#2 スーパーヒーロー、U-フェンスだ
火の手は既に回っていて、消火の前に人命を優先するべきだとミュールは思い行動した。
エンパイアステートビルの第一展望台。しかしその高さ故に地上からの救援は間に合わない。外壁を剥ぎ取り、中に侵入しようとするといきなり噴き出した炎に出迎えられる。しかしミュールはそれを振り払うと魔力をその階に流し込み残された人を”視る”。
炎と煙の中、十数人もの人が一カ所に纏まっていた。以外にも落ち着いている彼らにミュールは驚きもしたが、何よりも好都合だと拡声を魔法で行いそこを動かないようにと告げた。そして彼女はビルをぐるりと回り込み、皆が集まっているすぐ近くまで近付くと、彼らを巻き込まないようにそこの外壁を吹き飛ばす。
驚きの声が上がる中、ミュールは顔を出すと挨拶を一つ、そして助けに来たことを告げ、すぐそこに転移門を展開した。行き先はもちろん地上だ。
「動ける人は動けない人を支えてあげて。これで全員? まだ残っている人とか……」
指示をし、安心させながら一人ずつ、一組ずつ、子供や老人、怪我人を優先して、慌てないように落ち着かせながら転移門を潜らせながら、ミュールは状況を尋ねる。
すると怪我も無く煙も皆に比べれば吸っていないのかまだ余力のあるらしい黒人の男性が最後の一人になってミュールに告げた。誘導をしてくれた若いアジア人が居たこと、煙を吸い意識を無くしてしまい既に転移門を潜った女性の子供がそのアジア人と途中で取り残されてしまっていることを。
ミュールは必ず助けることをその男性に約束し、降りてその女性と居てあげてほしいこと、そしてもし早くに目が覚めるようであればきっと取り乱すだろうから安心させてあげてほしいことを伝える。
黒人の男性は世間を賑わせているスーパーヒーロー”オーバーサイク”が本当に子供であることに驚きながらも彼女に頷き、転移門へと促されて進んで行く。そして最後に振り返ると男性は自分にも一緒に暮らしていない息子が一人居ることをミュールに教え、だからミュールにも傷付いてほしくないことを言った。きっと口下手なのだろう、余計回りくどい言い方ではあるがそれはつまり彼女を心配しているのだ。それに気付いたミュールも頷いて、トレードマークのコルナサインをして見せた。
最後のその男性が転移門の向こうへと消えた後、門を閉めたミュールはさてとと一息零す。誘導を買って出たというアジア人、途中で分断されたようであるがそうであるならばそこに未だ残っているか、もしくは引き返して第二展望台に居るかのいずれかであるが、困ったことにミュールはこれまでエンパイアステートビルには登ったことが無かった。
正確にはあるのだが、キングコングの真似をしようとして頭頂部に外から近寄ったことがあるくらいであった。故に内部構造を把握しておらず、転移門を開くことが出来ないのである。
この正しく火急の事態に於いて誘導を行えるだけの者ならば子供まで抱えている状態で無茶などしまいとミュールは考え、第二展望台へと引き返しているという予想を信じ一度外へ。そして更に高い位置にある第二展望台へと向けて抵抗を魔法により無効化した高速で上昇し、そして煙の中を進みやがて到達という所。そのミュールの目の前で繰り広げられる光景に彼女は己の目を疑った。
*
夏休みを利用して憧れのアメリカ・ニューヨークへ。両親とは別行動。一応保護者が付いていた筈。しかし今は何故か一人。どうしてこうなったのかと、少年は思っていた。
名前を浅間勇作という。
絶賛いじめられっ子中の高校一年生だ。
小学校、中学校、そして高等学校といじめ続けられ、それは今も変わっていない。いじめに理由なんかたった一つあれば良い。気に入らない。これだけだ。
勇作はある人物に気に入られなかったから、それもその人物が保育園からの腐れ縁だから、どこまで行っても一緒だからきっと運命で定められているんじゃないかとさえ思ってしまうほどだった。
サンドバッグに使われ、財布は毎日漁られて、そんなことが小学校から続くものだから勇作もすっかり慣れっこになってしまっていた。取りあえず友達は居ないが、勉学は順調。人はそれを順風満帆とは呼ばないかもしれないが、勇作は平気だった。もはや順風満帆。
いじめられているし、彼女もいない。友達も居なければ背だって高いわけじゃ無い。両親が大富豪だとか、元スーパーヒーローでその後継だったりもしない。けれど、勇作の人生は順風満帆と、彼は胸を張れる。
「ぼく、僕が何とかしてあげるからね……ああ、きっと大丈夫さ。僕ならできる、僕ならできる、僕なら……よし、よし」
クスリでもキメてるの? 両目を塞いだ少年はぶつぶつと呟き続けている勇作へと尋ねる。しかしその少年の言葉が分からない、つまり英語が理解し切れていない彼には少年が何を言っているのか理解できない。
やがて髪の毛をセットし終えた勇作は手にした”はちまき”を目元へと巻き付ける。後頭部でぎゅっと固く結び、そして着用したダッシュブロンドメーカーのパーカー、それのフードを被ると彼はそれらをしまっていたメッセンジャーバッグを肩にかけ直し立ち上がった。そして振り返る。
もう目隠しはよいと、たどたどしい英語で少年に勇作が告げ、少年が目元からその小さな両手を退けると彼の表情は驚きの色に包まれていった。
ニンジャ。少年の口からその言葉が零れ出た。彼の目に映るのは勇作では無い。黒に白の縁取りがされたはちまきに覆われた目は三白眼を通り越してもはや白目となり、どういう訳か目つきまで厳めしさを増していた。素顔を隠し、フードで頭部を覆った彼の姿は正しく忍者。……とは言い難い風貌であるが、それでも少年からすれば立派な忍者であった。だが、当のその忍者マンはおもむろに首を左右に振る。
「ぼく、私は忍者ではない。私はそう、スーパーヒーロー、U-フェンスだ」
やっぱりクスリキメてるんだと、少年は目の前で胸を張り”U-フェンス”を名乗った勇作に怪訝そうな顔を向ける。もちろんその言葉を理解していない彼は仮面をつけたことにより得た自信に任せて少年の手を取る。
バイク用品であるプロテクター付きの手袋で包んだ手でその手を握りしめ、さてここからどうしようと勇作が考え始めた矢先、爆発でエレベーターの扉が吹き飛びガラスを突き破って行く。そして現れたのは炎であり、いよいよ時間が無いとせっかく勇作の中に生まれた自信はみるみる萎んで行ってしまう。
まずいと心の中で繰り返し、手足の震えが次第に大きくなる。それは手を握る少年にも当然伝わり、恐いのか、大丈夫なのかと遂には心配までされてしまう。それくらいの英語なら理解できたのが災いし、恐くない、大丈夫、心配ないと返した声は震えで何度もどもりとてもそうは見えなかった。
そして少年が握った勇作の手に更に力が加わった。彼が少年をその瞳の無い双眼で見下ろしてみると、確かに少年は震えていたがその目は決して脳みそを穴あきチーズにしたコスプレジャンキーを見てはいなかった。
心のどこかでそう思っているのは間違いないであろうが、少なくとも今少年を救えるのは勇作ことU-フェンスだけであり、少年は自分と寄り添ってくれる彼をヒーローとして見ている。ジャンキーでは無くヒーローとして。……勇作はそう思うことにした。すると案外にも元気が出てきて、一つの案が勇作の脳みそに浮かび上がった。
人は仮面を被り、強い何かに成りきることで強くなれたと錯覚する。実はそんなこと無いのにだ。今の勇作は正にU-フェンスである。U-フェンスとは何でも出来るスーパーマンの様な存在であり、どんなピンチも切り抜けるし困っている人は誰だって助けることが出来るのだ。一度パーカーを羽織り、世間を欺くフードとはちまきでその顔を覆えばただの非力な一般市民勇作はスーパーヒーロー”U-フェンス”に大変身。
「いいかい、しっかり掴まってるんだよ。多分ものすごい恐いと思うけど、というか僕もめっちゃ恐いけど、まあぼく程じゃ無いと思うから安心して。……はぁ……よし、僕はU-フェンス。U-フェンスなんだ。スーパーマンでもライダーでも無いけど、バットマンにはなれるはずだ。彼だってただの人間だもんな。それを鑑みれば僕はまだマシだ。自信を持て。……行くぞ」
少年をしっかりと抱えた勇作は己の右手に装備された多目的ガントレットを見詰め、その機能が何か、その使い方を頭の中でおさらいして行く。取りあえずの所必要な機能は一つ。左手で抱きつく少年の体を支え、右手はガントレットのグリップを握りしめる。少年と、次いで自分自身もU-フェンスなんだからと励まし、遂に彼は顔を上げた。
はちまきのお陰で黙っていれば厳つい筈の顔が今や見る影も無し。とはいえ時間も無し。見詰めるは先ほどエレベーターの扉が破壊してくれたガラス窓。その向こうに広がる煙の空だ。
背後で爆発の音が響く。それに肩を震わせた勇作の今はいよいよ以て正念場。結局の所、良い所まで行ったあの娘から電話もメールも来ていない。”また会えるかな”その言葉が実現されるには自分から行動するしか無いと思いこうしてアメリカまでやって来たのに、一目見ることも叶わずに事件に巻き込まれ亡くなった日本人として故郷で報道されるなどまっぴらごめんだと、勇作の覚悟が遂に決まるか決まらないか、運命の天秤が左右で上下を繰り返していた所、おしっこ出そう、そう少年は呟いた。
「がってん承知の助! 今すぐトイレに連れて行ってあげるから我慢しててね!!」
やけくその雄叫びを奏でながら走り出した後を炎が追う。迫り来る熱にじりじりと背中を焦がされながらも、故に止まることを許されず勇作は走る。
涙が尾を引いて飛び散り、炎に飲まれて蒸発する。色々なことがあった。勇作のまだまだ短い人生。しかし振り返れば本当に色々なことがあったと彼は思い出していた。鮮烈なのは初めての喧嘩と敗北。いじめいじめいじめ。ろくなものでは無い。しかしこんなもの、たった一つの思い出であり唯一のトラウマには敵わない。
崩れる建物。次々に落ちてくる瓦礫。目の前には大好きだった特撮ヒーローが、その瓦礫の下敷きになっている。
五歳の誕生日、プレゼントを買いに来たショッピングモールでたまたま開催されていたヒーロショー。そこで起きた事件。
今までは悪夢、今思えばこれは運命だったのだろう。立ち尽くす勇作に走れとそのヒーローの格好をした人は呼びかけた。真っ赤な唾をまき散らしながら、それこそ必死に。よく覚えている。そして走り出したことも勇作はよく覚えている。
走れ。走れ。走れ。ことあるごとに甦るこの言葉が、勇作を動かした。U-フェンスを走り出させた。止まりそうになるといつも走れという言葉が背中を押した。今もそう。だから勇作は走った。
泣いて、雄叫びとも嗚咽ともつかない声を出しながら。そして飛んだ。ちょっと高すぎるかなと、勇作はこれまで見たことの無い、ニューヨークを一望する光景に息を飲んだ。そして変な声が出た。
「た――っか~~~っい!!」
たかだか三階までしか無い団地から飛ぶのとは、あまりに程度が違い過ぎた。それこそ、天と地ほども。




