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#27 マジマジゼッタイ愛してる

 激しい音を立てて背後のガラスが弾け飛ぶ。迫る触手の群れ、それを背を屈め身を捩り、少ない隙間に入り込み回避する。どうしても直撃を避けられないものは左腕のガントレットと右手に握り締めた特殊警棒で受け止めいなす。とは言え四方八方を触手に囲まれた状態。非常に窮屈で息苦しく、このまま圧迫されでもしたらと考えると頭がおかしくなりそうで、勇作はそんな不吉な考えを振り払い駆け出す。この触手は、怪物もとい怪人”マン・ディープ・ワン”の振るった腕が変化したもの。正確には腕の形成を解いたと言うべきだろうが、この先には間違いなくそれが居る。


 世界中でニューヒューマンの暴走が始まってから、彼らの中から一定数、この様な”マン・ディープ・ワン”なる怪人へと変異を遂げる者が居た。原因は不明。能力の強弱にも関わりなく、変異が起きてしまう者は起きてしまう。形状は様々。獣のようになる者。触腕を持つようになる者。翼を生やし空を飛ぶようになる者。”バリアント”とも違う変異。暴走だけで無く、このような化け物へと突然隣人が変わり果てる。人々のニューヒューマンに対する感情の変化は如何に。考えるまでもなし。


「ジャマすんなら……痛エ目みんぞおーーッ!!」


 特殊警棒で頭上の触手を押し広げ、出来上がった隙間からはマン・ディープ・ワンの顎が見えた。勇作は膝を折り足の筋肉へと力を蓄える。そして構えるは左腕のガントレット。様々な機能が備わるその手甲だが、本来の目的は保護とそして勇作の打力の補強。限界まで力を溜め込み、そしてそれを解放。勇作は跳び上がり触手の中を脱出すると共に、マン・ディープ・ワンの顎へと目掛け左腕を突き出した。直後に手甲に仕込まれたブースターが作動し、拳の勢いを文字通り後押しし威力を高める。


 大声は力を発揮する為に必要なことだと授業で習ったことを実践し、上げた雄叫びの威勢は上々。勇作の拳は遂にマン・ディープ・ワンの顎へと命中し、大きくそれの首をかち上げた。手応えは間違いない。常人相手ではやり過ぎな威力でも、ニューヒューマン相手であれば一発で失神まで持って行けるだけの威力。マン・ディープ・ワンと言えどもクリーンヒットであるならば……。そう思う勇作であったが、彼の視界にはかち上げられた首をすぐさま元に戻し、見開かれた白濁の瞳が映る。息を飲み、危機を悟った勇作であるが、フルスイングした後の彼は悲しいかな、完全な無防備を曝してしまっている。


 歯を食いしばり、右腕で脇を庇う。そして直後に襲う衝撃をその右腕に感じながら、勇作の視界は滅茶苦茶に乱れた。


 強烈な圧迫感を感じたのは一瞬。しかしその一瞬で肺の中に蓄えていた酸素の全てが口から外へと吐き出されてしまう。もはや視界とは呼べないあらゆるものが何重にもぶれて乱れ、尾を引いた混ぜられた絵の具のような世界の中で、次に背中に衝撃を受けた勇作だったが肺の中は空である為か悲鳴も上がらない。そして勇作が墜落したのは同階のオフィスだった。


 マン・ディープ・ワンの眼前で隙を曝した勇作は、それが薙いだ左腕により打ち払われすぐ隣の、オフィスと廊下を隔てる曇りガラスへと叩き付けられそれを突き破った。勢いは衰え切らず、飛散したガラス片の中を突っ切って勇作の体は床へと叩き付けられる。お陰でガラス片による裂傷は最小限に留まったものの、思い切り床へと墜落した体はゴムまりのように弾む。一回、二回。そして三回目の墜落は並べられた机へと突っ込む形になり、幸いなことにそのお陰で勇作はそれ以上弾むこと無く、勢いも大分衰えたことで机を吹き飛ばしながらも最後には外界とを隔てるガラスを突き破ること無く支えられ動きを止める。


 ずば抜けた耐久力。それは予想できなかったものではない。ただでさえ暴走しているというのならばそれはニューヒューマンだ。しかもそれは変異までしている。失神させられるなどと、その程度では甘過ぎた。しかし。


(――打つ手が、マジで……無え!!)


 しかし、先の一撃こそ勇作の持てる最大の一撃だった。勇作の目覚めた力では身体的強度の高まったニューヒューマンを倒すことは出来ない。それを補う為に装備を用立てて貰った。スタンガンに、ブースター付きのガントレット。そこまでして、ようやく勇作はニューヒューマンともやっと渡り合えるようになった。一生懸命訓練し、センスが無いと言われながらも腐らず頑張って、人の倒し方を教わった。しかし、最大の一撃を急所に叩き込んでも、マン・ディープ・ワンは失神どころかまるで怯みもせず、あまつさえ反撃すらしてきた。


 星の散る意識で、途切れそうになる意識を必死に繋ぎ合わせて、あれこれ考えてみたところで目の前の怪人相手の勝ち筋が見つからない。性能が違い過ぎる。


(勝ち……? 違うだろ……そうじゃない……勝つとか負けるとかじゃ無くて、オレは……あ)


 咳き込みながらようやく呼吸を再開し、横たわる体を痛みに堪えながら動かし起こす。膝を付き、両手を付き、跪いて、唾液や鼻水、涙を無様に飛び散らせながら咳を繰り返し息をする。そうしながら勇作は勝ち筋などと言う無意味なものに囚われるなと自らに言い聞かせる。ここに来た目的を思い出せと。


(あ、あ、ああぁぁぁ~……!)


 いまいち鮮明にならない視界は衝撃のせいか涙のせいか、そんなぼんやり滲んだ世界で勇作は周囲を見渡す。すると右を向いた時、一瞬見過ごしてしまいそうになったものの、再び視界を戻してそこに転がるモノを見る。滲んだ目にもはっきりと分かる程鮮明な赤色。


(あったあぁぁッッ!!)


 それは消火器。ようやく見付けた。栓も抜かれていなければ破裂もしていない、正真正銘未使用の新品……かは定かではないものの、確かに使用可能な消火器がそこにはあった。せっかく鮮明さを取り戻し始めた視界が、嬉しさのあまり滲み出した涙でまた歪む。


 勇作はその場から弾むように駆け出す。マン・ディープ・ワンが跳躍からの拳の打ち下ろしを放つがそれを間一髪回避して、先向けた触手を奇跡的に掻い潜り、そして目元を擦りはっきりした視界で捉えた赤い消火器へと飛び付く。


「もうマジで絶対え離さねえから!! マジマジゼッタイ愛してる消火器ちゃ――」


 その直後勇作の足下の床がひび割れると共に隆起、突き破り現れたのは二体目の異形。しかしそれはどうやらマン・ディープ・ワンとはまた違う、人の面影など微塵も持ち得ない完全なる怪物であった。それに押し上げられ吹き飛ばされた勇作が宙で逆さまになりながらも見た光景、怪物の姿。それは六つの目を持ち爪を生やした三本の指、獣のような後ろ脚、牙を生やした顎の中に持つ触腕。繋がりはある、だが違う。元が人とは思えないし、そもそもとして雰囲気がまるで違った。


 ――ダーク・ワン。

 その一つ、深淵の獣”ヴェンディエイゴ”。悲鳴にも似た甲高い鳴き声を上げたそれはしかしどうやら始めに目に付いたものに興味を抱くらしい。というのも、勇作に対して奇襲をしたのかと思われた登場もたまたまそう言う形になっただけ、音にでも反応したのだろう。そして何より比べると勇作よりも巨大なマン・ディープ・ワンがやはり真っ先に目に付いたようで、ヴェンディエイゴは犬が鼻を鳴らすかのような声を上げてマン・ディープ・ワンへと飛び付き顎で噛みつき引きずり回し始めたのだ。


 怪人へと成り果てようとも元は人間。勇作はヴェンディエイゴを止めようと左腕を伸ばすが、制動の利かない空中では彼の体は対峙するヴェンディエイゴとマン・ディープ・ワンから引き離されて行くばかり。やがてガラスへと背中がぶつかり、それを突き破り勇作はビルの外へ。最後には崩壊した床の中へと飲み込まれて行くその二つを勇作は見て、マン・ディープ・ワン。彼は一体どういう人物だったのか、漠然とそんなことを考えてしまうのであった。

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