#24 約束したろう、ユーサク!
昨日は更新間に合いませんでした。ごめんなさい。
ビルを突き破り現れた巨大な蒼き狼。その全身は氷の毛皮で被われ、光を受けて輝く姿は神話の獣を思わせる。優美でありながら、凶暴。その狼の咆哮は地吹雪を巻き起こし、あらゆるものを瞬時に凍結させるだけでは無い。氷そのものを呼び出すことすら出来た。神秘の氷狼は突き出たその大顎を開き、彼方まで轟く咆哮を上げる。その声は瞬時に大気を凍てつかせ、氷塊をビルの壁面から地面へと向けて発生させる。
逃げる勇作とピースメーカの二人を追い、ピースメーカーを足止めした後に人二人を抱え足も遅く手も出せない勇作を狙う変異ニューヒューマンと、その他のニューヒューマンたちを巻き込み、突如突き出た氷塊がそれらを蹴散らしてしまう。あまりの出来事に困惑し、周囲を見渡している勇作の元へと、ビルを蹴り、地を駆けた件の狼が迫る。
「アイリーン!」
見上げるほどもある氷の狼を前にした勇作は、その顔をみるみる笑顔に変えて行き、はちまき越しの瞳の無い白い三白眼を大きく見開いてそれを見詰め、呼んだ。
直後狼は前足で彼のことを押し潰そうと振り上げるが、その動きは勇作が避けられる程度であり本気は感じられない。けらけらと笑う勇作であったが、狼と言えば低い唸り声を上げて彼を威嚇。黒い唇を押し広げ剥いて牙を見せ付けた。そして、その口が再び持ち上がる。
「――人前でその名前を使うな! 約束したろう、ユーサク!」
リップシンクというものでは無い。開いた口からそのまま声が発音される。それがどういう原理かは勇作は知らなかったが、その態度や調子、声色は間違いなく、かつて日本で出会ったあの少女。しかしその名をつい感激のあまり口にした勇作に、件の狼改めアイリーンは機嫌悪そうに言うのであった。約束という以上、それを破った勇作が悪いわけだが。
そんなアイリーンの物言いにむすっとして唇を尖らせた勇作はそれは此方の名前を出したアイリーンも同じ事だと言い返す。しかしアイリーンといえば勇作と”U-フェンス”、そのどちらでも同じだろうと聞く耳を持っていない。事実として無名も無名、常人にも負けるニューヒューマンなどそうそう知れ渡るわけも無し、勇作は減らず口は返せども言い返すことはおろか言い負かすことが出来ない。
そのことが悔しくて、勇作は歯軋りを行いながら悠然と立ち尽くす狼のアイリーンを”U-フェンス”としてのはちまき顔で睨むが、その時からははっとして眉間に寄せていたしわを突如解す。というのもこんなことをしている場合では無いと言うことを思い出したからで、彼はいそいそと両肩の二人をアイリーンの背中に乗せようとする。だが当のアイリーンは所謂”お座り”をしたまま微動だにしない。
「何でだよ!?」
「いや……ユーこそ何してんの」
「この人たちをシェルターまで運んでほしいんだよ。なあ、アイリーン、頼むよ。オレは此処でヤツらの足止めしなきゃなんないし」
「……、……。……イヤ」
何でだよ!?
勇作の叫びにアイリーンはふいとその顔を彼から逸らしてしまう。彼女の大きさであれば人を二人程度運ぶことなど造作もない事だろうに、何故それを嫌がるのか勇作には理解が出来ず、ぎゃあぎゃあと説得ないしそっぽを向き続けるアイリーンに呼び掛け続けていた。
必死な勇作を前に、アイリーンはお座りをしていた体勢からそれを伏せへと以降、相変わらず勇作に対してそっぽ向いたままであるが、彼女の尻尾は僅かにではあるが左右に振れていた。そんな彼女を勇作はしかしぼけっと二人を担いだまま見詰め続ける。
「……何してるの?」
「え?」
「え? じゃないよ、早く乗って」
なんで? と、こればかりは勇作の疑問もおかしいことはないだろう。何故ならば先ほどまでアイリーンは背に乗せることを嫌がっていたのだから。その為に勇作が逆に背に乗ろうとしない事にしかしやはり彼女は苛立ちを募らせた挙げ句、牙を剥いて彼へと吠えて掛かってしまう。
その咆哮の衝撃を受けて勇作の頭からはらりと被っていたフードが取れて、彼の憧れの人その二たる”雷の魔法使いアシュガル”をイメージし整えられた頭髪が露になる。そして唸るアイリーンを前にした勇作は力無くはいと彼女に返事をした後、彼女の背へと二人を移し、自らもその背へと跨がろうとする。
「なんでユーサク以外を乗せなくちゃ……」
「あ、そうだピースメーカー! ピースメーカーは……!?」
顎を地面へと付けたアイリーンは忌々しげに、しかし何処か期待もしているような言葉を呟くものの、だがそれは勇作の耳には残念ながら届くことはなく、しかも彼は更にピースメーカーの名前も出せば周囲を見渡した。それを伏せていた両耳で聞き取ったアイリーンは溜め息を吐きながら、ぱたぱたと動かしていた尻尾をいよいよ停止させてしまう。
すると此処に居るぞと突き立った氷塊の間を抜けて、ゆっくりとした足取りで件のピースメーカーが二人の元へとその姿を表した。スーツには幾つかの傷や汚れがあり、口元にも口角か口腔を切ったのか血が付着していた。
勇作は彼を足止めしたニューヒューマンのことを訊ねるが、彼は親指で己の背後に聳える一際巨大な氷塊を指し示す。そこを見てみると埃や瓦礫などの不純物を巻き込んで形成されているためか透明とは言い切れないまでも一応は内部の様子が窺えるその中に、異形化した件のニューヒューマン二人が閉じ込められているのが見えた。
「大したモンだ。完璧な不意打ちとは言え、強敵の無力化とニューヒューマンたちからの分断を同時にこなすとは。流石だな、”ヴァナルガンド”」
赤いはちまきから覗くピースメーカーの双眼は鋭く、無精髭の生えた口元は忌々しげに歪み、紡いだ言葉は賞賛と、そして敵意を含む。アイリーン。またの名を”ヴァナルガンド”。世間一般からすればその名の方がよく知られていることだろう。
ピースメーカーは両拳を握り締め、一度は頂天に登り詰めようかとしていたあの日の姿を此処に呼び戻す。構えた拳は攻防一体。リズムを刻む両脚は俊足。ニューヒューマンなど居なければ、ニューヒューマンになどならなければ、ピースメーカーはピースメーカーなどでは無く、輝ける栄光のベルトを掲げたトッププレイヤーとして夢を叶えることが出来ただろう。
しかしそれも過ぎたこと。今の彼は”ピースメーカー”であり、ニューヒューマンたちの守護者。そして人々の守護者でもあるのだから。であれば当然、目の前の”悪”を見逃すことなど出来るはずも無く、反社会勢力たる”エンチャンター”一派の一員、そのヴァナルガンドを前にピースメーカーは拳を向ける。
「……降りろ、ユー」
「ソイツから降りるんだ、坊主……お前は、”違う”!」
ぴりぴりとした空気が二人の間に流れ、アイリーンの獣の瞳とピースメーカーの秘めたる瞳、二つの視線が交錯し火花を散らす。もはや一触即発。何かの拍子で二人は戦いを始めることだろう。それこそ、二人から同時に離れているように言われた勇作がそうすることで、そのゴングは鳴らされてしまう。
「ええ、嫌だよ。喧嘩すんならその前にこの人たち連れてってってば!」
当然である。もちろん二人は勇作が連れて来た民間人であり、アイリーンともピースメーカーとも関わりは無い。アイリーンはそもそも勇作目当てで来たのであるし、ピースメーカーは何人をも見捨てたりは出来ない性だ。勇作がどうしてもというのであればアイリーンはかつての恩義もあり無下には出来ないし、ピースメーカーも何人中のその二人こそを優先すべきである。ぴりりとしていた空気はそのままに、しかし勇作の言葉によってアイリーンは再び地面に顎を落とし、ピースメーカーも拳を下げる。
取り敢えず今すぐ問題を起こすことは無くなったと、その二人を見て勇作は満足気に鼻を鳴らしては、しかし慌ただしく民間人二人をアイリーンの背に残して何故か自分はそこから降り始める。何をしているんだとアイリーン、ピースメーカー両者から問われ、勇作は目を丸くしながら言った。
「ええ? いや、だって……オレが足止めを……」
馬鹿か。またしても二人から同時に言葉が飛び出る。妙に息の合うアイリーンとピースメーカーに前後を挟まれた勇作は困惑しながらその前後に忙しく顔を向けつつ更に続けた。
「ええ!? だ、だってピースメーカーは皆みたいに今にもおかしくなっちゃう寸前だったりするんだろ? あい……ヴァナルガンドはだってその二人を運ばなきゃだし、それにピースメーカーも……。ならさ! ほら、ならやっぱ元気なオレがヴァナルガンドとピースメーカーの二人の為にニューヒューマンたちを足止めしなくちゃさ!!」
ぐんとそんなガッツポーズを決め込む勇作の眼前に彼がまばたきする間もなく詰め寄ったピースメーカー。彼は勇作の胸ぐらを掴み上げるとそのまま振り被り、そして放り投げた。宙を舞う彼を、地に伏していたアイリーンがその四肢にて立ち上がり背中で受け止める。その毛は氷で出来ている為、やはり痛いのか腹からその背に激突した勇作の口からは鈍い声が漏れ出るものの、一応はニューヒューマンである勇作だ、その程度でどうにかなる程柔ではない。
それを見届け、ピースメーカーはただ一人背中を向ける。アイリーンの氷を避けて、あるいは打ち砕いて、再びニューヒューマンたちがその姿を見せ始めていたからだ。異形化を始めたものもちらほらと見受けられる。足止め役を勇作に代わりピースメーカーが受け持とうというのだろう。アイリーンにはピースメーカーを止める義理はない。勇作と他の二人を背中に乗せ、彼女はシェルターへと向かおうと身を屈めた。
「ピースメーカーもくんでしょ!! それじゃ違うじゃんか! ピースメーカーはそんなんじゃないでしょ!?」
その時、呻きつつも顔を上げた勇作が目一杯の声を張り上げた。それは彼が持つピースメーカーに対するイメージ。ただ”敵”を倒すのがピースメーカーではない。罪無き人を救うことこそ、平和を生み出す存在こそが彼なのだ。少なくとも勇作は彼をそう捉えていて、そして今自分たちが対峙している人たちは救うべき存在であると告げる。
まったくと呆れながらも、その勇作に救われた経験を持つアイリーンは愚かと思いながらしかしそれでこそとも思ってしまう。故に彼女はピースメーカーを見遣るとそこへと氷を出現させ行く手を遮る。最後まで渋っていたピースメーカーもそれで諦めを付けることになると、急ぎ勇作とアイリーンの元へと退却。身を屈めた彼女の背へとピースメーカーも乗ることとなった。
勇作だけならば兎も角、知らぬ二人や本来ならば敵対するはずのピースメーカーすらも、四人もの人間を初めてその背に乗せたアイリーンは恐ろしいまでの違和感に身を震わせつつ、これが最初で最後と自らに言い聞かせそれを我慢し駆け出し始めた。
そこでは姿勢を整え直し、しっかりとアイリーンの背にしがみつき男女一組の内女性の方を抱えた勇作は、背後にて男性の方を抱えるピースメーカーへと振り返る。それは調子の悪い彼の様子を窺うつもりのものだったが、勇作の視線に気付いたピースメーカーは鼻を鳴らし気丈に笑い返す。
「役得だな、坊主。この二人を届けたら、皆を元に戻す方法を探さねえとだな。なあ、坊主!」
「ええ!? ねえそれってもしかして……」
「その通りだよ、坊主。今から坊主は俺の相棒だ。頑張ろうぜ、坊主」
所謂サイドキック。バットマンに対するロビンのようなものだ。ピースメーカーにそれを宣言された勇作はお揃いのはちまき顔を呆然とさせた後、徐々にそれを歪め笑顔を作り上げて行く。もはや言葉も出ないで、兎に角頷いた勇作は、再び前を向くとアイリーンの背を忙しく叩く。
「聞いたか!? 聞いてよあ……ヴァナルガンド!! オレ、オレ、ピースメーカーの相棒になった!!」
ハイハイ。
呆れ返ったアイリーンの返事たるや適当なもので、しかし浮かれきった勇作はそんなことも気にならない様子。そのことがいまいち面白くないアイリーンはわざと飛び跳ねてやろうかと思って足並みを調整し始めるのだが、その時彼女の鼻にきな臭いものを感じ取った。
直後、跳躍したアイリーン。舌を噛んだらしい勇作からの苦情を受けながらも、しかしピースメーカーは注意するようにと促す。何だと勇作が遠く離れた地面を見下ろしてみると、そこには巨大な火炎が渦を巻き地面を溶かす光景が広がっていた。そしてその中心に何かを見付ける。
「まさか――メイルズ!? メイルズ・ホームス!!」




