誰か来るわっ
夢も見ずに眠っていた間、なにが起きたのかはさっぱりわからない。
わからないが、目覚めた時には汽車は止まっていて、しかも外は昼間の明るさだった。
「に、兄さん、兄さんっ」
揺さぶられて目を覚ますと、俺はまっ先に外の明るさに気付いたが。
しかし、状況はさっぱり見えなかった。
とにかく俺は、座席に横倒しになっていた可憐の上に覆い被さる状態だったようで、可憐が重そうに呻いていた。
「あ、ごめんっ」
慌てて立ち上がったはいいが、胸にちょっと手が触れたな……離すの惜しかったけど、もちろん慌てて離した。
「か、重ねて悪い。別にわざとじゃないぞ」
「もうっ」
普段通り、赤くなって怒りかけた可憐は、しかしなぜか今回は堪えたらしい。途中で表情が穏やかになり、首を振った。
「ごめんなさい。兄さんのことだから、わたしを心配して近付こうとして、眠ってしまったんですよね」
「そういうこと。理解してもらってありがたい」
素早く立った俺は、可憐に手を差し伸べた。
「立てるか? 起き上がる時にはそっとな。貧血の経験あるだろ?」
「大丈夫です……でもありがとうございます」
おお、珍しく可憐が俺の手を握った。
「いいって。ただ、ここからは警戒していこう」
「はいっ」
さすがに可憐も頷いてくれた。
二人して外を慎重に確かめたが、見たこともない田舎駅舎が見えただけである。
始発の駅とよく似ていて、周囲は山に囲まれた盆地に見える……しかし、なぜか時間が飛んでいることは間違いない。
「最後の時刻は黄昏時だったが――おまえの上に倒れ込んでいたんだから、夜が明けるほど時間経ってたら、もっと節々まで身体が痛いし、腹も減るよなあ」
「兄さんがさっき話してくれた、異世界への道程だったんでしょうか」
「あれ? 普通に温泉説は放棄か?」
「だ、だって」
もじもじと可憐が俯く。
「うう……いじわる言わないでください」
「もちろん、本気じゃないよ」
苦笑したところで、客車の方から足音がした。
俺は無意識に可憐を背後へ庇い、通路の向こうを睨む。重たい客車間ドアがあって、向こうが見通せない。
だが、ドアについた小さな窓を通して、相手がわかった。
「明石さん!」
重たそうにトランクを引きずり、足を踏ん張ってドアを開けた彼女は、俺達を見て、気まずそうに低頭した。
「さっき、目覚めたの。樹さん達がどうしているか、気になったので」
「まだ外には出てない?」
明石さんは頷いた。
「よし……じゃあ、みんなで外に出よう。ここでこうしていてもしょうがない。汽車は停まってるし、動く気配もないからな」
可憐はもちろん、明石さんも賛成してくれた。
とにかく、外の様子を探らないと。
行きと同じく、可憐の荷物は俺が持ち、そして俺の少ない荷物は可憐が転がし、明石さんと一緒に汽車を降りた。
もう釜に火も入ってないようで、機関車は静かに停車したままだ。
念のため、俺が機関室まで走って見に行ったが、運転士はいない。
ものの見事にもぬけの空だった。
「だと思ったよ、畜生」
……おまけに、まだスマホも圏外と来た。
「どうでした?」
戻った俺に可憐が訊いたが、首を振るしかない。
「まあ、運ちゃんは朝飯かもな」
誰も笑わなかった。
だいたい、この単線の駅は線路の片側にホームがあるだけで、あとは屋根がちょろっとついてるだけだ。
昨日、線路を走っている最中とは違い、周囲は草原だけってことはなく、ちゃんと舗装された道が駅のそばにあるにはある。ただし、建物は特にない――ように見える。
当然、朝飯が食べられそうな店など、皆無である。
まあ、少し西側に小規模な森が見えるので、あの向こうに街があるなら別だが。
「平和そうなところで空気も美味しいけど……」
両手を広げて目を閉じ、明石さんが呟いた。
「でも、駅舎に駅名がないのはどういうことかしら」
「ええっ!?」
「なんと!」
兄妹で素っ頓狂な声を出し、示し合わせたようにベンチがあるところまで小走りに見に行く。普通は後ろの壁とかホームのどっかに駅名がわかる札みたいなのがあるものだが……うわぁ、マジでなにもないしな。
「駅名のない駅なんて……でもそういえば、電話で話した時に、到着の駅名をお伺いした気がするんですが。なぜか、見事に思い出せません」
「しょうがない。一応、仮名として『きさらぎ駅』で」
「うわあ」
明石さんが苦笑したが、たまたま遠くに目をやった途端、いきなり笑みが綺麗さっぱり消えた。
「誰か来るわっ」
「マジだっ」
「に、兄さん!」
自分はまだ見つけてないのに、可憐が慌てて俺に擦り寄ってきた。