まだ逃げられるようなら、すぐにそこを出るんだ。手遅れになる前に!
閉めたカーテンの隙間から、こそっと外を覗くと――ぐわっ。
思わず叫びそうになって、俺は慌てて口元を押さえた。
ここは、この宿舎兼ホテルの正面に面した角部屋のせいか、入り口周辺はよく見える。
ホテル前のメインストリートの左右から、続々と人が集まりつつある……やけに背が低い黒服の男達で、夏だってのにコートみたいなのを着込んでいる連中だ。
おまけに、黒いソフト帽まで、みんな判で押したように頭に被ってる。
どうやら、周囲の家々に潜んでいたらしいが……こんな、二十名近くもいたとはっ。
しかも、まだ増えそうだしな。
「ヤバいっ」
俺は振り返って皆に教えようとしたが、途端に、俺のポケットから、大音量でベートーベンの第九が流れた。
俺のスマホに最初から入ってる着メロだが、場合が場合だけにオーケストラ並みの音量に聞こえた。
「きゃあっ」
「うるさーい!」
「なに、そのやたら明るい曲!?」
「音がおっきいのよ!」
妹を始め、薫と絵里香ちゃんと空美ちゃんが、一斉に声を上げる。
反応しなかったのは、「粗忽者めー」と言わんばかりの表情で俺を見た、高原くらいだ。
「ご、ごめんっ」
俺は焦りまくってスマホを出し、慌てて出た。
とにかく、音を止めたいのが先で、相手は二の次である。
「誰だよ、このヤバい時にっ」
『そう、危ないな、君』
聞き覚えはあるけれど、誰かがわからない。
「なんだ、おまえ?」
『さっき佐々木氏の身を借りて話した者だよ。今は自分の身体でね』
「さ、佐々木モドキかっ。それで声が違うのかっ」
『佐々木モドキ? いや……君のネーミングセンスは、最悪だな』
いきなり不機嫌な声になった佐々木モドキは、しかしすぐに話を戻した。
『もう時間がない。用件だけ告げる。夜明けまでに退去というのは、忘れたまえ。まだ逃げられるようなら、すぐにそこを出るんだ。手遅れになる前に!』
「え、ええっ!?」
『連中は、君達を下等動物だとナメきっている。つけ込む隙があるとすれば、それしかないぞ。早く逃げるんだっ』
「おい、それって――わ、切りやがった!」
俺は小声で悪態をつき、振り向くなり、まず空美ちゃんを見た。
「連中が一番手薄なのはどこか、わかるかい?」
「裏の戸口っ」
さすがニュータイプ少女、即答である。
「まだ裏には、うちう人さん達は集まってないのよ!」
「よし、全員、荷物持って裏口に集合だっ」
「逃げ道はわかるんですかっ」
「逃走経路は?」
可憐と絵里香ちゃんが同時に尋ね、俺は何度も頷いた。
「佐々木モドキがくれた記憶にあるっ。途中で説明するから、早く行動!」
命令口調になったのは、俺自身が危機感に襲われていたからだ。
ただ、指示を出しておいてなんだが、俺自身は高原の腕を掴み、引きずるようにしてドアを目指した。
幸い、そろそろ暗さに慣れてきている。
スマホの明かりだけでも、なんとかなる。
「俺と高原は、少し遅れて行くからっ」
途端に、女の子達は一斉になにか言ったが、「トイレだよ、トイレっ」と言い訳しておいた。
実際俺は、黙ってついてきた高原と一緒に、男子トイレに直行した。
もちろん、膀胱を空にしておこうとか、そんな理由じゃない。
「時間切れだ、頼むっ」
あらかじめ用意しておいたブツをポケットから取り出し、俺は高原に押しつける。
「いいのか?」
素直に受け取った高原は、冷静に俺を見た。
「覚悟はできてるんだろうな?」
「できてないっ」
きっぱりと俺は言い切った。
「しかし、多分このままじゃ、あいつらから逃げ切れないはずだ。あのモドキの寄越した知識でも、それは明らかでね! だから、思い切ってやってくれ!」
宣言した後、俺はこそっと付け足した。
「俺が泣き出さないうちになっ」
「後ろを向け」
高原は嫌みなほど落ち着いて命令し、さらに余計な忠告までした。
「泣いてもいいが、大声は出すなよ?」
……それは、なかなか難しい注文だと思うぞ、くそっ。
こちらでも、一度だけ告知。
ホラーもののプチ連載、地味に始めてます。「神隠しの夜」というのがソレです。
気が向いたら、チラ見がてら、よろしくお願いします。