ダンシング可憐と、歓喜の空美ちゃん
可憐の疑惑に満ちた視線を耐え凌ぎ、眠る前に例の合い言葉について調べてから――俺は普通にベッドに潜り込んだ。
……ちなみに、合い言葉は可憐の言う通り、「ファウスト」という戯曲の中に出てくるファウストの博士のセリフだが、正直、中身がちんぷんかんぷんだし、読もうという気にならない内容であった。
俗に言う、「俺には合わん!」てことで。
だいたい、この「時よ止まれ! 君は(汝は)美しい」というセリフについても、諸説あるらしく、こんなのが気になりだしたら時間がいくらでも飛ぶ。
深淵を覗き込む者は、深淵の方もおめーを見てるよ? というどっかの有名人のセリフもあるしな。
単なる合い言葉として捉えることにして、俺は寝る!
……しかしである。
幸か不幸か、あるいはタイミング良すぎるというか……こういう日に限って、俺の奥の手である「幽体離脱」状態で目が覚めてしまうという。
今回は別にやろうとしたわけじゃなく、本当に偶然だ。
ていうか、もしかして俺、魂が抜けやすくなってんのかね……それだと、ちょっと問題だが。
とはいえ、普段はやりたくても簡単にできない術なので、もちろん俺はそれなりにわくわくした。
時計を見ると、既に零時は過ぎている。
いつも通りなら可空美ちゃんはもちろん、可憐も眠っているはずだが……せっかくなので、本体を置き去りにして、ふよふよと浮きつつ、様子を見に行った。
……別に、なんかエロいことしてるかも? とか期待したわけじゃない。
いや、本当に。
しかし、俺が妹の部屋で目にしたものは、意外過ぎる光景だった。
なぜか☆柄のパジャマ姿で、部屋の中で踊っているのだな、こいつ。はあああ? てなもんである。
バレリーナみたいにくるくる回ったり、身軽にふわっと跳んで猫みたいに一回転したり、いちいちモーションが綺麗で、驚く。
それ以前に、空中で一回転とか、そんなことできたのか、こいつ。
運動神経もいいのは元から知ってたけど、いちいちびびるぞ。
一度なんか、ほぼ床と並行状態にくるくるっと回転したりな。
ワイヤーアクションでもないのに、すげーな。
実は一番凄くて俺が気になるのは、薄いパジャマの下で揺れまくる、ノーブラの胸だけど。
それにしても、深夜に踊る癖があったのかと誤解しかけたが、耳を済ませると、満面の笑みで「やった、やりましたよっ。天国のお母様っ」とか口走ってる。
大丈夫なのかこいつは。
だが、俺は気付いてしまった。
小躍りする可憐を無視して、PCのモニターを見たお陰で、ばっちり見覚えのあるメール文章がっ。
もちろん、あの「選ばれた百人」がどうとかいう謎メールだ。
なんだよ、こいつもか!
本当はこのメール、俺達を狙い撃ちしてんじゃないだろうな。
どっぷりと疑惑に紛れていた俺は、踊り疲れた可憐が戻って来たので、慌ててこそっと部屋の隅に退避した。
別に隠れなくても、どうせ見えないんだけど。
「うふふ……うふふふっ」
などと、日頃滅多に出さない陽気な声で明るく笑い、幸せそうな顔でメール文章を眺める。そのうち、小さく手を叩き、囁いた。
「そうだ、このことはお兄様に秘密にしましょう! 全然関係ない第三者として、お兄様に近付くのです、ええっ。そ、そしたら――」
ふいにそこで言葉を切り、可憐は唐突に顔を赤くした。
息を弾ませ、ぽやんとした顔で、天井を眺める。
いや、本当に「ぽやん」とか「とろん」としたと表現したくなる顔だった。
「ゲームの中なら、直接の接触じゃないから、わたしも平気かもしれませんねっ。せっかくだから、童心にかえって思いっきりお兄様に甘えましょう! うふふっ」
赤い顔でそんなことを呟き、例の本棚の上からアルバムなど出してきた。
あ、そこから先は見るのやめとこう。
こいつ多分、前みたいに俺の写真眺めて、ため息とかつきだすからな。
それにしても、余計な情報仕入れてしまった……俺としては知らん顔しとくべきなのかね。まあ、そうするしかないか。どうやって情報仕入れたのか、説明し難いからなあ。
そっと可憐の部屋を透過して出ると、俺は考え込みながら元の私室へ戻ろうとした。だが、空美ちゃんが眠るはずの隣の部屋から、微かにあの子の声が聞こえた。
『わーい! やったのよっ』
……なにがやったのさ!
まさかとは思うが、あの子もかっ。
あのメール、本当になんかの罠じゃないだろうな!