#14 あのペド野郎のことじゃ……
「――あっ、あっちだ」
そう突然声を上げたのはミュールで、暴走したニューヒューマンにより今世界中で大混乱が起こっていることをニュースと傍受した無線から知ったスパイクはしかしそれに集中していたこともあって間抜けた声が出てしまう。
なんだなんだと彼がミュールの姿をモニターに捉えると、そこには慣れない防寒ブーツで走ってやって来るミュールが居て。飛べば良いではないかと言う疑問を懐きながらもついぞ口には出さなかったスパイクの元までやって来た彼女は、彼の装甲に包まれた手をグローブに包まれたその手で掴み引っ張り始める。
先ほど省エネと言っていた事もあり、ミュールは己の魔力が枯渇しないように配慮しているのかもしれない。ウォーヘッドとのコンビが解消されてから、ミュールは無限の魔力を失っている。飛行と言えど魔法は魔法。魔力を使わなければ行えず、使えば魔力は当然消費する。先のニューヨークでのメイルズとの戦闘に加えて被害者の救助に南極への長距離転移。休み無くそれらを行っているミュールは疲労が蓄積し、今後の為にも体力と魔力を温存したい。そう言うことなのだろうと察したスパイクは彼女を片腕に抱きながら案内するよう告げ、ミュールが目元にゴーグルを着用するのを見届けた後に背中に翼を羽ばたかせると周囲の雪を巻き上げながら勢い良く晴天の空へと飛翔する。
頭に被ったフードとネックウォーマーで露出する肌を風から庇いながら、行く先を指差しスパイクへと知らせるミュール。スパイクもそれに従い、ペンギンやオットセイに見上げられながら空を舞い大陸を横断して行く。”バルチャー!”と自己主張ばかりでうるさいバルチャーを黙らせるついでに、彼にミュールが己を向かわせたい場所の予測をさせてみると、どうやらミュールはこの南極大陸の遥か地下にあると言うボストーク湖周辺を目指していることが明らかになった。
ボストーク湖と言えばここ南極に於てピラミッドと同じく神秘の場所とされている場所の一つだ。分厚い氷の下には広大な湖が広がっており、圧力や地熱と言った様々な理由で湖の水は凍結を免れている。幾度も調査に乗り出した国はあったが、自然保護と言った問題もありいまだ湖の未知なる部分は多く残っている。具体的には、どんな生き物が生息しているのかなど……。
「ロマンだねぇ……」
モニターにはボストーク湖について詳細なことが記載されているWEBサイトが開かれ、スパイクの注視に合わせてスクロールやページの表示が行われる。それを読み進めほおと息を吐くスパイクは前すら向いていない。アラートが響くとそんな彼の正面には飛行するカモメが近付いてきていた。慌てふためくミュールとカモメを他所に、WEBサイトを観覧したままスパイクはカモメをギリギリながら回避して見せた。
正確にはこれはスーツの設定の一つであり、巡航モードと開発者のレオンは読んでいる。スパイクもバルチャーも関与せず、各部をロックし決められた姿勢のまま定めたルートに沿って飛行を行うだけの状態であり、障害をセンサーが感知すると翼とバーニアのみで回避行動を行うのだ。このプログラムはバルチャーとは別に搭載されたAIで制御できるため、メインAIであるバルチャーを停止しそれに切り替えると彼の騒音に悩まされること無くスパイクは心置きなく余所見をしながら飛行が出来るのである。
ちなみにこれは停止を嫌がるバルチャーの妨害があるといけないからと取説アプリには記されていない設定で、別でレオンから渡された冊子にのみ記載されていたものであり、そこに記されていた音声コードをスパイクの声で入力するとバルチャーの強制停止と共に設定が切り替わる仕組みだ。
兎も角、幸いボストーク湖までの道程は転移した地点からさほど遠くは無く、ミュージックプレイリストを聞き終わる頃には目的地近辺に到着したことがカーナビを流用したとしか思えない音声でスパイクの耳に届いた。世界中の情報を仕入れようと様々なサイトへと渡り歩いていたスパイクはそれを止め前を向く。そこには相変わらず真っ白な世界が広がっていたが、どうにも雰囲気が変わっている様な気がスパイクにはしていた。
その原因は一体何なのか知るために各種のセンサーを機能させ周辺をスキャンしていると、その途中でスパイクの顔面を覆う装甲を抱えられていたミュールがノックした。どうやら到着したらしい。
ミュールの指示のまま、スパイクはスーツの巡航モードを切り、すぐに起きては文句を垂れ始めるバルチャーに耳を塞いだまま降下を続けた。やがて足が氷の上へと付き、緩めた腕の中からミュールがすり抜けて行くと彼女はやはり周辺を注意深く見ながら歩みを少しずつ進める。スパイクもまた彼女を追い掛け、ボストーク湖氷上を重量感ある足音を響かせながら進んだ。
「見晴らし良いな。つまり何にも無いぞ? ミュール、お前の勘を疑ってる訳じゃない。だがな、世界中でとんでもないことが起こってる今、無駄足踏める状況じゃない。なあ、此処に何があるって言うんだ?」
「ごめんなさい、スパイク。ちゃんと説明できないの。彼が教えてくれれば良いんだけど無理みたいだから。でも次に向かいべき場所は教えてくれた。間違いなく何かはあるはずよ。お願い、信じて」
「彼……?」
ミュールの言葉に怪訝な顔をするスパイクであったが、彼女にそう言われてしまうともはや彼には何も言い返す言葉は無く。分かったよと発したそれは呆れこそした調子ながら、一度は絶たれた子供を持つという憧れが叶った様な気がしてその実は満更でもなさそうであった。
とは言え、センサーからではこの辺に何も感知は出来ず。そうなるとすることの無いスパイクはミュールの動向を見守るしかなく、ミュールが座り込んだ同じその場で足を止めた彼は腕を組み硬い爪先で氷を蹴るばかり。ミュールもまた氷へと両手を押し当てたまま動きが無い。
色々と考えるべき事はあるものの、それらをぐるぐると頭の中で回していたスパイクは先のミュールが言った”彼”という不可解な言葉を思い返すと共に、そこから連想される人物を一人思い出してはまさかと顔を青くしながらその口を開いた。
「なあ、彼ってもしかしてあのペド野郎のことじゃ……」
「繋がった!」
「は――」
直後、足下の氷上に転移門が開かれ、二人は足場を失い重力に引かれて落下を始める。そして突然の事態に姿勢を崩していたスパイクをミュールの魔法である見えざる手、サイクハンドが掴まえ強制的に彼女の側へと彼を引き寄せた。
「水が来る!」
ミュールの側の空間に固定されながらスパイクが転移門の向こう側を見遣ると、そこから押し寄せてくる水が見えた。双方向から行き来が可能な転移門の性質上、宇宙に繋げれば空気が抜け、水中に繋げれば水がやって来る。つまりこの転移の行く先は水中。
スーツによる保護を受けているスパイクは兎も角として、ミュールはそうは行かない。果たしてこれを切り抜ける魔法を彼女が持ち合わせているのかと、スパイクが傍らのミュールを見るが、件のミュールはその両手にコルナを結びそこに複雑な紋様の描かれた白く輝く陣を作り出す。そしてミュールの両目から魔力の輝きが溢れ出し、交差させていた両腕を広げると陣は一瞬の内に紋様を組み替えながらミュールとスパイクの二人を包むように球形に形を変えて展開した。
そのすぐ後に押し寄せた水にスパイクはミュールを抱えるようにして庇う。
「……ちょっと、スパイク。大袈裟だってば! 苦しいよ」
「……あン?」
だがすぐにおかしそうに笑うミュールがアーマーのヘルメットをばんばんと叩くので、疑問に思ったスパイクがその顔を上げると、やはりそこには笑ったミュールが居て。そして見渡してみるとどうやら自分たちが今居る場所は水の中の様。何が起きたのかとミュールを腕の中から解放したスパイクは訝しげに四方を見渡す。
周りを球状に取り囲むのは常に忙しなく形と配置を変える紋様の数々であり、どうやら水はこの中には入ってきていない様だった。スパイクは手を伸ばし指先で紋様に触れようとするものの、その指先は紋様をすり抜けてしまう。しかし引き戻した指先を見てみても水に濡れた様子は無い。今度は手そのものを紋様の外に出してみるが結果は同じであった。
スパイクの行動を横目にしてくすくすほくそ笑むミュールはこれが位相転移結界と呼ばれる魔法である事を彼に誇らしげに語った。どうやらこれは別の位相へと転移する転移魔法の一種らしく、二人は現在この世とは別の場所に存在している。陣はあくまで魔法を起動させているに過ぎず、境目というわけでは無いことをミュールはスパイクへと説明した。
「今の私たちは幽霊みたいなものなの、だからほら、見てて」
「お、おお? なんだありゃ。こっち来るぞ、おい! ――でっけえイカ……いや、タコかあ!?」
説明をされたところで魔法などと言うオカルトに関してはまるで何の知識も無く、寧ろハイスクール時代はそう言った研究会を取り巻きと共に面白半分で小馬鹿にしていたくらいのスパイクであるため、しかし現にこうして目の当たりにさせられるとそれこそ目が回りそうで仕方が無かった。
だがそんな彼を見て更に得意になって行くミュールはにっと歯を剥いて笑みを深めると、氷に遮られ光が届かずに真っ暗な水の中を指差す。魔法により視覚を強化しているのか、さもなくば機械的なセンサーの役割を魔法でしているのか、兎に角ミュールには闇の中が見えているらしくスパイクの視線を誘導すると、それにつられたスパイクは絶叫する。
彼の目の前に現れたもの、それは彼の言葉が表した通りイカとタコの特徴を兼ね備えた様な、それでいて巨大な軟体性の生き物であった。十本以上の太く逞しい、多数の吸盤を備えた触腕を広げた先には無数ののこぎりの様な牙を備えた口腔が待ち受け、それは今まさに二人を丸飲みにでもしようと大きく開かれる。
咄嗟にスパイクはスーツに搭載されたあらゆる武器を展開し、両腕の機関銃を構えてそれを迎え撃とうとするも、ミュールの制止の声に間一髪発砲は留まり、そして何故止めるのか疑問を投げ掛けるよりも先に怪物の大口はしかしスパイクの目の前に迫り、しかしすり抜けて行ってしまった。
両手両足、肩や背中、脇腹等々。機銃からミサイルランチャー、エネルギー兵器とあらゆる武器が飛び出したままで硬直していたスパイクであったが、けらけらととうとう声を上げて笑い出したミュールに我に返り、展開したそれらを再び装甲の下へと格納しながら振り返ったスパイクはそこにあの怪物の後ろ姿を見る。思わずヘルメットを開き、顔面を露出させ肉眼で確かめるスパイクであったが、喉を鳴らしたミュールがそんな彼に告げた。
「くくくっ……言ったでしょ? 幽霊だって。びっくりしてるのは寧ろアレ……うーん……そうっ、クラーケンの方だと思うな。だってせっかくのご馳走が実は幻だなんて、あんまりじゃない」
「……あんまりなのはこっちだっての……勘弁しろよな……」
「あ~……ん、ごめんごめんっ。それより、真面目な話。今度こそちゃんと案内してくれるみたいよ。見て」
またかよと疲労の色を浮かべた顔を再び前に向けたスパイクであったが、しかし何もそこには無い。きょとんと目を丸くしてあちこち見渡してみるが、やはり何も無い。強いて上げれば水中を漂う細かい何か微生物の様なものと、たまに己の体をすり抜けて行く深海魚の一種ぐらいであろうか。
見せたいものが分からないスパイクがそのことをミュールへと告げると、彼女は一人納得した様な素振りを見せた後、スパイクにヘルメットを取るよう促した。
スパイクの纏うスーツは一体式で、メット部分だけ取り外すと言うことは出来ない。なのでミュールの言葉を聞くのならばそれは顔面を露出させる程度のそれではなく頭全体を露出させると言うこととなる。気が進まないながら、断る理由も付けられなかった為にスパイクはメットとなる装甲を展開し、頭部を外気へと曝した。先ほどは気が付かなかったが、この空間の温度は一定の様で暑くも寒くもなく、湿っても乾いてもいない事が肌を多く外気に触れさせてみて初めてスパイクは気付く。
ミュールはよしと一人意気込むと、ふわりと舞い上がりスパイクとの身長差を埋める。そして彼女が何をするのか半信半疑の様子で見守るスパイクの側頭部へと両手をそれぞれ添えたミュールは、光を放つ目を閉じ、するとスパイクの頭部に触れた両手にも同様の光が灯り始めた。
「なんだ……?」
感じた違和感に眉をひそめ眉間にしわを寄せたスパイクがまぶたを閉じると、真っ暗になるはずの視界にしかしやはりミュールの魔力が放つ光を垣間見る。そして違和感が過ぎ去り、まぶたの裏に暗闇が帰って来た後に再びまぶたを開けたスパイクの両目には、ミュールと同じ白い輝きが光を散らしながら宿っていた。
「これでスパイクにも私と同じ世界が見えるはず。安心して。別に悪魔やでろでろのクリーチャーがいっぱいのハロウィーンパーティーが始まったりしないから」
「ああ、大丈夫。仮に見えても、DOOMは俺の青春の一つだ。結局、ディスクは返さなかったままだったっけな……さて、それで、アイツがそうなワケか?」
減らず口には減らず口を、肩を竦めるスパイクは離れて行くミュールから視界を逸らし、そしてまた暗闇を見る。今の彼にはこの闇の中もよく見えていた。そして、その中に浮かび上がる、辛うじて人の形に見えるかもしれない靄の塊を彼は見詰めた。
同じ暗闇でありながら、その中に居ても存在をはっきりと知ることが出来る。アレは何かと訊ねても、それはミュールにも分からないという。その人の形をした靄は二人を導く様に、闇の中を移動して行く。ミュールに連れられ、スパイクと、二人はそれを追って遙か秘境を進む。
1万4000平方キロメートルにもなる湖の中、魔力を宿した瞳のお陰で進んでいることだけは分かるものの、どれ程進んだのかまでは分からない。沈黙が続く。依然二人は靄の塊を追い掛け続けた。すると、突然それは二人の前から消えてしまった。少しずつ、まるで何かに飲み込まれる様に。それと同時にミュールが動きを止めた。彼女の魔法で連れられているスパイクも同様に停止すると、二人はその顔を揃って見上げるのであった。そびえ立つ、朽ちた壁をその目の前にして。




