優しすぎる先生
そこで俺は、なにやら不満そうな絵里香ちゃんにお愛想笑いなどして、後で再び集合する約束を取り付けた。
「高原にも、声をかけておくよ。すぐに下校時間だし」
「……空美ちゃんと可憐ちゃんには?」
「本来なら集まるべきだろうけど、あの二人は今回、他人の振りして後で仲間に加わるつもりらしいから……俺が邪魔しちゃ悪いだろ? なにか考えがあるのかもしれないし」
「そう! わかったわ、じゃあ、三人で集合ね」
なぜか機嫌が戻った絵里香ちゃんともうしばらく話し、俺達はそのままこそっとそれぞれの教室へ戻った。
どうせそろそろ、下校時間だろうしな。俺が戻る頃には、ちょうど最後のHRさ。
これこの通り、夏休みの登校日なんて楽勝である――と思ったんだが。
「そう簡単にサボれないのよねぇ」
俺が昇降口の下駄箱まで来たところで、いきなり背後から声がかかった。
「うっ」
呻き声が出たのも当然で……実のところ、もうとことんサボるべしと決めて、教室素通りでここまで来たのに。
一体いつ、背後に回られたのか、さっぱりわからない。
「な、なんで先生がここにっ」
「今頃は、教室で休みの間の注意事項でも話してるはずなのにって?」
ま、まさに図星である。
魔夜ちゃんは国語の教師兼俺のクラスの担任で、純白のサマースーツにタイトスカートがびしっと似合う女性である。
フルネームは貴船魔夜というが、なんか魔女みたいな名前だし、雰囲気も妖艶な魔女っぽい。本物の魔女であるステラさんと並んでも、どっちかというと、先生の方が本物に見えるかもしれない。
この人と廊下ですれ違うと、男子はほぼ間違いなく振り返る。それどころか、独身の男子教師も振り返るほどだ。
まだ二十三とかその辺の年齢のはずなのに、大人びた容姿はやり手のOLみたいだし、あと栗色の長い髪を手で払う仕草とか、ぞくっとするほど色っぽい。
俺の周囲にはなぜか美人が多いが、この人なんか典型だな……今更だが。
「さ、ちょっと来て」
「えぇえええ?」
見とれていたら、手を引っ張られて連行されてしまった。
「あのっ、教室に戻らないんで?」
「時間まで自習と言っておいたから、大丈夫よ。気にしないでね」
振り返ってにこっと笑った時、ほのかな香水のかほりがっ。思わず、すーはーしたくなるな、しかし。
あと、わざわざ連行されるほどのことかね……いつもは、サボっても笑って許してくれるのに。
しかも連れてこられたのは、なぜか美術準備室だった。
国語の先生のこの人には、あんまり関係ないような。
カチャリと音がしたかと思うと、なぜか後ろ手に鍵までかけててな。
「な、なんで鍵までっ」
思わず訊いたさ、うん。
「大丈夫……いきなり抱きついたりしないから」
「先生の言うことですか、それっ」
真面目な顔でどきっとする冗談を言う時があるので、今日もそれかと思ったが、なぜか今日の先生は笑わなかった。
「そこへ座って」
二つしかない机の片方を勧め、自分も隣にへ座る。
それはいいが、座る前に何故にカーテンを閉めるのだろうか。電灯つけても、薄暗いんですがっ。
しかも互いに横向きに座ってるので、顔と顔が近い。
おまけに、なぜか両手で手を握られたっ。
「な、なんです? サボった罰じゃ?」
「サボり?」
小首を傾げて少し考え、ゆっくりと微笑した。
「ああ、姫野さんとこっそり話してたこと? いいのよ、そんなこと……少しはヤケるけど」
「……ええと、冗談ですよね、それ?」
「樹君はどう思うの?」
さりげなく問いつつ、「さすがに暑いわね」などと呟き、スーツの上着を脱ぐ。白いブラウスに紫のブラが透けてるのをめざとく見つけてしまい、俺の方がめっさ暑いっ。
「ところで、用件はっ」
いろんな意味で汗をかきそうなので、俺は早々と尋ねた。
いや、さっきから尋ねてる気がするんだが、はぐらかされているのだな、明らかに。
「用件はね……樹君の方があるんじゃないの?」
「お、俺ですか!?」
「そう、ケージ君の方」
……今、さりげなく愛称で呼ばれたぞ?
「え、ええと……特に思いつきませんが」
「本当に? 先生になにか相談することがあるんじゃないの? 遠慮しないでいいのよ?」
手を繋いただまま、じっと俺を見る。
入学した時から相性がいい先生だと思ったが、手を繋ぐのはみんなにやっているのだろうか? などと、こんな時なのにふと思った。
「いや、本当に特に心当たりが――」
首を振りかけ、ふと思った。
どうも昨日から今日にかけて、同じ話題に振り回されている気がする。
もしかすると……魔夜ちゃん、いや先生がほのめかす用件とは、例の謎メールのことか。真偽も定かではないが。