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#12 続きがしたいなら、さっさと用事を済ませて私を助けに来て?

 ――ニュージャージー州、空軍基地。


「hi、ナターシャ」


 その裏手にて落ち着かない様子で居る短髪の女性を見付けたミュールであったが、彼女はスパイクを己の傍らに浮遊させ連れており危うく逆さまになりかかっているような不安定な体勢のスパイクを他所にその女性へと声を掛けながら急降下を開始する。


 スパイクの女性のような悲鳴はこの際では仕方の無いことであろう。己の意思とは別に落ちると言うのは怖いものなのである。


 ぐんぐん近付く地面を前にスパイクは両目を固く閉じ、歯を食い縛りながらその顔を逸らしながら両手を前にかざして自らを咄嗟に庇う動作を行う。――そして数秒の時が過ぎてスパイクがゆっくりと閉ざしたまぶたを上げると、両手の隙間から見えるのはやはり地面であったが、まるで近付いてくる様子もないので降下が終わったのだと安堵の溜め息を吐いた彼は逆さまから戻してもらおうとミュールの方を見ようとした。


「いでっ」


「あっ、ごめん! 間違えてホールド解いちゃった……大丈夫?」


 わざとではないというのは顔面から着地を決めたスパイクの悲鳴に先に着地していたミュールが猫のように目を丸くしながら跳び上がったことからも分かり、その場に力無くへたり込むスパイクの側へとしゃがみ込みわたわた慌てながら謝罪と怪我は無いかとスパイクに訊ねるミュールの様子はそれは必死であった。


 その一部始終を見守っていた女性と言えば呆れたように右手で頭を抱えながら俯きがちに溜め息を落とし、そして短いブロンドの髪の毛を揺らしながら二人の方へと歩み寄って行く。建物が落とした影の中から現れた彼女のその顔は実に端整で、人種的に白い肌がまるで彼女の職業を考えつかせない。だがこの場所に居る限りは限定され、そして彼女の服装がそれをはっきりとさせる何よりの要因であろう。モスグリーンをしたカーゴパンツにすらりとして細い腰に巻き付けたジャケット。


「相変わらず、二人揃うと面白いわね。ねえミュール、彼なら平気だと思うわよ」


「うぅ……よお、ナタリア」


 彼女、ナターシャこと”ナタリア・ステイメン”は軍人である。長身でしなやかな体躯は猫の様でいて筋肉も耐久力も申し分無い。持久力にも秀でていればあらゆる肉体的能力は軍人として必要以上のものを備えた、兵士として完璧な肉体を彼女、ナタリアは有している。そう、兵士として完璧な肉体を。


 赤くなった額をミュールに摩られながらその場に胡座をかいて座ったスパイクはナタリアを見上げて苦笑しながらさっき見たことは無かったことにするようにと告げる。しかもちゃっかりリーダーの命令として。


 やれやれと首を振りながらも一応了解したナタリアが伸ばした左手に掴まりながらスパイクはそこから立ち上がると、ミュールの魔法かすっかり痛みも熱も引いた額を試しに触ったりしつつ、今度は見下ろす側になったスパイクはナタリアの事を何食わぬ顔で見詰める。


 猫の様なしなやかな肉体にはしかし極めて起伏が少ない。それは女性としての起伏と言う意味であり、なんならばミュールの方が発育は良く思えるくらいであろう。その顔が女性にしても美しくなければ、男と言っても通用しかねない。兵士として完璧でありながら、女性としては不十分。それは何も外見的な特徴だけに止まらない。それこそがナタリアが今ここでこうしている為に払った代償なのだ。


 ”ワイルドハント”

 完璧にして最強の兵士が授かる名前である。そしてナタリアはそのプロトタイプの一人であった。不運の事故に巻き込まれ、生きるか死ぬかの天秤は彼女にワイルドハントを成功させる為の実験台となる道を選ばせた。女性としての魅力を捨てて、しかし彼女はワイルドハントの偉大な母となった。


「スパイク?、そろそろ放して頂けるかしら」


「おっと、これは失敬。少し義手の調整がキツいんじゃないか? 俺のこと離してくれなくて……でッ!?」


 義手の調整は完璧。そう言うナタリアの前で悲鳴と共にスパイクの体が大きく傾いた。笑うナタリアが見てみると、彼の膝裏に蹴りを見舞うミュールの姿があり、お陰でスパイクの手はナタリアの左手たる義手から容易くすっぽ抜けた。


 ナノマシンスーツの技術を応用した軍用のマルチアームとハンド。ナノマシンペーストによる事故修復機能を有し、人工筋肉が本来あるべき左腕の代わりを十二分に補う。外見ばかりは黒い筋繊維をフレームで補強しているような無骨か、なんならばグロテスクとも言えるものであったが、今さらそれを気にする者はこの場には居ない。ナタリアの払った代償の中でも最も重いものの一つがこれである。


「緊急事態よ、ニューヒューマンが暴れ回ってる。ミュール……オーバーサイクが一緒の理由は後で訊くから、今は急いで。”PRIME”にスクランブル、よろしくねリーダー」


「暇だった探偵時代が懐かしいね……おい、ミュール。お前も……ミュール?」


 急かすナタリアに続いてスパイクも駆け出そうとするが、途中ミュールにも声を掛けておこうと振り返ると、そこには空……と言うよりは虚空を見詰めるミュールの姿があった。


 足を止めるスパイク。それに気付いたナタリアもまた足を止めて二人の方を振り返る。何事かとナタリアが再度二人を急かそうとした時、一人ミュールだけが再び空へと舞い上がって行く。何処へ行くのかとスパイクが訊ねると、ミュールは彼らの頭上にて停止し、彼方を指差しながら言った。


「わかんない。けど、何か居て、それを追い掛けなきゃならない感じがするって言うか、そんな気がして……とにかく! 行ってみる!」


 そしてミュールは空にぽっかりと転移門を開き、別の空へと繋がるそこへと飛び込もうとする。だがそこへと飛び込んできた影が一つ。ミュールは咄嗟にその場を退いて、遅れてやって来た風に顔を背け、舞おうとする己の白い長髪を押さえながら目の前を危うく激突寸前で過ぎ去ったその影を追って視界を動かす。そして――。


《ハッハーッ! またもや早いな!! やっぱり俺が恋しいんだろ!?》


「あなた……!?」


《そうっ、バルチャー!!》


 視界を動かして、そしてナタリアと同時にミュールが驚嘆を零すと、それに気を良くしたらしいのは巨大な鋼鉄の翼を広げて胸を張ったロボット、バルチャーであった。


 この場へと到着する少し前に目立つからとスパイクの体から離れた彼がどうして戻ってきたのか。基本的には超AIで自由に行動するレオン製のロボットたちであるが、アシモフ・プロテクトを馬鹿馬鹿しいと一蹴する彼の方針によって必ずしも人の命令を聞くことは無い。とは言え製作者ならぬ製作犬であるレオンの躾は実に良く行き届いており特別彼の命令には結局逆らうことは無く、その他にも命令以外、例えばお願いだとか、そういうことであれば比較的AIの成長度が高いバルチャーシリーズであれば受け入れる事もある。つまりこれはバルチャーの独断か、見れば正体を隠す必要があるスパイクのすぐ後方に彼は滞空しており、ミュールがそれを咎めようと歯を剥いた時だった。


「待てミュール。俺も行く」


「ちょっと、スパイク?」


 そんなミュールを止めたのは他でもないスパイクであった。同時に彼のその言葉にナタリアはそれこそ驚いて彼の元へと駆け寄って行くとその右手で彼女はスパイクの肩を掴んだ。が、振り向き様その手を逆に掴み上げたスパイクは引き寄せたナタリアの腰へと腕を回しその体を抱き寄せすぐ間近から彼女の顔を見詰め得意そうな笑みを見せる


「悪いな、ナタリア。君に一つ内緒にしてることがあって、それを今から言おうと思うんだけど……いででっ!?」


 鼻先が触れあう距離まで迫ったスパイクであったが、妙に回りくどいその言葉の全貌が露わになる前に悲鳴がそれを遮った。そして涙目になる彼の視界に現れたのは、ナタリアの腰に回していた筈の己の手を捻り上げるナタリアの義手が代わりを務める左手であった。


 そして悲鳴を上げるスパイクのその手は無事に解放されはしたものの今度は彼のその胸ぐらをナタリアは掴まえ、痛み故に仰け反っていたスパイクの体を再び、そして今度は己の方へとナタリアが引き寄せる。仰け反った姿勢から今度は前屈みになったスパイクは眼孔の奥にある青い瞳の浮いた目を丸くし瞬かせながらナタリアの浮かべた嘲笑を目の当たりにする。彼女の花緑青の瞳にもスパイクの間抜け面が映っていた。


「な、なんだ……?」


「私が気付いていないとでも思ってる? 何ならチームの皆だって知っているわよ。知らないのはあなただけ。ね、”イーグルガイ”さん?」


「はあ!? なんでんぐ――ッ!?」


 足止めを余儀なくされているミュールは自らを止めたスパイクがナタリアと話し込んでしまったが故にどうすることも出来ず、焦る気持ちばかりをまだまだ成長過程の胸の中で持て余す中、しかしいい加減我慢の限界と相成ればスパイクへと行かないのであればやはり一人で行くと告げようと空を浮かぶ雲を眺めていた視線を二人の方へと向けるミュールだったが、その両目を咄嗟にそれぞれ両手で隠した。が、その後そっと閉じていた指を開きその光景を覗き見ようとするとそこに映ったのはバルチャーのセンサーアイ。ミュールの上げた短い悲鳴をバルチャーは笑いながら彼女の隣へと移動すると改めて二人してスパイクとナタリアを見下ろした。


 そして、やはり気まずくてミュールは頭を掻きながらその視線を再び空に戻す。代わりに二人を見届けるのはバルチャーだが、彼から下卑た笑い声が零れるとその横っ面にミュールの硬い靴底が入り硬質な音とその衝撃に歪んだ笑声が最後に漏れて以降バルチャーは黙る。やれやれと体を宙で横倒しにした姿勢のまま、バルチャーから視線を離したミュールは頭の後ろで両手を組みながら再び下を見る。


 ミュールとバルチャーの二人の先で、スパイクとナタリアの姿が重なり合う。ナタリアの義手が持つ膂力から逃れることは簡単なことでは無い。故にそれ以上抗うことを諦めたスパイクは彼女に引っ張られるままにその体を引き寄せられて行き、より前屈みに姿勢を変える。それでも何故自身が”イーグルガイ”であることをナタリアだけに留まらず彼が率いるチームの全員が知っているというのか、そのことの方が驚きであり問いただそうとするスパイクの口を塞いだのはナタリアの唇であった。


 そうして目一杯に目を見開いたスパイクの唇から、彼女の柔らかな唇が離れて行く。僅かに開いた互いの間を両者の吐息が交差し混じり合う。見つめ合う中、スパイクが再びナタリアに唇を寄せようとしたが、割り込んできた彼女の右手の人差し指が彼の唇を押し返す。それにスパイクは些か不満げな表情を浮かべるが、それを見たナタリアは逆にご満悦の様子。


「……続きがしたいなら、さっさと用事を済ませて私を助けに来て? 今回の騒動は結構ハードそうだから」


「ああ、そうみたいだな。それじゃあオメガの指揮は君に任せる。スタンとデイヴィッドには君からよろしく言っといてくれ」


「ふふ……それより自分の立場を心配して。ほら、行って。あの子に迷惑かけちゃダメよ?」


「はっ、勘弁してくれ」


 最後にはナタリアに体を押し戻されたスパイクは観念しつつも、しかしまだ何処か名残惜しげに数歩ほど後退る。するとその背後へと飛来したバルチャーが己の機体を展開、変形させ跳んだスパイクを受け止めるとそのまま彼の体を包み込んで行く。


 やがてバルチャーをアーマースーツとして身に纏ったスパイク、”イーグルガイ”が蒼白い噴射炎と共に飛行装置リパルサーリフトにより浮揚、空へと浮上して行く。見上げるナタリアを見下ろすスパイクの頭部を最後に装甲がヘルメットとなって包み込み隠すと、互いに頷き合った後、遂にスパイクはナタリアに背を向けミュールと転移門が待つ空へとバルチャーの自己主張の叫びを残し広げた鉄の翼で飛翔した。


 もう良いのかと追い付いたスパイクにいたずらっぽく笑いかけるミュールに彼は待ちくたびれていたくせにと毒づきながら、二人は転移門の向こうへとその姿を消した。

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