いいですね、家族風呂っ。兄さん、一緒に入りましょうね!
それにしても、現れた街はちょっと凄いぞ。
しばらくやや下り坂が続いたので、街を斜め上方から俯瞰できたのだが。
建物の屋根は赤で統一されていて、さらには碁盤目状の石畳の道があり、どっしりした一般の家を含め、建物はほぼ石造りばかりという。
ヨーロッパの観光地で、中世の街が保存されているところがよくあるが、アレに近い。
違うのは、あれほど建物と建物が密集していない上に、なぜか空き家も多そうだ、というところか。
ついでに言えば、石畳の道は共通するが、さすがに観光地の街は、石造りってのは少ないように思う。木造が普通だろう。
なのにこの街の中央には、洒落た時計塔が目立つ広場まである。
もちろん、時計塔も当然のように、モロに石材を積み上げた石壁である。
「人もいるのねぇ」
明石さんが感心したように呟いたが、まさに。
私服でのんびりと歩く人が、ちらほらいる……見えるのは数名だが、別に中世風の衣装なんか着てなくて、みんな俺達と変わらない服装だ。
「みなさん、そんなに不幸そうには見えません。良かったです!」
可憐がほっとしたように言う。
こいつ、視力いいからなあ。まあ雰囲気だけで言ったのかもだが。
「みなさん、望んでここで暮らす方ばかりですからね」
穏やかに友垣さんが述べた。
「特典も多いですよ。例えば、食費も光熱費も必要ないとか。別に一円もなくても暮らしていけます」
「……段々、よい環境のように思えてくる不思議」
我ながら気が差した顔で、明石さんが肩をすくめた。
「でも、この世界の外にいけないのは、辛いと思うぞ」
未だに逃げる気満々の俺は、釘を刺すつもりで言っておく。
なにしろ、女の子二人は、既に「約束の地」へ来たような表情になっていて、このわずかな時間に、もうすっかり逃げる気ゼロになってる感じだしなあ。
染まるの早すぎだろ、まだオーナーとやらにも会ってないのに。
「まあ、早急に結論を出すことはありませんよ。どうしてもお嫌なら、オーナーが記憶を消してから、なんとかしてくださると思いますが」
「いや、それはそれでなんか――」
俺が懸念を示そうとしたその時、ロールスはゆっくりと減速して停止した。
ちょうど、街へ入ってすぐの場所だった。
「みなさん、宿舎・ノスタルジアへようこそ」
振り返って、友垣さんが低頭した。
「ちなみに、この街の名と同じでございます」
「は、どうも」
俺は釣られて低頭し、さりげなく隣を見たら、可憐は先に察して耳元で囁いてくれた。
「郷愁っていう意味ですよ」
さすが、飛び級狙いの天才少女……即答だー。
まあ、俺以外はみんな知ってるのかもしれんが。
車を降りて、宿舎と言われた建物を見ると……宿舎どころか、立派なホテルにしか見えん。
むしろ、これを宿舎と呼ぶのは、ある意味では詐欺だ。
さすがに、この街が街なので、ここだけ「トキワ荘みたいな木造アパートでした!」、というオチはない。
どっちかというと、ついこの前までいたリゾートアイランドの城みたいなホテルを、小さくしたように見える。
一部に塔があるわ、四階建てで笑っちゃうほど規模は大きいわ、奥行きも相当あるわ。
さらに、入り口の門から正式なエントランスまで、中庭がかなり長く続くわ……しかもその庭には、季節もなにも無視して、全ての花壇が色とりどりの薔薇で埋まってる!
これはよい意味で意表を衝かれたねっ。
「そりゃ……ちらほら願いとやらを承諾する人がいるはずね」
明石さんがため息をつく。
いかん……既に逃走派が俺だけになりつつあるぞ!
可憐もなんか、とろんとした目つきでため息ついてるし。女はこういう豪華シチュエーションに弱いからなっ。
だが、俺は違うぞ。そこまで軟弱じゃない! 逃げるったら、逃げるっ。
「到着したばかりだし、お休みになりたいでしょう」
トランクを開けて荷物を降ろしてくれている友垣さんが愛想よく言う。
「先程も申し上げましたが、まずは温泉などでごゆるりと。男女別の温泉が別館にあり、混浴の温泉が地下にあり、さらに家族風呂や個人風呂装備のお部屋もございます」
むう? ま、まあ、今日のところは脱出は勘弁してやる。
俺はひそかに決断し直した。
それにしても、混浴とな? それは――
「家族風呂っ」
混浴マジかっと言いかけた俺より先に、可憐がぱっと俺を見上げた。
「いいですね、家族風呂っ。兄さん、一緒に入りましょうね!」
「可憐、知ってるか? たまにいるらしいが、お風呂で水着なんぞ着て入るのは、痛い行為なんだぞ」
むしろ、男子中坊とかにもいるがな。
「知ってますよう、それくらいっ。お風呂なんですら、裸に決まってるじゃないですか」
可憐は可愛らしく頬を膨らませた。
「……えっ」
今回も、俺が驚く前に、明石さんが先に声を洩らしたぞ。
友垣さんまで、作業の手が止まったりして。