中二女子の身で、高い高いを経験する幸福を味わうがよいっ
相手が誰だか察したのか、南部さんは身を乗り出した。
「彼女、なんだって?」
「いやそれが――」
内容を手短に話すと、彼は驚いたように俺を見た。
「最初は気のせいかと思ったけど、どうも違うな。おそらくあの人は、君を特別扱いしている気がする。なにかが琴線に触れたのかもしれないね」
嫉妬とかではなく、どこか祝福するような言い方だった。
とはいえ、やはり思うところはあったらしく、彼は静かに立ち上がった。
「僕の未来はあまり明るいものにならない気がするんだけど、彼女の気持ちは嬉しい。君こそ、あまり無理せず、誰かを頼る時は頼りなよ――僕がそう言ってたと伝えてくれ」
「い、行くんですかっ」
紅茶を飲み干し、俺も慌てて立ち上がった。
「うん。本来なら、早朝に出るはずだったしね」
そう答えた南部さんは、早速、小型のプジョーに乗り込み、エンジンをかけた。
「カップはテーブルに置き去りでいいよ。次に入居する人が使うか……必要ないと思えば、彼女が消すさ」
窓から手を出し、南部さんがニヤッと笑う。
「君もあくまでも出て行こうとしそうだな? もしそうなら、健闘を祈る。逆に運命の悪戯で残ることになったら……ぜひ彼女をよろしく頼む。支えてやってくれ」
「いや、俺一人ならともかく、妹もいるから、出ていきますとも。……いろいろありがとうございます」
握手なんぞ柄ではなかったが、おそらくこの人とは二度と会わない予感がしたので、俺は握手に応じた。
「……えっ」
そこで何か素早く手渡され、彼の顔を見たが、知らんぷりされた。
内緒のメモか、ふむ。
『おにいさまぁああああっ』
折悪く(良く?)、遠くから俺を呼ぶ妹の声がしたりしてな。
秘密のやりとりを伴う別れのシーンが、台無しである。
「妹さんかな?」
「ええまあ」
俺は顔をしかめてみせた。
「実にうるさいヤツで……ここへ来てから変化しちゃったし」
「そうかぁ。なるほど、君が是が非でも出て行きたい理由が、理解できたかもしれないな」
呟くように指摘し、南部さんは最後に軽く頷いて、車をスタートさせた。
妹の可憐が来るまで、待つ気はないらしい……まあ、逆の立場なら、俺もそうするかも。
車は石畳の道をガコガコと音を立てて進み、やがて俺が見守るうちに、街の外へと出て行った。
「あの車、まさか最後まで乗っていかないよな?」
だいたい、ナンバープレートはついてても、なにか謎の英文が書いてあっただけだしな。
「本当にわたしを置き去りにしましたねっ」
「おっとお!」
間近に迫った声に振り向くと、可憐が俺の背後でむくれていた。
自転車はレンタルせず、素で走ってきたらしい。
「しかし今回は、タイミング的には悪くないぞ。五十メートルを七秒台で走るおまえにしては、珍しく遅かったな。あと、なんで自転車で来ないんだ?」
「お、おにいさまがどこかへ行ってしまうと思って、焦って忘れてたんですっ。それに、場所もわからないのに、そんな早く追いつけませんっ」
「いや、急いで来るほど、凄い話はしてないよ」
俺は南部さんの話をかいつまんで説明しつつ、こそっと小さなメモを開く。
『街の、宿舎ホテルとは逆の外れを出て、しばらく歩くべし』
……なんてあるが。
「なんですか、それ」
俺の挙動が不審だったせいか、可憐が早速、覗き込んできた。
「街を出て……なにがあるんでしょう?」
「わからないけど、俺、出られるかなぁ……確か、逃げる気満々だと、ここに雪隠詰めだったんじゃないか?」
「わたしと一緒なら、大丈夫ですよ。……行きます?」
「そうか、その手があった。なら、早速」
「その前に、置き去りにした謝罪代わりに、お、お願いがあるんですけど」
「……言うてみ?」
用心深く声に出したが、可憐のお願いは実に意外な……ある意味、拍子抜けするものだった。思わず、何度も訊き返したほどだ。
「昔みたいに、高い高いぃ~――をしてみてほしいって?」
「こ、言葉にすると馬鹿みたいですけど、懐かしいんですっ」
自分でもちょい恥ずかしいのか、怒ったように言う。
でも、その程度ならお安いご用だ。
「いいさ、それくらい。ほら、両手を横に伸ばしてみて」
「こ、こうですか?」
照れながらも、可憐が言われた通りにする。
今日はドレス姿なんでやりにくいかと思ったが、身長の割に軽いこいつを持ち上げるのは、そう難しくなかった。
ほっそいウエストをそっと両手で掴み、差し上げてやる。
いやぁ、中二女子で割と高身長のくせに、軽々と持ち上がったぞ。
「うふふふっ……く、くすぐったいです」
くすくす笑う可憐を、お望み通り、その場でくるくる回してやる。
こいつマジで軽いなあ!
「はははっ。ほれ、中二女子の身で、高い高いを経験する幸福を味わうがよいっ」
「わああああっ」
途中で我慢できず、可憐が声を上げて笑う。
「懐かしいです、とても懐かしいですね、おにいさまっ」
「ま、まぁな」
それは、記憶の中に残る、幼女の頃の無邪気なこいつの笑みと見事に一致し、途中で俺は鼻の奥が不覚にもつんとなった。
土地の魔法かなにか知らないけど、この時ばかりは、魔法に感謝したかったほどだ。