薫の相談ごと
人の気も知らず、高原は、もはや何事もなかったかのように俺の隣に座り、温泉を満喫していた。
と思ったら、目を閉じたまま、ふいにぼそりと述べた。
「ところでな、俺の妹がおまえに相談があるそうな」
「え、あの失敗したフランス貴族みたいな子がっ」
「そう。風呂から上がったら、一人でラウンジに来て欲しいとさ」
「一人でと指名するのはなんでだろう」
俺は隣の女湯を気にしつつ尋ねる。
なにせ、絵里香ちゃんは沈黙してるだけで、まだ衝立の向こうで聞いてるだろうからな。
ちなみに、高原は感極まったように首を振り、いきなり吐き出してくれた。
「あいつなぁ……どうやら、おまえに告白する気らしい」
「はああああっ!?」
意外過ぎるにもほどがあるので、俺は大声出したし、女湯からはバチャッと派手な水音がした。
「う、嘘だろ!? 心当たりとか微塵もないんだが」
「うん、まあ嘘だ」
人の悪い笑みを広げる高原に、ちょっと殺意が湧いたぞ。
「……おまえ、たまにしょうもない嘘つくよな?」
「あ、だけどおまえに相談あるらしいのは本当だぞ。気が向いたら、ラウンジに行ってやってくれ。わかってると思うが、フロント前の、ソファーやら並んでる場所がそうだ」
「いや、場所はわかるが……全然接点のない俺に、なんの相談だろう」
わざと女湯の方に聞こえるように答える。
いじましいが、さっぱり心当たりがないのに、誤解されたらたまらん。
「わからんなあ」
おまけに、兄貴はこれだしな。
「しかし、あいつがあえて人の力を借りようってんだから、よほどのことだと思う。まあ、俺としても一応頼んでおく。ホント、気が向いたらでいいから、頼む」
「いや、そりゃ別に話し合いを拒否するほど、嫌ってるわけじゃないけど」
俺としては、そう答える他ない。
だいたい、高原には招待してもらった恩があるしな……いきなりゴースト騒動に遭遇したとはいえ。
急ぎ身体を洗い、ささっともう一度温泉に浸かり直してから、俺は言われた通りにラウンジに急いだ。
本当はもっとゆっくり入っていたかったんだが……なんの相談なのか、気になるからな。
妹の薫は、例によって場違いなドレスと縦ロールの髪型で、隅っこの方に座っていた。
俺を見て、軽く手を上げる……女王様のごとく。
「呼び出して悪かったわね」
「いや、まあいいけど。相談ってなにかな?」
「まあ、そう急がず……なにか飲み物は?」
妙に礼儀正しいアプローチで、俺は断るのも悪いと思い、「じゃあ紅茶で」と頼んだ。
薫はラウンジのそばに控える従業員の人に手を上げ、紅茶を二つ注文していた。
なぜか、二人分の紅茶がそれぞれの前に並ぶまで、薫は口を開こうとはしなかった。俺が目で促すと、ようやく思い切ったように言う。
「あたしの知る限り、貴方はお兄様に一番近い友人だわ」
「そうなのか? まあ、付き合いは長いけど」
「そこで、貴方を見込んで頼みがあるの」
人の返事をスルーして、薫が真剣な瞳を向けてくる。
「な、なんだよ?」
「どうすれば……関心を……もらえるかしら」
「あ? 今の途中で小声になって、全然聞こえないんだけど」
「だから、お兄様に……」
やっぱり聞こえないぞ?
こいつ、顔に似合わず、息も絶え絶えなしゃべり方すんなよ。
俺の顔を見て、ようやく通じてないと悟ったらしく、薫はヤケクソのような口調で言い直した。
「だからあっ、お兄様にどうしたら関心持ってもらえるかって訊いてんのようっ」
「うおうっ」
今度は聞こえた、嫌でも聞こえた。
というか、ラウンジの従業員さんにも、多分聞こえた。
「そ、そんな相談か。もちろん、自分に関心持ってもらいたいわけな?」
「そうよっ。大事な相談じゃないっ」
喧嘩を売るような目つきで見られたな。
「ああ、なるほど……うん、わかった」
まあ、俺の手に負えない相談じゃないんで、そこは助かった。
だいたい俺、今夜は奥の手であの子とコンタクトする気だから、あまり遊んでられないしな。
結論だけ教えてやるか。
そう思い、俺は薫に丁寧に教えてやった。気を引くというのは置いて、どうすれば高原の素っ気ない態度が改善できるかを。
そのくらいなら、さすがの俺でもわかるからな。
後はこいつ次第だが。