左手に見える糸と、オーバー100
そこで俺は、馬鹿らしいとは思ったが、あえて例のメール文にあった言葉を呟いてみた。
予想通りなら、なんらかの反応があるだろう。
隠す意味ないし。
「時よ止まれ! 君は美しい」
「……え?」
うぐっ……きょとんとした顔されちまった。
「戯曲ファウストに登場する、錬金術師ファウスト博士の言葉よね? 悪魔メフィストフェレスと契約した時に約束した、契約達成の言葉だったかしら。それがどうしたの? あ、ひょっとして、私を褒めてくれているのかしら」
途中から輝くばかりの笑顔を見せてくれて、余計にぎゅっと手を握られたり。
さすが先生だけあって、よく知っているけれど、俺の予想は大外れらしい。あと、なんでこの先生は、こんなに俺に優しいんだろうか。
だんだん、顔が近付いている気がするぞ。
絵里香ちゃんや空美ちゃんは、仲良くなるだけの理由があったけど、魔夜ちゃんが俺に好意的なのは、さっぱりわからん。
あまりにも疑問だったせいか、俺は気付けばぼそっと口にしていた。
「なんで……先生はこんなに優しいんだろう」
すると、先生はちょっと驚いたように目を見開いた後、たちまち妖艶な微笑を広げた。
「単なる一生徒に過ぎないのにって?」
「そう、そうですよ! 相性かと思ったけど、どうもその」
「……思った以上に愛想がいい?」
俺は何度もコクコク頷いた。
「さあ、どうしてかしら? もちろん、理由はあるのよ。ケージ君の見た目に惚れたとか、そういうのじゃないから」
や。そこをはっきり否定されるのも、それはそれで寂しい。
いや、それどころじゃなかった!
高校入学以来、この俺の「驚いたことトップスリー」に入るようなことが、いきなり目の前で起きた。
つまり、ふいに魔夜ちゃんが俺に手を貸して立たせ、その上でそっと抱き締めてきたのだ。
「う、嘘っ」
「気の迷いなんかじゃなく……私は多分、永遠にケージ君の味方だと思うわよ。自分でも、最近になってわかったんだけど」
「ななな、なんですか、それはっ」
俺は香水の香りと胸に押しつけられた柔らかい膨らみにくらくらして、惜しいことに自らそっと身を離してしまった。
いや、あまりにも意外だったし、絶対なんかの勘違いだろうと思ったので。
「ごめんなさい……引かれたかしら」
哀しそうに言われて、俺は慌てて首を振る。
「まさかっ。いや、あまりにもここがムシムシするし、俺が狼になるといけないので」
割と本気でそう述べると、ようやく魔夜ちゃんに少しだけ笑みが戻った。
「わかったわ……じゃあ、そのうちまた」
「え、ええ……そのうち」
なにがそのうちか、全然わかってなかったが。
そのまま引きつった笑顔で外に出ようとしたけれど、そこでようやく思いだした。
待て待て待てっ。こういう時、俺には魔夜ちゃんの親密な態度が嘘か本当かわかるはずだろっ。忘れてどうする!?
ギリギリで思いだしたのを幸い、俺は軽く手を振りながら、その実、例のごとく気合いを入れて魔夜ちゃんに注目する――とぉおおお。
「――っ! マジかっ」
思わず声に出た。ああ、出ちまったさ!
可憐の時と同じく、頬ではなく額に見えた数字が、オーバー100の145っ。勝手にバイタルサインだと思ってる灰色の数字も高いが。
この赤い好感度数字は、(今は100に戻っているけど)少し前に同じく数字を振り切った可憐より高いではっ。俺、まだこのオーバー100の意味がよくわかってないってのに。
なにより、魔夜ちゃんの小指と俺の小指が……赤い糸で繋がっているぞっ。
ただし、なぜか右手じゃなくて、左手の小指だが。
他の子は右手なのに、なんで魔夜ちゃんだけ――。
「どうかしたの? ケージ君」
スーツの胸の下で軽く腕を組み、魔夜ちゃんが小首を傾げる。
その瞳がきらっと光った気がした……もちろん、気のせいだろうけれど。
「あ、いえ。ちょっと先生に見とれてしまって」
俺は慌ててそう言い訳し、低頭して部屋を出た。
……この数字の意味、なんとかして解明しないと落ち着かないな。