子を窺った。
メイルズの炎は他所から調達しない限りは体積分しか無い。一帯は炎上している箇所も無いため、メイルズはこの一面に散らばった己の体たる炎が閉じ込められている氷を溶かし集め、まずは炎の体を作り直すしかない。狙うのはそこだ。炎に変身している間は、その炎が燃えている限りがメイルズの命。燃え尽きればメイルズも死ぬ。故にそうなる前にメイルズは人間の肉体へと戻るであろう。そうなれば彼は無力だ。そこですかさず戦闘不能にしてしまえば良い。
ピースメーカーと”ヴァナルガンド”ことアイリーンがそれを見守る中、そこへと勇作の声が届く。
「消火器! 消火器見付けた!! すっげー苦労したっ!! おーい! ――ぅだッ!?」
氷柱のコーナーを転倒した姿勢のままでは曲がりきることが出来ずに、そのままコースアウトした勇作は敢え無く落下。幸い高さは無かった為軽い擦り傷などを負いつつも一応無事に二人の元へとやって来たまでは良いのだが、見付け出してきた消火器を両手に掲げ、一心不乱に待ち受ける二人だけを見て走るものだから足下がお留守に。その結果、戦いの余波で生じた段差にまんまと躓き盛大に転倒。両手を挙げていたが為に顔面から地面へと突っ込んだ上に、吹き飛んだ消火器が伸びた勇作の背中へと落ちて彼は二度目の悲鳴を上げる。
痛々しい勇作の一部始終を目の当たりにし、そう言う人間だと知っているアイリーンでさえ頭を垂れて溜め息を禁じ得ないというのだから、初めて彼を目の当たりにするピースメーカーなど言わずもがな。
「元気で良いな、U-フェンス。ハッハッハッ……大丈夫か!?」
これが真面目だというのだから、呆れるわけでも無く怒るでも無く、どうやらピースメーカーという男は存外にも勇作という人物を気に入っているようだ。
背中に乗る消火器を抱え直しながら忌々しげにそれを見詰め、あぐらをかいていた勇作の元へと歩み寄ったピースメーカーは笑いながら彼にその手を差し伸べる。その笑顔と笑声は決して勇作を嘲り笑うような調子のものでは無く、その後の言葉も至って真面目なそれであった。
恥ずかしいところを見られたと、その自覚はあるらしい勇作が顔を赤らめながらもその手を取って起こして貰う。そして彼はピースメーカーが集めてきたものと思われる消火器の数を目にしては、ばつが悪そうにフード越しの頭を掻いて腕の中の立った一本ばかりの消火器を差し出す。
「くよくよするな、U-フェンス。数は足りてる。さあ、仕上げて終わりにするぞ。なあ、相棒!」
ぐしゃりと勇作の頭をその手で押さえ付け、黄色いフードを右へ左へと撫でながらピースメーカーは彼に親指を立てて見せる。それを見た勇作はフードを整えつつ応と応え、ピースメーカーを追い掛けてアイリーンの元へ駆けて行く。
そしてそっぽを向いたままのアイリーンの獣然とした顔を見上げてお待たせと告げる勇作であったが彼女はふんと鼻を鳴らすばかり。連れないなとしょげる勇作であったが、喉を鳴らしたピースメーカーは何か知っているようで二人のやり取りを見ては一人面白そうにしていた。そんな彼の様子が理解できず間抜け面を浮かべる勇作と、理解した為に逆に面白くなさそうにするアイリーンは言った。
「”松明人間”が起きるぞ。しゃんとしろ、バカ共!」
その物言いに勇作は引っかかりを覚えたようだが、ワケを知るピースメーカーは半笑いながら威勢良く応答。そんな彼に宥められる形で勇作とピースメーカー、その後方にアイリーンの三者が並び立つ。彼らの目の前では、今まさに氷から解き放たれたメイルズ・ホームスの炎の欠片たちが火の粉となって渦を巻く、これだけならばとても幻想的で美しいとさえ思える光景だが、これこそが炎の悪魔が目覚める前兆というのは皮肉的か。
火の粉が集まり、一つになってはその形を人の姿へ整って行く。そしてやがて頭部と呼べる場所に二つの眼が浮かび上がり、メイルズが吼えるように白熱する口腔を曝した直後、ピースメーカーの合図と共に彼と勇作は共に復活を果たしたメイルズへと消火器の栓を抜く。
ノズルから噴出された粉末状の消火剤はメイルズへと向かい、それを浴びたメイルズの炎はその勢いを一瞬弱めた。効果があると分かったピースメーカーはその声を上げて勇作に遠慮するなと告げる。もちろん、そんなつもりは勇作にも無い。二人は消火剤に包まれ白くなって行くメイルズへと引き続き消火器を向け続けた。メイルズの放つ熱に反応した消火剤は炭酸ガスを発生させ、燃料たる酸素を遮る。炎そのものである今のメイルズは呼吸を邪魔されているにも等しく、酸素を求めて消化剤の放出から逃れようと身を捩った。
「させないっての!」
しかしそれさえも遮るものがあった。それは氷。待ち構えていたアイリーンが発生させた氷の壁が逃げようとするメイルズの左右と後方、そして上方を囲んだのである。残された逃げ道は正面のみであるが、そこには勇作とピースメーカー。
先に栓を抜いていたピースメーカーの消火器が噴射を止める。彼はすぐにそれを放り捨てると、次の消火器を手に取り栓を抜き消火剤を再びメイルズへとかけ始める。次は勇作。だが彼も今回ばかりは失敗はしない。ピースメーカーに習い、勇作もまた新たな消火器の栓を抜いた。
炎を燃やせず、呼吸も出来ず。苦しさに身悶え暴れ回るメイルズであったが、氷の壁が彼を逃がさない。危機に陥り尋常ならざる力を発揮し、強靱なアイリーンの氷にすらひびを入れて暴れ続けるメイルズだったが、アイリーンは氷を補強し、勇作たちは次々に消火剤を彼に浴びせ続ける。やがて何本ものからの消火器が辺りに転がり、激しく暴れていたメイルズももう氷壁に縋るばかりで立っていることもままならない。
もう少しだ。ピースメーカーが叫ぶ。最後の消火器。勇作が見付けてきたそれを彼自身が手に取り、栓を抜く。噴射が始まりしばらくしてピースメーカーの持つ消火器が沈黙した。一本ばかりの噴射では勢いが弱く、既に這いつくばるしか出来ないメイルズは風の抜けるようなか細い呼吸音を立てながら地を這い、消火剤の噴射に逆らって勇作へと迫った。弱々しく赤子のように、伸ばしたその手は既に火炎では無く白い本来の肌をした人のそれであった。その手が勇作のズボンの裾を握り締めると共に、ノズルから掠れた音が響き始め遂に全ての消火器が空になった。
そしてぶくぶくと泡立つ消火剤に埋もれて溺れながらも、人間の姿へと戻ったことで呼吸を取り戻したメイルズであったが、既に呼吸を立たれ時間が経ちすぎていたが故に酸欠に陥った彼の意識は曖昧であった。ニューヒューマンに覚醒し、己の火炎により体毛の全てを燃やし尽くしたメイルズはその貧相な正体を三人の前に曝しながら、その虚ろな青い瞳で勇作のはちまきに隠れた顔を見上げ、泡を吹く口で告げた。否、縋った。
「――出、して……ぼ、僕を、ここ、此処、から……お願い……ヤツが……僕……僕……あ、あぁぁあーーッッ……」
揺れ動く瞳と、目から大量の涙を溢れさせ消火剤で白く濁しながら。メイルズは勇作へと縋り付く。予想外の出来事に動揺し、後退った勇作であったがメイルズが掴んだ裾を離さないのでそれに引っ張られ彼はその場に尻餅を付いてしまった。それでも止まらぬメイルズ。出してくれ。助けてくれと繰り返しながら、最後には甲高い雄叫びを掠れて声が出なくなるまで上げ始める。正気では無い。狂乱するメイルズはしかし今はただの人。何が出来るとも思えないが、その狂気は確かに恐怖を勇作に与えた。
見かねたピースメーカーがメイルズの意識を刈り取るべく、拳を固め彼へと歩み寄ろうとした時であった。待てとアイリーンが言うのだ。当然何故だと返すピースメーカー。
「なんか、来る! 離れろ!!」
「クソッ」
その言葉にピースメーカーは勇作のパーカーの襟首を掴まえ、その場から飛び退く。メイルズから目を離せずにいた勇作は突然引っ張られた襟に首を絞められ変な声をその口から漏らしながら、それまで固く握られていたメイルズの手が離れるのを見た。それと一緒に隆起する地面。現れたのはあの”怪物”。そしてメイルズの助けを求める表情。
勇作の伸ばした手のその先で、同じく手を伸ばしたメイルズは怪物、深淵の獣たるヴェンディエイゴの手により押し潰され地へと没する。
勇作を連れたピースメーカーはアイリーンの背へと飛び乗り、そのアイリーンはその場から迅速に、そして勢い良く飛び退く。そのアイリーンの姿を見たヴェンディエイゴは何処か歓喜の色を感じさせる鳴き声を上げ、後退した彼女へと飛び掛かる。
「寄るんじゃない、ケダモノ野郎!」
皮肉。それと共に一跳びで距離を詰めたヴェンディエイゴに向け地面から生やした氷槍を差し向けるアイリーン。その槍はヴェンディエイゴにカウンターパンチとして決まり、刺し貫く筈であったが、怪物はその発達した顎でそれに齧り付き、あろうことか受け止めてしまう。だが宙に浮くヴェンディエイゴは氷槍の勢いに押し戻され、跳んだ距離以上を結局は押し戻されてしまった。
「何だあれは……!?」
「お、オレ、見たよ。アイツ、ビルの中で変異したニューヒューマンを……」
メイルズのこともある。無差別かとピースメーカーが着地に失敗し仰向けになって転げ回るヴェンディエイゴを見ながら歯噛みした。ここまで来てまた新手。しかも正真正銘の化け物が相手だ。助けなくてはならない人が居るというにも関わらず、状況はそれを許してくれない。
跳び起きて威嚇とも、遊んでいるようにも見えるまるで犬のような仕草をするヴェンディエイゴを前に、こけにされていると思いでもしたのかアイリーンが舌打ちを鳴らした。
「瞬殺して、それで終わりで良いじゃない。人じゃないならぶっ殺しても問題ないでしょ……二人とも降りて。私がアイツを何とかするから、その間にあの二人を」
荷を下ろし、殺生を許せばアイリーンの力はこれまでの比ではなくなる。この場は彼女に任せるべきだ。そう、まだ青い勇作が駄々をこねる前に先んじてピースメーカーが言おうとした、それよりも早く、しかもそれをまさかの勇作が言って退けた。唖然とするピースメーカーと、獣の顔でしかし笑ってみせるアイリーン。
勇作はピースメーカーを急かし、安置してある二人の元へと向かおうとする。そうしながら一度アイリーンの方へと振り返った勇作は叫んだ。
「頼むからすぐに追い付いてくれよな! シェルターまで長いし、それにニューヒューマンたちも来てる。ヴァナルガンドが居ないとぶっちゃけメッチャ心細い!!」
その叫びに反応したのはピースメーカーで、自分では心許ないのかと心外であると彼に告げる。勇作は納得いかない様子のピースメーカーに苦笑しながらそんなことないと言うと、今度こそアイリーンに背を向け走る。
残されたアイリーンは口元に微笑を浮かべたまま、ヴェンディエイゴと対峙する。その大きくて鋭利な氷で出来た三角の耳に届き、頭の中で反響するは勇作の言葉。そして彼女は鼻で一度笑った後、にやけていた顔を引き締め狼然とした凜々しく恐ろしい形相に変える。
アイリーンの唸り声に応え、凍えて行く空気。ヴェンディエイゴは自らが吐き出した息が白く濁った事に驚き、はしゃぐ。向かい合う二つの温度差は絶望的なまでに違っていた。あらゆる面でも。これ以上はこけにさせまいと、アイリーンは全身の氷毛を逆立てて接地した四肢を起点に地面に霜を広げて行く。そして既に去った人へと向けて言う。
「任せておけ、ユーサク。このブサイクを始末して、すぐに迎えに行ってやる。だから……お前は、さっさと死ねェ!!」
霜から発生した無数の氷槍。異変に気付いたヴェンディエイゴがようやくアイリーンの方を見た直後、その氷槍たちは一斉に解き放たれる。
そして両者の間、アイリーンとヴェンディエイゴの瞳に映る明るいオレンジの光。それは火の粉。
「――スイッチ・オン」




