昔、あたしの秘密を教えてあげたの、覚えてる?
まさか、小学生の頃に近所に住んでいた年上の女の子とまた再会するとは、誰が考えるだろうか。
しかも最近の俺は、彼女と過ごした一年足らずの時間は、俺が見た幻だったんじゃないかと、そう疑い始めていた。
そう、文字通り当時の俺は、見えるはずのない女の子を見ていた……と。
なぜなら、引っ越す前に彼女が俺に打ち明けてくれた秘密が、あまりにも――そこまで考え、俺は慌てて回想を打ち切った。
馬鹿馬鹿しい。この記憶だけは、俺が勘違いして覚えてるに違いない。
「絵里香……さん、遠くへ引っ越したはずじゃ?」
「……昔のように、絵里香ちゃんとは呼んでくれないの?」
耳元で囁かれ、俺は戸惑った。
「いいのかな、今でもそんな風に呼んで」
「いいのよ。だいたい私、啓治君に会いに戻ってきたんだから」
「えっ」
意外な言葉に俺が声を上げると、絵里香ちゃんは俺の手を引っ張って、外に連れ出した。
「あの連中、放っておいて大丈夫かい?」
「平気よ。経験上、半時間は目覚めないわ」
け、経験上っすか。
つまり、しょっちゅう野郎共をぶち倒しているわけな。
「喧嘩の原因は?」
「……さあ?」
軽やかに歩きながら、絵里香ちゃんは首を傾げる。
「連中の言い草だと、彼らのリーダーをあたしが怒らせたとか。今日は、転入届けを出しにバイクで走ってたら、いきなり車で囲まれちゃって……ああいうことになったわけ」
いや、それじゃ全然わからんが、まあ因縁をつけられたということだろう。
あまり話したくなさそうなので、俺もそれ以上、連中のことは訊かないことにした。
「転入届けということは、どこかの学校に?」
「うん……峠高校の三年生になったのよ。登校するのは、夏休み後からだけど」
「うちの高校だ!」
「そうなの?」
立ち止まった絵里香ちゃんは、ひどく嬉しそうに破顔した。
「そうだといいなぁと思ったのよ……啓治君がまだこの街にいて、そしてあたしが転入する学校に通っている。そうだと最高だなぁって。……願いが叶ったわね」
なんだかひどく眩しそうに俺をみた。
「光栄だけど、どうして俺に?」
「啓治君はあたしの命の恩人だからね。引っ越したのだってあたしの本意じゃないもの。つい最近、里親が戻っていいって言ってくれたから、その言葉に甘えたの」
命の恩人というか、俺はただ、彼女の自殺を止めようとしただけなんだが。
しかし、絵里香ちゃんには最初から身よりがなく、施設の出であることは知っている。本人が教えてくれたからだ。
俺が思い出していると、絵里香ちゃんは駐車場の隅っこに置かれたバイクの前で立ち止まった。
「本当は駄目だけど、街中まで後ろに乗って。あいつらが目覚めて、万一歩いてる啓治君に追いつくと、まずいから」
そこまで言った後、ふと絵里香ちゃんは眉をひそめた。
「そういえば……このあたりは通学路からだいぶ外れてるはずだけど?」
鋭い質問である。
「なんていうか……予感がしたんだよ。信じられないだろうけど」
まさか、赤い糸の話をするわけにもいかない。
「予感ね? 普通は信じないけど、前もそうだったけど、啓治君はいつもここぞという運命の時に現れる、不思議な人だしね」
横目で見る目は、ひどく真剣だった。自分こそ、誰よりも不思議な女の子なのにな。
「だから……信じることにする。さ、乗って!」
遠慮しようと思ったものの、確かに連中に追いつかれるのは気が進まなかった。
やむなく後ろに乗っかると、絵里香ちゃんは自分のヘルメットを俺に被せた。
「街中まですぐだから、我慢してね」
ヘルメットの頭をコクコクさせつつ、俺は絵里香ちゃんの残り香に目眩がしていた。フルフェイスのヘルメット被ると、モロにくるな。
多分、あの銀髪の香りなんだろうけど……あ~、一日中でも被っていたいかも。
あいにく宣言通り、通学路に戻る少し手前でバイクを降ろされてしまったが。
ただ、絵里香ちゃんはすぐに走り去ることなく、その場で電話番号の交換と、住所を教え合った。というか、うちは変わってないから、絵里香ちゃんの現住所を教えてもらったってことだ。
「うちから近いなあ」
「……言ったでしょ、あたしは啓治君に会いにきたのよ」
くすっと笑った絵里香ちゃんは、しかしなぜか真剣な顔に戻り、尋ねた。
あたかも、不意打ちのように。
「昔、あたしの秘密を教えてあげたの、覚えてる?」
「……覚えてる」
記憶違いじゃなかったのか!
本当はこの世界の住人じゃなく、異世界から迷い込んできたって話。
「そう……よかった」
絵里香ちゃんはすぐに笑顔に戻り、俺から取り返したヘルメットを被った。
最後に俺に軽く頷いてから、そのままバイクで走り去ってしまう。
……再会の約束をあえてしないところが、絵里香ちゃんらしかった。